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第八章 英雄と呼ばれた男(10)

 マイルや(るい)の故郷であるビルは大陸の西北に位置している。西の大国フリングス領を抜けた一行はビルに辿り着いたのだが、その入口で立ち往生していた。理由は、よそ者を村に入れるわけにはいかないと村人に一蹴されてしまったからである。耒の素性を明かしてみても村長の子は死んだことにされているらしく、村人達の怒りを買っただけであった。

「どうすんだよ? 耒の父ちゃんに会えなきゃ埒が明かないぜ」

 マイルは何か術がないかと考えを巡らせていたがコアが放った一言により覚悟を決めて顔を上げた。

「強行突破するしかないな」

 平素は合理を好むマイルが過激な発言をしたことでリリィ、クロム、耒は驚きを露わにした。コアだけは楽しそうな笑みを浮かべ、軽く口笛を吹く。

「いいねえ、その単純明快な考え方。協力するぜ」

「村人は間者か技術者のどちらかだ。間者をしている者がどれだけいるか分からないが、頼む」

 コアに頭を下げた後、マイルはあ然としているリリィとクロムを振り返った。

「リリィとクロムは隠れていてくれ」

 村から北へ行くと林がある。そこに身を隠してもらいたい旨をリリィとクロムに説明した後、マイルは耒に顔を向けた。

「耒は俺が負う。傷が痛むかもしれないが我慢してくれ」

「マイル……本気ですか?」

「本気だ」

 驚きを収めきれない耒に短く返し、マイルは荷物から縄を取り出した。縄をコアに渡し、マイルは耒に背を向けてしゃがみこむ。

「お前達は早く行け」

 まだ放心している様子のリリィとクロムを追い立てた後、コアは耒に声をかけた。

「お前も早く乗れ」

 耒は肚を決めかねている様子であったが唇を結んで頷き、左腕をマイルの首に回す。耒を背負ってマイルが立ち上がったところでコアは縄を括りつけた。

「痛むか?」

 真っ直ぐに前を見据えたまま、マイルは背中の耒に声をかけた。耒からは曖昧な返答しかなかったのでマイルは口調を明るくして言葉を紡ぐ。

「こんな無茶は久しぶりだ。振り落とされないようしっかり掴まっていてくれ」

 耒が苦笑した気配を感じ取ったのでマイルは笑みを収めてからコアを見た。剣が鞘から抜けないよう紐で固定していたコアはマイルに視線を返しながら頷いて見せる。

「いつでもいいぜ」

 コアがそう言ったのでマイルは村を目指して走り出した。コアは並走より少し遅れる形でマイルの後を追う。

 ビルでは火薬がある蔵にしか見張りがいないので村の入口は無人である。明らかに部外者と思われる者達が村内を走り抜けているので、すれ違う村人たちはあ然としていた。やがて腕の立つ者が現れ始めたがコアにあしらわれ、屈強な者達も次々と姿を消す。コアに任せておけば大丈夫との安心感があるので、マイルは背後を気にせず村長の家を目指した。

「マイル、そこを左に」

 T字の分かれ道を前に耒の指示が飛んだ。マイルは口元に笑みを浮かべながら突き当りを左に駆け抜ける。しかし曲がった先で、マイルは足を止めた。

 村長の家へと続く細い道には武器を手にした間者達が待ち構えていた。彼らは侵入者を捕らえようと動き出したが後方から来たコアが立ち止まっているマイルを追い抜いて行き、群がる者達を薙ぎ倒していく。後ろからも人の声が迫っていたのでマイルは肚を決めた。

「耒、しっかり掴まっていろ」

 肩に回されている耒の手に力がこめられたことを受け、マイルは再び走り出した。

「コア!」

「おう! 行ってこい!」

 マイルの行く手を遮ろうとしていた者を蹴り倒し、コアは不敵に笑う。地面にはコアに倒された者達が転がっていたのでマイルは跨ぎながら細い路地を抜けた。竹林に囲まれている茅葺屋根の家に辿り着き、マイルは玄関を蹴破って侵入する。

「真っ直ぐ行って突き当たりを左に曲がると父の部屋です」

 耒の指示に耳を傾けながらマイルは長い廊下を疾走した。屋敷の内部は静まり返っており、襲ってくる者がいるような気配はない。だが襖を蹴破った刹那、マイルの目前で刃が閃いた。

