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狼領主のお嬢様  作者: 守野伊音
三章
40/70

40.あなたと私の王城








 広い庭にずらりと続く馬車の群れ。カーイナに住んでいた頃は勿論、領主の屋敷へ働きに出てからだって一度も見たことがない行列だ。それでも少ないと思うのは、この場所ではもっと多い数しか見たことがなかったからである。


 私が王都へ出向くのは、全領主が王都に集まるほどの行事が行われる時がほとんどだった。だから私の記憶には、この場所に溢れかえる馬車の波が刻まれている。

 一度に大量の馬車が集まれば、当然のことだが場は詰まり、歩みは止まるものだ。広い王城といえど場所に限りがある以上、順に入城していかなければならない。優先して入城が許される立場とて、混雑を避けることは出来なかった。



 けれど今回は、ある意味個人的な訪問である。

 ライウスの問題ではあるが、あくまでそこ止まりだ。いまこの場にいる馬車のほとんどはライウスの物だけで、記憶しているより静かで穏やかな入城だった。

 正門からの入城が許される。その当たり前だった権利が遙か遠くなり、再び戻ってきたことに抱く感想は、ない。




 先に下りたカイドの手を借り、馬車から降りる。

 静かな王城から、数え切れない視線が注がれた音を聞く。視線には音が宿る。色が宿る。形が宿る。それは、表面を撫で上げる好奇の手であったり、内を暴こうとする疑惑の色であったり、奇異を背負わせようとする音であったり、様々だ。

 この視線に脅えた時代も、あった。悪意と好奇が直接届かない立場であった時でさえ、幼い頃は理由も分からずこの視線を恐れ、両親の背に隠れたものだ。両親は、穏やかに笑って私をその背にしまい込んでくれた。何故恐ろしく思ったのか考えることもなく、いつしか慣れてしまったこの視線の意味を、今は理解していた。




 地に足を下ろし、静かに顔を上げる。

 そびえ立つ王城はあの頃と何ら代わらない。年月によって古ぼけることもなく、新しい物が追加されてすらいない。視線を流して周囲を見る。あからさまに不躾な視線を向けてくる人間はいない。そのような態度を是とする教育では、王城に務められるわけがなかった。

 けれど、人の口に戸が立てられぬように、人の視線も覆うことは出来ない。視線は流れ着く。さらりと通り過ぎる物より、粘ついて皮膚を撫で上げていく視線のなんと多いことか。囁きよりも雄弁な色が、私を品定めしていく。

 先に下りたカイドと、後から下りたイザドルが私を挟むように立った。間に立てば、私の身体は陰に隠れてしまう。陰に隠れたのをいいことに、他から見えないよう二人の服の裾を引く。同じ動作で私に視線を落とした二人を見上げる。


「二人とも、本当に大きくなったわね。まるで騎士様のようよ」


 そう言えば、二人はばつが悪そうな顔になった。罪を自覚して叱られた子どものような顔をした二人は、少し間を開けて立つ。これで視線は遮られなくなった。けれど、これでいいのだ。二人は少し、私を甘やかしすぎる。


 幼い子どもや慣れていない人ならばともかく、私が王城内で受ける視線に怯むことはない。姿形、立場が違ってもこの場に再び縁が出来るだなんて、思っても見なかったことが実現された事実だけは奇妙に思うけれど、それだけだ。

 視線くらい、一人で受けられなくてどうするというのだ。ずっと、いついかなる時も彼らに守ってもらう訳にはいかないし、そのつもりもない。


 特にカイドは、どこまでだって自分が矢面に立って守ろうとする人だから余計にだ。傷を負わずに避けてくれるならまだしも、自らの傷を厭わずに立ってしまう人と知っていながら、それを黙認することなど私には出来ない。私だって、大切な可愛いあなたを守りたいのだから。

 それに、今の私にとって、恐ろしいものはこんな視線などではない。どうしたって身が竦むのは、私の死を望む歓喜の声で。真に恐ろしいものは、彼らが、彼が、失うことだ。




 沢山の物を失ってきたライウスを支える、そのライウスの奴隷とさえ言われたカイド。そんな彼らから奪い尽くして生きた私が、更に彼らに守ってもらおうだなんて恥知らずなことは最初から考えていない。頼りないかもしれないけれど、彼らこそが私を盾にしなければならないくらいなのに、条件反射のように私を守ろうとするから、困るのだ。

