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「うーん、本当になにもわかんねぇな……」
颯真はぽつりと溢した後、ちらりと優乃李を見た。
「あ……」
「どうした?」
颯真が漏らした声に南海がすかさず反応をする。
「いやさ、色羽に罪を被せようとしたって場合なんだけど、それって、こいつの知人って可能性もないかなって」
颯真は優乃李を指差して言う。それに優乃李は驚いたような顔をした。
「どういうことだ?」
「だから、例えば、例えばな? こいつに、被害者以外のストーカー紛いがいたとして、そいつが被害者を殺し、こいつの彼氏である色羽に罪を被せようとしたら、て話。そうしたら、犯人としては邪魔な奴をふたり一緒に排除出来る」
「排除って……」
颯真の物騒な言い回しに比奈子が眉をしかめた。
「ああ、確かにそう言った可能性もあるね」
颯真の意見に南海は頷き、視線を優乃李へと向けた。颯真も南海と同じように優乃李の顔を見る。
「さっきさ、あの店員が言ってたじゃん。俺をナンパだと間違えて、こういうのよくある、みたいなことさ」
颯真が言うと、優乃李はそうですね、と言葉を濁した。
「私……昔からそういったことが多いんです。別に美人でもないのに、妙に男の人に好かれるというか……」
自分でモテると称するのは抵抗があるようで、優乃李は小さめの声で発言した。
「小学校高学年くらいのときからです。変な人に声を掛けられる機会も多くて、それと、ストーカーに近いものも多いんです。ナンパというよりは、しつこく言い寄られる感じです」
それは恐らく、優乃李の持つ独特の雰囲気のせいだろう。優乃李は特別美人というわけではないが、仕草や表情に独特の色気のようなものがある。そのうえ、彼女は愛想が良い。だから、それに勘違いをしたり、一方的に想いを寄せる男が多いのだろう。
「大変ですね……」
優乃李に同情したらしい比奈子が眉を下げて言う。
「大変……というか、慣れました。大体は相手にしなければ引いてくれるので」
優乃李の中身に惚れて、というわけではないからか、どうやら相手はいつもあっさりと身を引いていくようだ。
「けど、被害者は違った?」
「……はい。どんなに無視しても、いえ、むしろ無視をすると怒りました。こんなことは初めてだったんですけど、今回もどうせ時間が経てば解決するだろう、と思っていたんです」
けれど、状況は悪化した。しかも、相手が殺害されるという形で。
「ちょっとごめん」
全員が黙り込んだタイミングで南海のスマホが震えた。どうやら電話らしく、南海はスマホを耳にあてながら一旦店の外へと出て行った。
「……うーん。どう考えても、犯人らしき人間が浮かばねぇ」
それよりも、何故、仁井田は今までの男達と違ったのか。いや、実際、ストーカーというのは仁井田のような行動を取る者が多いはずだ。けれど、優乃李の場合は今までが違った。
「今まで、全員があっさり引いたのか?」
颯真の質問に優乃李はこくりと頷いた。
「そうですね。多分、第一印象だけで気に入って、それだけ、という感じでしたので」
恐らく、それはストーカー気質の男でなく、たんに変な男に気に入られていただけなのだろう。不幸中の幸いとでもいうか、それは偶然だ。なので、今回は更に厄介な男に気に入られただけという話。ならば、仁井田の行動について考えても意味はないのだろうか。
「ただいま。それと、一個いいかな」
電話を終えたらしい南海が席へと戻ってきて、優乃李に声を掛けた。その声はどこか硬い。優乃李はそれに、なんでしょうか、と緊張した声を出す。
「君、本当に被害者と個人的に言葉を交わしたりしていないの?」
南海の質問の意味がわからず、颯真はどういうことですか、と尋ねた。すると南海は少し渋い顔をして口を開く。
「今ね、仁井田の知人に話を聞きに行った後輩から連絡があったんだけど、仁井田が、君が仁井田と交際するつもりがあったようだと言っているみたいなんだよね」
南海の発言に、その場にいた全員が目を見開いた。それは優乃李も含めて、だ。
「え、なんですか、それ……」
一番最初に口を開いたのは優乃李だった。