「止まりなさい」

 白刃を向けてきている者は赤褐色の髪をした小柄な少女であった。少女の声は冷えきっており、動いたら殺されると察したマイルは大人しく立ち止まる。

(すずめ)……」

「ここは長の屋敷です。部外者は出て行きなさい」

 マイルは何とか説得をしようと試みたが雀の態度は取り付く島もない。為す術なく唇を噛んだマイルに代わり、耒が口を開いた。

「マイル……下ろしてください」

 耒の声で我に返ったマイルは彼の意向に従った。耒の両足を抱えていた腕を解放し、マイルは縄の結び目に指をかける。しかしきつく縛られた縄は解けず、マイルは腰に差している小刀で縄を切った。己の足で立った耒は未だ白刃を突き付けている雀に向かう。

「雀」

 雀に呼びかけた耒の声音はひどく静かなものであった。しかし雀は眉一つ動かさず、マイルに向けていた白刃を耒の方へ傾ける。

「あなたに気安く呼ばれる覚えはありません」

「雀、僕は……」

「出て行きなさい。掟は承知しているはずです」

 雀の冷淡な態度を崩すことが出来なかった耒も為す術なく口を噤む。口を開く者がいなくなったことでその場を重い沈黙が支配したが、やがて屋敷の奥から足音が聞こえてきた。

「何の騒ぎだ!」

 室内の奥にある襖を苛立たしげに開いて姿を現した男を長であると確信したマイルは一歩を踏み出そうとしたが雀に制された。初老の域にさしかかった男は蹴破られた襖を怪訝そうに見た後、雀を見据えて口火を切る。

「雀、これは何事だ」

 村長に険しいまなざしを向けられた雀は言葉に窮して刃を下ろす。再び静寂に包まれた室内に一石を投じたのは耒の独白であった。

「父上……」

 謂れのない言葉であったのだろう、村長は怪訝そうに耒を見た。しかし肉親の顔は忘れないものであるのか、耒の顔をよくよく見た村長は瞠目する。

「耒、なのか?」

「……はい」

 顔を俯けて跪こうとした耒は均衡(バランス)を失って畳に伏した。左手一本で起き上がろうとしている耒の姿にハッとし、マイルは慌てて駆け寄る。

「耒、大丈夫か」

「はい。 ……すみません」

 マイルに助け起こされた耒は座り直してから父親を見上げた。呆然と立ち尽くしていた村長は真っ直ぐに向けられた視線で我に返ったように耒の傍へ寄る。

「その体はどうした。いや、その前に生きていたのか」

 村長が困惑した様子で耒に声をかけたのでマイルは畳に頭をこすりつけた。

「申し訳ございません。耒がこのような体になったのは私の責任です」

「待て、順を追って話をしろ」

 村長の言葉をもっともだと解したことで冷静さを取り戻したマイルは簡潔に成り行きを説明した。村長は黙ってマイルの話を聞いていたがやがて立ち上がり、俯いている雀に向かう。

「父上?」

 耒が不安げに顔を傾けた刹那、村長の手が雀の頬を張った。

「父上!!」

「長! やめてください!!」

 即座には動けない耒に代わってマイルは村長を押さえつけた。村長は自身を拘束している手を振り払い、マイルを睨み見る。

「私を長と呼ぶということはお前も村を出た者か」

 突然矛先を向けられたマイルは言葉に窮し、頷くだけで返事とした。しかし村長はマイルを咎めることはせず、再び雀に問う。

「雀、耒が事故で死んだと言ったのはお前だったな?」

 村長の抑揚のない言葉を、雀は叩かれた頬を押さえながら聞いていた。雀が閉口していることを咎めるように村長は言葉を続ける。

「どうして嘘をついた? 説明しろ」

 村長に叱責を浴びせられた雀は直立に戻ったが俯いたまま口を開こうとはしなかった。しばらく重苦しい沈黙が続いた後、雀は意を決した様子で顔を上げる。しかし口を開いたのは耒の方が先であった。

