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狼領主のお嬢様  作者: 守野伊音
第二章
24/70

24.あなたと私の、とある大切な日Ⅳ




 いくらカイドが甘い物が好きだといっても、一人で五つは大変だ。だからといって残しておいて後で食べるというのも、毒に警戒しているこの屋敷では少々難しいことだった。

 カイドへのプレゼントだけれど、私も一緒に食べる許可は四人にとってあるので、申し訳ないけれど少し分けてもらって私も食べている。数があるからか甘さは控えめな分、果物が甘いおかげで口の中は満たされた。


 しばしの間、部屋の中は食器の音だけが響いている。

 恐らく、私達はお互いに、あまりお喋りが上手ではないのだろう。そうと気付いたのは、最近だった。自分があまり得意ではないと知っていたけれど、カイドもそうみたいだ。話す話題がある時や、誰かがいる時はそうでもないけれど、いざ二人っきりになってしまうと部屋の中には物音だけが響きだす。


「あの、お嬢様」

「なぁに?」

「ドレス、どうですか?」


 控えめな声にぱっと顔を上げると、今しがた自分で振った話題について話していると思えないほど、困った顔をしたカイドがいた。


「王都に着ていくドレスのこと?」

「はい」


 恐らくそうだろうなと思ったけれど、一応確認する。

 王都用のドレスなら、採寸は終わっているし、型も見せてもらった。今の流行なんて分からないので、申し訳ないけれどカロンと職人に任せてしまっている。


 値の張るドレスなのは、致し方ない。

 私が個人として趣味で着るならばともかく、領主の婚約者として王都に出向くとなるとそれなりでは駄目なのだ。見栄の話では留まらなくなる。領主と婚約者は、ライウス代表だ。その私がそれなりの格好しかしないのなら、同じライウス領から出席する貴族はそれなり以下の格好しかできなくなる。代表よりも高価で値の張るドレスを着た娘は、嘲笑の隙を周りに与えることになってしまうのだ。

 逆に、私が養護院で着ていた服を着ていけば、それ以下の格好をする娘など一人もいないだろう。その場合、私がライウス領主の婚約者として認められていないと世間に知らしめるだけだ。

 くだらない、面倒なしきたりだといえばそうだろう。けれど、長きに渡り続いてきた暗黙の了解をあえて破る理由も、破らせる理由もないのだ。


 久しぶりに身に纏う、ライウスの象徴としてのドレスを、ライウスが持つ力を目に見える形として作り出したきらびやかなドレスを、きちんと着こなさなければならない。今の私でも……いや、今度こそ、着こなせるのだろうか。





「王都へ行く日までに大幅に体型が変わることはないと思うけれど、私はまだ身体が出来上がっていない年齢だからと、余裕を持って作ってくれるそうよ」

「そうですか」

「ええ」


 話題が終わってしまった。また静けさが戻ってくる。

 元々あまり得意ではなかった上に、昔のようだなという懐かしさと、昔のようだなと思うからこそ混ざるちょっとの気まずさ。機知に富んだ会話ができるはずもない。

 お互いに、来客向けの話題選びならば何とかなるのだろう。男性と女性の話題はそれぞれ違うとはいえ、女性の交流で必要な話題ならば、私もある程度勉強し直しているし、カイドも軽くなぞるくらいは頭に入れているだろう。流行のドレス型、どの婦人がどの宝石を好むか、腕のいい職人。私もどうしても叩きこんでいかなければならない情報を十五年分詰め込み直しているけれど、この話題でカイドと花を咲かせるのは何か違う。だからといって、昔は何を話していただろうと考えると、それはそれで気まずい。状況と結果が結果だから、尚更だ。


 沈黙が落ちた部屋の中、どうしようと困る。何故なら、どうしようどうしようと、思考が空回りするほど焦らないから困っているのだ。


 だって、カイドが生きていて、一緒にいられる。私はそれだけで満たされてしまうのだ。言葉がなくても満足してしまって、無理に話題を見つけようと思えないのもいけないのかもしれない。カイドを見ているだけで満たされて、目が合っただけで幸せで、目が合うとふわっと笑ってくれるから泣いてしまいそうになる。





 どうしたものかと悩みながら、もう一口ケーキを頂いている間に、カイドは片手で顔を覆って俯いてしまった。物を食べた後にそうして俯くカイドを見るとすわ毒かとぎょっとして、胸を掴まれたかのように身が竦んでしまう。


