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「で、何で俺なのかな?」
颯真の目の前では見た目だけなら好青年といったふうな男がにこやかに笑っている。しかし、目尻が下がっているのは元々の顔立ちであり、そのなかには微塵も笑いが見えなかった。
南海は男にしては細い足を組み替え、はあ、とわざとらしい溜め息を吐き出した。
「すみません、佐奈倉さん」
南海に謝罪を告げたのは小折だった。南海も本日は小折と同じく非番なのかラフな服装をしている。淡いグレーのカーディガンがよく似合っていて、大人の男という雰囲気を醸し出している。
麦沢のように見た目からして頼れる男というふうではないが、その雰囲気は甘えたくなるような包容力を感じさせるものだ。
「別にいいよ。比奈子ちゃんの顔も見れてるわけだしね」
南海はそう言って、颯真の隣に座る比奈子に笑いかけた。それに比奈子は照れる様子もなく、ただ南海の顔を見ている。
と、そんなふうに先程から南海は颯真の存在だけを敢えて無視している。颯真が話を切り出したにも関わらずその返答を小折に向け、そして比奈子には笑顔を向ける。南海の目の前に座っているのは颯真だというのに、だ。
今の颯真はいつもより少しだけまともな格好をしているというのに。それはこの間南海に受けた扱いに対してのものだったのだが、南海はそんな颯真を視界にすら入れない。
しかし、ここで怒りを露にしたら前回と何も変わらない。そう思い、颯真は文句を言いたいのを我慢して口を開いた。
「それで、沙伊子さんに好意を持っていた人を知ってるんですか?」
口調も普段のような砕けたものにならないように細心の注意を払う。
「……」
それに南海が答えることはない。
「南海さん、教えて下さい」
その様子を見かねてか、比奈子が僅かに身を乗り出して南海に言う。自分達以外と会話をする比奈子というのにどうしても違和感を覚えてしまうが、それは比奈子が前に進んでいるという証なのだ。
「君達がやることじゃないでしょ」
ふう、と南海は微かにすぼめた口から息を吹いた。吐息からは僅かに煙草の臭いがして、彼がベビースモーカーだということが窺える。
「私は店長にとてもお世話になっているので、力になりたいんです。……店長は、私の兄が殺されたときもその犯人に気付いてくれました」
颯真はそうだった、と思った。麦沢は颯真よりも先に、その犯人に気付いていたのだ。麦沢から聞いたのだろう、比奈子もそのことを知っているようだった。
「でも、君は関係ないよね?」
ここにきて漸く南海が颯真の顔を見た。そこには鋭いだけの視線がある。
「確かに俺は関係ないです。けど、麦沢さんも、あの商店街に俺を受け入れてくれた一人なんで」
南海に自分の過去を口にすることは躊躇われた。目の前の男に同情されたくないというよりも、そんなことで自分のことを認めてもらおうとも思えなかったのだ。
嫌い、という分類ではない。苦手というか、どこか相容れないような感覚だ。
「そんな理由で協力するの? お人好しにも程があるんじゃない?」
そう言われればそれまでだ。颯真は一度、下唇を噛んだ。
「……俺はこれまで、人に誇れるような生き方はしてきませんでした。今だって、出来てない。俺は一人で、ちゃんと生きている。そんなふうに言うことは出来ません。これからだって、言えるかどうかはわからない。でも、だからこそ、目の前に出来ることがあるなら、出来る限りのことはしたいんです」
南海相手に誤魔化すような言葉は通用しないだろうし、そもそも颯真はそんなことが出来るほど器用なタイプではない。ならば、ほぼ初対面だとしても伝えられる言葉で伝えるべきだと思ったのだ。それは颯真のいいところでもあるし、場合によっては欠点にもなる素直さなのかもしれない。
「その心意気はそれなりに立派かもしれない。けどさ、それとこれとは別でしょ? だからって、君がやるべきことではない」
