27.あなたと私のライウス出立
「……ヒルダ、やっぱりドレスはもう一着追加したほうがいいと思わない?」
「やっぱりそうでしょうか……。今は若い方を中心に従来の型から飛び出した斬新なドレスが好まれますが、やはりライウス程の歴史と格式がございますと、ここは古式ゆかしい型が宜しいのではないでしょうか」
「そうね……けれどお嬢様はとても華奢だから、首や袖周りが重たいと野暮ったくなってしまうし、何よりお嬢様が疲れてしまうわ。それに、軽めにしてあるとはいえ、その型のドレスは三着持っていくし……」
「でしたら、いっそいま流行りの背中と胸元がレースになっているあの白いドレスにしませんか? もう一つの流行の人魚を模した型は、痩せた方にはお薦めできませんし、何より踊りにくいと思うので、やっぱり白いドレスを追加したほうが」
「そうね……。人魚の型は、ただ眺める分には美しいけれど、踊るとなると難しいわね」
「そうですよね。踊る当人もそうですし、足元をすらりと見せるために絞られたスカートでは踊る時に映えませんよね。やっぱり踊る場合は従来のように生地を多く使って、回転の際にふわりと広がる型が綺麗じゃないでしょうか」
「そうよね……では、とりあえず白いドレスを追加で持っていきましょう…………赤いドレス、やっぱり持っていかないほうがいいかしら」
「…………でもあれ、可愛いんですよね」
ここ最近、毎日どころか一日数回の規模で繰り広げられる本日四度目の会話がまた聞こえてきて、私は眉を下げてしまった。そんなに心配しなくて大丈夫よと言いたいけれど、行き先が王城である以上そうもいかない。
ライウスは、女性の戦場に強くない。領主であるカイドに、妻も娘も、母も姉妹も、親族の女性すらいなかったからだ。
誰か年頃の貴族の娘を隣に据えていればまた違ったのだろうが、そういうこともなく、十五年を経てしまった。それはライウス自体が混迷していたことも大きい。勿論、ライウスの女性は誰もライウスを出なかった、などということはない。けれど、とにかくライウスは内部を建て直すことに十五年を費やしたのだ。
ライウス内の有力貴族の顔ぶれは、十五年前とは大きく変わった。王城や他領に顔の利く貴族は、すなわち前領主に関わりが合った人間ばかりだったのだ。王城、また他領との繋がりが薄れたまま、ライウスはライウス内を整えることに尽力した。
そんな十五年を経た結果、ライウスは他領から一線を引いた領となっている。
「……やっぱり髪飾りも一箱増やさない?」
「そうですね……首飾りも……靴も……」
堂々巡りを起こす度に増えていく荷に、慌ててカロンとヒルダを向く。
「もう充分よ。ありがとう、二人とも」
これ以上荷が増えては、ただでさえ大変な道中がもっと大変になってしまう。馬車が増えるということは、護衛対象が増えるということだ。カイドを守ることが何より優先される護衛の兵士達の仕事をこれ以上増やすわけにはいかない。
そして、カロンとヒルダの会話が私の荷一色になってしまうことも、申し訳ないのだ。
「……お嬢様が、そう仰るなら」
「……ああ、駄目! それでも私がどきどきします! 私、もう一度荷を確認してきます!」
「そうね! そうしてちょうだい、ヒルダ!」
一礼して駆け出していったヒルダを、カロンが真剣な顔で見送る。
私が最近のドレスに詳しければ、靴、飾りの流行に敏ければ、彼女達がこんなに悩むことはなかったのだろう。私の感性は十五年前で止まっているから、少し古いと言われてしまうのだ。いまの私と同年代である少女達の母親ならば話があったかもしれないけれど、昔は少女達だった人々も今では大人の女性となり、少女の装いはしなくなっている。その結果、私に合った服と私の好みと現在の流行とがうまく噛み合わず、カロンとヒルダの悩みは尽きないのだ。
