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狼領主のお嬢様  作者: 守野伊音
第一章
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1.そうして終わる、あなたと私





 私の家は、武功を立てたご先祖様が、国王様より与えられた広い土地の領主だ。

 ご先祖様が立てた功績で頂いた土地。しかし、全ての領主がよき治世を以って、領地を、領民を潤わせたりはしなかった。特に私の祖父と父は酷かった。自分達の贅沢の為に、領民から搾り取り、豊かだった領地は見る見るやせ細っていった。

 当然領民からは不満が溢れだした。けれど祖父と父は、不満を、当然の言い分を申し立てた領民を処断し、恐怖で領地を支配した。


 私の家は、血も涙もない業突く張りの鬼畜生と呼ばれていた。






 だから、この結果は当然の末路だ。


 私は、燃え盛る屋敷をぼんやりと見つめる。

 見目だけは美しい、まるで城のようだった屋敷が燃え落ちていく。少し視線を落とすと、花の色が気にくわないというお母様の一言で幾度もすげ変わった庭師が、丹精込めて……いや、殺されたくないとの一心で美しく保っていた庭も真っ白な煙を上げて、真っ黒な煙に混ざっていく。

 この前植えた花は、彼にあげたくて私がこの手で植えた種は何色の花を咲かせたのだろうと、最早二度と咲くことはない種がひどく哀れに思えた。私などの手で植えられてしまったがために、こんな家の庭に植えられてしまったがために、あの種は一度も花を咲かすことなく絶えるのだ。



 腕を捩じり上げられ、地面に膝をつかされた私の目の前には、領民から豚めと吐き捨てられていたお父様とお母様の首がある。入口を塞がれた地下室に逃げ込んだお爺様とお婆様は、あのまま燃えていくのだろう。首を落とされれば形相も変わる。けれど、目の前の両親はそれだけではなく、恨みと怨嗟のこもった表情で転がっていて、それ以上の憎悪に囲まれて見下ろされていた。



 私の前に何人もの兵士が集まってくる。

 その中で一人違う甲冑を着ている男は反乱軍の……否、革命軍、の、上にいる者だろう。男は、きっと私の知っている誰かの返り血を浴びた頬を適当に拭い、私の横に立つ人に話しかけた。


「長い間、ご不便をおかけ申し上げましたこと、ここにお詫び申し上げます」


 朝、丁寧に結い上げてもらった髪は解れ、幾本もの束が視界を遮る。煙と髪で、何も見えなくなってしまえばいいのに。

 そう何度も願うのに、叶わない。


「いや、お前達にこそ不便をかけた」


 まだ無様に動き続けている私の心は、もうどこも正常な部分が残っていないにも拘らず、その声に切り裂かれる。


「何も卿自ら犬の真似事などなさらずともよかったのです」

「そう言うな。他に年の合う者がいなかっただろう?」

「左様でございますが……カイド様は我らの心の臓を止めたいとみえますな。我らは毎日生きた心地がしませんでしたとも」


 男は声音に苦いものを滲ませてその人を見ている。

 その人の名前はヘルト。私より一つ年下の十六歳。茶髪に美しい金の瞳を持った少年。

 顔がいいからと母に雇われてからの二年間、どんな些細な仕事も嫌な顔一つせずに引き受けて、いつもにこにこ笑っていて、誰の受けも良かった。入れ替わりの激しい従業員達の中で、格段に若い年齢でありながら、二年間誰の不興も買わなかった。


 けれど、きっと違うのだろう。私は薄い笑みを浮かべた。

 だって男は彼をカイドと呼んでいた。年齢だって本当かどうか分かりはしない。

 私が知っている彼のことは、きっと偽りばかりなのだろう。

 背が低いのを気にしていたことも、暖炉の汚れがなかなか取れなくてと煤けた鼻で照れくさそうに笑ったことも、動物に好かれることも、町の少女から花を貰ったと真っ赤になっていたのも、虫一匹殺せない怖がりで心優しい姿も、夜眠れない私にわざわざ休日を使って町で仕入れてきてくれた温かなお茶を淹れてくれたことも。



 私の恋人だったことも。



 全て、偽りだったのだろう。




 私は、膝をつく男達に囲まれ、穏やかに彼らを労うヘルトから静かに視線を外した。











 冷たい石牢の壁に凭れる気は起きず、生まれてこのかた見たこともない今にも崩れそうな粗末なベッドに座る。こうしたまま、何時間経ったのだろう。何日経ったのだろう。何度か食事が置かれては下げていかれたのは知っている。けれど回数なんて数えていないから分からない。

 全てがどうでもよかった。どうせ、数えたって意味なんてないのだから。



 足音が聞こえてきた。それは私の牢の前で止まる。

 来ると思っていた。そう言えたらよかったのに。

 私は俯いたまま自嘲した。

 ヘルトなら絶対来てくれる。そう自信を持って言える。けれど、私の知っているヘルトがどこにもいなかった以上、もう、何一つとして彼のことで予測を立てられることはないのだ。