「カ、カイド?」

「……申し訳ありません、お嬢様」


 何を謝られたかは分からないけれど、毒ではないらしい。ほっと身体の力を抜く。カイドが顔を上げた時に私が青褪めていては驚かせてしまうから、温かいお茶を飲んで落ち着かせる。


「仕事の話ばかりするなとカロリーナにも言われているのですが……その……俺は特に趣味のないつまらない男なので、コルキアのことも話し尽くしてしまった後は、何を、話せば、いいのか……俺は多分、その、会話があまりうまくは、ないので」


 思わず噴き出すところだった息を、寸前で飲み込む。でも止まらない。耐え切れず、行儀が悪いと分かっているけれどソファーに突っ伏してしまう。慌てたカイドの声が私を呼ぶけれど顔を上げられない。

 たった十五年で、滅びかけた巨大な領地を復興させた領主ともあろう人が、なんて顔をするのだ。そんな、この世の終わりみたいな顔を、こんなことで。こんな、私のような小娘と同じ悩み事を、なんて顔で。


「ふ、ふふっ……! カイド、あなた、もう、なんて顔をするの」

「……笑いすぎです、お嬢様」

「ふふ……ごめんなさい。あなたが私と同じことを悩んでいるからおかしくって。馬鹿にしたわけではないの。どうか許して」


 ぐっと何かを飲みこんで呻いたカイドは、それは深い息を吐いた。次に上げられたカイドの眉間にはむすりと皺が寄ってしまっていた。けれど私は、彼を怒らせてしまったかと不安になったり、脅えたりする必要はなかった。だって、機嫌が悪くなったり、不快気な顔をしているわけではない。例えるならば、拗ねてしまった子どもだ。それも小さな子。あまり関わらなかったとはいえ、養護院で目にした幼子達を思い出す彼の顔に、愛おしさしか募らない。


「私も、お喋りが上手ではないの。だから、上手に返せなくてごめんなさい。でも、私達二人とも上手でないのなら、しばらくは勉強や仕事に助けてもらいましょう? カイド、私ね、あなたといられるだけで嬉しい。あなたと言葉を交わせる時間もとても好きだけれど、何も言わずに同じ場所にいられるだけで、本当に幸せなの」


 真面目なあなたが好きよ。生真面目なあなたが好きよ。一所懸命、真摯に向き合ってくれるあなたを尊敬しているし、そんなあなたがどうしようもなく愛おしい。

 けれど。


「上手でなくてもいいの。話してくれるだけでいいの。でも本当は、あなたがいてくれるだけでいいの。真面目なあなたもとっても素敵だけれど、私、あなたが転寝したって、転んだって、インクこぼしてしまったって、頬っぺたにパンくずつけたって、とっても可愛いと思うわ。私、あなたと上手ではない会話をしたいわ。そうしたら、今度はその上手ではなかった会話で笑いましょう。そんな風に、お喋りできること増やしていけたらいいなって思うの」


 私達が同じ場所で過ごした時間は、そう多くない。語り合えるほど同じ話題を経験も出来なかった。私達は、きっと多くの恋人よりぎこちないのだろう。お互いの気持ちを疑いはしない。そんな段階はとうに過ぎているのに、相手の気持ちに胡坐をかけるほどの傍若無人さを発揮するには、自分が過ごしてきた生き方に自信がない。

 けれどいつか、このぎこちなさを笑える日が来るのなら、それは幸せの証明だ。あんな日も合ったねと笑えるのなら、その時間を一緒に過ごしていける今を幸せ以外の何と呼べばいいのか。

 大好きな人と、嘘偽りない未来を語れる幸せに、どうしたって頬は緩む。にこにこと緩んでしまう顔を立て直せない私を見て、カイドは大きく息を吐いた。



「……お嬢様のほうが可愛らしいです」

「え!?」


 今押さえたって無意味と分かっているけれど、慌てて頬を押さえる。


「ご、午前中、インクが頬に散ってしまったの、見ていたの!?」


 書き物をしていた手が滑ってしまった拍子にペンの切っ先が自分を向き、多めにつけてしまっていたインクが飛んできたのだ。急いで拭いたから、湯を使わずとも綺麗に取れた。だから、その事実は私と、その場にいたサムアとジャスミンの秘密となったのだ。




