10.あなたと私の待機期間
深く落ちた沈黙を破ったのはカイドだった。
「……とりあえず、仕事終わらせるか」
ぽつりと呟かれた言葉に、私は下げていた頭を上げた。イザドルは無意味に浮かせた両手を胸の前でゆるゆると振っている。振っているというより、やり場のない何かを抱えきれず散らせているようにも見えた。
「何だ、イザドル」
「い、いや……俺は、遠慮しておくよ」
「ここまで勝手についてきてお前……荷運びの予定はないぞ」
「え? あ、ああ、荷運びは嫌だねぇ」
言いながらも、イザドルは後ずさっていく。
「……カイド、お前、後で話があるからな」
「奇遇だな、俺もある。お前顔色酷いぞ、どうした」
「後で、後で聞く。俺はいったん、屋敷に戻る」
「俺の屋敷だ」
「ああ、お前の屋敷……に、戻る、ます。ので、後ほど、お話を……」
「……お前、本当にどうした?」
しどろもどろになって、私とカイドを交互に見ているイザドルは、見ているこっちが心配になるほど顔色が悪い。今日はつくづく誰かと交互に見られる日だ。
がばりと持ち上げた頭を、それと同じ勢いで振り下ろしたイザドルは一目散に駆け出した。あっという間に消えた背中を呆然と見つめたカイドは、なんともいえない目で私を見下ろす。
「…………何か、言ったか?」
「…………質問に質問で返して申し訳ありませんが、私からも、一つ質問宜しいでしょうか」
「……ああ」
確かに彼に対してそこまで頑なに隠しているわけではないし、今のはむしろ自分から伝えた。伝えたのだけれど。あそこまで確信を持ってしまえる何かがあったのかと気にはなる。
「私、何か……そんなに特徴的なこと、ありますか」
カイドはぱちりと瞬きした。何か言おうと開いた口を片手で押さえ、何事かを呻く。結局その口から出てきたのは、深い溜息だった。
「……瞳が、あなたを映していますから」
小さく吐息のように呟いた金色が、恨みがましく私を見る。ああ、確かに瞳は変わらない。でも、これは変えようがないからであって、私は一度丸々変わっているはずなのに瞳が変わらないとはどういうことだろう。
ちょっと首を傾げて考えていると、どこか拗ねたような、据わったような、なんともいえない声音が替わった口調のまま続く。
「…………あなたがその気になるまで待ちますが、イザドルとはいえ先に打ち明けられたら、流石に思う所はありますよ」
「あなたの名を……出しただけです」
「それだけであいつがあの反応を。へえ。それだけで」
じとりと据わる金色から、徐に視線を逸らす。さっと逸らすと追いかけられそうな気がしたのだ。彼が狼と呼ばれる理由が、少しわかる。背中を見せたら追いかけられそうで、向かい合ったままじりじり後ずさる。
逸らしても、ねめつけてくる視線を感じる。
分かってる。分かっているから。カイドが分かっていることも、分かっているから。
もう少し待って。まだ、何も言葉を纏められていない。
私は、屋敷に働きに入った際に教えてもらった方法を取った。即ち、頭を下げて顔を隠す、あれだ。笑っていないことを隠すために教えてもらった方法だったけれど、それ以外でも大活躍だ。
メイド長代理を務めあげるやり手メイドの技に、カイドはため息をついた。
「仕事を終わらせるぞ」
「畏まりました」
一か月間続けてきた茶番は、私達の間にあった空気をくるりと入れ替えてくれた。
カイドは主に人の流れを見ているようだった。警邏の動きを見て、地図に印を入れては何かを書きこんでいく。黙って見上げていると、その視線に気づいたカイドは苦笑した。
「俺は頭が良くないからな。自分の目で把握しておかないとうまく頭に入らないんだ。そんなんじゃ、とんちんかんな指示に従わないとならない現場が可哀相だ」
崩壊寸前のライウスを十四歳で立て直した人は、自嘲を含ませずにそう言った。きっと本心なのだろう。
