34.あなたと私と名前のない店Ⅳ
自分の弟子から始まり、固まってしまった三人の子ども達を順繰りに見たフェンネルは、ジャスミンとサムアを軽い手招きで呼び寄せた。二人は困った顔を見合わせ、おずおずと彼に近づいていく。
フェンネルは私にも視線を向けた。それにつられるように二人の視線も私を向く。困ったような、救いを求めるような顔で大切な二人に見られては、断ることなど出来ないし、その理由もない。
私とカイドは、二人を挟むようにそれぞれの横に並んだ。ほっとした顔をした二人が可愛らしい。カイドもそう思ったのだろう。苦笑しながら、隣に立つサムアの頭をくしゃりと撫でたものだから、サムアが大変困った顔で私を見た。そんなサムアを見て、悲しげな顔のカイドも私を見た。さっきと同じような救いを求める顔をされても、こればかりはどうしようもない。
そんな私達の前に、青い箱が少し押し出された。全員の視線が箱に集中する。
薄く青い鱗のようなものが全面に貼り付けられた箱だ。角度によって光の反射が違うのか。青は濃くなったり薄くなったりと、これだけ見ても飽きることはない美しさだ。
「綺麗……」
呼吸と同じほど密やかに、何の力も込められていないほど当たり前のように漏れ出たジャスミンの感嘆の言葉に同意するしかない。
本当に、美しい箱だ。思わず触れたくなるのに、触れることを躊躇ってしまうこの箱が容れ物だなんて信じられない。
箱に両手で触れたフェンネルは、ぴたりと動きを止めた。
「これは、これを見せた人間全員に問うているんだが、君達は、宝石にどんな印象を抱いている?」
質問の意図を掴めず、無意識に口を閉ざす。迂闊なことを言ってしまい、揚げ足を取られ、それが命取りとなった人は大勢いる。フェンネルはそんなことをするために問うたわけではないのに、思わず身構えてしまった自分を、私は恥じた。
「えっと、綺麗で、可愛くて、高いです!」
誰よりも早く答えたのは、目をきらきらとさせたジャスミンだ。箱の中身が楽しみでならないのだろう。そわそわと身体を揺らしていて、わくわくした気持ちが目に見えるようだ。
「……その、俺の例え変だって分かってるんですけど、職人が作った一点ものの飴細工、です」
「サムアのお父さん、お菓子職人なんですよー! すっごく腕がいいんです!」
にこにことジャスミンが答える。まるで自分の親を語るように誇らしげに語るので、サムアは照れくさそうだけれど嬉しそうだ。そんな二人を見て、フェンネルは僅かに目元を緩ませる。
この可愛い二人は、ライウスの子どもで、ライウス領主の館に勤めてくれていて、私の大切なお友達なのと、あちこちに自慢したくなってしまう。
「変だなんて思わない。とても素敵なたとえだと、俺は思う」
「あ、ありがとうございます」
「硬いとだけ答えたナモンは君の爪の垢を煎じて飲むべきだ」
「そ、それは内緒にしてくださいとお願いしたじゃないですか!」
さらっと暴露されたナモンは、顔を真っ赤にした。弟子の必死な訴えをしれっと流したフェンネルは、僅かに浮かべていた笑みを引っ込めてカイドを見る。視線だけで答えを促されたカイドは、一瞬真顔になった。
「……俺もか?」
「当たり前だ」
「いや、俺は…………やめておいた方がいいと思うぞ?」
「自分に仕えている少年が変かもしれないことを正直に告白した上に、誠実に答えたんだ。主である男が逃げるのはどうなんだ」
正論をぶつけられたカイドは、困った顔になる。弱ったと顔に書いてあるので、彼は本当に気を張っていなければ存外分かりやすい人で、可愛らしい。
「そう言われると痛いな……ただし、怒るなよ?」
「いや怒る」
「ナモン、お前の師は手厳しいな」
力一杯頷いたナモンの頭を、カイドを見たままのフェンネルの手がはたいた。あいたっと慣れた様子で悲鳴を上げたナモンに、二人の日常を垣間見て微笑ましい。
カイドはちらりと私を見た後、覚悟を決めたのか息を吸い込んだ。
「そのままだと食えない」
「当たり前だ」
きっぱり言い切ったカイドに、フェンネルはすっぱり返答した。
カイドの生い立ちを考えると、それは仕方のない見方だ。宝石は価値あるもので、とても高価で、美しい。だがどれだけの宝石があろうと、目の前で飢えている人に対しては何の役にも立たないのだ。コルキアの冬はとても厳しいと聞いている。どれだけ価値のある宝石であっても、その地に交換できる食料がなければ、誰の腹も満たせない、美しいだけの石だ。
だからといって、その答えを宝石職人がその通りだと頷けないのも分かってしまう。
「お嬢様はどうですか?」
妙な沈黙が落ちてしまった場の雰囲気を切り替えたいのか、フェンネルより先にカイドが私の返答を促してきた。カイドが困っていたり、居心地が悪い思いをしているのなら、その空気から早く解放してあげたい。私はカイドに向けて小さく笑ってみせた。
宝石に対して抱いている印象は、幸か不幸か既に固まっている。だから、答えることは難しいことではなかった。
「お守り」
私の返答に、全員が大きく瞬きした。だが、フェンネルだけが違う。大きく、瞳を見開いたのだ。
「お守りなの?」
不思議な気持ちを大きな瞳いっぱいに詰めたジャスミンからの問いに、私はええと答える。
