表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/17

5

「こんちはー」

 颯真は大きめの声で来店を告げながらさいこの店内へと足を踏み入れた。するとそこには、小柄な男性客が一人いて、何やら麦沢と話をしていた。

 昔鍛えたのであろうことがよくわかる麦沢と並ぶと、まるで中学生かのような体型をした男はゆったりとした動きで颯真の声に反応した。年齢は二十代後半くらいだろうか、可愛いらしい顔立ちをしている。

「おお、いらっしゃい」

 麦沢は会話をやめ、颯真の来店を歓迎してくれた。颯真はそれに軽く会釈をし、昼飯となるべくパンを取る為にトレーとトングを手にした。今日も店内には香ばしく、食欲をそそる匂いが充満している。

「じゃあ、相変わらず見付からないままなんですね」

 ずらりと並んだパンに目を奪われている颯真の耳に男の声が届く。

「ああ、すまないが、退職した身では色々限界があってな。それでも出来る限りのことはするから、もう少し待ってくれ」

「いや、十分です。姉さんは幸福者しあわせものだな。こんな旦那様と結婚出来たんだ。姉さんが南海さんじゃなく、泰嗣さんを選んだのがよくわかる」

 話の内容から察するに、どうやら男は麦沢の亡くなった妻の弟のようだ。しかし、その内容には引っ掛かりを覚える部分がある。

「南海の方がいい男だ。ただ、あいつからしたら俺の方が放っておけなかったんだろう」

 颯真はなんとなしに居心地の悪い気分になったが、まさか何も買わずに出ていくわけにも行かず、取り敢えず目についたパンを三つ程選んでトレーに載せた。

「じゃあ、俺は帰ります。また何か進展あれば連絡下さい」

 男はそれだけ言うと、颯真の横を通って店から出ていった。ふわり、と甘い香りが鼻腔に届く。男物の香水にしては甘過ぎる匂いは決して嫌なものではなかったが、彼にはあまり似合わないように思えた。

「変な話が聞こえて悪かったな」

「あ、いえ、大丈夫っす」

 まさか、麦沢の妻が殺されたことを知っているとは言えず、颯真はそう返した。

「天田から聞いたんだろ? あいつ、律儀だからわざわざ報告してきたんだ。麦沢さんの過去を颯真くんに話してしまいました、てな」

 麦沢はそう言い、笑みを溢した。小折に怒っている様子はなく、むしろ小折の純粋さを気に入っているかのような態度だ。

「ああ、はい」

 颯真は何と返すべきのか言葉が見付けられず、それだけを口にした。

 自分も被害者遺族だから気持ちはわかる、と告げる気にはなれなかった。告げたところで麦沢が嫌な顔をするわけではないのはわかるが、敢えて告げることでもないと思ったのだ。告げることで、今後麦沢に変な気を遣わせてしまうだろうことが忍びないのだ。

