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狼領主のお嬢様  作者: 守野伊音
三章
39/70

39.あなたと私の王都







「アジェーレア様ねぇ」


 翌日、三人で乗り込んだ馬車の中で、日も昇らぬうちにどこからか戻ってきたイザドルはぼんやりとした声を上げた。思い至る理由がないときは声もぼやけるものだ。少し眠たそうにしているから、それも理由の一つではあるのだろうが。


 私とカイドは並んで座り、向かいにはイザドルが座っている。

 普段より着飾った私達は、動きづらさも相まって、もっぱら話をすることに努めていた。朝からあまり動いていないので窮屈だが、今から疲れるわけにはいかないのだ。そもそも今は馬車の中なので、出来ることは限られていた。ずっと座りっぱなしなのもそれはそれで疲れるため、足の爪先を遊ばせてみたりと出来る範囲で身体を動かしている。




「お前も特に何かを耳にしたわけじゃないんだな」

「たぶん、お前と同じくらいだと思うよ? 良くも悪くも普通の高位貴族のご令嬢って話だ。王女様としては失礼ながら少々未熟ではあるだろうけど、あの年頃の姫様として見れば普通の範囲内だって聞くけどなぁ」

「あなた達は、アジェーレア様にお目にかかったことがないの?」


 カイドはライウス領主で、イザドルはギミー次期領主なのだから、二人とも王城へ出向く用事は多々あったはずだ。領主の娘というだけで、何の役割もなかった以前の私でさえ何度も出向いているのである。

 だが、二人の話し方を聞けばどこまでも人伝に聞いた話のように思えた。首を傾げた私に、カイドは苦笑した。


「今は亡き正妃様唯一のご息女を、王族殺しに会わせる親はいませんよ。イザドルも同様に。俺の後見人となったギミーはいいとばっちりです」


 少し困った顔で笑うカイドに、どう返せばいいのか分からない。だって、彼にそんなことを言わせてしまったことが悲しくても、切なくても、苦しくても、悔しくても、それらは全て私の所為なのだ。


「お前の話し方だとどうにも神妙に聞こえるからいけないな、カイド。ああ、お嬢様、そのように顔を曇らせる必要は全くないんです。何故なら、王や王子には普通に拝謁叶っているわけで特にこれといった不便はなく、逆に気楽なものなんです。ほら、流石の俺も王女様相手に浮名を流すわけにはいかないので」


 流れるように片目を瞑って笑ったイザドルに釣られて、私も思わず微笑んでしまう。


「……そうね。あなた、とっても素敵な男性だもの。皆があなたのことを好きになってしまうのも頷けるわ。私も、カイドがいなければあなたのことが好きになってしまったのかしら。ふふ、私ではきっとつれなくされてしまったわね」

「イザドル、表出ろ」

「よーし、俺も久しぶりに本気だしてやんちゃしようかな!」


 何故か腕まくりを始めた二人が、本当に外に出ようとしていて驚いてしまう。動いている馬車を止めもせず、突然扉を開けた二人に御者も目を丸くした。


「だ、旦那様! 俺は何か粗相を!?」

「いや、ほとんど揺れない素晴らしい仕事ぶりに感謝している。いつもありがとう、エット」

「あ、ありがとうございます……いやいやいや!? では何故、走行中の馬車から出ようと!?」

「ちょっと野暮用でな」

「そうそう、野暮用野暮用」

「走行中にどんな野暮用が発生したらそうなるんですか!?」


 上着を脱ぎ、襟元のボタンも外し始めた二人に、御者エットは慌てている。私も二人が突然この馬車から降りることになった事情がよく分からず、びっくりするばかりだ。

 イザドルがやんちゃと言っていたことを考えると、もしかして遊びたくなってしまったのだろうか。確かに朝からずっと馬車の中にいるのだ。いつも動き回っている二人には少々退屈だったかもしれない。気晴らしをさせてあげたいのはやまやまだけれど、残念ながらいま遊ばせてあげるわけにはいかないのだ。

 慌てて立ち上がり、上着を脱いでしまった二人のシャツを握る。


「カイド、イザドル、遊びたい気持ちは分かるけれど、今は辛抱して。ね? 帰り道、いっぱい遊べばいいわ。今いけないことをしては嫌よ。カロンも、とっても困ってしまうわ」