そんな中で、彼女達は本当に頑張ってくれた。色々手探りだったのに、どこに出ても、それこそこれから向かう王城へ出ても恥ずかしくない品をきちんと揃えてくれたのだ。
ばたばたと慌ただしい屋敷の音を聞きながら、小さく息を吸う。いつの間にか握りしめていた二本の指を、そっと解く。この癖も、もう治さなければならない。
カイドと私達は、今日ライウスを発ち、王城へと向かう。ライウス領主の婚約を、王に許しを頂く為にだ。
少しずつ仕事を分散させているとはいえ、まだまだライウス領主の不在に慣れないライウスの為に、すべきことは沢山あった。けれど、時間が足りていないのだ。
本来ならば、見送る側も出立する側も、双方の用意が整ってから王城へと伺いを立て、訪問の許可を得てから向かう。けれど、今回は王城から伺いが来たのだ。だから、ライウスは大急ぎで様々な用意をしなければならなかった。王城からの伺いは、伺いという形を取っていても実質は命令だ。
ライウス領主として召喚されるのだから、少数の精鋭を連れて強行突破すればいいというものではない。何台もの馬車を使い、兵士の数も揃え、王都を、それに至るまでの道を通っていかなければならない。必要とあれば例え単騎でも駆け抜けることに躊躇いなどないカイドだが、領主として望まれる過程を必要もなく排除したりはしない人だ。むやみに威光を示す必要はない。けれど、むやみに控えてはならない。地味に質素に控えめに、そうすることは驚くほどに簡単だが、誰の目にも分かりやすい光が必要なことも、あるのだ。
だからいま、屋敷内はまるで引越しでもするかのような大忙しなのだ。そんな中、メイド長とメイド長代理を務めることのできるヒルダに、私の荷づくりで頭をいっぱいにさせるわけにはいかないのだ。
私は、いま着ているレースと襞がとても綺麗なドレスを見下ろす。養護院にいた頃には見ることもなかったドレスを、この屋敷で毎日当たり前のように着ている。その中でも、余所行き用の一等質のいいドレスだ。
袖を通した時、懐かしいなと思った。同時に、重いとも。
「大丈夫よ。だってどれも素敵な物ばかりだもの。後は、私がきちんと着こなせるかどうかだわ。頑張るから、どうか見ていて、カロン」
基本的な礼儀作法は十五年前と変わっていないのは、作法の教師に確認済みだ。歴史が積み重なった場所であればあるほど、変革とは行われにくい。良くも悪くも、だ。
その辺りのことは、記憶と身体に染みついた『経験』でどうにかなる。だが、問題もその『経験』なのだ。
私が知っていることは、ライウス領主の、ライウスの暴君の一人娘であることが前提だった。
誰からも一線を引かれ、誰からも気を使われた。不便を感じることも、不愉快に思うことも、困惑することすらなく、ただただ微笑んでいればそれでよかった私の記憶の王城と、これから向かう王城は全く違うのだろう。
今の私は、王族の血を引いたライウス領主の娘ではない。長い間空席だったライウス領主の婚約者の座に突如収まった、身寄りも知れぬ孤児の娘だ。
きっと、いままで経験したこともない扱いを受けるのだろうと、想像に難くない。ライウスに送られてきた、酷く遠まわしで迂遠な、誤解を誘うような内容の手紙がそれを物語っている。誤解をそのまま受け取ってしまえば、嘲笑を受けるだろう。そして、その嘲笑は私ではなくライウスが、カイドが被るのだ。
「お嬢様、お嬢様は大丈夫です。全く、何も問題はないと先生も仰ったではありませんか。問題は……」
カロンの視線がちらりと他所を向いた。その視線を追いかけて、私は苦笑した。
「このお店とこのお店とこのお店とこのお店とこのお店とこのお店とこのお店に行きたい!」