彼の頭が悪いわけじゃない。
それだけ、大変だったのだ。死に物狂いだったのだろう。あれだけ混迷したライウスでは、敵と味方を判別することが何より大変だったはずだ。
私が、何も知らずのんびり過ごした時代を、彼は持っていない。
執事もメイドも交代制だけれど、彼は誰とも交代していない。夜はいつまでも明かりが消えないし、朝は既に着替えて仕事をしている。根詰め過ぎですと執事長が言えば、そうだなと納得したと思えば剣の鍛錬に向けた。
一日も休まず、欠かさず。
毒を盛られた次の日までも。
全部自分でしなくていいのだ。全部自分で守らなくていいし、全部自分を捨てなくていい。誰かに守ってもらってもいい。誰かに甘えてもいい。領主としての在り方は、確かにイザドルがいったように、ある。領主としての正しさというものが、この世には存在している。
けれどそれを、カイドを殺すことと同義にする必要はないのだ。
誰も、そんな彼を責めたりしないのだと。そう思えないのか。
それは、自惚れでないのなら、私の所為だろうか。
人差し指と中指を握りこんで見上げた先で、金色が不思議そうな顔をする。
その顔を見上げていると、じわりと感情が滲みだす。さっき、瞳に私が映ると言われたばかりだ。私の胸から湧き出すそれを悟られたくなくて、メイドとして控えることを口実に頭を下げる。
苦笑した気配はあったけれど、それ以上踏み込んでこなかったカイドに感謝した。
「あれ、旦那様じゃないですかぁ」
間が抜けたというような、のんびりしたような、間延びしたというような。なんとも形容しがたく、例えるなら平和というのが一番あてはまりそうな声がした。
聞き覚えのある声だ。
「セシルか」
カイドは振り向かず、難しい顔をして地図に何事かを書きこんでいる。別に不機嫌でも何でもない。たぶん、目がしぱしぱするのだ。ただでさえ忙しい時で寝不足も極めているのだから、今日くらい屋敷で休んでいればよかったのに。
「終わったか?」
「そりゃあもう、毎年会心の出来です」
「それの心配はしていない。舞台の絵だ」
「うぐぅ!」
「お前なぁ……毎朝カロリーナが申し訳ありません申し訳ありませんと頭下げてくるんだぞ……」
「うぐぅ……」
「舞台飾りの責任者の額も日に日に広くなっていくから、早いとこ埋めてやってくれ」
目尻に少し笑い皺を持つ彼は、セシル・フォックス。
カロンの夫だ。
カロンと駆け落ちした頃からちょこちょこ貴族の屋敷に呼ばれて描いている画家だったけれど、今では結構有名な画家になっているらしい。ただ、芸術家にありがちな性質なのか、気分が乗らないと非常に筆が遅い。
そうか、舞台にかけられていた幕の部分は、彼の絵が入る場所だったのか。……結構な範囲があった気がするけれど、大丈夫なのだろうか。
幸せそうにやっているみたいだから別にいいのだけど、できればカロンにあまり気苦労を懸けないでほしいなと思いつつ後ろに控えていると、スカートがふわりと浮いた。風ではありえない、一部分だけ浮き、足との間に現れた隙間を風が通り抜けていく感触に思わず短い悲鳴を上げる。
私の悲鳴に、カイドが弾かれたように振り向く。そして、険しい眼を足元に下ろすと、目元も下ろした。
「アデル」
「こんにちは、旦那さま! ごきげんいかかですか! それとこの人誰ですか!」
「ああ、こんにちは。機嫌は問題ないが、驚いているからまずはその手を離してくれないか」
「アデル、どうして君はそういう引き方をするんだい」
私のスカートを握り締め、上に浮かせて下に引くという謎の引っ張り方をしていたのは、十歳になるかならないかという年齢の少女だった。そばかすが可愛らしく散った頬に、二つの三つ編み。頭には横にリボンがついた可愛らしい帽子をかぶっている。
誰かに似た少女は、すまし顔で人差し指を立てた。
「だって、横に引っぱったら上に伝わるまでに時間がかかるけど、縦だとすぐでしょう?」