「僕が、頼みました」

「……何?」

 村長が険しい面持ちを耒に向けた時、雀は瞠目していた。マイルは雀の表情から耒の嘘を悟ったが黙したまま成り行きを見守った。

「村長の子が村を捨てたと言われるのは聞こえが悪い。だから死んだことにしてくれと、僕が雀に言ったんです」

 村長である父に謝罪の意を示すべく、耒は不自由な姿で畳に頭を近づけている。だが耒を見る村長の目は変わらない険しさを宿していた。

「一度は村を捨てたお前が再び戻って来たいと言うのか?」

「それは……」

 言葉に詰まった耒は顔を上げることが出来ないでいた。見兼ねたマイルは再び土下座をし、村長に懇願する。村長は眉根を寄せて腕を組んだがその表情は思案からくるものではなく、村長はマイルの哀願を一蹴した。

「それは出来ない」

「長!」

 思わず声を荒げたマイルは村長に縋った。だが村長は無表情のまま耒に視線を転じる。

「村長が掟を破れば皆に示しがつかない」

「そんなこと言ってっとフリングス辺りに滅ぼされちまうぜ」

 不意に第三者の軽い声が響き渡ったのでマイルは慌てて顔を傾けた。

「コア!」

「よ。勝手に邪魔したぜ」

 その場にそぐわない明るい雰囲気を纏いながらコアは片手を上げて見せる。マイルは頭を抱えたくなり、立ち上がってコアの傍へ寄った。

「いいから少し黙っていてくれ」

「どう見たって話が行き詰ってんじゃねーか」

 どれほど小声で会話をしても静かな室内では丸聞こえであり、村長が鋭い口調で容喙した。

「フリングスに滅ぼされるとはどういう意味だ」

 食いついたと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべ、コアはマイルを押し退けて村長と対峙する。コアを諌めることを諦めたマイルは口を噤んで視線を傾けた。コアは笑みを浮かべたまま村長に向かって話し始める。

「ウィレラが瓦解した今、間者同士の横の繋がりはなくなった。これは後ろ盾を失ったも同じことだよな? っつーことは、ビルみたいな村単位のところはどこぞの国に組み込まれるしかない」

「独立を守るという選択肢もあるはずだ。従属することを仮定しての話し合いに応じる気はない」

「白影の里の二の舞になるぜ?」

 コアの言葉は村長の心を揺るがせたようであった。村長が言葉に詰まったことを察したコアは寂静の笑みを浮かべる。

「まあ、ああいう昔気質な滅び方は見栄えがいいわな。後世には語り継がれるかもしれないが、それでいいのか?」

 苦渋の表情を浮かべた村長はコアにはっきりと首を振って見せた。

「滅びるなど冗談ではない」

「気が合うな。俺も同感だ」

 そこで提案があると、コアは付け加えた。コアの態度には掴み所がないので村長は胡散臭そうな表情をする。

「お前は一体何者だ」

「こいつは失敬。俺はコアってもんだ」

 コアの名だけでは得心がいかなかったようで、村長は眉根を寄せる。好機だと思ったマイルは横からそっと、村長に囁いた。

「長、軍神の申し子と呼ばれた男です」

「何!? それは本当か!」

 コアは異名の方が通っているので村長は驚きを露わにした。村長の反応を見たコアは軽くマイルをねめつける。

「調子いいこと言いやがって」

 村長の傍を離れたマイルはコアの文句を聞き流し、話を続けるよう促した。コアは渋々といった表情で話を続ける。

「ビルが独立を保てる方法が一つある。俺はそいつを耒に話した」

「それは……耒を受け入れろということか」

 途端に渋い表情になった村長は返答を躊躇った。コアは大きく頷き、村長を諭すように言葉を紡ぐ。

「古いしきたりを重視して滅びちまうか、しきたりを捨てて独立の道を模索するか。この二つは相容れないな。選ぶしかねえんだよ」

 話を終えたコアは口を閉ざした。選択を迫られた村長は苦悶の表情を浮かべて空を仰ぐ。だがしばらくの沈黙の後、村長は耒を見据えた。

「……耒」

 父親の呼びかけに短く応え、耒は次の言葉を待っている。村長は真っ直ぐに耒を見つめていたがやがて息を吐き、答えを口にした。

「戻って来い」

 快くとはいかないまでも村長が耒を受け入れてくれたのでマイルは密かに安堵の息をついた。

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