馬車に荷を運びながらも、隠しきれない興奮でぴょんぴょん飛び跳ねているジャスミンに、サムアが呆れた視線を返す。
「そんなに行っても金もたないだろ」
「だって、買い物頼まれたんだもん。屋敷のお留守番組のほぼ全員に」
「残る連中のほうが多いだろ!?」
「男の人達からは封筒で渡されたよ? サムア担当だって。渡されたのは私なのに、私は中見ちゃ駄目なんだって! 私、可哀相じゃない!?」
「そんな得体の知れないメモ渡される俺が可哀相だろ!?」
「じゃあ、サムアは買い物しないの?」
「いや、そりゃするだろ。せっかくの王都なんだし」
今日も元気な二人を見る大人達は、苦笑交じりではあるもののとても微笑ましい目をしている。
ジャスミンとサムアは、仕事としても旅行としても王都に行くのは初めてだと聞いている。今回王都に向かう人々の中で、若い面子はこの二人だけだ。
カロンは、他の大人達よりはしかめっ面で腕を組んだ。
「問題はあの二人ですね……浮かれてしまってもう……」
失礼しますと一言断わったカロンの胸が、すぅっと膨らむ。それの意味することを悟り、慌てて両手を自分の耳に当てる。けれど、一足早く私の耳を塞いだ手があったため、私の手はその人の手を包むだけとなった。
「ジャスミン、サムア! 遊びに行くんじゃないと何遍も言ってるでしょう!」
「はいぃ!」
響き渡ったカロンの怒声に、ジャスミンとサムアの身体が直立にぴょんと飛び上がった。対象の二人だけでなく、結構な数の人の身体も飛び上がったのが見える。悲鳴を上げて逃げ出した留守番組の男性集団は、もしかしたら二人にお土産を頼んだ人達なのかもしれない。
「無意識でも出来るようになるまで言うけれど、あなた達は絶対に、一人は勿論、あなた達二人だけでの行動も禁止。知らない人間には絶対についていかない。物を渡されても受け取らない。持ち物には常に気を配り、無くなっている物があれば即報告。何かを言われても即報告。何かを見ても即報告。常に王都に三回以上行ったことのある人間と行動すること」
「はーい……あの、カロリーナさんも行くんですよね?」
「当たり前です。お屋敷のことはヒルダに任せます。いいですか、私達使用人の務めは、お嬢様と旦那様に快適にお過ごし頂くためのお手伝いです。その私達のことでお二方の手を煩わせるようなことは以ての外です」
「……なんか、お母さん同伴で遠足に行く気分……」
「……百歩譲ってお母さんの件は措いておくにしても、遠足ではないと言っているでしょう!」
「ひぃい!」
再び上がった怒声に、全員が竦み上がる。
しかし私は、そんな彼らの心配よりも先に、私の耳を塞ぐ人を慌てて振り返る。耳を塞ぐ手をずらしながら振り向けば、大きくて温かく、少しかさついた掌の持ち主がつらそうに片目を絞っていた。
「カロリーナの怒声は、何度聞いても頭に響く……」
私の耳を塞いだことで、カロンの怒声をそのまま聞いてしまったカイドは、まだ響いているのか、若干頭が揺れている。
「だ、大丈夫?」
「はい、お嬢様、どうぞお気になさらず……」
カイドは時々、無理を言う。
私は今、きっと困った顔をしているだろう。だって、カイドは驚いた顔をした後、同じように困った顔になったのだから。
「お嬢様?」
「カイド、苦しそうなあなたを見て気にするなだなんて、そんなこと言っては困るわ。私、あなたのお願いなら何でもするけれど、あなたを気にしないだなんて、そんなこと……出来ないわ」
だから、そんな酷いこと言わないで。
そう伝えたら、カイドは片手で自分の顔を覆って俯いてしまった。名前を呼んでも、呻くように「はい、お嬢様……」としか言わない。
「カイド、どうしたの? 具合が悪いの? 最近忙しかったから……あなた、昨日あまり寝ていないの? それなら、もう少しだけ頑張って。そうしたら、行きの馬車の中で少し寝ていきましょう? 私、枕になるわ」