「仁井田のアルバイト仲間がそう言っているらしいよ。彼氏と上手く別れられたら、仁井田と付き合うつもりだと言っていた、と」
「私、そんなこと言っていません。そもそも、彼と挨拶や断り以外の言葉を交わしたこともないんです」
「ちょっと落ち着いて。話には続きがあるから」
南海が言うと、優乃李は我に返ったようで、すみません、と溢した。
「そう言っているわりには、いつ会いに行っても素っ気ないし、断られる。多分、彼氏が束縛が激しいか怖いんだと思う。あんなに俺のことを好きなのに可哀想だ、と言っていたらしい」
そこにあるのは違和感のみだ。颯真は南海の話に眉根を寄せた。
「なんでそんな、でたらめを……」
優乃李は驚きのせいか、顔色を変えた。それだけで優乃李が嘘を吐いているわけではないのがわかる。
「バイト仲間の彼も嘘臭いとは思ったらしい。けど、仁井田は本気でそう言っている様子だったみたいだ。だから、彼氏と一度話す必要があるとまで言っていたみたいだよ」
「待て待て。被害者と話すって言い出したのは色羽じゃねぇのか?」
「あ、違います。彼の方から、一度彼氏に会わせてくれって言われました。それで色羽くんに相談したら、会ってみると言ってくれたので、色羽くんに彼の連絡先を教えたんです」
優乃李は先程から仁井田のことを「彼」と称する。それは、仁井田という名前に馴染みがないからだろう。
「成る程な。勝手に色羽の方からだと思ってたわ」
色羽にはそういう無鉄砲な面があることを知っているからだろう。
「うーん……そうか」
颯真の脳内ではぐるぐるとパズルのピースが動き始める。しかし、肝心の大きなピースだけが見付からない。そのせいで、全体像は完成しないが形だけは掴めてきた。
「どうかしました?」
比奈子が颯真の顔を覗き込むようにして訊いてくる。
「いや、多分、被害者に入れ知恵した奴がいる」
「入れ知恵?」
それに比奈子が首を傾げた。
「そう。被害者が色羽に会うように仕向けた奴がいる。んでもって、そいつが犯人だ」
「動機は?」
南海がコーヒーカップから口を離してから問う。
「こいつに好意を寄せていて、こいつのことを話しても信憑性があって、色羽のことも知っている奴。こいつの連絡先を被害者に教えたのもそいつだと思う」
そう考えれば全ての辻褄は合う。仁井田が優乃李の連絡先を知っていたことも、色羽があの場に誘き寄せられたことも。
「ということは、仁井田のことも知っていて、彼女のことも、色羽くんのことも知っている人が犯人ってこと?」
颯真は南海の言葉に頷いたが、優乃李がそんな人はいない、と口にした。
「いやいやいや、誰かしらいるんだよ」
でないとこのパズルは完成しない。とはいえ、颯真自身色羽の交遊関係どころか優乃李の存在も今日知ったくらいで思い当たる人物などいない。
「あ、すみません」
そのとき、優乃李のスマホが着信を報せたようで優乃李は謝りの言葉を口にしてからスマホを耳にあてた。
「お疲れ様です。……あ、はい、大丈夫です。…………明日は、人数的に大丈夫ならお休みを……ええ、ありがとうございます。……はい、わかりました。明日また、連絡しますね」
優乃李は小さめの声で応答をし、スマホをテーブルに置いた。
「土屋さんからです。心配してくれたみたいで」
優乃李の口からその名前が出た途端、颯真の脳内にはパズルの隙間が埋まり掛けた。
「……その、土屋って女は色羽のこと、知ってるのか?」
「はい。色羽くん、何度かお店に来てくれたことあるので」
かちり、とパズルが完成した。
「南海さん、準備してくれ」
「言われなくても」
南海も颯真と同じ結論に辿り着いたようでスマホを片手に立ち上がった。
────邪魔だった。
それが、土屋容子の仁井田博人殺害の動機だった。上手く仕組めば、ついでに優乃李の彼氏である色羽も殺人容疑で逮捕される、そう思ったらしい。いや、正確に言えば、思い込まされたらしい。
しかし、それを吹き込んだ相手のことは知らない人物らしく、名前すらもわからないらしい。色羽と優乃李が並んでいるのを眺めていると、背後から声を掛けられた、とのことだ。
『彼氏がストーカーを殺してくれるといいね』と。
