30.あなたと私の試食
ダーゼは物流拠点なこともあり、とにかく様々な物がある。更に、その量も多い。
精査されていない分、王都やライウスの首都に比べれば店の規模や内容に雑多な印象を受けるけれど、それもまた賑やかさに花を添えている。
商人も船員も観光客も住人も、活気に満ちた町だ。少々活気に満ちすぎていて、気を抜くと荷を運ぶ人々の波に呑まれてしまいそうな気迫に溢れている。
「うわぁ、うわぁ! 凄い! 山盛り!」
「おー、凄いなー」
文字通り山と積まれた果物を見上げ、ジャスミンが感嘆の声を上げた。色とりどり、種類も様々な果物は、堅さもそれぞれで、袋で積まれたものもあれば箱に入れられた物も、そのまま山になっている物もあった。
甘い香りと青い香り、どこか酸っぱい香りも漂う果物の山を前に、四人で並ぶ。ジャスミンの感嘆の言葉に、カイドものんびり答える。サムアはというと、そんなカイドを見上げていた。
「旦那様、背たっけぇ」
「そうね」
「……俺も旦那様くらいいけると思う? 何食べたらいいんだろう。旦那様って何食べて大きくなったんだろうな」
「…………そうね」
サムアの無邪気な問いに、答えにはならない応答を返事とするしかなかった。そんな私の曖昧は返答では満足できなかったのだろう。サムアは直接カイドに聞いてしまった。
「だ、旦那様!」
「どうした?」
「何を食べたらそんなに身長伸びますか!?」
「…………………………………………………………………………熊鍋だな」
いろいろ、本当にいろいろなものを飲み込んだ末の答えだと、答えたカイド以外で気づいているのは私だけだろう。
毒茸や毒草、果ては革靴を食べてきた過去があるとは、とてもではないが言えない。そんな最大限に気遣われた答えに、サムアは絶望的な顔になった。確かに、熊鍋は一般的な家庭食ではない。お店でもそうそう見かけないだろう。何せ、材料が潤沢に手に入る物ではないのだ。
カイドは困った笑みを浮かべ、サムアの髪をかき混ぜた。
「ちゃんと食べて、しっかり寝ろ。お前はまだ若いんだ。まだこれから伸びるぞ、きっと。それにお前、俺が十六の頃より大きいから安心しろ」
「本当ですか!?」
「一気に伸びると関節が容赦なく痛むから頑張れよ。俺は毒飲んだほうがましだと思ったな」
「うっ……」
その痛みを思い出したのか、カイドは複雑な表情を浮かべる。毒と接する機会が多かった人が言うと説得力があって怖い。
でも、本当に大きくなった。彼の過去を知れば知るほど、無事に大人になってくれただけでもう、世界中の全てに感謝したくなる。
「それで、お前達はどこに行きたいんだ?」
「あ、旦那様。私ここです!」
「俺は多分ここです」
二人は元気よく紙を差し出した。どうやら、ちゃんと書き留めてきていたようだ。けれど、ちらっと見えただけでも数が多い。合計で何枚あるのだろうか。今からではとてもではないが回りきれないだろう。
通行の邪魔にならないよう道の端に寄り、二人分を纏めて受け取ったカイドはざっと目を通していく。
「お前達、これお前達が買い物したい店じゃないな?」
「はい、お土産頼まれたんです! というか、お使い? 買うついでに、欲しいものあったら自分用に買おうかなって思ってるんですけど……全部は難しいですか?」
「全部はな。王都では買い物させてやれるか分からんし、帰りもゆっくりできるどうかといったところだから、ここで揃えられる物は揃えていったほうがいいんだが………………サムア、この最後の一列の土産は買わんでいい。誰だお前に頼んだの」
「そうなんですか? 何か分からなかったので店も探せなかったんです。他のを買う店で聞けばいいかなと思ったので」
「忘れていいぞ。よし、他はとりあえず回れるだけ回るか。それと、日持ちのしない食料品は諦めてもらおう。生の果物と魚はどう考えても無理だ……お前達、無理なことは断っていいんだぞ? 断られること前提の物まで全部引き受けてるぞ、これ。お前等は断ることを知らんとカロリーナが心配していたのはこういうことか」
溜息をついてメモをポケットに突っ込んだカイドは、くるりと私を振り向いた。
「お嬢様はどこか行きたい場所はありますか?」
「特にはないのだけれど、お友達と遊びに行くなんて初めてでどきどきしてしまうわ」
そう言うと、ジャスミンとサムアが酷く驚いた顔をした。この歳まで、友達と一度も遊びに行ったことのないというのは、あまり一般的ではないのだろう。特に、二人は誰とでも仲良くなれる人だから余計にだ。
何せ、あのウィルフレッドの未練になった二人である。
「シャーリー! いっぱい遊ぼうね!?」
「か、買い物でいいのか!? 何かこう……何かこう遊ぶ感じじゃなくて大丈夫か!?」
びっくりした顔のまま、二人はそれぞれ私の手を両手で握った。
「どんなことでもきっと楽しいわ。けれど私、お友達と遊びに出かける際の作法を何も知らなくて、何かおかしなことをしてしまっても気づけないかもしれないの。その時はどうか、教えてくれると嬉しいわ」
二人は力強く頷いてくれた。行き先や予定の何かもを彼ら任せにしてしまって申し訳ない。次は私も何か意見を言えるようになるだろうか。
こんな願いを持てる日が来るだなんて思わなかった。前の生では友達と遊びに行くことを、今の生では何かを願うことを、許される日が来るだなんて、思ってもみなかった。