 そう言えば、二人ははっとなり、後続の馬車が続く方向を見た。そのまま動かなくなってしまった二人に首を傾げる。二人の間から少しだけ顔を出して同じ方向を見て、納得した。

 後続の馬車から、腕を組み、身体を半分覗かせてこっちを睨んでいたカロンは、私と目が合うとにこりと笑ってくれた。

 どんなときでもカロンは可愛らしい。しかし、今日のカロンは一段と格好いい。強く、可憐で、素敵なカロンを必死に支えているジャスミンとサムアは、王都行きが如何に大変か、いま身をもって知っている所だった。

 少し、私が思っていた大変さとは違うようだけれど、それは私が物知らずだった所為だと思っている。






 王都には美しいものが敷き詰められていた。

 国中から集まった芸術、音楽、物語。手を尽くした料理、物珍しい動物。地方から集められ研磨することで高められた技術で生み出された物。美しいものから物珍しいものまで何でも揃う。手に入らぬものなど何もない、自身の特産品は一つもない国の都。


 王都へ近づけば、窓を開けていなくてもすぐに分かる。ここまでの道程と比べれば、馬車が揺れる頻度が格段に減るからだ。

 元々、エットの腕はとてもよく、揺れを出来る限り少なくさせて走らせていると知っている。それでもどうしても、道行く馬車が多ければ道は荒れ、揺れは避けられないものだ。けれど、さっきから揺れはほとんどない。平らに均された道が続く。人の出入りはとても多いけれど、だからこそ道が荒れれば気づく目が多い。荒れの指摘を受け入れる口も多いのだ。人手も多く荒れてもすぐに直っていく道の上を、静かに通っていく。



 手を伸ばし、薄く窓を開ける。指一本分も空いていない隙間でも、意外と問題なく全景が見えるものだ。幼い頃はそんな隙間では満足できず、いっぱいに開いてしまい、両親から注意を受けたりもした。

 窓の外には洗練された町並みが広がっている。いま私達が通っている大通りは特にそうで、全ての物が小洒落て整っていた。ここから二本、三本と道を移動していった先がどうなっているかは分からない。行ったことがないのだ。何度も来たのに、いつも訪れる範囲は決まっていた。


 年に数回は訪れていた都は、何も変わらない。きっと店の種類や行き交う人々も服の流行も、様々な物が変わっているのだろう。だが、雰囲気や気配、人の流れといった大まかな事柄に変化は見られない。薄い隙間を見ただけでも、ああ王都に来たなと思う。

 十五年経ったなんて思えない景色の中にいる私は随分変わったものだ。名前も立場も、生が変わった故に付随する全てが変わった。記憶だけが変わらないだなんて馬鹿げていると仄暗い自嘲を浮かべた時からすら、変わってきた。

 望む望まざる関わりなく変わり続けた私は、十五年ぶりに訪れる王都をどう感じるのか、自分でも想像がつかなかった。




 歩道を歩く人も、馬車も馬も、途切れることがないほど多い。とにかく人の数が段違いなのだ。列を成すライウスの馬車を眺め、立ち止まる人もいれば、もう見慣れてしまったと言わんばかりに視線も向けず自分の進行方向へ黙々と歩を進める人もいる。王都では、こんな行列日常茶飯事だ。だってここは、人と物が集まる場所なのだから。

 私は、記憶の通り美しい都を眺める。

 何も、思わないものね。

 ある意味予想通りで、少しだけ意外だった結論はあっさりと出た。


 王都は楽しい都だった。

 自覚のあるなしはともかく、元より人との関わりが薄い生き方をしていた私には、物が溢れかえる都は飽きがなく、楽しく思えた。何より、家族がずっと楽しそうだったから、私も嬉しかったのだ。物が溢れ、それら全て望めば手にすることが出来た都で、家族がとても嬉しそうに笑っている。嫌う理由は、なかった。

 王城に纏わる細かな儀礼と礼儀を必要とする諸々は、少々煩わしくもあったが、それも同じ事の繰り返しが続けば慣れてくるものだ。気負う儀礼に慣れてしまえば、後は楽しさと華やかさだけが残る。

 ここは、楽しく穏やかで、歪な思い出がつきまとう美しい都。




 ライウス領主の館へメイドとして向かった際も懐かしさを覚えなかった私だから、王都にも何も感じないだろう予感はあった。けれど、家族が愛した町並みだから、少しは、何か思う所があるのではないかとも思っていたのだ。

