表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

プロローグ

「春、買いませんか?」


 灰色の街の中でも下衆な香りのする花街の路地裏。その中でも一際人目につかないところで少女は声をかけられた。

 勇者となり国を救うべく旅立った少女、リリはそのすべを探し当てもなく街を転々としていた。背も同年代の男と比べれば圧倒的に低く実績もない、まだ一流と呼ばれるにはほど遠いがそれでも一端の勇者で冒険者ではあると自負していた。

 しかし、彼女も勇者になったとはいえ、一人の少女である。そこいらの下世話な男たちと同様に扱われることはとても屈辱的であったし、なによりも女としての魅力がないといわれてしまったようで怒気を隠そうともせず声の主を問い詰めることにした。


「生憎、私は女なんだが。それともそういうの専門なのか?」


 そう言い放って、振り返ったリリの目に映ったのは彼女より頭一つ分ほど低い淡い桃色の髪の少女だった。上品な顔立ちで、造花を避けて首をかしげるしぐさが愛くるしい。とてもこんな場末の花街で売春などしているようには見えない。それだけに、リリは彼女の返事に悲しみを抑えきれなかった。


「ええ。貴女みたいな方にしかお売りできないんですよ


 事もなげにそう言い放った彼女は、嬉しそうにリリを見つめている。彼女がどんな思いでそんな表情をしているか、それはリリにはわからなかったが、リリにはその姿がとても健気で痛々しく思えてしまった。少なくとも、自身の多くはない所持金からいくらか渡してしまってもいいと思うくらいには彼女のことが気になってしまっていた。


「そうか。わかった、買おう。いくらだ?」


 建前上とはいえ、女を買うという今までの人生では考えられない経験に言葉が詰まりながらもリリは彼女に伝えた。すると彼女は「それは貴女がお決めになってください」と答える。何やらおかしな話だ。村で下品な男たちが話していた内容によればこういった商売にも大体の相場というものがあるらしいのだが。リリがそう困惑していると、彼女は続けてこう言った。


「貴女の大切にしているものなら、なんでもいいんです」


 リリには最早理解不能だった。それでは商売にならないではないか。しかし、彼女が冗談でそう言っているようにも見えない。何か深い意味のある謎かけでも出されている気分だ。そもそも、大切にしているものなど人によって価値が違うのではないか。ここで金を差し出してしまっては自分の大切にしているものは金だといっているようなものではないかなど思考はぐるぐると堂々巡りしてしまう。


「……では、こういうものでもいいのか」


 考えた末にリリがそういって彼女に見せたのは、一見ただのガラス玉だった。そのガラス玉はリリが旅立つときに国でも特に高名な魔術師からいくつか持たされた守護のお守りである。燃えるような緋色のそれは故郷の寒さを凌ぐ様々な工夫や暖炉の前で微睡みながら母に語ってもらった勇者の冒険譚などの思い出を形にしたもののように思えて、心細くなった時には並べて眺めてみたりして心を落ち着かせていた。そういった意味ではリリの現在の所有物の中では最も大切にしているものであるし、リリ以外の人にとってはあまり意味のないものだ。彼女の意図は理解できないが、もし拒否されたの場合はおとなしくいくらか金を渡して宿に帰ろうと考えていた。


「もちろん、大丈夫ですよ」


 驚くほどすんなりそう答えた彼女はガラス玉を受け取ると、物珍しそうに眺めたり空にすかしたりした。その様子からは魔法のかかった道具であることに気付いているとは到底思えない。


「では、こちらへどうぞ」


 ひとしきりガラス玉で遊んだ彼女は満足したのか、リリにそう告げて路地から外れていった。きっと彼女の仕事場に案内するのだろう。リリは緊張からかゴクリ、と喉をならすと彼女においていかれないようについていく。リリは彼女を買うとはいったが売春をするつもりなどは少しもなく、いくらか金を渡して少し話をするくらいの考えでいた。

 しかし、ガラス玉で春を売るという彼女にペースをつかまれてしまったリリには普段通りの思考はとてもじゃないができなかった。国を救うために旅をしているというプライドも最早何の役にも立たない。むしろそれはこれから年端もいかぬ少女と性交渉をするのだという罪悪感、そして自分自身性交渉の経験がなくどうしたらいいかわからないという焦燥感を増すための一種のスパイスのようにしか機能していない。

 リリが混乱しているうちにも彼女はどんどんと進んでいく。路地裏を抜け、造花で色とりどりに飾られた花街を抜け、気付いたころには街の外れの本当の意味で何にもない場所についていた。灰色の砂しかないそこで彼女は立ち止まる。パキ、と枯枝を踏み抜く音で我に返ったリリはその場で砂遊びを始めた彼女に尋ねる。


