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第八章 英雄と呼ばれた男(9)

 (るい)の熱が下がるのを待ち、一行はティレントの町を後にした。大陸の西北に位置するビルまでは馬での移動となり、耒の他は一人一頭という割り当てである。野花咲く平原を馬で進みながらコアは前に乗る耒に声をかけた。

「平気か?」

「はい。すみません、ご迷惑をおかけして」

「何言ってやがる。お前がそんなになったのは俺のせいだろうが。変な気遣いしてんじゃねーよ」

 歩く時、人間は両腕を振ることで均衡(バランス)をとっている。隻腕となって間もない耒には普通に歩くことすら難しいはずであり、コアは馬での移動を提案したのであった。そしてまた、耒の「すみません」には金銭的な事情も含まれていることをコアは察している。しかし耒には誰かを責めるつもりはないようで、あくまで殊勝な態度を崩さなかった。

「いえ、僕の力が及ばなかっただけです」

 耒の反応には出来すぎた感があり、コアは深々とため息をついた。

「ったくよ、とんだお人好しだな。恨み言の一つでも言えば可愛げがあるってもんだぜ」

「相変わらずですね」

 朗らかに笑う耒からは悲観している様子は窺えない。コアは真顔に戻り、耒に真意を訊ねた。

「間者として生きられない体にしちまったってのに怨んでないのか?」

「僕が自分の意志で行動した結果ですから。悔いはありません」

 淡々と語る耒の言葉は半分が本当であり半分は嘘だと、コアは思った。だが追尋しても仕方がないのでコアは表情を改めてマイルに視線を傾ける。

「お前、ずいぶん愛されてんな」

 コアの馬と並走していたマイルは苦笑しただけで何も言わなかった。耒がおかしそうに笑ったのでからかうのをやめ、コアは再びマイルに話しかける。

「ところで、あの嬢ちゃんは何て言ってたんだ?」

 ビルという小さな村は、一度村の外に出た人間を排斥する。耒が村に戻ることは考えるまでもなく困難であり、マイルは雀に口添えを頼みに行ったのだった。しかしコアの問いに対し、マイルは困ったように苦笑して見せる。

「一蹴された」

「おいおい、大丈夫なのかよ」

「何とかするしかない」

 マイルの大雑把な返答にコアは呆れた。無言で馬に揺られている耒の後頭部に視線を転じ、コアは再び耒に問う。

「っつーか、耒はそれでいいのか?」

「ビルに戻ることですか?」

 上半身を傾けても顔を合わせて話をすることは無理であり、耒は諦めて前を向いた。コアは頷きながら言葉を返す。

「ああ。捨てたってことは、何か事情があったんだろ?」

「込み入った事情ではありません。村を出たのは僕の、わがままです」

「わがままかよ」

 それではいくら雀を説得しても受け入れてくれるはずがないと、コアは空を仰いだ。このままビルへ行ったとしても古いしきたりを変える可能性は低い。ビルに拒絶されてしまえば耒に行き場はなく、そうなるとコアとしても心にしこりを残すことになる。

「……マイル、先行け」

 コアの言葉が唐突だったのでマイルは訝しげに首を傾げた。だが説明は加えず、コアはニヤリと笑う。

「ちょっと耒と密談するわ」

 密談の内容を耒以外の者が知っていると情報に価値がなくなってしまうので、コアはマイルを追い立てるために手綱を緩めて馬の速度を落とした。







 春風を一身に受けながら馬を歩かせていたリリィはマイルが追いついてきたので顔を向けた。

「コアは?」

「耒と密談をするらしい」

 マイルが後方を指したのでリリィは馬上で体を捻る。振り返ると声の届かない場所にコアの姿があり、リリィは体を元に戻した。マイルはクロムに視線を傾け、何気なく声をかける。

「巧いもんだな」

 リリィやマイルより少し前方にいたクロムは振り返り、声を掛けられたのが自分であることを察すると馬の速度を緩めた。そういった簡単な動作でも馬を扱うことに慣れていなければ難しいことを知っているリリィは思わず嘆息する。

「クロムって意外と何でも出来るよね」

「何の話ですか?」

 話の趣旨が伝わっていない様子でクロムは首を傾げた。マイルが笑いながら説明を加える。

「クロムは馬に乗れないかと思っていた、そういう話だ」

「ああ、そういう話ですか」

 クロムは苦笑した後、ラーミラとの旅路で一通りのことは経験したのだと語った。カナリア色のショートボブを風になびかせながらラーミラが馬を繰る姿を想像したリリィは似合いすぎると胸中で呟いた。