正論を返され、颯真は言葉に詰まった。そう言われてしまえば元も子もない。確かにこれは、颯真がやるべきこと、やらなくてはいけないことではないのだ。
「ふふ」
固まりかけた空気の中で、突然小さな笑い声が響いた。静かな喫茶店──ランタンでは小さくジャズが流れているだけなので、その笑い声は短く小さいものにも関わらずはっきりと耳に届いた。
「小折さん?」
颯真は驚いて笑い声の主を見た。今は笑うところではないはずだし、いくら小折といえど、そこまで空気の読めない男ではない。なので颯真は驚きを隠すことが出来なかった。
「あ、いえ、すみません。佐奈倉さんはやはりお優しいなと思ったら、つい」
小折はそう言って頭を下げた。先程のやり取りのどこに南海の優しさを感じたのかわからず、颯真は目を丸くした。
「佐奈倉さん、僕が新人だったときのこと、覚えてますかね? 僕、緊張し過ぎて、暴力団関係の人に聴き込みするときについ熱くなってしまったんですが、そのとき、佐奈倉さんに怒鳴られたんですよね。お前は引っ込んでろ、て。それって、僕が相手に余計なことを言って怒られないように下げてくれたんですよね。そのとき、佐奈倉さんて本当に優しい人だなって思ったんですよ」
なんというか、ここまでポジティブなのも凄い。颯真は小折の話を聞きながらそう思ったのだが、それが真実だと言うように南海は小折から顔を背けた。どうやら、本当にそれは南海の優しさからくる行動だったらしい。
「今も、颯真くん達が危ないことに巻き込まれないように突き放してるんですよね」
小折は微笑みを南海に向けた。
──だとしたら、相当わかりづらい。
颯真は呆気に取られ、口を開けたまま南海の顔を見た。
「その、アホ面、やめてくんない?」
それに、南海が照れたように耳を微かに赤く染めて言う。目線は颯真とは決して合わない。
「あ、あはははは。あんた、どんだけツンデレなんだよ」
思わず笑いが込み上げた。それに対し、南海が更に耳を赤くする。
「うるさいよ。それに、俺が不良少年嫌いなのは事実だから。真っ当な生き方出来てない奴なんて、クソだと思ってるから」
「ああ、はいはい。それはいいよ。否定出来ない奴等もいるしさ。けど、それだけじゃない奴もいんのはちゃんとわかってんだろ」
だからこそ、こうして颯真の心配をしてくれるのだろう。そう考えると、南海に感じていた苦手意識は一気に引いていった。
「本当にうるさいな。それに、その口調、目上の人にするもんじゃない」
「すんませんでしたー。けど、ありがとうございます」
颯真は真剣な声で南海にそう告げた。それに南海が半目で颯真を軽く睨むようにして見てくる。感謝の理由がわからないのだろう。
「そういうふうに心配してくれる人がいるのは有難いっす、本当に。けど、俺は、麦沢さんの為だけじゃなくて、自分の為にも犯人を見付けたいと思ってるんです」
詳しい話はせずに、それだけを告げた。それは、先程とは違う理由だ。真子のことを話せば、目の前の男は今以上に心配をするだろう。颯真の精神面のことで。だから、告げずにおいた。
「……俺は、こういう仕事柄、追い詰められた人間てのを沢山見てきた。そういった人間は、捨て身になって有り得ない行動をするんだよ。この件の犯人だって、真相に迫れば追い詰められる。そうなったとき、君達になんの危険もないとは言えない」 南海が心配する要因を口にする。今まで、そんなことは考えたことはなかった。しかし、比奈子の兄を殺した犯人は颯真に歯向かってこようとしたのも事実だ。それが危険なことではないと言えないので、南海が言いたいことはわかる。
「大丈夫っす。俺は喧嘩慣れしてるし、自分の身は自分で守るし、まあ、もしなんかあったとしてもそれは自己責任すから」
「──そういう考えはよくない」
南海がきっぱりとした口調で返してきた。