 その優しさと甘さは、私が受け取るべきものではないのに、彼らは惜しみなく私にも与えようとする。




 見上げると、二人はまだ、どこか困った顔をしていた。本当に、困った人達。そして、とても可愛い人達。


「優しくしてくれて嬉しいわ、ありがとう。でも、私、もっと別の形で甘やかしてほしいの」

「別の、形、ですか?」

「ええ、私のわがままを聞いてほしいの」

「何なりと、お嬢様」


 何を言われるか分からないのにあっさり承諾してしまうカイドに、私はしかけた苦笑を意識して引っ込めた。会話が聞こえない位置ではあるが、王城の出迎えが少し離れた場所で控えているのだ。二人も、普段のような顔は彼らから見えないよう気をつけていた。


「私、あなた達を甘やかしてみたいの。そうできたらどんなに嬉しいかしらと思うのだけれど、どうかしら」

「………………はい?」

「私も、あなた達の役に立ちたいけれど今の私では大したことは出来ないでしょう? だから、あなた達のわがままを聞きたいと思ったの……駄目かしら?」


 ぽかんとしたカイドを押しのけ、イザドルが一歩距離を詰めた。


「ちなみに、どういった類いの内容まで了承して頂けるんですか?」

「私に出来ることであれば何でもよ、イザドル」


 私では持てないほど重い荷物を運ぶとなると難しいけれど、そうではないのならお買い物の荷物持ちだって、列に並ぶことだって、お掃除当番を代わることだって、何だってするつもりだ。この二人は元々掃除当番を受け持ってはいないと分かってはいるけれど、二人のわがままが全く思い浮かばないのだ。

 けれど、イザドルは何かあるようだ。顔をぱっと輝かせたイザドルとは対照的に、カイドは表情を陰らせてしまった。何故か青ざめてすら見える。


「お嬢様、俺、実は、かねてよりお嬢様にお願いしたいことがあるんですが」

「まあ、そうなの? 嬉しいわ。是非教えてね」


 カイドの様子が気になって視線を向けるも、微動だにしない。だが、イザドルが笑うと同時に、凄まじい早さで眉間に皺を寄せた。先程から、二人の表情が真逆だ。


「俄然やる気が出てきた。おい、カイド。さっさと用事を済ませてとっととライウスに帰ろう」

「言っておくが、ライウスに帰るのは俺とお嬢様だけで、お前が帰るのはギミーだぞ。言っておくが」

「はぁー!?」

「当たり前だ。お前はギミー次期領主であり、ライウスの民じゃないだろう」

「もうここまでできたら半分ライウス人だ、俺は!」

「ライウス領主権限で断固阻止する。お前はライウス立ち入り禁止だ!」

「はぁー!? 最近はギミーにいるよりライウスにいるほうが断然多い俺に何て言い様だ!」

「俺の了見の狭さを考慮しなくてもおかしいだろ、それ。どう考えても」


 前を向き、平然とした顔をしつつ、ひそひそと怒鳴り合う二人はとても器用だ。

 ちらりと視線を向ければ、粛々と後をついてくるカロンの目が心なしか呆れていた。しかし、それを読み取れるのは親しい間柄の者だけだろう。皆、普段なら遠慮なく崩している相好を綺麗に包み隠し、厳かな顔つきで歩いている。


 緊張した面持ちで、右手と右足が一緒に出てしまっているジャスミンと掌が指先までまっすぐに伸びきってしまっているサムアは、周囲に隠しながら話すどころか周囲を見る余裕すらないようだ。いつかは他の皆のように恙なく行えるようになるだろうが、平然と怒鳴り合いの喧嘩をしてみせる技量は身につけなくていいと思うので、彼ららしく健やかに成長してもらいたいなと願っている。

 そんなことを思っているとカロンと目が合った。こっそり笑い合い、視線を元に戻す。



 国の中心であり、政の集約地。その王城に着いたばかりの私は、ああ、早くライウスに帰りたいと、今も昔も変わらぬ感想をそっと胸の中にしまった。










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