「一秒あるかないかの話で人を驚かせたらいけないよ。すみません……ええと」
「あ、旦那様付メイドの、シャーリー・ヒンスと申します。メイド長にはいつもお世話になっております」
「そうでしたか。僕はセシル・フォックスです。この子は僕の娘で、アデルです」
やっぱり。セシルから紹介を受けた少女は、カロンそっくりの顔をすませ、ちょこんとスカートの裾を摘まんで挨拶してくれた。
カロンと会ったのは勿論もっとずっと後の話だけれど、カロンが小さい頃はこんな風だったのかと思うと愛おしさが募る。
「素敵……可愛い……」
思わず口にしてしまいながら、握手しようと差し出した手を、ぺしりと払われた。ぱちりと瞬きした先で、小さな唇がつんととがってそっぽを向いた。
「あたしがお母さんに似てるからかわいいっていうのなら、聞き飽きたわ。あたしは、ふつうに、かわいいの!」
「まあ、確かに君は母さんそっくりだしねぇ。顔も、性格も。重ね重ね、娘が失礼を。すみません、シャーリーさん」
「いえ……こちらこそ、失礼を申しました」
頭を下げて謝罪した後、振り払われた手をじっと見る。
「……嫌われてしまいました」
「あー、えーと……昼でも食べるか?」
しょんぼり肩を落として手をじっと見ている私に、結局有効な慰めを見つけられなかったらしいカイドは、出店をぐるりと眺めた。
「出発前に頂きました」
出かけるから先に食べておけと指示を出したのはカイドなのに、まさか忘れてしまったのだろうか。
そんな気持ちを籠めて見上げると、カイドはしれっと言った。
「それとこれを合わせてちょうどいいくらいの量になるだろうと思ったが、その通りになりそうだ。恨むなら、いつもより食べてこなかった自分を恨んでくれ」
さっきのセシルみたいな声が出そうになる。道理で着替えるついでに食事をとってこいと念を押されたはずだ。町に下りるのに食べていくの? と、皆も不思議がっていた。こんなことならパンは抜いてくるべきだった。
嵌められたような気がして、恨みがましく見上げる私を楽しげに見下ろしていたカイドは、ふっと視線を遠くに向けた。何やら向こうが騒がしい。
「ちょっと見てくる。セシル、シャーリーを頼む」
言うや否や、カイドは剣を下げ直して早足で立ち去ってしまった。
違う、違うわ、カイド。あっという間に人ごみに飲まれてしまった背中を見て、そう思う。そこはメイドに見に行かせて、あなたがここにいるべきだった。
そう思ったのは私だけではなく、セシルも頭をぽりぽり掻きながら苦笑した。
「あの方も、相変わらずだねぇ。僕が行ってくるのに」
「ねえねえ、あなた本当にただのメイド? その首飾り、カイド様からもらったんじゃないわよね?」
スカートを持ち上げて落とす独特の引き方をしながら指さされた先には、さっきジャスミンから貰った青い花が揺れている。
引かれるがまま足を折り、しゃがみ込む。
「いいえ、同じ部屋の方から頂いたのよ。ジャスミンという、とてもいい方なの」
「ああ、その名前、カロリーナから聞いたことあるな。昔の自分そっくりだって苦笑してたよ」
「お母さんと?」
まじまじと首飾りを見つめている小さな頭と大きな瞳が可愛くて、口元が緩む。
「このお花、かわいいね。なんていうお花なの?」
「ヒヤシンスよ」
「おや、それは素敵だね」
ひょいっと覗き込んで色を確認してきたセシルは、柔らかい笑顔でそう言った。さすが画家。絵を描くときに混ぜ込む花の言葉には詳しいようだ。この場で一人だけ意味が分からないらしいアデルは、どうしてどうしてとセシルの裾を引く。ズボンが落ちそうだ。
ズボンを両手で押さえながら、セシルが屈んで意味を教えてあげると、アデルは今まで力いっぱい引いていたズボンから急に興味を失い、ぱっと放した。セシルは解放された。そして見事に倒れた。