「朝比奈って、ありそうでなかなかない苗字だよな」

 麦沢は不意に話題を変えた。

「え、ああ、そうっすね。同じ苗字の奴に会ったことはないっす」

 特別珍しくもないが、ありふれているわけでもないのだろう。颯真が今まで出会った人数というのは決して少なくはないが、朝比奈という苗字の人間はいたことはない。

「偶然かも、とは思ってたんだけどさ」

 麦沢の言葉に颯真は話の続きが見えずに首を傾げた。伸びてきた前髪が目にかかって鬱陶しい。

「朝比奈 真子って、お前の妹か?」

 どくん、と心臓が嫌な音を立てた。真子の名前を色羽以外の口から聞くのは本当に久し振り過ぎて、脳が理解するのに追い付かない。

「……」

 颯真は言葉を失い、麦沢を見上げた。鍛えぬいた以上に、麦沢は元々骨格が逞しいのだろう。身長は颯真よりもずっと高い。

「やっぱりそうなんだな」

「……何で、妹の名前を」

 そう言うのがやっとだった。思わぬところで真子の名前を出させ動揺しているのが自分でもわかる。

「俺さ、その事件を担当してたんだ」

 おかしくはない。麦沢の正確な年齢を知っているわけではないが、三十は裕に越えているだろう。だとすれば、真子の事件を担当していたとしても何ら不思議はないのだ。

「すまなかった」

 麦沢が突如、颯真に対して頭を深く下げてきた。普段は決して見ることのない麦沢の後頭部が視界に入り込む。

「え……なんで……」

 颯真は麦沢に頭を下げられる理由が見付けられず困惑した。

「俺達はあのとき、君の妹を殺した犯人を捕まえることが出来なかった。頭を下げて済む話じゃないのはわかっている。でもせめて、一言だけでいいから詫びさせて欲しい」

「いや、頭上げて下さい」

 麦沢の低い声を遮るように颯真は言った。

「あのとき、俺と名田さんは君に約束をした。妹さんを殺した犯人を必ず捕まえる、と。なのに俺達はその約束を果たすことが出来なかったんだ」

 麦沢は頭を下げたまま、言う。

 颯真はそれに、同時のことを思い出した。

 名田のことははっきりと覚えいる。確かに、名田は颯真にそういった約束をした。そして、その隣に若い男がいたことを、今になって思い出した。

 麦沢より名田の方が印象的な風貌をしているし、何よりその言葉を発したのが名田だった為、麦沢のことを忘れていたのだろう。

「……仕方無い、とは言えないっすが、別に怠けてて逮捕出来なかったわけじゃないのはわかってますから」

 確かに、名田を恨んだときもあった。名田というよりも、警察全体を恨んだこともある。今だって、その感情が全く消え失せたわけではない。

 しかし、頭を下げてもらうことではないこともわかっている。

「それに、麦沢さんだって同じっすよね? 奥さん殺した犯人、見付かってないわけですし」

 だからいい、ということでもない。これは、誰が悪いとか、そういったことではないのだ。どうしようもないことなのだ。

 ただ、そうやって割り切るのは難しい。自分達で犯人を追うことなど到底無理はこと。ならば、被害者遺族はそれを警察に託すしかないのだ。しかしそれで犯人が逮捕されなかったからといって警察を恨むのはお門違い。第三者の立場ならばそう言えるだろう。

 颯真は複雑な心境のまま、麦沢に再度頭を上げるように言った。麦沢は漸くそれに応じ、静かに頭を上げる。パン屋の店主にしては些か逞しい彼は太めの凛々しい眉を下げている。

「麦沢さんは、今も奥さんを殺した奴を探してるんすか?」

 颯真が訊くと、麦沢は苦笑を浮かべながら頷いた。

「ああ、探してる。南海に情報を横流ししてもらってるが、目星すら付かない状況だ」

 小折の話からするとその事件からはもう三年が経過している。証拠だってもう残っていないだろうし、犯人の足取りを掴むことだって難しいだろう。

「有力な奴とか、いなかったんすか?」

 真子を取り巻く人間達にそんなものは誰もいなかった。それもそうだ。真子はまだこどもだったのだ。恨みを買うこともないだろう。なので、家族の周囲の人間が疑われたが、朝比奈家は一様に大人しい性格でそこから犯人に繋がるような事柄もなかった。

 しかし、麦沢の事件の場合、殺されたのは大人だ。麦沢と接する限り、麦沢の殺された妻が他人に恨みを買うような人物ではないことは容易に想像出来る。けれど、世の中には妬み嫉みというのが存在するのだ。

 本人が何をしたわけでなくとも、妬まれたりすることは十二分にあるのだ。

「誰もいなかったな。だから、空き巣じゃないか、というのが当時の捜査本部の見方だった」

 空き巣。通り魔。それらは被害者とは全く縁もゆかりもない人物。だとすると、犯人を割り出すのは不可能だ。何かしら、犯人に繋がるような証拠でも残っていない限り、永遠に犯人に辿り着くことはないように思える。