「そういう考えは、自分を大切にしていない証拠だ。それは周りを悲しませるし、だからこそ、無謀なこともするし、非行にも走るんだ」
そういった注意をされたのは初めてだった。十代の頃、幾度か補導されたことはあった。けれど、そんなふうに言ってくれる警官や刑事は一人としていなかった。
颯真は胸に何かが込み上げるのを感じ、唇をきつく締めた。けれど直ぐに小さく息を吸い、言葉を外に出す。
「わかりました。危険なことはしません。危ないと思ったら、すぐに引く。それで、いいっすか?」
最後は歪んだ笑みになったと思う。南海がそれに盛大な溜め息を吐いた。
「何を言っても聞かない馬鹿みたいだから、仕方無いのかな」
それは、関わることを認めてくれた合図のように思えた。
「馬鹿は余計っす」
颯真は嬉しさを隠すように、わざと唇を尖らせて抗議した。
「で、誰か思い当たる人、います?」
仕切り直しのように明るめの声を颯真が出すと、南海は小さく唸りながら首を捻った。
「いや、沙伊子には男友達ってのは俺くらいしかいなかったから、交遊関係から、てのは……あ」
南海は自分で自分の言葉を切った。
「いるんですか?」
小折がそれにすかさず反応をする。
「俺」
南海はぽん、とその一言を吐いた。
「は?」
思わず間抜け過ぎるほどの声が颯真の口から発せられたが、それに大していつも突っ込んでくれるはずの色羽が不在の為、その声は誰にも拾われずにいた。
「え、なんて言いました?」
誰も南海に続きを促さないので、颯真がそう訊いた。
「だから、俺。俺、小さいときから沙伊子のこと好きだったんだよ」
南海はそれがまるで当たり前のことかのように口にした。恐らく、南海の中ではそれは本当に当たり前のことだったのだろうと思える響きだ。
「え、でも麦沢先輩と奥様を引き合わせたのは佐奈倉さんなんですよね?」
それに小折がおずおずと確認をする。確かに、颯真もそう聞いていた。
「それは、結果的にそうなっちゃったの。付き合わせようとか、況してや結婚させようと思って会わせたわけじゃない。友人に友人を会わせたらそうなっただけ」
南海は少しばかり不貞腐れたような表情で言った。そんなことになるなら会わせなきゃよかったと言わんばかりの顔だ。
「えーと、告白、とかしなかったんですか?」
今聞くべきことなのかはわからないが、取り敢えずそう質問をしてみた。
「してないね。だって、沙伊子も俺のこと好きだったし、タイミングが来ればそうなると思ってたし」
南海は打ち解けたせいか、心なしか口調が幼い感じがする。威嚇も煽りもしない、本来の南海なのだろう。
「すんません、よくわかんないっす」
颯真は素直に言葉にした。お互い好き同士ならさっさとくっつけ、とは今の颯真には言えない。自分だって比奈子のことを好きだし、比奈子も颯真のことを好きだと言ってくれるのに付き合ってはいないからだ。そこには理由はあるのだが、端から見れば南海が言っていることと同じなのかもしれない。
なので、颯真がわからない、と言ったのはその状況のことだ。
「つまり、麦沢さんの奥様が痺れを切らして麦沢さんを選んじまった、てことすか?」
そういうことがないわけではないだろう。颯真達だって、このままの関係を続けていけば、いつか比奈子は颯真ではない他の誰かを選ぶかもしれないのだ。
「いや、泰嗣のことを本気で好きになったんだと思う。あいつ、あんなだけど放っておけないとこあるし、何よりもいい男だし。会わせたら誰だって惚れるってこと、考えればわかるんだよね」
悔しさの中に、納得している様子が見えた。
「え、じゃあ……犯人は、南海さんということですか……?」
比奈子が突然口許を覆いながら、悲壮な声をあげた。
「いやいやいや、待って、比奈子ちゃん。どうしてそうなるのかな?」
それを否定したのは南海本人だった。