地面に転がった父親には見向きもせず、アデルは小さな手をぎゅっと握りしめた。
「あたしがカイド様に向けるものとおんなじね!」
思わず目をみはる。
セシルは、あいたたと間延びした声を上げながら、同じ調子で続けた。
「お父さんはそれ、応援しないけどねぇ」
のんびりした父からの反対に、アデルの瞳が吊り上る。なかなかおしゃまで勝気な女の子だ。もしかすると、カロンよりも。
「お父さんだってお母さんと結婚するためにかけおちしたじゃない」
「だから言ってるんだよ。あの御方は駄目だよ」
「……おじいちゃんとおばあちゃんはがんばれって言ってくれるもん。諦めなかったら万が一があるかもしれないからって。だって、カイド様ご結婚されてないんだもん」
「うーん、あの人達もよくよく権力大好きだからなぁ」
「どうして駄目なの? あたしが子どもだから? でも、すぐに大きくなるわ。勉強だって、学校で一等賞なのよ」
「駄目だよ。僕は君を愛しているからね」
アデルは、ますます意味が分からないと不機嫌になっていく。彼女の父親はズボンから土を払い、よいしょとアデルの前にしゃがみ込んだ。
「あの御方はね、もう唯一を決めてしまわれたんだ。もしもこの先、何かがどうにかなって、君があの方と結婚したとする。でもね、あの方は君を特別にはしてくださらないんだよ。あの方は、一生分の恋を喪ってしまったから」
「フラれちゃったの?」
「さあ……お父さんには分からないよ。変わっていくことは悪じゃない。誓いを破ることですら、必ずしも悪ではない。忘却も、時間による癒しも、生きている人間だけが持ち得た権利だ。けれど、それを許せる方じゃない。あの方は、変わっていく自分を許せない。許されることすら、許せないんだ。あの方が救われるには、奇跡がいるんだよ……ああ、どうせ世の中は僕達には考えもつかない現象で溢れている。それなら、どんな美しい奇跡より、優しい奇跡が、僕は好きだな」
目を細めて遠くを見つめる父親に、少女は頬を膨らませる。
「よく分からないわ」
「分からないなら、それでいいんだよ」
「だめよ! 相手が分からないものは説明じゃないのよ。そんなんじゃ、点はあげられないんだから」
「ははは、アデルは厳しいなぁ」
「お父さんがのんびりすぎるのよ。だから今日もくつした左右ちがうんだから!」
「かたっぽなかったんだよ」
「うそよ。あたし、昨日ちゃんとタンスにいれたもの」
「アデルはお手伝いができてえらいなぁ」
「お父さんができなさすぎるのよ。どうしてスープがあんなにしょっぱくなっちゃうの」
「不思議だよねぇ」
往来で、父親と幼い娘が笑いあう。それが珍しい光景ではなく、当たり前で。
優しい世界になったのだ。優しいライウスが戻ってきたのだ。……いいや、違う。優しい世界を、彼が作った。
その中に彼が含まれていない。そんなの、おかしいじゃないか。
人ごみを縫うようにするりと茶髪が現れる。あれだけ人がごった返しているのに、ぶつからずに辿りつくのは凄い。ぱっと頬を染めて嬉しそうにしたアデルも凄い。凄く、可愛い。
「昼間から酔っ払い同士が暴れていたから、両成敗で伸して警邏に突き出してきた。悪い、シャーリー。ちょっと目立ったから場所を変える。じゃあな、セシル、アデル」
「失礼致します」
慌てて頭を下げて、見慣れた茶髪についていく。
「恋人じゃなさそうね。だって、手を繋いでいないもの」
「やっぱり分かってもらうまで話すべきかなぁ」
後ろからそんな声が追いかけてくる。そして、騒動の騒がしさに追い立てられるように、私達はその場を後にした。
食べ歩きが苦手な私のせいで、小さな広場の噴水に腰掛けての食事を終えた。