 私は解れた髪を結い直すこともなく、ゆっくりと顔を上げた。


 まるで夜空のようだった。漆黒の髪に、瞬く金色。髪色さえ偽りだったか。もう自嘲する気力すら尽きた。


「…………お嬢様」


 静かで穏やかな声が好きだった。優しくて、柔らかい彼の言葉が大好きだった。

 けれどもう、二度と聞きたくなかった。




「何か御用かしら、新しき領主様。年下の男の色香に惑わされ、この身を滅ぼした愚かな女を笑いにいらしたの?」

「お嬢様」

「あまり苛めないでやってくださいな。あなただって何度も仰ったでしょう? 箱入りの、愚かな女なの。遅い初恋にのめりこんで落ちぶれた惨めな女から、これ以上何を奪いにいらしたの? 屋敷? もうないわ。お庭? もうないわ。 ドレス? もうないわ。宝石? もうないわ。家族? もういないわ。恋人? 最初から、どこにもいないわ」

「お嬢様」

「お父様の尻尾? 元から知らないわ。だから二年もかけさせてしまったのね。ごめんなさいね、私が何も知らないばっかりに、あなた様の貴重な時間を費やさせてしまったわ。嫌だったわよね、ごめんなさいね。年増の勘違い女から、浮かれきった恋人ごっこなんてさせられて、可哀相ね、あなた」

「お嬢様!」


 鉄格子を掴み、怒鳴った彼の声に口を閉ざす。


「お嬢様、あなたは何もご存じではなかった。どの悪事にも関わっていなかった。ただ屋敷の奥で囲われていただけだ。その事実を仰るだけでいいのです。それなのに、何故そう証言しないのです。何故、してもいない罪ばかりを白状するのです。このままでは領民を押さえられなくなります」

「お爺様が毎週絵を買っていたのを知っていた。お父様がまた土地を買ったのを知っていた。お婆様が毎週宝石を買っていたのを知っていた。お母様が毎週ドレスを買ったのを知っていた。庭師が替わったのを知っていた、メイドが替わったのを知っていた、厩番が替わったのを知っていた。その意味を考えもせず、与えられる贅を尽くした暮らしを十七年も生きてきた。充分な罪でしょう」


 人としての情も心も持ち合わせていない、畜生にも劣る領主一家。人々はそう声高々に叫ぶ。それはきっと事実なのだろう。

 領主として、人間として、男として、女として、大人として。どれをとっても最低最悪の人達だった。

 けれど、私の家族だった。

 父として、母として、祖父として、祖母として。それだけは、鬼にも畜生にもならなかった、普通の人達だった。

 彼らを諌めなかった私も同罪だ。彼らの罪で贅を尽くした暮らしをしてきた私が同罪ではなくて何なのだ。彼らの罪で育まれた私という命は、生まれた時点で大罪人だ。


「それに、そんなことを言って何になるというのかしら。無罪放免で解放してくれるとでもいうのかしら。屋敷を返して、庭を返して、お父様達を、私の全てを返してくれるとでもいうの? まあ、豪快ですこと」

「山間の修道院に入って頂きます。二度とこの地には戻れませんが、殺されることはありません」

「一人生き恥を晒して溺れ死ぬことをお望みなんて、酷い人」

「……あなたに生きていてほしいだけです」


 思わず噴き出す。滑稽で滑稽で、穏やかに笑ったつもりが醜く歪む。



「嘘つき」



 彼の顔が引き攣った。なんて滑稽な顔。

 けれど、一番滑稽なのは。


「さぞや滑稽だったでしょうね。あなたの笑顔一つで胸躍らせて、口づけ一つで浮かれあがる女の姿は。そういえば、私の下手な刺しゅうを施したハンカチ、使うところを見たことがなかったわね。あげたその日に捨てたのかしら。慣れないお菓子も焼いたわね。あなたは食べてくれたけれど、持ち帰った分は豚にでもやったのかしら。あなたの誕生日に間に合うよう、花も植えたのよ。きっと今頃種のまま灰になっているわね。よかったわね、こんな女から花など贈られなくて」


 彼は何も言わない。滑稽な顔を俯けて、次に持ち上げた時はどんな感情も映してはいなかった。


「あなたと話す時間を作りたくて、苦手な授業も真面目に受けたわ。あなたにとってはただの情報収集だったけれど、私頑張ったのよ? 夜遅くまでかかって宿題を終わらせたんだから……あなたと一緒になれるなら家を捨ててもいいと、商売の勉強だってしたわ。あまり上手ではないけれど、料理も、洗濯も、掃除も、こっそり覚えたんだから。あなたは傷だらけの私の手を心配してくださったけれど、どうでもいいと思っていたのかしら。それともいい気味だと? もっと傷つけばよかったと残念がったのかしらね。指の一つでも落としていれば笑ってくれたかしら?」


