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狼領主のお嬢様  作者: 守野伊音
第二章
25/70

25.あなたと私のお友達




 その日はいつも通り忙しなく、けれど穏やかだった。やるべきことは溢れ充実し、合間合間にカイドを休憩に誘って。そんな、最近ではすっかり日常となった忙しなくも穏やかな一日が終わりを告げようと太陽が沈みかけた頃、いつも通りの一日が崩れた。



「お客様で、ございます」


 カロンにしては珍しく歯切れの悪い様子に、王都のパーティーへの出席者の確認をしていた私とカイドは首を傾げた。

 何故か頑なに客人の名前を告げない様子は不思議だったけれど、領主であるカイドを呼びに来たほどの方なら出迎えるのが筋だろう。カイドもそう思ったのか、首を傾げつつ部屋を後にした。






 しかし現在、目の前に立つご機嫌な客人を前に、カイドの目は完全に据わっている。


「やあやあ、カイド。誕生日おめでとう! お嬢様も、ご機嫌麗しゅう」

「…………おかしいな。つい先日ライウスを離れたばかりのギミー領の嫡男が見える」

「到着してすぐに取って返したからね!」


 ギミー領嫡男ことイザドルは、誕生日プレゼントだという酒瓶を握り締めたまま、カイドに飛びついた。肩を組まれたカイドは嫌そうに振り払おうとしていたけれど、イザドルはしっかり張り付いている。

 解放祭改め、狼復活祭と名前を変えたライウス最大の祭典に出席する為、どの領よりも早くライウスを訪れ、どの領よりも遅く帰っていったはずのイザドルは、来たときと同様に、馬車を使わずほんの僅かな護衛だけを連れて再びライウスに舞い戻ってきた。下手をするとギミーに帰っていないのではないかと思いたくなる時間しかライウスを留守にしていない。

 誕生日プレゼントだという酒瓶の包みにはギミーの紋が入っているから、一応ギミーに帰ってはいるらしいけれど、それにしたってギミー滞在期間が短すぎる。これでは、どっちが地元か分かったものではない。

 カイドは振りほどくのも面倒になったのか、イザドルを張りつけたままがりがりと頭を掻いた。


「お前なぁ、来るなとは言わないが、ただでさえ長居していったんだからその分孝行してこい」

「……俺がギミーにいられなかった原因はお前にあるんだよ、カイド」


 イザドルの声音がすっと下がる。まるで冬の朝のように冷え切った声音に、カイドは怪訝そうな瞳を向けた。イザドルはカイドが諦めるまで張り付き続けた身体をあっさり放すと、俯き気味に三歩後ずさる。


「なあ、カイド」

「何だ」

「考えてもみてほしい」

「何をだ」


 イザドルは、今にも消えてしまいそうな儚げな笑みを浮かべた。



「今まで何を言われようと、だってカイドも結婚していないしねで逃げ続けてきたのに、それが通用しなくなった地元に帰る恐怖を」



 愁いを帯びた笑みと声音に、メイド達の頬が染まる。しかし、メイド達の頬が赤くなればなるほどカイドの瞳からは光が消えていく。そんなカイドを前に、イザドルはさっきまでの憂い顔をくるりとひっこめ、さらりと前髪を払って片目を瞑った。今度こそメイド達からは黄色い悲鳴が上がり、カイドの金瞳が据わる。


「……お前、見合い話が嫌で逃げてきたな」

「その通りさ!」


 今度の滞在も、長くなるようだ。







 ここは領主の屋敷なので、先触れもなく現れた客人のもてなしに混乱を極めたりはしないけれど、それでも慌ただしくはなる。夕食を取った後、イザドルは部屋の用意が整うまでカイドの部屋で過ごすことにしたようだ。いつもその調子のようで、カイドはイザドルが言い出す前に、部屋に晩酌の用意を指示していた。

 客人をもてなすのは女主人の役目だけれど、私はまだ婚約者としての立場で、何より相手はイザドルだ。カイドとイザドルは気心知れた間柄だし、余計な気を回させないためにも私は同席しないほうがいいだろうか。そんなことを考えていたけれど、イザドルが宜しければと誘ってくれたので、お言葉に甘えて同席することにした。



 男性同士の晩酌ではあまり出てこない甘い付け合せは、私のためにわざわざ用意してくれた物だ。それを摘まみながらお茶を飲む。貴族の娘ならばお酒を飲んでもなんらおかしい年齢ではないのだけれど、以前はともかく今はお酒に口をつけてはこなかったので今回はお茶にした。以前もそう多くを嗜む機会はなかったけれど、それは強く勧められることが無かったからだ。

 王家の血を継ぐライウス領主の一人娘に、無体を働く人などいなかった。無理強いも、強要どころか気分を害すような行いすらも。人々は不興を買うことを恐れ、ただただ曖昧な笑顔で私を取り囲んだ。

 それでも私は守られていた。両親から、祖父母から、守られていたのだろう。あんなやり方ではあったけれど、私はあの歪で腐敗した楽園で、確かに幸せだったのだから。

 いつでも、どこでも、誰からも。不快を感じることなどなく、恐怖を知らず、惨めさを知らず、哀哭を知らず、絶望を知らず。何も見えない楽園の中、愚かな幸福にまどろんだ仇花を抱え込み、あの楽園は回っていた。