まあ、確かに今の話の流れだとそこに行き着くのかもしれないが、南海は犯人ではないだろう、と颯真は確信していた。まだ南海の何を知っているわけではないが、南海には信じられるものがあるのだ。
「じゃあ、沙伊子さんが妊娠されたとき、どう思いましたか?」
比奈子は確認するかのようにはっきりとした口調で言う。南海を頭から疑って煎るわけではないが、そのときの気持ちは聞いておきたいのだろう。
「あー、それね。耳が痛い話だ。ま、一言で表すならショックだったよ。ずっと好きだった沙伊子が母親になっちゃうんだな、て。しかも相手は俺じゃなくて、俺の親友。幸せそうに笑う二人は嬉しかったけど、それ以上に辛かった。沙伊子は二度と、昔の沙伊子には戻らないんだな、て」
それは颯真達の推理と同じ内容だった。
「後悔もした。もっと早く気持ちを伝えればよかった、てね。そうしたら、隣に並んでいたのは俺だったかもしれない、と」
「そっか」
颯真は南海の話を聞き、かちり、と脳内で何かが填まるのを感じた。一部だけ、浮いたパズルのピースは居場所を見付けたのだ。
「どうしました?」
それに反応したのは小折だった。
「いや、そう、それですよ。後悔。普通は後悔しません? もっと行動しときゃよかった、とか、せめて告白だけでもすればよかった、とか」
好きな人が永遠に手に入らなくなると思ったとき、人は後悔をするものだと思う。しかし、沙伊子を殺した犯人は後悔ではなく憎しみ、妬みを抱いたのだ。
「でも、ストーカーとかだったら違いますよね?」
それに意見したのは比奈子だ。
「沙伊子がストーカーされていたという事実はないよ。これは、確かだと思う。ストーカーして痕跡残さないって、ほぼむりだし、奴等は自分の存在を相手に知って欲しいはずだからね」
そう考えればストーカーの線はないと思っていいだろう。
「それにね、沙伊子は、犯人を家にあげているんだよ」
「麦沢先輩の自宅マンションはオートロックですからね。あ、このこと颯真くんに伝え忘れてました。すみません」
言われてみれば初耳だ。今はアパートでもオートロックが多い時代だが、颯真には馴染みのないシステムの為、そこまで頭が回らなかった。
「え、てことは、顔見知りってことっすよね?」
「もしくは宅配業者などを装った可能性もある」
颯真の推理は南海によってあっさりと否定された。
「ま、でも、可能性もあるってだけで、顔見知りの犯行の可能性が高い、が、それらしい人物は浮上しなかったからどうにかして入り込んだ空き巣という無理矢理な結論が出されたんだけどね」
それは無理矢理過ぎるものだ。しかし、それらしい人物が浮上しない以上、そうなってしまうのだろう。
「全く見えてこない……」
颯真は頭を抱える仕草をした。
「ともあれ、沙伊子さんの知人達に話を聞きたいっすよね。もしかしたら、見落としたり、その人達が警察に伝え忘れてることもあるかもだし」
颯真は言って、立ち上がった。兎に角、話だけしていても埒が明かない。
「取り敢えず、沙伊子の弟に話聞こうか。一番身近だし」
南海が言いながら、最新のスマホを片手で操作した。
成田 沙俊は颯真が麦沢の店で見たときよりも物静かな印象を受けた。黒を基調とした服装というよりも、全身が黒い。黒いセーターに、黒のスラックス。靴までも黒だ。
余程黒が好きなのだろうというより、ここまでくるとあまりの黒さに圧迫感を覚えるほどだ。
そして沙俊の住むアパートも黒一色と呼べるほどに黒ばかりだった。ベッドカバーもカーテンも黒ばかり。その部屋の空気は視覚のによるものか、淀んで感じた。
「姉さんの交遊関係は残念ながらほとんど知りません。泰嗣さんとの付き合いも、結婚すると聞くまで知らなかったくらいですからね」
沙俊はそういって苦笑いを浮かべた。
「でも、仲良かったじゃない」
南海が言うと、沙俊は曖昧に首を傾げた。
「昔は、良かったですけど、成人してからは特に。男女のキョウダイにありがちなものです。思春期辺りからはある程度距離を置くようになるものです」
