2.何故か始まる、あなたと私
そうして終わった、悪逆の限りを尽くした前領主の一家。
なのに、その罪は許されなかったらしい。
死という最大の罰にして最大の解放すら許されぬ罪の中にいたらしい私は、自分の首が落ちた記憶すらそのままに生まれてきた。
いつから覚えていたかなんて覚えていない。物心ついたときから私の首は落ちていた。
罰なのかどうなのかは知らないけれど、両親は存在しなかった。孤児なんてその辺に溢れ返っているけれど、孤児院の中で私は考えた。同じように孤児の子が集まった場所で、私は本当に彼らと同じ孤児なのか、と。
前の生の記憶があるという時点で異質だ。死を救いにできなかった現状が私に対する罰なのだとしたら、本当に両親なんて存在しないのかもしれない。捨てられたと思いたくないわけじゃない。両親がいたのなら捨てるのも納得ができる。けれど、本当にいたのだろうか。私はちゃんと人の女から生まれたのだろうか。
罰を受けろと、一度の死だけで許すものかと。
領民の恨みから、憎悪から、そうして生まれたのではないだろうか。そう、本気で思った。
私は、笑わぬ幼子だった。泣かぬ幼子だった。
さぞや気味が悪かっただろう。本当に両親なんて存在が今生でもあったのなら、気味が悪いと雨の中屋根もない場所に捨て去るのもうなずける。
私と、私の家族が悪行の限りを尽くした領地に生まれ落ちたのも、罰の一環だったのだろうか。捨てられた場所が此処だから、此処で生まれたのではないかもしれないけれど、結局はこの地で育つことになった私は、前領主一家の悪逆非道で外道な行いへの未だ尽きぬ憎悪と、現領主への称賛を雨のように注がれながら生きることとなった。
その結果、領地一可愛げも愛想もない女として名を馳せることとなったのは致し方ないとは思う。
けれど、院長先生の妹さんの娘さんの嫁ぎ先の三軒隣の親戚の友達の知り合いの先生のお兄さんのお孫さんのお隣さんのお得意さんの奥さんの実家の行きつけの店の常連さんの茶飲み友達の弟さんの同僚の気になってる人の職場の花屋さんの通りすがりのおばさんの井戸端会議で知った奥さんから聞いた旦那さんの好敵手さんのお母さんの伝手で、巡り廻って現領主の屋敷で働くことになるなんて想像もできなかった私を、どうか責めないでほしい。
それもう赤の他人、どころか、出発地点から赤の他人だった話がどうしてそこまで巡るのか。皆さん、赤の他人にお節介を焼けるようになったんですね。それくらい生活にも気持ちにも余裕が生まれたんですね良かったですね現領主様万歳ですね。
でも、ちょっと巡りすぎなんで、自重をお願いできたら嬉しかった。
鏡の中には、枯れ木のようにやせ細り、どろりとした陰気な瞳のみっともない女がいた。
これで十五歳の花盛りというのだから、笑うしかない。
滑稽な姿は笑えたけれど、鏡の中の私の口角はぴくりとも動かなかった。
燃え落ちた後に建て直された領主の家は、前の建物とは似ても似つかないものだった。前が城のようであったのなら、今度はまるで箱のよう。要塞だってもう少し可愛げがあるんじゃないかと思えるようなものだ。
母と一緒に花を摘んだ庭は兵士達の訓練場になっているし、父に肩車してもらって周りを歩いた噴水は馬の水飲み場だ。祖父の膝に乗って絵本を読んでもらった椅子もなければ、祖母に凭れてレース編みを習った木陰すらない。斬り倒された切株がぽつりと残るだけだ。
なのに、初めて訪れた時、胸は痛みすらしなかった。もう全ては終わったことなのだ。
私達は恨まれた。憎まれ、正義の名のもとに断罪された。それは正しかった。正義はあなた達の元にある。私達はまごうことなき、一点の曇りさえない悪そのものだった。
幾度も幾度も、思い知れとばかりに見せつけてくれなくたって分かっている。
何も楽しんだりしない。何も望んだりしない。親しい人も作らない。院長先生がせめて十六になるまで待ちなさいと涙ながらに言うからここにいるだけで、後一年もすれば修道女になって一生を終えるつもりだ。
それが、領地が干からびるまで絞りつくし、領民を死に追いやった一族の最後の一人としての務めだ。
それなのに、どうしてこんなことになっているんだろう。
私は、物陰で一緒になって隠れている人を見上げて、小さく嘆息した。
黒い髪に金色の瞳。来年三十になると聞いたとき、ほらやっぱりと思った。年齢も違ったじゃないか。何が一つ下の十六歳だ。背が低いとしょんぼりと肩を落としてみせたくせに、本当は十四歳ならおかしくもなんともない身長だったじゃないか。
私は、一つ下どころか、三つも年下の少年に手玉に取られて、転がされていたらしい。
愚かの極みだ。
私達が隠れている茂みの向こうで、執事とメイドがかち合った。
「旦那様を知らないか?」
「旦那様? さあ、こっちにはいらっしゃらなかったわ。ねえ、シャーリーを見なかった?」
「シャーリー?」
領主様ならこちらにいらっしゃいますよと心の中で答える。でも、実際口に出すと私も見つかるからしゃがんだまま黙って様子を伺う。