 私はこれから、色々肝に銘じなくてはならないのだろう。こうして穏やかに気を張らずに過ごせるのは、ここがライウスであり、カイドの庇護下であるからだと決して忘れてはならないのだ。私は、誰かの庇護下でしか生きていない、その意味と事実を、忘れてはならない。




 だが、それはともかくとして、目の前で次から次へと酒瓶を空にしていくイザドルは大丈夫なのだろうか。いくらここがカイドの庇護下であるライウスだとはいえ、カイドも二日酔いからは守ってくれないはずだ。

 既に卓上には片手では足りない空き瓶が転がり、いま正に新たな蓋が開いた。


「お前、飲みすぎだろ。ライウスの酒蔵を空にする気か」

「この程度じゃ正体を無くしたりはしないさ」

「だから勿体ないんだよ、笊め」

「枠が何言うんだ」


 カイドへの誕生日プレゼントだというお酒はとっくに空になっている。それぞれの言葉通り、イザドルもカイドも特に酔っぱらっては見えないからそこは安心していいのだろう。少々気楽な格好になり、ボタンを緩めたりはしているけれどだらしないわけでもないし、呂律も手元も危うくない。


「お嬢様、他にも何かお召し上がりになりますか?」

「いいえ、ここにある分でもうお腹いっぱい。ありがとう、カイド」


 カロンはもう帰ったし、住み込みの使用人の皆も今は下がってもらっているから、部屋にいるのは私達三人だけだ。だから、ライウス領主とその婚約者とギミー領嫡男、という組み合わせでも、部屋の中にあるのはのんびりとした空気だった。


「だってさ、門をくぐった状態から分かるんだ。屋敷中が手ぐすね引いて待ち構えている雰囲気が。案の定入って見れば、山積みの釣書、壁中に貼られた女性の自画像、俺の部屋なんて座る場所もなかった」

「今まで散々逃げ回ってきたツケだな。頑張って払え」


 空っぽになった酒瓶を机の上に置き、カイドは背凭れに体重を預けて深く沈んだ。酔いが少しきたのか、一日の終わりに感じる疲れかは分からないけれど、少々気だるげに髪を掻き上げる仕草が息を飲むほど色っぽくて、思わず赤面しかけた。頬と耳にくらくらするほどの熱が溜まり、慌てて少し冷めたお茶を飲んで落ち着かせる。

 幸い、カイドもイザドルもこっちを見ていなくて気づかれてはいない。同じ仕草をヘルトだった頃もよく見たのに、昔と今では全く違う。


「ギミー領嫡男の名に懸けて、ツケ続けると誓うよ」

「俺がギミーの領民なら、こんな放蕩息子嫌だぞ……」

「お前やお嬢様が領民なら、ちゃんと頑張って領主やるさ。俺だってね」


 カイドと同じようにイザドルも椅子に深く沈み込み、気だるい息を吐いた。彼も、幼かった頃を知る人間としては少しびっくりしてしまう成長をしたのだけれど、私は赤面してしまったりはしない。イザドルも、ひらりと手を振っただけで通りすがりの女性が思わず赤面してしまうほど素敵な男性に成長したというのに、大きくなったなという感想しか抱けないのだ。

 これが恋なのだと、改めて実感する。世間一般の常識も、事実でさえも追いつかず、気持ちが向かう先はたった一つだ。同じ動作が同じじゃない。同じ言葉が同じじゃない。あなただけが特別で、あなただけが、真の意味で私に傷をつけられる。

 知識として知っていた情報を、我が身を以って思い知るその幸福に私がこっそり打ちのめされている間も、かつては幼かった二人はじゃれ合っていて微笑ましい。

 言っていることは、あまり他の人には聞かせられないけれど。


 でもここは、人の目がある場所じゃない。カイドはカイド、イザドルはイザドル個人として話をできる場所なのだから、思い思いの会話を交わせばいい。

 カイドも、呆れてはいるようだけれど楽しそうだ。会話が苦手だと頭を抱えていたけれど、イザドル相手だとあまり気にしていないように見える。

 イザドルがそんなことを感じさせないのだろうか。

 好き勝手喋っているように見えて、相手の反応をよく見ている。状況をよく見極め時にくるりくるりと話題を替え、道化となることも厭わない。それは、貴族の中で生きていくには必要不可欠な能力だ。目線の一つを掬われ、ほろりと零れ落ちた言葉さえも巧妙に歪められ、身を滅ぼしていく人間は決して少なくない。

 だけど、それは貴族だけに必要な能力ではないと今の生で知った。貴族の中では一層顕著ではあるものの、貴族から遠く離れた場所であっても、誰かと諍いを起こさず、足元を掬われぬよう気を張れば、自然と必要になってくる能力だ。

 それに、カイドだって苦手といっても人並み以上にこなせるはずなのだ。そうでなければ、どうしようもなく混迷したライウスで領主なんてできるはずがない。まして、賢領主と呼ばれるなんてあるはずがないのだ。

 現に彼は、屋台の男性からさらりと香辛料を聞きだしていた。相手は警戒心どころか不信感すら抱かず、それは嬉しそうに話して聞かせてくれた。店員の男性が話しやすそうにしていた様子から、カイドは聞き上手だと思っていたし、それは間違った認識ではないはずだ。だって私は昔、カイドとたくさんお喋りができたのだから。


 ……つまり?


 私は、気づいてしまった事実にゆっくりと顔を上げた。







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