「お嬢様! どうかお願いですからとどめを連発するのは止めてあげてください!」
どこからともなく飛び出してきたイザドルは、真っ青な顔で私とカイドの間に滑り込んだ。
お見合い攻撃から逃げてきたイザドルは、ギミーには帰らずこのまま私達に同行するのだそうだ。今どこからともなく現れたように、どこからともなく用意してきた王城への招待券を指に挟んで見せつけながら、片目を瞑っていた姿は記憶に新しい。
そんなイザドルに、今すぐ帰れとさっさと帰れさあ帰れと言い続けていたカイドだが、何故か今はそのイザドルの肩に腕を置いて凭れてしまっている。
王城に向かうため、装飾も生地も多めの服を着ている二人は、いつもと少し雰囲気が違う。いつももとても素敵だけれど、今日はもっと素敵だ。
けれど、出発前からぐったり疲れ切って青褪めている姿を見ていたら心配になってしまう。ジャスミンやサムアとは違い、二人とも王城に向かうのは初めてではないはずだ。それなのにこんなに青褪めるほど苦手なのだろうか。
「カイド、イザドル、顔色が悪いわ……何か、私に何か出来ることはある?」
予定を変更することは難しいだろう。それならばせめて、少しでも彼らの負担を軽くしたい。ライウス領主のカイド、ギミー次期領主と言われているイザドル。二人が背負う重圧を代わってあげることは、私には出来ない。それでも……いや、だからこそ、私に出来ることがあるのなら何でもするつもりだ。
具合の悪そうな二人にそっと尋ねると、二人は青褪めた顔のまま静かに首を振った。
「お嬢様は、どうかそのまま……その、まま…………お元気にお過ごしください」
「そう……」
僅かに含みを感じたようにも思うけれど、結局何も出来ることはないと言うことなのだろう。
私は少し沈みそうになった気持ちを、小さな息を吐くことで立て直した。
何も出来ることがないのなら、せめて自分がすべきことを丁寧にこなそう。私への手助けで彼らの仕事を増やしてしまわないよう、私は私がすべきことをするしかないのだ。
昔とは違う立場で訪れる王城への不安に怖じたりしないよう気合を入れる。いま出来ないのならば、出来ることを増やしていくしかないのだ。
そうしていつか、彼らを守れるようになりたい。彼らがいつもそうしてくれるように。ライウスにとって有益で、彼らにとってお荷物ではない存在になる。
そう密かに決意した私に、大べそをかいたジャスミンが抱きついてきた。受け止めきれず思わずよろけた私を、カイドが支えてくれる。それには気づかず、ジャスミンは私にぎゅうぎゅう抱きつき、カロンを指さした。
「シャーリー! カロリーナさんがお母さんみたいに怖いぃ!」
「お前が馬鹿正直に思ったこと言うからだろ!? それっぽいこと言って誤魔化せばいいんだよ!」
「あ、なるほど!」
「…………サムア、ジャスミン、ちょっといらっしゃい? 執事長を交えて話しましょう?」
地の底を這うようなカロンの声に、ジャスミンとサムアは震え上がり、私の後ろに隠れた。私をぐいぐい押して前に突き出すのはいいのだけれど、押されれば押されるだけ私の身体は前に進む。そうすると必然的にカロンと彼らの距離も縮まっているのはいいのだろうか。
逃げている相手との距離がどんどん縮まっていくことに気づかない二人に押され、大切な友達に近づいていく私の後ろから、カイドとイザドルの声がする。
「…………俺は、こんなにも不安で平和な王城行きは初めてだ」
「…………奇遇だね、カイド。俺もさ」
呆れたようにも疲れ切ったようにも、なるようになると思っているようにも聞こえる、なんとも不思議な声に見送られカロンの元に辿りついた私は、私を押していた二人が上げた悲鳴を聞いた。




