3.あなたの飴玉と私
「前の生で、私はそれはそれは重い罪を犯しました。一応罰は受けたのですが、きっと、それだけでは許されなかったのでしょう。ですから、こうして前の生の記憶を持ったまま生まれてきてしまったのです。私は罰を受けなければならないのです。きっと、一度の生では足りぬと神は定められたのです。私は親愛なる我らが父の御心のままにこの生を終えるのです。それが神の御意思。私のさだめなのです。そうして贖いを終えて初めて私は我らが父の膝元に帰ることができるのでしょう。それまで私は贖い続けねばなりません。そうしなければ父たる神の御許に帰れないのです」
嘘はついていない。ただ、聞いてもいない神の意思を勝手に定め、別にそこまで願ってもいない魂の円環に還りたいようなそぶりを見せているだけだ。
私は若干脚色した真実を彼に語り、見開かれた金色の瞳が色を変える瞬間を待った。
親切な人はたくさんいた。
優しい人も溢れていた。
誰もがまともに食事をとらない私を心配して、いつまで経っても新しく買わずに継ぎはぎだらけの服を着る私に手を差し伸べてくれた。
私はその度にこの話をした。優しかった人の目が気味悪いものを見る目に変わっていく様を、親切な人が頬を引き攣らせて後ずさっていく様を、何度も何度も目にした。
目にするために、話している。
嘘をついて更に悪行を重ねることなく、放っておいてもらえるという一石二鳥の方法だ。
狂信者に思われた。気狂いに思われた。嘘吐きの哀れな娘に思われた。
どうせ誰も信じやしない。信じないけれど気味が悪いから離れていく。
そうです。私は頭がおかしいのです。頭のおかしい、陰気で鬱々とした惨めな娘なのです。家族はもとより、友達もいません、恋人はもとより、親しい人もいません。いりません。
だから、放っておいてください。
淡々と事実を語る私の前で、カイドは長い指で自らの顎を押さえ、目を少し細めた。
その瞳は、まるで何かを見定めようとしているかのようで、少し居心地が悪い。もう少し鋭く尖れば、まさしく彼の二つ名の通り狼領主にふさわしいものとなるだろう。
あの頃見た、少し気弱で、でも優しい瞳をどうやって作り出していたのか不思議に思うほど、鋭くそれ自体が牙のように爛々と輝く金色だ。
逆らう者には容赦しない、という点では前領主と一緒だ。けれど彼は慕われている。何故なら、逆らう、というのは、彼に逆らうではなく、法や倫理に逆らう者だからだ。
前領主に尻尾を振っていた者は、あの日、会合で集まっていたあの屋敷で大勢捕えられて処断された。
会合に出席しなかった者や、命からがら逃げだした者も、どこに逃げようが追いつかれた。どれだけ周りを分厚く囲んで篭ろうが、必ずその首に食らいつかれた。そこに容赦は一切なかった。多くの者が処断され、追放され、ライウス領の貴族の顔ぶれは随分変わった。元々、祖父と父の世代で変わった者が戻ってきたともいえる。
祖父と父が壊したライウス領の地を、私達を壊したカイドが直していく。豊かなライウス領を取り戻していく。
立派な人なのだ。賢く、豪胆で、男前で。神から三物を与えられた魅力的な男の人。
現実を見ようともしないのに、夢ばかり見ていた頭が空っぽの馬鹿な女など、好きになるはずもなかった人。
どうせならその牙で直接、私を終わらせてくれたらよかったのに。
私は両手を揃え、背筋を伸ばしたまま、金色が気色悪げに歪められるのを待った。
けれど、なかなかその瞬間が訪れない。それどころか、興味深げに前のめりになっている。こっちに来ないでください。
「さて、俄かには信じがたい話だが」
「そうでしょうね。私は頭がおかしいのです」
使用人の身分で無礼だと分かっていながら、こちらから話を終わらせようと会話を打ち切る。怒って首にしてくれるならそれでいい。院長先生の妹さんの娘さんの……忘れたけれど、それらの人の顔を潰してしまうかもしれないことだけは、少しだけ申し訳ない。でも、これに懲りてもう二度と関わろうだなんて思わないでくれるなら、それに越したことはない。
これで終わりだと一礼して下がろうとした私の視界に、金色の瞳があった。
下から覗きこまれて思わず一歩下がる。下がった私を追うように立ち上がったカイドは、長い指で私の肘を掴む。片手だけで私の肘をぐるりと囲ってしまった様子に、眉が顰められる。
「だが、こういう場所に生きていると、嘘をついている人間は自ずと分かるものなんだよ」
肘を取った手が離れ、指先でぺしりと叩かれる。
「痩せすぎだ。俺の領民が飢えて死ぬなど許さんぞ」
「一年後には修道院に入る予定ですので、死ぬつもりはございません」
処刑でもされない限り、と、心の中で付け加えた。
その言葉を聞き取ろうとするかのように今度は上から覗きこんでくるカイドに、また一歩下がる。
「これは聞きしに勝る難物だ。嘘をついているように見えんのがまた凄いな」
「気狂いはお嫌でしょうから、今すぐ屋敷を追い出してください」
「気狂いは自分でそうと気づかないから狂いなんだ。さて、お前の配置を変えようか」
「は?」
下がった分を詰められて、もう一歩下がる。
背中に何かが当たってそれ以上下がれなくなった。びくりと跳ねて後ろを確認すれば、何の変哲もない木だった。大きく伸びた木はきっと私より年上だろう。
思い出のものは悉く無くなっていたけれど、記憶にないようなものはこうして残っている。それが酷く理不尽で、状況も忘れて笑い出しそうになった。