「マイルさんは何年ぶりの帰郷ですか?」

「そうだな……十年ぶりくらいになるか」

 クロムの問いに答えるマイルが落ち着いて見えたので、リリィは初めてビルのことを訊ねてみた。

「ビルってどんな所なの?」

 クロムと話をしていたマイルはリリィに視線を戻し、懐かしむような表情を見せながら淡々と話を始めた。

「西海に面した小さな村だよ。火器を作り出す前は漁をしながら暮らしていたらしい」

 自然を相手にした生活は不安定なものである。いつからかビルは火器を作り始め安定した暮らしを手に入れたのだと、マイルは語った。

「人間を殺めることは金になる。豊かな生活を望んだ結果とはいえ、俺は好きになれなかったな」

 マイルが故郷を捨てた理由に共感しながらもリリィは複雑な思いを抱いた。争いは、哀しく愚かな行為である。世間に触れるようになってからリリィはずっと、争いを忌み嫌ってきた。だが捨山での出来事を通して貧しさが辛酸であることを痛感したリリィには争いを責めることが出来なくなっていた。

 人間同士が争うことには理由がある。理由がある以上、争いはなくならない。感情的に嫌うだけではどうにもならない現実をこれまでの旅路で嫌というほど突きつけられているリリィは自然と呟きを発した。

「人間が争わずに生きるには、どうしたらいいのかしら」

 リリィの独白は答えを求めたものではなかったが、マイルとクロムは興味を示した。

「争いがなかった時代に戻す、というのが一番手っ取り早いか?」

 マイルは笑いながらクロムに同意を求め、クロムは苦笑しながら話に応じる。

「文明を放棄して生産のなかった時代に復古するということですか。極論ですね」

「一部なら可能かもしれない。だが世界全ては無理だな」

「人間の精神は発達しています。それを原始に戻すことは不可能ですよ」

 マイルとクロムは楽しそうに会話していたが、その内容はリリィには難解すぎる代物であった。ひたすら首を傾げるしかないリリィに気がついたマイルが苦笑を浮かべる。

「クロム、別の方法はないか?」

「そうですね……」

 リリィに目を留め、クロムは分かりやすい例を探しているようであった。しばらくの沈黙の後、クロムは常には見られない神妙な表情で口火を切る。

「唯一神が人間を支配する、というのはどうですか?」

「クロム……それこそ復古の極論だ」

 マイルは呆れたような声を出したがふと、真顔に戻った。

「……そうか。愚者が神であるのならそういうことも可能か」

 十人十色である人間が主体となる復古は長い歳月をかけても不可能に近い。だが人間が太刀打ち出来ないほど強大な力を持つ神であれば、時をかけずに復古を成し遂げるであろう。そう語ったマイルの言葉に、リリィは陸の孤島で出遭った女の姿を思い浮かべていた。

(あの人が神?)

 リリィは考えを巡らせてみたが、霧深い孤島で無為に歌っていた女の姿は神と重ならなかった。

「リリィは、愚者が神になると思うか?」

 リリィは唯一、愚者と思しき者と言葉を交わしている。マイルがそのために問いを投げかけてきたのだと察したリリィは確信のような感覚を抱きながら首を振った。

「あの人は、そういうことを考えているようには見えなかった」

「そうか。彼らは何をしたいんだろうな」

 マイルの言葉を聞き、リリィは初めて愚者の存在意義に思いを及ばせた。だが人間では有り得ない者達の思考を推察することは無理難題であり、リリィは諦めて首を振る。

「何だ? 盛り上がってんな」

 それぞれが思案に沈んだ場の空気を破ったのはコアの軽い声であった。マイルが顔を向け、コアと耒を一瞥して口を開く。

「密談は終わったのか?」

「おうよ。さっさとビルに行くぞ」

 歯を見せて笑い、コアは馬腹を蹴る。コアと耒を乗せた馬は見る間に遠ざかって行き、マイルがため息を吐いた。

「置いて行かれるな。急ごう」

 そう言い置いたマイルも馬を走らせたのでリリィは手綱を握り直してから馬腹を蹴った。

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