「こんなところでするのか?」


 性的な話には全くの無縁といってもよかったリリだが、外でするのはかなり特殊な性癖の持ち主なのだと知っている。まして、それが同性でしかも相手は少女なのだというのだから故郷の法律ならば確実に重罪だろう。「せめて、最初くらいは普通に」と誰にも聞こえないくらいに小さくつぶやいたリリの頭の中にはもう彼女と性交渉をせずに金だけ渡して帰るという選択肢とそもそも女性同士だという事実は消え去ってしまっていた。

 彼女の方といえば、突然悶え始めたリリには目もくれず、砂を掘っている。拳がちょうど収まるほどの深さまで掘られたそれをいくつか作り上げた彼女はようやくリリの方へ振り向いた。


「それでは、これから春をお売りします」


 そう宣言した彼女は、リリから受け取ったガラス玉をいつの間にか手袋をしていた左手に握りこむ。右手では腰にしていたポーチから何か小さなものを取出しその場に放り投げた。そして何やら聞きなれない言葉をつぶやき始める。ここまで来てようやく、リリはこれが大きな規模の魔法の準備であると気付いた。勇者として選ばれたからにはリリにも魔法の素養はそれなりにあったが、これほどまでに大きな規模の魔法は見たことも聞いたこともなかった。


「何をしているの……?」


 自分の理解の範疇をこえた魔法を目の前の少女が突然始めた事実に、ただただ困惑するしかなかったリリはそうつぶやいて立ち尽くした。自分はもしかしたらここで死ぬのかもしれないとさえも予感させられる魔力の動きの前にはそうせざるを得なかった。軽く見られないためにと意識していた男勝りな言葉遣いもどこかへ行ってしまった。

 時間にすると5分程度だろうか。彼女が詠唱をやめると地面に桃色の光を放つ魔方陣が浮かび上がってきた。そのころにはリリも現実離れした光景には幾分か慣れ、逆にもうこれからどんなことが起きてしまうのかとやけくそ気味に期待していた。

 魔方陣が光を失ってすぐ、変化は現れた。彼女が掘っていたいくつかの穴からあるはずのないものが生えてきたのだ。それは確かに芽だった。穴から顔を出した芽は瞬く間に樹といっても差支えのない大きさになるまで成長し、花を咲かせた。その花は彼女の髪と同じ桃色でこの上なく幻想的で美しい。この街、そしてリリの故郷の人々の憧れ。桜の花だった。

 街に入って初めて見る本物の植物に見入っていたリリだが、周りの様子の変化にも気付き始める。豪勢に舞い散る桜の花びらが触れるところから植物が生えてきている。触ってみるとどこか懐かしい土の匂いがする。これもまた本物の植物だ。そう確認したリリの頭の中には先ほどまではなかった使命感があった。何とかして彼女と話をしなくては。

 あたりを見渡せば直ぐに彼女は見つかった。自身の出した桜の木に寄りかかり座ってこちらを見ている。国を救うためにも一刻も早く彼女にこの魔法が何なのかを確かめなくては。そう思いリリは一直線に彼女に向かっていく。


「ねえ、貴女。これはいったいなんなの」


 リリが話しかけると彼女はとても嬉しそうに微笑んだ。


「貴女、本当に大切なものをくれたんですね。私、ここまで大きな魔法はじめてみました」

「回答になってないわ。これはなんなのよ。どうして灰色の街で花が咲いているの」

「貴女にお売りしたものだから、ですが?」


 彼女はさも不思議そうに首をかしげる。そこでやっとリリは少し納得する。今まで勘違いしていたが春を売るというのは如何わしい暗喩などではなく、今現在目の前でおきている酷く現実的ではなく物理的な売買だということか。この魔法さえあれば、故郷を救うことができるのかもしれない。リリがそう考えるのも必然なほど物理的に灰色の街の一角、そこだけは春だった。


「あの、少しいいですか?」


 突如目の前に現れた光明に少し驚き思案していると、その光明自身である彼女から話しかけてきた。


「お名前、お聞きしてもいいですか」

「……私はリリ=サンフラウ。見てのとおり冒険者」

「私、マグノリアと申します。春を売りながら旅をしています」


 マグノリア、と名乗った少女はリリにお辞儀をするとリリの目をみていった。


「もし、よろしかったら。リリさんの旅に同行してもよろしいですか?」


 リリからしたら願ってもない提案だったが、とても気になる点があった。


「私は構わないけど、貴女に何のメリットがあるの」

「それは……」


 マグノリアが目を輝かせながら何かを言おうとした時、くうと控えめだが存在感のある音がそれを遮った。彼女は顔を赤らめると目をそらし困ったように微笑んだ。


「とりあえず、おなかがすきましたし何か食べに行きませんか」

「そうだな。私のとっている宿に戻ろう。まだ食堂があいているはずだ」


 そういって並んで歩き始めた2人。彼女たちの出会いが国だけでなく世界を救う出会いのはじまりだったということを、彼女たちはまだ知らない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