「シャーリー・ヒンス。お前は今から、屋敷のメイドではなく俺直属のメイドだ」
「…………はい?」
何を言われているのか分からず、思わず聞き返す。
そんな私の腕を掴んだままカイドが歩き出した。その方向に気づいて踵に力を入れるもあっさり引っ張られる。
「サムア!」
良く通る声に、まだ近くにいたらしいサムアとジャスミンが駆け戻ってきた。そして、腕を掴まれて引きずられる私に目を丸くする。
「まあ、シャーリーったら! そんなところにいたの!?」
「あの、旦那様。この者が何か失礼を? 申し訳ございません! 何分新入りなものでして、まだ屋敷のこともよく分かってはいないのです。よく言って聞かせますので今回だけは大目に見ては頂けないでしょうか! 罰は私が受けます故、どうか!」
丁寧は丁寧でも、優美ではなく直角の勢いでびしりと曲げられた腰。これが体育会系と呼ばれるものかと、ちょっと興味はあったけれど驚きのほうが強い。
別に、私の代わりに謝ってくれなくてもいいのだし、私の代わりに罰など受けてくれなくていい。隣にいたジャスミンまで頭を下げるので、ほとほと困り果てる。
しかし、こんな状況なのに、当事者である私はまったく別のことを考えていた。
彼の周りには本当にいい人が多いと思い知る。人徳だろうなと、思う。父の周りにいた人は、私達には常に優しかったけれど、メイドや執事に対してはまるで家畜に見せるような態度だった。あれだけの人が出入りしていたにもかかわらず、だ。
人徳がなかったのだろうなと思う。徳どころか、きっと、人として大切な物もなかった。だから、似たような人しか集まらなかったのだ。
そして、私にもなかったのだろう。だから、終わりは必然だったのだ。
二人が同じ角度に下げた頭を見下ろして、カイドは苦笑した。ああ、初めて見る顔だ。
「何を勘違いしてるのかは知らんが、こいつの粗相として強いてあげるなら痩せすぎなことだな。さて、ジャスミン、こいつの朝食は?」
「え、あ、はい。パン一切れにスープ一杯……いえ、半杯? です」
「メイドに肉の一切れも食わせてやれないとは……俺もまだまだな領主だな。ジャスミン、メイド長にこいつは俺付きにすると謝っといてくれ。一人奪ってすまんな。何なら追加で雇っていい。サムア、執事長にも同様に伝えろ」
彼こそ気でも違えたのかと思えるようなことを言う主に、使用人二人の態度はというと。
「ああ、何だ。またですか。分かりました、そのように伝えます」
「シャーリー、よかったわね!」
………………何が?
やれやれ、いつものことだ。そういわんばかりに二人は「じゃあ、そのようにー」と声を揃えて歩き出す。ちょっと待ってほしい。一言くらい説明してほしい。
「あっ……ま、待ってください、ジャスミンさん!」
カイドに腕を掴まれたまま必死にジャスミンを呼ぶと、髪留めが吹き飛びそうな勢いで丸い頭が振り向いた。そして、サムアを突き飛ばす勢いで駆け戻ってくると、自由なほうの手を両手で握りしめてぱっと笑う。
「やだ!」
そしてこのやだである。満面の笑顔でやだと言われた私はどうすればいいのだろう。
ジャスミンは、両手で握った私の手をぶんぶんと振り、やだやだと嬉しそうに跳ねる。
「サムア、見た!? シャーリーが初めて私の名前を呼んでくれたわ!」
「……お前、同室なのに名前すら呼んでもらえてなかったのかっぶっ!」
雑巾再び。
サムアの顔を雑巾に挿げ替えたジャスミンは、まるで砂糖菓子を口の中に放り込まれた子どものように嬉しそうに笑う。
「あのね、シャーリー。この屋敷で旦那様付は一番お得なのよ!」
「はい?」
「なんたって、お菓子食べ放題におやつ食べ放題に軽食食べ放題に、尚且つ町に視察にいかれた際にお供させて頂けるなら屋台だって食べ放題! 更に更に更に! 会食でもない限り、望めば朝食も昼食も、夕食だって旦那様と同じものを頂けるというご褒美仕事なのよ!」
「辞退させて頂きま」
「他の誰かがなったら羨ましすぎて怨嗟渦巻く血みどろの争いが巻き起こるけれど、シャーリーなら皆喜んでくれるわ! あなた、本当にやせ過ぎよ!」
す、まで言わせてもらえなかった。そして、全然お得な気がしない上に、何だか一気に殺伐としてきた話の流れをどうすればいいのだろう。
弱り果てて、少し考える。そして、とりあえず腕を離してほしいという結論に至った。
まだ何かサムア達と話しているカイドを無言で見上げる。
昔は背が低いことを酷く気にしていた彼と並ぶときは、こっそりヒールを低くしたり、上に盛るような髪型はしないよう心掛けた。
そんなことがあったなんて信じられないくらい体格に恵まれた彼を見上げていると、何も言っていないのにくるりと振り向いてきた金色と目が合う。
思わず瞬きをした私に、彼はにこっと笑った。
少しだけ、本当に少しだけ、そこにヘルトがいたような気がして、私の血の気は引いた。
「とりあえず、今の手持ちはこれしかないんだが、何味がいい?」
そうして徐にポケットに突っ込まれた手が開かれると、可愛い包みに入った飴玉がごろごろしていて、引いた血の気は即座に戻ってきた。
狼領主の二つ名に全く相応しくないそれに一つ瞬きをして、丁重に断る。しかし、断り文句の途中で勝手に放り込まれた。行儀悪く吐き出すことも出来ず、少し恨みがましい眼で見上げる。
カイドは、そんな視線を受けても飄々と笑った。
甘いものを最後に食べたのはいつだったのか、もう思い出せない。
随分と久しぶりの甘味は、苺味だった。