沙俊の言葉に、もし真子が生きていたなら自分達もそうなっていたのかと思いを馳せた。しかし、それは想像でしかなく、颯真の中の真子はいつまでも幼いこどものままだ。
「僕の中では、姉さんはいつまでも少女のままなんですよ」
沙俊がぽつりと溢すように言った。それは、その辺りからあまり接する機会がなくなったからだろうか。
「姉さんは、いつまでも、少女のままなんです」
沙俊はそれが大切なことであるかのように、もう一度同じ言葉を口にした。そこにはまるで、強い想いが込められているかのようだった。
かちり、と颯真の脳内で何かが填まる音がした。
「……あんた、なんだな」
颯真は呟くように、声を出した。
「あんたが、麦沢さんの奥さん──自分の姉を殺したんだ」
颯真の発言に、その場が凍り付いたように鎮まり返った。
「自分の好きな女に、いつまでも少女のままでいて欲しくて、妊娠した沙伊子さんを殺したんだ」
こんなに呆気なく辿り着いたのは、それまでの議論のお陰だろう。それがあったから、沙俊の言葉で真実に辿り着いたのだ。
「お前……っ」
南海の唸るような声が静かなアパートの一室に響く。
「──そうだよ。僕が、姉さんを殺したんだ。受け入れられなかった。母親になる、姉さんが。姉さんは中学生になった頃から、僕の想いに気付き始めて、距離を置くようになった。けど、誰にもそれを打ち明けてはなかったみたいだね。勿論、泰嗣さんにも。でも、僕はずっと、姉さんを愛してた。少女の頃の姉さんを愛し続けてたんだ」
それは、あまりにも異様で歪んだ愛だと思った。沙伊子を愛していたわけではない。「少女」だった沙伊子を、彼は愛し続けていたのだ。
「でも、僕が純粋に妊娠を喜んだ振りをして、お祝いをあげたいと言うと、昔のように喜んで、笑ってくれた。そこには、少女だった姉さんがいた。なのに、姉さんはエコー写真を見せてきたんだ。これが、私の赤ちゃんだ。私は、母親になるんだって。そうしたら、許せなくて、悲しかった。姉さんはもう、少女には戻れない。それもこれも、お腹の赤ん坊のせいだ」
だから、お腹を狙って刺したのだろう。
──身勝手とは違う。
颯真の肌は粟立った。
これを、彼の愛情だと呼んでいいものだろうか。これを、愛するが故の行為だと言ってしまっていいものだろうか。
「僕は、姉さんを誰よりも愛していたんだよ」
そう言って笑う沙俊の顔は、まるで天使のように美しいものだった。しかし、身に纏う黒が、彼は天使ではなく悪魔だと伝えてきていた。
「彼は、自分で殺したにも関わらず、沙伊子さんを弔う為に生活を黒で埋め尽くしていた」
小折の言葉を聞いて、颯真は身震いをした。
あのあと、沙俊は南海に連行され警察へと出頭した。そんなときでも沙俊は狼狽える様子は微塵も見せなかった。けれどそれは彼が殺人を後悔しているわけではなく、致し方無かったと思っているように見えた。
沙俊は殺すべくして、己の姉を殺したのだと思っているのだろう。
──愛情が行き過ぎると憎悪になる。
そういった感覚はわからないでもない。けれど、沙俊のそれは違う。
己の胸や記憶という檻の中に愛する人を閉じ込める為に、殺人を犯したのだ。二度と、彼女が誰のものにもならないように。
「純粋過ぎる故の狂気、とでも言うんですかね」
小折の問いに颯真は首を傾げた。
恐らく、マスコミは今回の事件をそう囃し立てるのかもしれない。マスコミからしてみれば、この事件は面白おかしいネタになるだろう。
実の姉を愛し、その果てに殺してしまった弟。
「……異常者、でしかないっすよ」
颯真はぽつりとそう溢した。
「颯真くん?」
「人殺しなんて、異常者でなきゃ出来ないことっす。異常者だから、人を殺すなんて出来るんだ」
颯真はそれだけを言い、比奈子が淹れてくれた紅茶を飲み干した。いつの間にか温くなっていたそれは、喉を勢いよく通り過ぎていった。