「そうだったんすね」

 真子を殺したのも、所謂通り魔的な犯行ではないかとも言われた。だから、どんなに家族の身辺を洗ってもそれらしい人物が浮かび上がらないのだ、と。

「颯真くんはさ、自分で探そうと思ったことはないのか?」

「……どうすかね」

 麦沢の問いに颯真は曖昧に首を傾げた。

「俺はあのときまだガキでしたから。自分で何か出来るとは思いませんでした。けど、今なら少し、思います」

 けれど、あれから月日が経ち過ぎているし、颯真には麦沢のように情報を得る術がない。

「あの、俺にも協力させてもらえませんか?」

 不意に、口から出た言葉だった。

「え?」

「麦沢さんの奥さんを殺した奴、探すの手伝いたいんす」

 今まで、ほぼ偶然のように犯人に辿り着いたことはある。それを傲っているわけではない。ただ、そうしたいと思ったのだ。

「いやいや、無関係な奴を巻き込むわけにはいかない」

 麦沢は気持ちだけもらう、と笑った。

「俺も、少しずつ整理したいんすよ。だから、麦沢さんに協力して、失礼なことですが、過去と向き合うのがどんな気持ちか知りたいんです」

 颯真は未だに過去から逃げている。そうしていたところで、失ったものを取り戻せるわけでもないというのに、過去と向き合うことが出来なかった。だから、色羽からも目を背けている状態なのだ。

「だったら、お願いするかな。俺も今は一般人だ。情報を外に洩らしてどうこう、ていうのは南海と天田にでも被ってもらうか」

 麦沢はそう冗談混じりに笑い、颯真の肩をぽんと叩いた。


「店長にそんなことがあったんですね……」

 比奈子は神妙な面持ちで小さく言った。

 麦沢に協力させて欲しいとは言ったものの、一人でやるには限界がある為、麦沢の了承を得てから比奈子と色羽にも手伝ってもらうことにした。色羽にはこの間の一件には触れずに連絡したのだが、「大学の課題が忙しい」とのことで断られてしまった。

 メッセージアプリを使っての連絡だったのだが、色羽からの文面はいつもとなんら変わりはなく、男が使うには可愛過ぎるスタンプもついていたが、颯真にはそれが嘘だとわかった。

 何が理由か知らないが、今は颯真とは行動したくない、もしくは出来ないのだろう。

 颯真はそれに対し、嘘だと言及することもなく、わかった、とだけ返したので、比奈子だけが参加する形となった。無論、小折にも連絡はし、頼めることがあったらお願いします、とだけ言っておいた。小折の立場を考えれば無理強いは出来ないのだが、小折は「全力でお手伝いします」と返事をくれたのだ。

 小折の気持ちは無論有難いのだが、時折大丈夫なのかと颯真の方が心配になってしまうほどだ。

「うーん、協力すると言ったはいいが、何からするか、だよな」

 颯真は頭を抱える仕草をしながら唸った。

 麦沢からある程度話は聞いてきたが、それだけで推理出来るはずもない。そんな頭脳を持ち合わせているなら、今の生活は送っていないかもしれない。

「本当に空き巣なんですかね?」

 比奈子が颯真が書き散らした紙を綺麗に清書しながら言う。比奈子の字は癖のない綺麗なものだ。

「ん? なんでだ?」

 颯真はすらすらと綴られる美しい文字を見ながら言う。その字は比奈子の人柄を表しているかのようだ。

「ああ、いえ。わざわざマンションに空き巣するものかな、と思ったんです」

 麦沢が当時住んでいたのは、此処から電車で三駅離れた場所にあるマンションだ。駅前に建っているようで、麦沢はそこの五階に部屋を買ったらしい。今はそこには誰も住んでいないが、麦沢はそこのローンを払い続けている、と言っていた。

「まあ、不自然だよな。人通りが多い駅前のマンション、しかも五階」

 普通空き巣といえば、人目の少ない住宅街に多いイメージだ。それも、裏道に入ったような場所。そういった家々の門に空き巣に対するかのようなメッセージ看板が付けられているのをバイト中によく見掛ける。

