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第八章 英雄と呼ばれた男(11)

 リリィとクロムは四頭の馬と共にビルの北にある林に避難していたが、コアが迎えに来たのでビルに戻ることとなった。のんびりと馬を歩かせながらの道すがら、リリィはコアに声をかけた。

「ねえ、海に行ってきてもいい?」

 ビルは西海に面した村であり、近辺には潮の香りが漂っている。山育ちのリリィは間近で海を見たいと思ったのだが、ささやかな願いはコアによって一蹴された。

「北方でも見ただろ?」

 北方独立国群へ赴いた折、確かにリリィは海を初見した。だが北方の時は断崖の上から遠巻きに眺めただけであり、リリィとしては触れるほどの距離で海を見たかったのである。コアの味気ない反応にリリィが唇を尖らせているとクロムが容喙した。

「いいじゃないですか。今日はビルに泊めてもらうんでしょう?」

 コアは「余計なことを」と言わんばかりに嫌そうな表情をつくり、クロムを振り返った。

「お前も行きたいとかぬかすのか?」

「僕はいいです。何度も見てますから」

 先に戻っていると言い置き、クロムは四頭分の手綱を引いて去って行く。コアが不機嫌そうな空気を醸し出していたのでリリィはさりげなく声をかけた。

「一人で行くから先に帰ってていいわよ?」

「土地勘もないくせに何言ってやがる。浜辺に行く道だって分からないだろ?」

「……分からない」

 正直に頷いたリリィを呆れたような顔つきで見たコアは大きくため息を吐いた。

「少しだけだぞ」

 嫌々ながらもコアが歩き出したのでリリィは少し後方から追った。ビルに着いてもマイルの姿がないことに思いを及ばせたリリィはコアに尋ねてみる。すると、コアは事も無げに答えた。

「各所に謝りに行ったり壊した物直したり宿の手配してたり、まあ色々だな」

「そ、そう……」

 直接現場を見ていなくともコアとマイルが派手に暴れたことは容易に想像がつき、リリィは口元を引きつらせた。コアが話を長引かせず黙々と歩を進めたのでリリィは真顔に戻って口火を切る。

「……ねえ」

「何だ?」

 コアが振り返らなかったのでリリィは躊躇したが結局、話を始めた。

「コアは、あの耒って子の腕がなくなっちゃったこと……悪いと思ってるのよね?」

「まあな。俺が初めから殺すつもりで相手してりゃ、少なくとも耒の腕が落とされることはなかった」

 そこで言葉を切り、コアは足を止めてリリィを振り返った。コアの視線に晒されたリリィは足を止めて立ち尽くす。

「お前、何が言いたいんだ? もっと分かりやすく伝えろよ」

 怪訝そうに眉根を寄せているコアの言葉には飾り気がなく、リリィは息を吐いてから真意を口にした。

「悪いと思ってるのにどうして普通に話が出来るのかなって、思っただけ」

「そりゃお前、気にしてても仕方ねえからに決まってんだろ?」

 あっさり断言してみせるコアの顔には罪悪感など微塵も浮かんではいなかった。尋ねる相手を間違ったと痛感したリリィは呆れ果てる。

「簡単ね」

「ああ、簡単なことだ。お前はどうして難しく考えるんだ?」

 嫌味のつもりだったのだがコアに問い返されてしまったのでリリィは考えに沈んだ。しかし明確な答えを見つけられず、リリィは小さく首を振る。

「物事には優先順位ってもんがある。お前はそれが定まってないから迷うんだ。いいかげん決めとけや」

 素っ気なく言い置き、コアは再び歩き出す。コアの優先順位一位は絶対に自分であると確信しながらリリィは後を追った。

 集落を迂回する形で西へ進んだリリィとコアは砂浜に辿り着いた。浜辺に先客の姿を認めた途端、コアはリリィの腕を引いて茂みに身を隠す。茂みに引きずりこまれた形のリリィは不審を露わにしながらコアを仰いだ。

「何で隠れるの?」

「文句言われそうだからだ」

 コアの答えに納得がいかないながらもリリィは砂浜に腰を下ろしている茶褐色の髪をした少女に視線を転じた。(すずめ)は一人で海風に吹かれていたが、やがて集落の方から姿を現した隻腕の少年が彼女の傍へ寄る。雀は(るい)を一瞥した後、再び海の方へ顔を戻した。

「ごめんね、雀」

 潮騒に消されてしまいそうな耒の声は風に乗ってリリィ達の元へも届いた。雀は耒を無視するかのように海を見据えていたが会話には応じた。

「あなたに謝られる覚えはありません」

 雀の口調は未だに鋭く、発言の内容も耒を突き放すようなものであった。しかし耒はめげず、少し距離を置いて雀の隣に腰を下ろそうとする。隻腕となって日が浅い耒には座るという簡単な動作すら一苦労のようで、彼はしりもちをつくような姿で腰を落ち着けた。雀は不恰好な耒の姿を目で追っていて、立ち去るような気配はない。浜辺に座り込んだ少女少年は、しばらく無言で風に吹かれていた。