「シャーリー、あっち、あっちのお店行こ!?」
カイドも言っていたけれど、明日からしばらくはそれこそ指先どころか髪の先まで気を張ることになる。せめて今日くらいは羽を伸ばし、楽しく過ごせたらいい。
「ええ、行きましょう」
私の手を引っ張って走り出したジャスミンの後を追い、あまり慣れていない速度で私も走り出した。
「シャーリー、これおいしいよ! 食べてみて!」
ジャスミンが試食を勧めてくれるけれど、私は返答ができない。何故なら、既に口の中に入っているからだ。
さっき一緒に別の試食をしたはずのジャスミンはもう飲み込んでしまい、新しい試食も終えている。片手で口元を押さえたまま、急いで口を動かす。
「お嬢様、ゆっくりで大丈夫です」
おかしそうに笑いながら、通り過ぎていく人々に当たらないよう壁になってくれているカイドも、同じ試食をしたはずなのにもう食べ終わっている。
「旦那様、さっきの会計分は引き渡してきました」
「ああ、ありがとう」
「恐れ入ります」
会計を済ませたサムアが戻ってきた。何軒か店を回り、そのたび買い込んだ分はどこからともなく現れたライウスの人が持って行ってくれるため、私達はほぼ手ぶらで町を巡っている。恐らくは姿を見せていないだけで、今も近い場所に護衛の兵士がいるのだろう。
「サムア、これとこれおいしいよ」
「――あ、本当だ。うまい」
ひょいひょいっと試食を口に入れて、さほどの間を置かず話し始めたサムアに驚く。
ジャスミンは元気も笑顔もいっぱいで、惜しみなくおいしさを伝えてくれるから、お店の人も次から次へとジャスミンに試食を勧めていた。そのたび、私達も試食をもらうのだけれど、私だけが遅れていく。
始めは、立ったまま食べる行為に慣れていない所為だと思っていた。しかし、彼らの様子を見るに、慣れというより根本的な何かが違っている気がしてならない。
さっきまで巡っていた雑貨の店では、「どっちかいいと思う?」という質問に対してあまり有益な返答ができなくて落ち込んでいたけれど、まさかこっちはこっちで別の焦りが浮かぶとは思わなかった。
ずっと口を動かし続けている私を、カイドは急かさず待ってくれている。笑いながら。
「お嬢様が急いで食べる姿を見たのは初めてです」
くすくす笑っているカイドに恥ずかしくなる。片手で口元を押さえ、残った手をカイドを制止するために前に出す。言葉を伝えるための口が開いていないからこんなことになっているのだ。
試食でもらった物が思ったより大きく、けれど何度も口に運べるほど安定した状態ではなかったのである。串に刺された物だったので、渡された時点で落としてしまいそうではらはらしていた。
ようやく小さくなった物を必死に飲み込めば、思っていたより大きくて、反射的に涙目になってしまった。喉に詰まってしまうかと思ってびっくりした。
少し咽せながら、必死に声を出す。
「あまり、見ないで……恥ずかしいわ」
「……急いで召し上がるからですよ。ゆっくりで大丈夫ですから」
「だって、あなた笑うのだもの」
思っていたよりずっと拗ねた物言いになってしまったことも恥ずかしくて、口の中が空っぽになっても口元を押さえたまま、カイドを睨み上げる。
「あなた、時々意地悪だって忘れていたわ」
「申し訳ありません。お嬢様が許してくださるので、つい」
ヘルトの頃もそうだったけれど、彼は時々意地悪なのだ。私は、つんっとそっぽを向いた。
「私だって、仕返しできるんだから」
「……興味は多分にあるのですが、恐ろしい気もします。ちなみに、どんな仕返しですか?」
そっぽを向けていた視線をカイドに戻す。面白がっているようにも、本当に恐ろしがっているようにも見える。彼の真意を読み取れないのは悔しい。けれど、今から話す仕返し内容を聞けば、恐ろしがるまではいかずとも、困った顔にはなるだろう。
「あなたが料理を口に入れた頃合いを見計らって、話しかけるわ」
「はあ。そのまま飲み込んでお答え致しますので平気です」
「え? 噛まなくても飲み込めるの? 男性って凄いのね。それとも、あなたの喉が大きいのかしら」
「他には何か?」
「え、えっと……そうね。仕事が終わってもう休もうとしている時間を見計らって、話をしに部屋を訪ねてしまうわ」
「喜びますが」
「え? だって疲れているでしょう? 早く眠りたいのに邪魔する私を怒っていいのよ?」
「喜びます。他には?」
「えっと……えーと……あなたの料理だけ私の料理にしてしまうわ」
「喜びますが」
「え? あなた一人だけ、料理長のおいしい料理を食べられなくなってしまうのよ?」
「喜びますが」
さっきまで浮かべていた面白がっているようにも恐ろしがっているようにも見える顔は消え去り、カイドはどこか真剣な顔をしている。
面白がってくれたほうがまだよかったのかもしれない。私は本当に会話も言葉選びも下手だ。恐ろしがることも笑ってくれることもなかったカイドに、私はしょんぼり肩を落とした。
「仕返しって難しいのね……」
「いえ……ある意味凄まじい衝撃でした。最後はどちらかというとお願いしたいくらいでしたし」
「そうなの? 私、料理は養護院の大きなお鍋で作っていたから、少量だと上手に作れないかもしれないわ。凄いのよ。まるではたきのように大きなお玉を使うの」
仕返しの話は上手にできなかったけれど、私達は何でもない話をゆっくりと続けた。