その言葉から、土屋は今回のことを思い付き、仁井田に近付いて優乃李の連絡先を教えたり、嘘の情報を吹き込んだ。仁井田と色羽がいつか直接会うように仕向けたのだ。
殺害方法は至ってシンプルで、裏口から仁井田にバックヤードに通してもらい殺害、そしてそのまま裏口から出ただけ。だから防犯カメラに映ることもなく、状況だけで色羽が疑われることになったのだ。
颯真が推理せずとも、裏口の鍵が空いていることや、仁井田の身辺を調べれば自ずと土屋の存在が浮かび上がるようなことだったのだ。
土屋はそれほどまでに、優乃李に好意を寄せていたのだ。それも、恋愛感情で、だ。
「颯ちゃん、本当にありがとう」
けれど、色羽は颯真に深く頭を下げた。その近くには謝罪に来たらしい名田と岐志がいる。しかし、その顔は謝罪に訪れたというものではない。
「いいって。気にすんな」
颯真はそんな二人を無視して、小さくなる色羽の肩を抱いた。
「正義ごっこは満足したか?」
そんな颯真に名田がその一言を放った。颯真はそれに対して、言葉ではなく睨みで返した。
「君は、妹さんを殺されたことで、あいつら側に身を落としかねない精神になっているんだよ」
名田のどこかしゃがれた声が耳を刺す。
「……んだと?」
しかしそれは聞き捨てならない言葉だった。
「妹さんを殺されたことで、君は、憎しみを覚えた。殺意を覚えた。だからこそ、君はあいつら側に行きかねないんだ」
「それ以上口を開いたら殺すぞ」
「その口癖が、何よりの証拠じゃないのか?」
颯真の凄味など全く効かないとばかりに名田は口許に薄ら笑いを浮かべる。
「颯ちゃんはそんなことしない」
そんな颯真の隣で、色羽がきっぱりと言い切った。
「颯ちゃんは、大丈夫。だって、皆がいるから。行こう、颯ちゃん」
色羽は言うだけ言うと、颯真の腕を引いた。見掛けによらず、強い力で。颯真はそれ以上名田に何かを言うことはせず、色羽に腕を引かれるまま、足を前に出した。
どう見ても、男の子にしか見えない色羽の横顔を見ながら。
「颯ちゃん、今まで、ごめんね」
ふと、足を止めた色羽がぼそりと言う。
「ん? 何がだ」
言いたいことの察しは付くが、どうしても話を逸らそうとしてしまうのは颯真の弱さのせいだろう。
「……僕、ね、颯ちゃんと離れたくなかった。真子ちゃんが殺されて、颯ちゃん、いつか僕の前からいなくなる気がしてた。だから僕は、女の子の格好をすることを選んだんだ」
それは、色羽が謝ることではない。颯真はそれをそのまま口にした。
「ううん。ううん、違うんだ。真子ちゃんの代わりになろうとしたわけじゃない。ただ、颯ちゃんとの繋がりが欲しくて、颯ちゃんがそう思ってくれたらいいなって……僕は、本当は狡くて、真子ちゃんを利用しただけなんだ……」
色羽は言いながら、大きな瞳からぼろぼろと大粒の涙を溢した。
「でもね、最初……女の子の格好をしたとき、颯ちゃんに拒絶されるんじゃないかって、怖かった……。真子ちゃんの真似をして、嫌われるんじゃないかって。でも……でもね、颯ちゃん、ワンピースを着た僕に『似合うな』て笑ってくれて……」
そういえば、そうだった。女物のワンピースを着て笑う色羽は、本当に可愛くて、でもそれでいて、どこか可哀想で。だから颯真はそう言葉を掛けたのだった。
「すごく……嬉しかった。許して……くれたことが。……でも、それでも颯ちゃんはいつか僕を突き放す気がした。だから、ずっと、あんな格好をしてた。そうしていれば、颯ちゃんは僕を突き放すことは出来ないってわかってたから……。ごめんなさい……本当にごめんなさい。……颯ちゃんはもう、僕のことなんか気にせず、突き放していいからね」
色羽は言いたいことを全部言ったのか、わあわあと、まるでこどものように泣き始めた。大声をあげ、顔をぐしゃぐしゃにして泣く色羽はこどもの頃に戻ったかのようだった。
泣きながら、何度もごめんなさいという言う色羽。それは自分の言葉だと思いながら、颯真は色羽を抱き締めた。
「……こんな泣き虫、突き放せるわけねぇだろ」
颯真が言うと、色羽は更に声をあげて泣いた。
「謝るのは俺の方だ。ごめんな、ずっと、あんな格好させてて。イロはもう、イロの好きな格好をすればいい」