「ですよね」

 とはいえ、こんなことはとっくに警察は気付いているだろう。だからこそ、怨恨の線を探り、それは南海のもとへとも及んだのだろう。

「麦沢さんの話だと、奥さんは社交的な方じゃなかったから、知人は少ないらしい」

 だとすれば、その少ない交遊関係は全て洗われたはずだ。しかしだからといって、警察が犯人を見過ごさないとは言い切れないだろう。

「颯真さんは、どう思われますか?」

「うん?」

「私の兄は、本人も周りも知らないところから妬みを買っていました」

 そうなのだ。比奈子の兄は、嫉妬心から殺害されたのだ。なので、麦沢の妻にもそういった可能性は十分にある。

「うーん、妬み、て感じはしないんだよな」

 颯真は比奈子の様子を気にしながら返した。比奈子は兄の話題を口にしても変わった様子はない。それに僅かに安堵する。

「どういうことですか?」

「いやー、麦沢さんの話によれば、奥さんは腹部を数ヶ所刺されてた、てことだろ? ……これって、多分だが、腹のなかのこどもを狙ったんじゃないか?」

 颯真の言葉に比奈子が息を呑むのがわかった。大袈裟なほどに眉を下げ、口許を手で覆っている。

「目的としては、奥さんを殺すというよりは、こどもを殺そうとした、て気がするんだよな」

「……でも、それがどうして妬みではないと?」

 比奈子は不快さが滲み出る表情をしている。女性としての本能なのだろうか。

「なんて説明したらいいか。奥さんが妊娠をした、てことが許せない……うーん、なんていうんだ?」

 颯真は上手い言葉が見付からずに首を捻った。こういったときに語彙が貧弱なのがもどかしくなる。最近は小折から借りて少しだけ小説を読むようになったが、それと語彙や説明力の増加は直結しないらしい。

「奥様が憎いというよりは、奥様が妊娠された事実を受け入れたくない、ということですか?」

「そうそう、それ……て、小折さんっ?」

 言いたかったことが小折の声で聞こえたことに颯真は驚いた。

「すみません。何度かノックをしたんですが、小さくて聞こえなかったみたいで」

 小折は律儀に頭を下げて、勝手に部屋へ入ってきたことを謝罪した。

「いやいや、勝手に入っていいんすけど、今、大丈夫なんすか?」

 今は夕方前。通常であれば小折は勤務中の時間のはずだ。

「今日は非番なんです」

 その証というように、今日の小折はスーツ姿ではなく、ラフな格好をしている。それでも質のよいコートを羽織っているので颯真のラフな格好とは雲泥の差だ。

「というか、勝手に関わって大丈夫っすか?」

 颯真が心配をすると、小折はその童顔に人好きのする笑みを浮かべてこくりと頷いた。

「いざとなったら、親に泣きつくんで大丈夫です」

 それがどう大丈夫なのかわからないが、小折のそういった部分は嫌いではない。というよりむしろ、好ましい。

「僕は何があっても懲戒免職されませんから」

 きっぱりと言い切る小折はいっそ潔い。親のコネだとか、七光りだとかも味方につけてしまう。小折のそれは浅ましいものではなく、正義感からに因るものなのだろう。

「僕も、麦沢先輩の奥様の事件はずっと気になっていたんです。捜査もずっと進展しませんし、捜査本部は解散。しかも未解決班はおざなりに捜査を続けているだけ。なら、僕達でなんとかしたいと思います」

 小折は拳をぎゅっと握って力説をした。颯真はそれに苦笑いを浮かべ、隣に座るように促した。小折はそれに礼を言い、コートを静かに脱いでから颯真の隣に腰を下ろした。

「で、さっきの続きなんだけど」

 颯真は小折の言葉を思い出しながら口を開いた。

「でも、そんなことってあるんですか?」

 比奈子が長い髪を揺らしながら首を傾げる。

「男性の感覚かもしれませんが、有り得ることだとは思います」

 それに対して答えたのは小折だった。

「例えば、ですが、奥様に想いを寄せている人がいるとしますよね? で、麦沢先輩との結婚まではなんとか耐えられた。けれど、妊娠だけは受け入れることが出来なかった、と」

「どうしてです?」

 颯真には小折の説明の意味が理解出来たが、比奈子にはわからいことのようだった。これが性別によるものなのか、年齢や経験によるものなのかは判断出来ない。

「後戻り出来ない……取り返しがつかない……なんと言うんですかね」

「結婚しただけなら、奪うチャンスも、離婚する可能性だってある。けど、こどもが産まれてしまったらそこはもう、家族として完成しちまうから、どうにもならなくなる。その人が永遠に自分のものになる可能性が絶たれるような気がすんじゃねぇか」