「私は、まだあなたを許したわけではありません」

 顔は海の方へ固定したまま、やがて雀から口火を切った。静かな言葉には雀の憤りが表れていて、耒は彼女の方へ顔を傾ける。しかし耒は何かを言うことも頷くこともせず、雀の横顔を一瞥しただけで視線を外した。彼らの会話は再び途切れたがどちらも立ち去る気配はない。そこでコアが立ち上がったのでリリィも密かにその場を立ち去った。

「若いな」

 身を潜ませていた茂みから少し歩いたところでコアが年寄りのような独白を零した。盗み聞きの罪悪感を抱いていたリリィは呆れながらコアを見る。リリィの視線に気がついたコアはからかうような笑みを浮かべた。

「お子様のお前にはまだ理解できねーか?」

「……どういうことよ」

「親に決められた婚約者でも馬が合うこともある。耒も生真面目なとこがあるからな」

「どういう意味?」

「お似合いだって言ってんだよ」

 コアはその一言で話を終わらせたがリリィには理解が及ばなかった。リリィが眉間に皺を寄せたままでいるとコアは小さく肩を竦めながら話を続ける。

「お前も年頃の娘だろ。恋でもしてみたらどうだ?」

 コアの口からあまりにもそぐわない単語が出たのでリリィは本気で身を引いた。リリィの大袈裟な反応を見たコアは不服そうにしながら口を開く。

「何だその反応。俺がとてつもなく奇妙なことでも言ったみたいじゃねーか」

「……言ったわよ」

「あ? 何だって?」

「そんな余裕がないって言ったのよ」

 リリィは息を吐きながら小さく首を振った。故郷を失った日から真実を知りたいという一心が胸を占めてきたのでリリィは恋愛という感情を知らないのである。先程のコアとの会話を思い出したリリィはこれが優先順位なのかと納得したが、コアは怪訝な面持ちで首を傾げた。

「恋愛ってやつは余裕がないと出来ないのか?」

「な、何で私に訊くの?」

 そういったことはコアの得意分野ではないのかと、リリィは率直に尋ねた。リリィが冗談ではなく言っていることを察したコアは大袈裟に苦笑して見せる。

「俺のこと誤解しすぎだろ」

「……どういうこと?」

「恋愛の機微ってやつは難解でな。俺には理解が及ばねえ」

「恋愛のキビ……って何?」

「奥ゆかしさとか、そんなもんか? 俺よりカレンの方が詳しそうだぜ」

 カレンはリリィと同郷の少女である。コアはカレンと面識はあるが決して親しい間柄ではないのでリリィはひどく違和感を覚えた。

「何でそこでカレンが出てくるの?」

「あの嬢ちゃんは立派に女だぜ。見習え……とは言えねーな」

 コアが一人で納得して勝手に苦笑しているのでリリィは心底理解に苦しんだ。リリィの困惑を察したコアは笑いを収めて真顔に戻る。

「ところで、さっきの話だけどよ」

 ころころと空気が変わるのでリリィにはコアが何を言っているのか解らなかった。だがコアは気にした素振りもなく一人で話を続ける。

「俺は、マイルはもう吹っ切れてんじゃないかと思うんだが」

「……え?」

緑青(ろくしょう)のことだよ」

 コアの口から想定外の名を聞いたリリィは一瞬にして鼓動が早くなったことを感じた。狼狽を悟られないように表情を消し、リリィはコアを見据える。

「そう、思う?」

「一目瞭然。何がきっかけで割り切ったのかは知らないが、お前だってマイルの晴れ晴れとした顔見てんだろ?」

「でも……単に機嫌がいいだけかもしれないじゃない」

「いいや、そんな生易しいもんじゃねえ。あいつは恐ろしいくらいに豹変したぜ」

 コアが必要以上に力説するのでリリィは不審に思って眉根を寄せた。コアは禁忌に触れたように深刻な表情で話を続ける。

「金の亡者みたいな男が無償で動くとか言い出すは、合理を好む奴だったのが武闘派みたいなこと言うは、挙句の果ては素直ときたもんだ。気味わりいったらありゃしねえ」

「……ちょっと言いすぎじゃない?」

 本人がいないとはいえあまりの言われ様だったのでリリィは苦笑した。コアは少し表情を改め、一つ咳払いをしてから言葉を続ける。

「それに、まだ引きずってたらビルになんか来ねえよ。それが耒のためであってもな」

「そう、かな?」

 耒が凶刃に倒れた時、マイルはひどく取り乱していた。マイルは耒のことを家族のように思っている節があるのでリリィは疑念を拭えなかったがコアは確信があるように頷いて見せる。

「そんなに疑うならマイルに直接訊いてみろよ」

「……それはちょっと……」

「お前も開き直れ。図太く生きろ」

 コアの言葉はいつも、最後は極論である。だがコアの持論には安易に聞き流してはならないと感じさせる要素もあり、リリィは複雑な思いでため息をついた。

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