「ああ、いえ、そういう意味でも、見ていたわけでもないのですが……」

「そうなの?」

「はい。ええと……手紙の返事は書き終わりましたか?」

「ええ。午前中に。けれど、まだ封はしていないの。一度カイドに目を通してもらったほうがいいかと思って。忙しいのは分かっているけれど、お願いできるかしら」


 まだ正式に王の元へ挨拶に行っていないとはいえ、国内最大級の領地ライウスの領主が結婚するのだ。その妻となる相手へ向けられる目は当然多く、厳しい物となる。中には純粋に興味があるだけの人もいるだろうが、そんな人はごく少数だ。

 私はこれから沢山の人に、利用価値と立ち位置を定められる立場となる。


 手紙もその一環だ。既に山ほど来ている。ほとんどが茶会や夜会の誘いだ。一目見て、見定められているとあからさまに出している物は少ない。当たり前だ。家の印を使った目に見える証拠に、ライウスへの侮辱を乗せるわけにはいかないのだ。

 けれど、今時はすっかり使われなくなった古式ゆかしい文法に則った手紙だったり、貴族の間でしか通用しない言い回しが使われていたりと、色々手が込んでいる。前の生でもらっていた手紙は、どれだけ丁寧で、素直に読み解ける物だったかを改めて思い知った。

 そして、両親達に感謝した。


 あの頃は嬉しくもなんともなかった、貴族の娘としての教育が、今はこんなにもありがたい。

 身分に守られていた時分にさえ叩きこまれていた知識は、必要だったからだ。それらは、武器であり盾だった。自らの身を守り、名を守り、立場を守る。そして、私の傍にいる人の名誉と栄誉をも守るのだ。

 私が大切な人の傍にいることが、その人の汚点にならないために必要なものを、私は既に知っている。私はこれから、私の持ち得る全てを懸けて、カイドの、ライウス領主の判断は正しかったと国中に知らしめなければならないのだ。

 その盾を、両親がくれた。その槍を、祖父母がくれた。ライウスを滅びへ導いた人達が私に与えてくれたもので、ライウスを守れる。その喜びを、喜びと口に出すことは許されなくても。




「女性同士の手紙を、しかもお嬢様の手紙を検閲するような真似は心苦しいのですが……失礼しても宜しいでしょうか」

「ええ。私だけでは不安だから、どうか一緒に見てくれると嬉しいわ」


 女主人だけではなく、公の場に出る女性自体がいなかったライウス領主の周辺は、女性の世界にどうしても疎くなる。ライウス貴族の女性達によって完全に隔絶されてはいないものの、領地内で一番力があるとされる領主と同等の存在がいないと、どうしても領外での立場は弱くなるものだ。貴族同士であっても優劣はどうしても出てくるけれど、公の場で一番に優先される立場は領主と領主に関係する女性となる。

 誰が敵なのか。誰が味方なのか。これから手探り状態で判断していかなくてはならない。領内は勿論、領外でも。本当は領内の茶会に出席、面通しをしてそれなりに繋がりを得ておかなければならないのだけれど、そんな時間の余裕はなさそうだ。王都からの呼び出しが、思ったより早かったのである。

 情報は絶対にカイドと共有すべきだ。だから手紙を見てもらうのはむしろこちらからお願いしたいくらいなのに、カイドは酷く落ち込んでしまった。


「……俺は、結局仕事の話を…………」

「今の私達には日常の話だから、いいんじゃないかしら」


 別の方向にも落ち込んでいたらしい。大きくなった背中がしょんぼりしている。大好きな人が誕生日にしょんぼりしているのだから、私は同じように胸を痛めるべきなのに、どうしたらいいのだろう。カイドが可愛くて堪らない。

 少し考え、思い切って立ち上がる。そして、カイドが立ち直ってしまう前に、できる限り取り繕った何食わぬ顔で隣にすとんと腰を下ろした。カイドは驚いた顔を上げる。


「お嬢様?」


 きょとんとした顔を見たら、もうどうしようもない。私は弱り切ってしまった。


「カイド、あまり可愛らしいことばかりしていると、私あなたを抱きしめたくてどうしようもなくなってしまうから、どうか自重してちょうだい」

「……俺、来年三十路なんですが」

「あなたはきっと、お爺様になっても可愛らしいわ」

「………………お嬢様のほうが、可愛らしいです」


 とても上手なことを言ってくれるカイドに、私は容易く嬉しくさせられてしまう。赤くなってしまった頬を手の甲で隠している間、カイドは自分の顔を両手で覆ってどんどん俯いていく。

 そんな私達を、まだ手を付けられていない料理長のケーキが穏やかに見守ってくれた。








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