どうしてみんな歩きながら、口元につけず、零しもせず、器用に食べられるのだろう。幼い子までてくてく歩きながら平気で食べている姿を見て、少し落ち込む。カイドは怒りもせず、歩いて食べられないなら座って食べればいいとあっさり結論付けた。そして、普通は座って食べるものだとまで言ってくれた。さっき屋台で購入した肉まんを食べながら、平気でてくてく歩いて。
「この中身、味付けなんだ?」
「へい、コシヨという南のほうの香辛料です」
「うまいな」
「でしょ? おいらの目利きは間違いないんだぜ。ただ、女子供には量減らさないと不評でした」
「だろうな、多いと辛い。だが、いいなこれ。コシヨか。覚えておくよ」
そんなやり取りも屋台でしていた。屋台の店主は、新しい香辛料に興味を持ってくれた身なりのいい客に喜んでいろいろ教えてくれたし、カイドはそれを綺麗に聞いた。聞き上手なのだ。相手は喋りやすい上に、嬉しそうだった。
もういりませんといえば、一口で食べられる揚げ菓子を売っている屋台の前に並ばれる。では一つ頂きますと言えば丸ごとくる。なのに、本当にこれ以上食べたら具合が悪くなる瞬間、ぴたりと止まった。これが洞察力の差なのか、はたまた彼が異様なのか。
ごみをひとまとめにして屑籠に入れてきたカイドは、それも私の仕事だとねめつける私からしれっと視線を外した。
「さて、と。一通り確認したい事項は済んだし、戻るまでにまだ時間はある。どこか行きたいところはあるか?」
「あります」
私からの返事が予想外だったのか、金色が見開かれる。大丈夫だ。言う直前まで、私にも予想外だった。
お互いぽかんとしあっている光景は、きっと端から見ればとんでもなく間抜けだろう。
言ってしまったことは取り戻せない。それに、取り戻す必要も、きっとないのだ。
少し、早めよう。どうせまだ祭りまで何日かある。その間に勇気を、言葉を組み立てて、彼に伝えるものとしよう。
その為に、どうしてもやっておきたいことがある。その準備を、少しだけ、彼に手伝ってもらおう。
「あの……どちらに?」
思わず変わった口調に、少し笑ってしまった。彼の眼はさっきより見開かれ、すぐに細まった。眉が寄り、唇が噛み締められる。
憤怒に似た表情は、どこか、泣きだす寸前の子どもに見えた。
「買いたい物があるのだけど、私、あまり詳しくなくて。教えてもらえないかしら」
「買いたい物?」
「ええ、まずは刺繍糸。紫色で、予算内で買える一番高い物がいいわ。次は髪飾り。赤い色で、予算内で買える一番高い物がいいわ。次は葉巻。ええと……重い? 重い味、の? 予算内で買える一番高い物がいいわ。最後にお酒。辛い味の、予算内で買える一番高い物がいいわ」
紡いでいく条件に最初は怪訝な顔をしていた彼は、すぐに合点がいったのだろう。少し目を伏せて、まるで頭を下げるように俯く。
「……お許し頂けるなら、俺に出させて頂けませんか。そうすれば、そのままの物を、ご用意できます」
絞り出されるような声に、同じように俯きかけた顔を止める。
「いいの……これが初めて、私が自分で稼いだ真っ当なお金なのだから。それで買うのが……きっと、いいの。私にも、あの人達にも。これが一番、相応しい品だわ」
働いて初めて頂いたお金だ。一カ月分のお給金で、更に四等分だから金額にしたら微々たるもの。それでも、ある意味初めての、私だけの贈り物となるのだ。
そう告げた私に、カイドはようやく顔を上げた。そこにあったのは、どこか疲れ切ったような、腹が空いた子どものような、転んでしまった子どものような、迷子の子どものような、頼りなげな顔だった。そして、明日を探すような、誰かを探すような、誰の物とも知れない落とし物を拾ったような、瞳をしていた。
「では、せめてその日、ご一緒させてください」
「……ええ。私も、話があるの」
「……話?」
「そうよ、話を、しましょう。そうして、終わらせましょう。私達、今度こそちゃんと、終わりましょう」
ヘルト
そう呼べば、彼は使用人の礼よりももっと深く頭を下げて、「はい、お嬢様」と言った。