 小折の後を次いでそう説明したが、それでも比奈子には理解し難い感情のようだった。

「こどもがいたら、駄目というか、可能性はなくなるんですか?」

「ないとは言い切れねぇが、普通に考えたらなくなる、というか、そもそも可能性が減ることが耐え難かった。だからこそ、腹の中の赤ん坊を目掛けて刺した、とか?」

 恐らくこれは、男特有の感覚なのだろう。支配欲のせいか、相手が完全に他者のものになってしまうのが許せない。そういった感覚なのだろう。

「……そんなの、非道いです」

 その感覚を非道いと思うのは、女性特有の母性からくるものなのだろう。

「まあ、第三者でなくとも妊娠を受け入れられない場合はありますよね」

 新しい小折の意見に、今度もまた颯真だけが頷いた。

「え、どういうことですか?」

「旦那さん、ということです。こどもを望まない男性もいます。意図的な妊娠でない場合、まだこどもはいらない。そもそもこどもはいらない、といった考えの男性がいることも確かです。経済面やこども自体が好きではないということですかね」

「でも、それだと、今の話には繋がらない気がします。今の話を纏めると、相手はお腹の中にいる赤ちゃんを憎く思っているという感じですよね? でも、こどもがいらない、というだけでは憎いという感情ではないんじゃいですか?」

 比奈子の言葉に、小折と颯真は同時に口ごもった。恐らく、小折は敢えて肝心なことは口にせず、上辺の可能性だけを述べたのだろう。その気持ちは颯真にもわかる。これ以上のことは女性に聞かせる話ではない。しかし、比奈子は決して鈍いわけではないので、矛盾に気付いてしまったのだ。

「……男の中にはさ、こども──つまりは他者に自分の女を取られたくないって奴もいるんだよ」

 それは、きっと愛情が行き過ぎた上での嫉妬なのだろう。

 そういった男を颯真も知っていた。かつての知り合いに、自分の恋人が妊娠をし、産まれたこどもが男であった為、狂ったように嫉妬をし、挙げ句は手をあげた男がいたのだ。颯真の直接の知り合いではなく、このビルの持ち主の知人だった。

「そんな……」

 比奈子はそこで口を閉ざした。彼女の生い立ちから、親の全てが我が子を愛せるわけではないことは知っているはずだ。けれど、そんな理由から愛せないということがあるとは思いもしなかったのだろう。

 相手を愛しているならば、その愛情が深いほどに間に産まれたこどもも愛しいものだと思っていたのだろう。

 比奈子の両親について詳しくは知らないが、恐らく愛情のある夫婦ではなかったのだろうと推測は出来た。

「ま、そういう男もいるってことだ。自分を愛してるから、こどもも愛してくれるとは思わない方がいいから気を付けろよ」

 颯真はそこまで口にしてから、しまったと思った。この発言は、自分が比奈子を相手にすることはないと宣言しているようなものだ。しかし、フォローをするのにも躊躇いがあり、ちらりと比奈子を見ると案の定少し寂しそうな顔をしていた。

「あ、でも、だからといって、麦沢先輩が犯人である可能性も、ということではありませんよ? 麦沢先輩は、お子さんが産まれてくるのを本当に楽しみにしてましたから」

 小折が突然場を取り成すように大きな声を出した。確かに今の話だと、麦沢先輩が犯人かもしれない、ということになってしまう。颯真から見ても、それは決してないように思えた。

「ということは、店長の奥様に想いを寄せていた人が犯人である可能性が高いということですか?」

 比奈子はいつの間にかいつも通りの表情で言った。

「可能性のひとつでしかありませんが。当時はその方面での捜査はしていないようですし」

 小折はここを訪れる前に以前の捜査資料を見てきたのだろう。

「うーん、そういうのって麦沢さん、知ってっかな」

 自分が把握していない交遊関係がある場合は無論知らないだろうし、自分が把握している範囲だとしても相手が巧くそれを隠していれば知らないかもしれない。

「そういったことは、当人達にはわからなかったりしますしね」

 自分に想いを寄せている相手にだって気付かない場合もある。

「ストーカーなどの可能性も浮上してしまいますしね」

 小折の意見に颯真は頷いた。それが赤の他人だった場合、特定は難しいだろう。

「取り敢えず、訊いてみるだけ訊いてみますか」

 颯真はそう言ってから立ち上がった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