したい格好もせず、友人も作らず、恋人のことも打ち明けられず、颯真のことを第一に考え続けた色羽の人生。今までの時間を取り戻すことは出来ないが、これからの時間は自分のしたいように使って欲しいと、颯真は心からそう思った。颯真の肩に顔を預け、幼いこどものように泣く色羽の背中を撫でながら。
恐ろしく静かな早朝だった。
たまたま早く目覚めた颯真は、煙草を吹かす為に外へと出て、ビルの前で紫煙を吐き出した。
禁煙には成功したと思った。しかし、この間の事件の後から色羽が颯真の前に姿を現すことはなくクリスマス前日になり、手持ち無沙汰な心からつい煙草へと手が伸びてしまう。
部屋の中で吸えば、その臭いに気付いた比奈子が口煩く煙草はやめるべきだと言うので、こうして外で吸っている次第だ。
遅い朝日が顔を出し始め、辺りが明るくなってくる。そんなときだった。
「色羽さんが逮捕されなくて良かったですね」
恐ろしく静かな声が背後から届いた。
「……やっぱりお前だったのか」
颯真は煙草を携帯灰皿に押し込んでから振り返る。
「ポイ捨てしないなんて、颯真さんらしくないですね」
振り向いた先では、冠城エメルが翡翠色の瞳を細めていた。
「お前が、土屋に吹き込んだんだな」
「なんのことです?」
「しらばっくれてんじゃねぇぞ、こら」
颯真はエメルへと近付き、その胸ぐらを掴み上げた。手触りのいいコートは見るも無惨にぐしゃりと歪む。
「例え、僕だとしても、何の罪にもなりませんよ? それに、僕は彼女に仁井田を殺せ、とは言っていません」
エメルは颯真が詰め寄っても表情ひとつ変えずに淡々と告げる。確かに、そんなことは言っていないだろう。しかし、ああなるとわかっていて、エメルは土屋へと言葉を紡いだのだ。
「てめぇは一体何がしてぇんだ。何の目的で俺の周りをうろついてやがる」
うろつくだけならば、まだいい。目的は不明でも、相手にしなければいいだけだ。しかし、こいつは周りをも巻き込む。此度の色羽の件のように。
「教えたら、こちら側にいらっしゃってくれるんですか?」
エメルはすう、と瞳の輝きをなくして言った。それは、恐ろしく静かな表情だ。
「……うろつきたいなら勝手にうろつけ。けど、周りには手を出すな。今度同じことをしたら、ぶっ殺すからな」
颯真が言うと、エメルはそれに対し、何故だか嬉しそうに笑った。口角を上げ、極上の笑みを見せる様は不気味としか言い表せない。颯真はそれに背筋が凍るのを感じ、エメルから手を離した。
「また、お会いしましょう」
エメルはそれだけ言うと踵を返し、颯真の前から立ち去った。いつの間にか朝日は高さを上げ、辺りはすっかり明るくなっている。
「あ、颯ちゃん、煙草吸ったでしょ?」
冷えた全身に、一気に体温が戻る気がした。その声は、ずっと聞きたかったものに思える。
「もー、禁煙したんじゃなかったの? 煙草は体に悪いよー?」
わざとらしく怒った声は、何度も聞いたものだった。
「イロ……?」
「その呼び方、やめてって何回も言ってるよね?」
颯真の呼び掛けに怒った声を出す。颯真はそこにいる色羽の姿を想像しながら、ゆっくりと顔を色羽の方へと向けた。
そこには、今日も完璧なまでの女装をした色羽の姿があった。
「え……?」
颯真はてっきり、男の子を格好をした色羽がいるものだと思い込んでいたので、つい間抜けな声をあげる。
「おま……その格好」
「ん? だって僕、女の子の格好、似合い過ぎるしね。だから、大学卒業くらいまではこの格好でいようかなって。あ、成人式も振り袖にするよ」
色羽はえへへ、と笑いながらくるりと回ってみせた。
「お前、そこは男の格好に戻るとこだろっ。何でまだ女装してんだよっ。空気読めっ」
「ちょっとー、颯ちゃんの考えを押し付けないでよね。僕のしたい格好していい、て言ったの颯ちゃんでしょ? だから、したい格好をしてるだけですー」
色羽はそう言った後、寒いから部屋に入ろう、と颯真の腕を強く引いた。
──多分、色羽なりに色々と気持ちの整理をしてから、ここを訪れたのだろう。
「お前は、こんな時間に人の迷惑とか考えねぇのかよ」
「颯ちゃんに遠慮して、僕に何か得があるんですか?」
「てめぇ、殺すぞ、こら」
「あー、その口癖やだやだ」
今まで通りの二人のやり取りが早朝の街に響いた────。