執事は器用に眉を跳ねあげた。
「誰だ、それ」
「この前配属された新しい子よ。ほら、茶髪の痩せた子」
「ああ、あの陰気な……っぷ!」
メイドの手に握られていた雑巾が執事の顔に張り付く。
「何するんだ!」
「顔色が悪いのは、夜あまり眠れないみたいだからだし、食が細くてあんまり食べないしおやつすら口にしないからよ!」
「失言は認めるから雑巾を投げるな!」
「使用済みよ!」
「なお悪い!」
「シャーリー追っかけるついでに目についた汚れ掃除してきたから汚れたてほやほやよ!」
「洗え! そもそも、なんで追いかけてるんだ! 新入りが仕事さぼったのか!?」
「失礼ね! シャーリーの仕事はメイド初めてとは思えないほど完璧よ! その完璧さでさっさと仕事終わらせて、休憩のお茶に参加しないで姿くらますから探してるのよ! あの子朝もろくに食べてないんだから!」
二人はきゃんきゃん怒鳴り合いながらお互いが通ってこなかった道に消えていく。喧嘩しながらも捜索は続行しているらしい。優秀な執事とメイドだ。でも、出来るならその優秀さを別の分野……別の人に発揮してほしかった。
同室のジャスミンは年も近いことから何かと気にかけてくれるけれど、どうせ私は一年後にはいなくなるのだから放っておいてくれたら嬉しい。
そんなことを思いながら、二人の声がしなくなったのを確認して立ち上がると、五歩……六歩、七歩離れて頭を下げる。
当然下げる相手は隣に座っていた人だ。
「失礼致しました」
黒髪に金の瞳の、まるで狼のように鋭い顔の男。昔あれほど嘆いてみせた身長はめきめきと伸び、ひょろいとからかわれては恥じ入っていた身体はそんな過去等無かったかのように育ちきり、子どもそのものだったもちりとした肌に大人の男の色を得た、ここライウス領の現領主、カイド・ファルアだ。
前領主の悪政により、穴を掘るほど落ち込んだ領民の生活を向上させ、甘い汁を吸っていた者を一掃し、たった十五年で景気も治安も国で有数の地だと言わしめた手腕を持つ、若き領主。
先日から、私の旦那様となった人だ。メイドとなって働くことに不満なんて欠片もないけれど、旦那様が彼なのだけはどうにもこうにも……やっていられないとはこのことだ。
カイドは地面の上に直接座って、更に二歩追加して九歩離れた私を見ている。領主とは思えない態度だけれど、目の前で領主とは思えない態度を取っている人は何百年に一度現れるかどうかと言われる賢領主なのだし、私に領主の態度を教えたお父様は最低最悪の愚領主だったのだから、態度なんてどうでもいいのかもしれない。
「見慣れない顔だと思ったら、そうか、お前がシャーリー・ヒンスか」
「……はい。先日より、こちらのお屋敷で働かせて頂いております」
フルネームでいわれた。
このまま下がってやろうと思っていたのに、まさか新旧メイドの判別どころか、新入りの名前まで把握しているとは。ご立派な領主様ですね。領主様の鑑ですね。
私には何の救いにもなりませんが。
「旦那様のおかげです。孤児であろうが、このように立派なお屋敷で働かせて頂けますこと、心より感謝しております」
「それはよかった、が……さて、俺の政策はどうやら失敗だったか?」
「はい?」
このまま感謝を述べて去ってしまおうと思っていたのに、訳の分からないことを言い出して思わず声に出してしまった。
カイドは、私を上から下までまじまじと眺める。
「お前、この間まで孤児院にいたと言ったな?」
「はい」
「痩せすぎだ。食料が行き渡らない環境だったか?」
棒きれのような手足に、かさついた髪、割れた唇。痩せて目だけがぎょろぎょろと大きい、不気味な女。
今朝も鏡に映っていた自分を思い出して、慌てて訂正する。
「いえ、とんでもないことでございます。確かに私のおりました場所は、地方の小さな孤児院でございましたが、飢えることは勿論、冬でも充分すぎる薪と温かな毛布が全員に行き渡っており、それは快適な暮らしをさせて頂いておりました」
役人は勿論、村人もたまに出かけた町の人々も、もちろん院長先生も、それは良くしてくださった。誰も飢えず、寒さに震えず、学校にも通えた。孤児だからということで不都合がないよう、それは手厚く育ててもらってきた。
支給された品や金が、どこかの役人の懐に入っていたのは、前の領主、父の時代の話だ。
私が痩せているせいで、よくしてくれた人々にあらぬ嫌疑がかかってしまうのは頂けない。
「さぁて、ならお前はどうしてその様相か、俺は聞かねばならないが?」
一メイドが、ふくよかだろうが、がりっちょだろうが、捨て置いてくれればいいものを。心の中で品なく舌打ちする。前はあまりに世間知らず過ぎて舌打ちの行為自体知らなかったけれど、今生では舌打ちも罵倒だって知っているのだ。
一つ息を吐き、人差し指と中指を握りこむ。金の瞳が少し見開かれたように見えた。
「それは、私に前の人生の記憶があるからでございます」
今度こそ確かに見開かれた金の瞳とは裏腹に、きっと私の目は暗く濁っていただろう。