「宝石は、とても高価で価値があるものだから」
「そうだよね! すっごい高いもん! もうびっくりしちゃうくらい! でも、それも当然だって思うくらい綺麗だよね。びっくりしちゃう!」
「そうね。とても美しいものだから、そんな素敵なものを身につけるのなら、それに相応しい人になりたいと思うの。宝石を身につけていく場所は、公の場がほとんどだわ。とても疲れてしまったり、頭が痛かったり、足が痛かったり、苦手な方と長いお喋りが続いてしまったとき、もう帰りたいなんて思ってしまっても、素敵な宝石を身につけていることを思い出せば、自然と背筋が伸びるの。こんな素敵なものを身につけているのに、みっともない姿なんてできないわと、力が出るの」
「あ、だからお守りなんだね! 私もそういうのある! 買ったばかりの服とか、靴とか、髪飾りとかつけてたら、もうちょっとがんばろーって思えるもん。可愛い服なら、髪もちゃんとしたいなって思うし」
ジャスミンは思い至る節があるのか、すんなり飲みこんで理解してくれた。けれど、男性達はどこか飲みこみきれないままのようだ。
だが、やはりフェンネルだけ様子がおかしい。じっと私を見つめている。その目が恐ろしいほど真剣でなければ、睨まれていると思ってしまうほど強い視線だ。そんなにおかしなことを言っただろうかと不安になりつつ、視線を逸らすのも何だかおかしい気がしてじっと見つめ返す。
すると、はっとなったフェンネルは流れるようにナモンの頭をひっぱたいた。
「宝石職人の弟子が、今の返答に呆けてどうするんだ」
「は、はい! 精進します!」
必死に姿勢を正して背を伸ばしたナモンを見て、サムアは「俺、執事でよかった……」とぽつりと呟いた。しかし、それが聞こえていたらしいジャスミンが「女主人の心も分からない執事は怒られるよー」と囁いたため、サムアはとても悲しい顔で私を見つめる。
しかし、私は気づいてしまった。不安を帯びた悲しい瞳は、サムアとカイドの両方から向けられているということに。
慌てて、怒ったりしないわと二人に告げたところで、かたりと小さな音がして視線をフェンネルに戻す。フェンネルは、無言で箱の蓋を開けようとしていた。ジャスミンが慌てて近寄って青い箱を覗き込む。
「どうぞ」
最初の音以外はほとんど音を立てず、箱は開かれた。けれど、始めはそうと気づかなかった。何故なら、美しい青い箱の中身も、とても美しい青が満たしていたからだ。
「綺麗……」
今度思わず呟いてしまったのは私だった。
銀の本体に沢山ちりばめられている青い宝石が、角度によって様々な青を散らしている。幾重にも重なった青い光は、人工物であるはずなのに、自然が作り出した美によく似ていた。触れてはいけない美しさだと、思ってしまったほどに。恐ろしいほど美しい光を放つ青に、飲みこまれてしまいそうだ。
箱の中から現れたのは、息を忘れるほど美しい、青い首飾りだった。
「では、題材をお答えください」
意識の全てが引き込まれていた私の耳に、淡々としたフェンネルの言葉が聞こえ、慌てて顔を上げる。そうだった。それが当初の目的だった。
私と同じように見惚れていたのだろう。ジャスミン達も慌てて顔を上げ、うなり始めた。
「え、えーと……お花!」
「違う」
「駄目だった! 当たっても買えないけど残念!」
全力で考え、全力で嘆くジャスミンは見ていて気持ちがいい。宝石に飲みこまれていた意識が一気に解れた。やっぱり、ジャスミンは凄い。
「絶対違うと思いますけど、砂糖細工」
「そうだな、違う」
「ですよね」
サムアは外れると分かっていたようだ。彼の美しさの基準は、菓子職人が作り出す芸術なのだろう。それも素敵な感性だ。
「星」
「全く違う」
「……違うだろうなとは思っていたが、俺にだけ厳しいな、お前」
三人が玉砕し、回答権を持っているのは私だけになった。さっきは美しさに呆気にとられてしまったけれど、今度はきちんと考えなければ。
じっと見つめた先では、小ぶりな青い宝石が光を弾いてゆらゆらとした青を散らしている。最初は水だろうかと思った。けれど、それは何かが違うと自分で否定してしまう。何か、引っかかるのだ。何か、フェンネルと最初に会ったときから、何か。
そもそも、彼は誰なのだろう。カイドは私の関係者と言ったのだ。宝石関係の、子ども。
沢山の小ぶりな青が敷き詰められた首飾り。角度によってまるで動いているような青を放つ、首飾り。そう、動くからといって水とは違う。これは生き物だ。だけどこんな色を持つ生き物を、私は知らない。知らないけれど。
確信を持ったわけではなかった。そもそも、口に出したつもりもなかった。それなのに、気がついたときにはその言葉が口から滑り出ていた。
「――竜」
私をじっと見ていたフェンネルの目が、大きく見開かれていく。
『じゃあ、お嬢様を守れるような強い首飾りを、俺が作ってあげます』
深く帽子をかぶった子どもが、蘇る。
『だから、その時はお嬢様が俺の店に名前をつけてください』
その帽子から、銀色の髪が覗いては、いなかったか。嬉しそうに笑った口元だけが見えていた名も知らぬ少年を、思い、出した。首飾りの題材が分かった瞬間、思い出した。
『約束です』
彼は、あの子だ。




