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第九章 邂逅(1)

 下々が住まう平原が短い春を謳歌している季節、大聖堂(ルシード)の本拠地がある神山はまだ深い雪に閉ざされている。時折遠くで雪崩れの音が聞こえるだけの静謐に包まれ、二人の老人はわずかばかりの寂寞を漂わせていた。

「エドワードが逝ったか」

 椅子に背をもたれて空を仰いだ人物は大聖堂を取り仕切る長老衆の筆頭、アベルである。同じく長老衆の一人であるゼノンは無表情でアベルの独白を聞いていた。

 話題に上っているエドワードもまた、長老衆の一人である。冷え込みの厳しい朝方にひっそりと息を引き取ったエドワードは齢六十を超えており、いつ死を迎えてもおかしくない年齢であった。そしてそれは、エドワードと同年代であるアベルやゼノンにも言えることである。

「狂人より先に逝ってしまったな」

 ゼノンが零した一言により、アベルは久方ぶりにある男の顔を思い浮かべた。その男の名はルーカスといい、彼も長老衆の一人である。

 今から五十年ほど前、大聖堂は赤月帝国を属国とした。だが赤月帝国の軍隊であった白影の里は君主である大聖堂に間者を送り込み、長老衆を脅迫したのである。その方法は様々であったが五人全員が何らかの被害に遭い、なかでもルーカスは妻の腸を体に巻きつけられるという陰惨な目に遭った。そのような脅しが続いた結果、ルーカスは精神を壊してしまったのである。

 狂人となったルーカスは現在でも奥の院で息をしている。その面倒を看ていたのもエドワードであったことを思い出し、アベルはゼノンを仰いだ。

「カロロスはまだ戻らないのか?」

 アベルやゼノンと同様に長老衆の一人であるカロロスは工作のため南方へ出かけている。そろそろ戻るだろうと答えたゼノンはアベルを見据えながら尋ねた。

「聖女はどうする?」

 ゼノンのこの発言には狂人(ルーカス)が絡むある事件が尾を引いていた。

 聖女は大聖堂の掲げる神である天乃王(てんだいおう)の代弁者だが初めから名目のみの存在であり、アベルもゼノンも捨て置いていた。だがある日突然、ルーカスが聖女を殺せと言い出したのである。常軌を逸した狂人の発言だけにアベルは耳を貸さなかった。だがルーカスは聖女の死に固執し、幾度もアベルに迫ったのである。聖女はすでに利用価値に乏しい存在となっていたのでアベルは幾度目かの嘆願の折、ルーカスの望みを受け入れた。だが赤月帝国の一件と時期が重なったため聖女の弾劾は中途で挫折し、現在に至るのである。

 聖女の弾劾に否定的であったエドワードが懐柔したことによりルーカスは大人しくなった。歯止めであったエドワードがいなくなったので再びルーカスが騒ぎ出すのではないかと、ゼノンは言っているのである。アベルは以前から考えていたことをゼノンに告げた。

「カロロスが戻って来たら彼に任せよう。それまではあの女にやらせればいい」

 アベルの言う「あの女」が誰を指しているのか、すぐに理解したゼノンは狐のような顔を不可解に歪める。

「あの女を次代の聖女に据える、ということか?」

「まさか」

 ゼノンの思惑を、アベルは幽かに笑むことで否定した。

 一介の軍人から近衛軍団長にまで特進したヴァイスは、一部の間では次代の聖女に掲げられるのではないかと噂されている。その噂を利用して聖女という役柄を押し付けることでヴァイスの権力を殺ぐのかということが、ゼノンの問いの真相である。しかしアベルには別の思惑があったので口元に笑みを残したままゼノンの疑問に応じた。

「何が目的かは知らないが、あの女は今生の聖女を気にかけている。カロロスが戻るまでの繋ぎとして適当なのではないかと思っただけだ」

「あの女の思惑、それはフリングスのみならず大聖堂の転覆でもあるかもしれないぞ」

 ゼノンが深刻な声音で話題をすり替えたのでアベルは目を細め、先を促した。ゼノンは重く息を吐いてから核心に触れる。

「あの女はカーディナルの長だ」

 カーディナルとは主に大陸の西を拠点とする地下組織である。ゼノンが明かしたヴァイスの素性が予想以上のものだったので、アベルは眉を持ち上げて驚きを示した。

「ほう。では、あの女がサンザニア王家の末裔か」

 サンザニア王国とはかつて大陸の西南に存在していた小国である。カーディナルを指揮している者はこの亡国の末裔であると噂されているためアベルは単純にそう思ったのだが、ゼノンは頭を振った。