 ああ、なんて愚かで滑稽な女。

 畜生にも劣る頭脳しかなかった馬鹿な女。


「禍根にも火種にもならず、綺麗に死んでみせますわ。それがあなたの望みでしょう? どうか褒めてくださいな」


 愛しいあなた。

 くすくすと笑ってそう言えば、彼は何かを飲みこんだ。噛み締めた唇が開かれた時、そこにはもう誰もいなかった。


「…………それが、あなたの選択ですか」


 笑むことを返答に変えた私に、最初からどこにもいなかった彼を消し去った人は、もう二度と振り返らなかった。







 石が飛ぶ。

 罵倒が飛ぶ。

 正当な糾弾が飛び交う。


 そんな中、木枷を嵌めた私は往来を歩いていた。俯いたまま裁きの場まで辿りつき、そこでようやく顔を上げる。

 この町にはこんなに人がいたのか。

 滅多に外には出してもらえなかったけれど、たまに両親と買い物に出かけた時はひっそりと静まり返った町だった。今思えばあれは、余計な不興を買わぬよう、気まぐれで殺されぬよう、息を殺して隠れていたのだろう。

 あのひんやりと死の匂いが漂っていた町とは違う場所のように熱気が渦巻いている。

 私への、憎悪が。




 兵士に押されるがまま膝をつく。解けた髪を鷲掴まれて前を向けられる。

 人々は喉の奥まで見えるような大口で、様々な憎悪を叫んでいた。けれど、私にはすべてが纏まって同じ言葉にしか聞こえない。


「店を取り上げられた!」

「殺せ!」

「真っ当な商売ができなくなった!」

「殺せ!」

「飢えて子どもが死んだ!」

「殺せ!」

「王に上申を願い出ようとしていた夫は殺された!」

「殺せ!」

「先祖代々受け継いだ土地を返せ!」

「殺せ!」


「殺せ!」

「殺せ!」

「殺せ!」


 もうそれしか聞こえない。

 外道もそこまで行き着いたかというような罪状が領民の口から止めどなく溢れ出る。それら全てが私の家族の罪なのか、それとも彼らのみに降りかかったただの不運だったのか、最早分からない。

 とりあえず、帽子屋のご夫婦、屋敷に働きに出て帰らないというあなた方の娘さんは旅の絵描きと駆け落ちなさいましたよ。

 けれど、言っても詮無きことだ。今更罪の十や二十追加された所で何も変わらない。それだけの罪を重ねてきた。



 視線だけを動かして、ひときわ高い壇の上に座るその人を見る。黒髪に金色の瞳。変わらないのは瞳だけだったけれど、幾ら箱入りの馬鹿娘でも、あれが同じものだと言えるほど呑気ではない。

 私が愛した穏やかな優しい光をどこにも宿していないそれと目が合い、私は口角を吊り上げた。



「無礼者!」



 こんな大声を上げたことがないから、ちゃんと出るか心配だった。

 けれど、声は震えず、思った以上に張り上げることができた。


「卑しい虫けらの分際でわたくしに触れるとは何事です! お前達はわたくしの為に金を絞り出せばいいのです! 美しく高貴なわたくしの為に働けることを光栄に思うべきなのに、それを不満に思うとは恥知らずめ! 誰のおかげでこの領地で生きてこられたと思うのですか! お前達のような脳足らずの虫けら共は、わたくしに使われるためだけに生きているのですよ! さあ、今すぐこの無礼者を殺し、わたくしを救いなさい! そこの醜女! ここに来なさい! 私の付き人となる栄誉を与えて差し上げましてよ! そこの男! 馬車の用意をなさい! お前達が使うような貧相な馬車などではありませんよ! わたくしの誕生日にお父様が誂えてくださった王都の職人が作った最高級の馬車です! それと、お腹が空いたわ、何か食事を用意なさい。お前達が食べている豚のえさではないと分かっているでしょうね。用意するのは、ちゃんとした人間の食事よ」


 石が、罵声が、憎悪が。

 棒きれが、呆れが、歓喜が。


「お前達、早くしなさい! このわたくしが命令しているのですよ!」


 様々な物が飛び交う視界の端で、彼の、領民が心から望む新しい領主の右手が振り下ろされる。






 そうして終わる、あなたと私。

 どこにもいなかったあなたと、私。





 凍てついたはずの心が一番痛んだなんて、本当に愚かな女だ。






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― 新着の感想 ―
[一言] 漫画も持っているほど大好きな作品です。久しぶりに読み返してみましたが1話目から胸を抉られる初恋の終わり方ですね。ここも何度読んでも泣いてしまいます。 漫画は小説に忠実に再現しているので、こち…
[一言] 読み返すのはこれで3回目ですが 初っぱなから泣かせますね(´;ω;`)
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