 見える景色は何も変わらない。その景色を見つめる私は変わった。ただそれだけのことだと、思っていたよりすんなり浮かんだ感想を苦労なく飲みこむ。


「お嬢様」

「なあに?」


 呼ばれて、振り向く。躊躇いなく町並みから視線を外した私に、カイドは妙な顔をした。自分で呼んだのに、私が彼より町並みを優先するとでも思っていたのだろうか。


「何か、気になるものはありましたか?」

「それがね……困ったことに、何もないの」


 わざともったいぶった後にそう付け加え、きょとんと瞬きしたカイドを見て笑う。


「私だって意地悪できるんだから。だから、油断しては駄目よ?」

「…………恐れ入ります。やられました」


 そう言ってくしゃりと笑った顔が、本当に、本当に柔らかいから、私はいつも心配になる。この人の優しく柔らかな心が、どうかこれ以上傷つくことがありませんようにと、一体幾夜の星に願えば届くのだろうか。

 この人は、こんな些細なやりとりでさえ傷つく柔らかな心を持っているのに、傷を負う覚悟で自分から呼びかけるのだ。本当に困った人である。

 私の可愛いあなたを守る方法を、私はいつだって探しているのに、探せば探すほど優しく柔らかな心が両手では抱えきれないほど出てくるので、心配は募るばかりだ。自分の傷には一切頓着しないのに、他者の傷には敏感に反応して、その分まで傷を負おうとする。本当に、困った人だ。

 今の私には、あなたが重く受け止めようとしていることは、私にとってこんな意地悪に利用できてしまうことなのよと伝えるしか出来ないから歯がゆくてならない。



「あなたと王都に来るのは初めてね。イザドルとも王城で会うことのほうが多かったから、道中も一緒だととても新鮮で楽しいわ」

「俺も楽しいです。俺にとって王都は、お嬢様に会える印象が強いですね。そもそも、俺でさえ出席しなければならないような行事であれば、お嬢様が召喚されないはずがありませんし」


 私は王族の誕生日など、国内中の領主とその家族が召喚される行事にしか顔を出さなかった為、必然的に領主の息子であるイザドルと顔を合わせることは多かった。ライウスやギミーで会うより王都で会うことがほとんどだったイザドルに対し、カイドと王都に来るのは初めてだ。

 我が家で働いていて、両親からの覚えもよかったのだから供に選ばれていてもおかしくはなかったのに、一度も王都行の使用人の中に混ざっていることはなかった。

 いま思えば、あえて選ばれないよう立ち回っていたのだろう。彼にとっては、倒すべき敵が本拠地を留守にする絶好の機会だ。その機を逃すほど凡庸な人ではない。


 そう気がついても、それを言葉にする必要はない。表情にだって出さなくていい。いくら思ったことをそのまま言ってしまうほど甘えている彼相手にであっても、形にしなくていい言葉というものはある。

 にこりと微笑むことを返事としたカイドに、私も同じ笑みを返した。イザドルは昔を懐かしむように、王城のある方向を見る。


「お嬢様は大変な高嶺の花でしたから、俺はなかなかお嬢様に群がる有象無象をかき分けてお側に参ることが出来なくて、悔しい思いをしたものです」

「まあ、イザドルは相変わらず上手ね。私、すぐに嬉しくなってしまうわ」

「そして全く通じない。カイド、俺はそろそろ泣いていいと思わないかい?」

「知るか。泣け、勝手に」


 長い付き合いの友人同士だから、カイドはイザドルに対しては粗雑な扱いをする様子が多々見られる。誰に対しても優しさを見せるカイドからの乱暴な扱いが、少し羨ましいと言えば、彼らはどんな顔をするだろうか。



「お嬢様、王城では、お約束通り俺を見張っていてくださいね」

「ええ、任せて。私も、指を握ってしまう癖を出さないよう気をつけるわ。元々あの頃も、指が曲がってしまうからおやめなさいとお母様が仰っていたもの。……でも、駄目ね。気をつけているつもりだったのに、すぐにしてしまうの」

「だからこそ癖というのですし、ある程度は仕方がないのかもしれません。他の何かを握ってみるというのも手かもしれませんね」

「そうね……あなたの手を握ってもいい?」

「…………喜んで」


 是非、と、改めて付け加えたカイドが思っていたより真剣な顔をしていて、その可愛らしさにますます心配になったと、言うべきか言わざるべきか、少しだけ悩んでいる。










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