「確かに、カーディナルを作ったのはサンザニア王家の末裔であるようだ。だがあの女はサンザニア王家とは何の関わりもない」

「……どういうことだ?」

 驚きから一転し、アベルは眉根を寄せる。ゼノンは順を追って説明をした。

 まずフリングスの勢力拡大とともに亡国となったサンザニアを復興するべく、王家の末裔であった者がカーディナルという地下組織を創生した。だが当時のカーディナルは弱小勢力にもならない組織であり、それを現在の一大組織としたのはサンザニア王家とは血のつながりがない参謀なのである。

「ヴァイスはその参謀の弟子らしい。言わば部外者であるあの女はカーディナルを乗っ取ったのだ。そして血の繋がりがないにも関わらず、あの女はサンザニア王家の末裔と称している」

 ゼノンが語った真実は奇怪であり、アベルは考えを巡らせながら疑問を口にした。

「あの女は何がしたいのだ?」

 ゼノンはヴァイスの目的を探ると意気込んでいた。だがゼノンの頭脳を持ってしても判明したのは事実だけのようであり、アベルはゆっくりと首をひねる。しかしいくら推測を重ねてみても、アベルにはヴァイスの目的が解らなかった。

「解らないのであれば本人に聞けばいい」

「正気か?」

 アベルの発言が率直すぎたためゼノンはおもむろに驚いた顔をした。ゼノンの狐顔を見たアベルは「狐と狸の化かし合い」という言葉を思い出して人知れず含み笑いを浮かべる。

「ああ。動き出す前に憂慮は取り除いておかなければならない」

 アベルが豪胆な態度に出てしまえばゼノンに進言する言葉はない。まだ少年であった頃、ゼノンはアベルのそうした思い切りの良さに惚れこんでしまったのであった。









 大陸の西北に位置するビルを出た後、一行はイレースという町に立ち寄った。この町はビルの南に位置する西海に面した場所にあり、フリングス領である。一行がこの町を訪れた目的は馬を返却することであった。

 一行はフリングス領の東南に位置するティレントという町で早馬を賃借り(レンタル)した。借りた場所に戻すことが基本ではあるが早馬に関しては商業組合があるので、追徴金を払えば組合に加入している領内の別の場所でも返却が可能なのである。日数と距離に基づく追徴金を支払ったコアは軽くなった財布を一瞥した後、マイルを振り返った。

「お前、俺に協力するっつったよな?」

 突然話を振られたマイルは眉根を寄せながらコアを見る。コアはスカスカの財布をマイルの目前に提示した。

「この通り金がねえんだ。今後しばらくの旅費、よろしくな?」

 マイルは妙な表情をしたがコアは一方的に押し付けるために返事を聞かなかった。さっさと歩き出すコアに慌てて取り縋り、マイルは忙しなく口火を切る。

「待て、金はない」

「つれないこと言うなよ。たまには出してくれたっていいだろ?」

「そうじゃなくて……本当に手持ちがないんだ」

「……マジで言ってんのか?」

 マイルの声音が真剣だったのでコアはふざけた調子を改めた。マイルは懐から財布を取り出してコアに提示したが、彼の財布にもわずかな小銭しか入っていない。

「なんだこの有り様」

 自分のことは棚に上げ、コアはマイルに迫った。ないものはないのだと、マイルは首を振る。

「ビルで物を壊したからな」

「ってことは、本当にないのか?」

「ない」

「換金出来そうな物は?」

「それもない。換金出来そうな物と言えばお前が持っている武器くらいじゃないか?」

「冗談じゃねえ!」

 値踏みするようなマイルの視線から逃れるためコアは勢いよく後退した。だがマイルから逃れたところで金がないという事実は変わらない。

「……窮地(ピンチ)だな」

「……まいったな」

 妙案も思いつかず、コアとマイルは途方に暮れて立ち尽くした。

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