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第八章 英雄と呼ばれた男(8)

 明かりのある場所へ移動するとコアが血にまみれていることが露わになった。コアからは強烈な血の臭いが放たれていて、リリィは吐気を覚えながら距離をとる。しかし傷を負っている本人は平然とした様子で椅子に腰かけた。

「傷薬とか水とかくれ」

 コアがそう声をかけたのはこの小屋に住んでいるクラリスである。クラリスはコアの横柄な態度に呆れたような顔をしながら腰に手を当てる。

「まったく、怪我人の多い日ね」

「クラリス、すまないが……」

 マイルが申し訳なさそうに容喙するとクラリスは爽やかな笑みを浮かべた。

「分かってる。何もしないでいると気が滅入るからちょうどいいわ」

 サイゲートが去ってから沈んだままのワイトに空の桶を持たせ、クラリス自身は室内を漁り出す。自身でも言っていたようにクラリスが明るく振る舞おうとしていることを感じたリリィは気分の悪さも伴って気が滅入りそうになった。

「おい、リリィ」

 コアに呼ばれたので顔を向け、しかしリリィは反射的に目を背ける。自分の負った傷は見ることが出来ても他人の傷口を見せられることは苦痛であり、リリィはコアを見ぬまま口を開いた。

「何?」

「何、じゃねえ。お前が手当てしろ」

「はあ?」

 素っ頓狂な声を上げ、リリィは思わずコアを振り返った。だが血だらけのコアを目にし、リリィは目を伏せながら文句を零す。

「どうして私がやらなきゃいけないのよ」

「お前、血見るの嫌いだろ? だからだよ」

 痛いところを的確に指摘されたリリィは唇を結んだ。だがコアはリリィの態度には無関心な様子で容赦なく衣服を脱ぎ捨てる。

「傷は胸元と右腕か?」

「あと左の太腿だ。焼いたから出血は止まってるが爛れると厄介だからな」

 マイルとコアの会話を耳にしたリリィは恐る恐る視線を戻した。そこで目にした光景に、リリィは嫌悪感も忘れてあ然とする。衣服を脱ぎ捨てたコアの体は真新しいものに限らず傷だらけであった。

「何だよ?」

 リリィの視線に気がついたコアは不服そうな表情で問う。絶句しているリリィの代わりにマイルが口を開いた。

「その傷じゃないか?」

「傷? ああ、珍しいのか」

 自分の体を見下ろし、コアは得心したように頷く。コアもマイルも平然としているだけにリリィは気味が悪いと思った。

「その傷って……」

「戦場に出て無傷なんて有り得ないだろ。いいから、早く消毒しろ」

 コアが偉そうな態度のまま右腕を差し出したので平静に戻ったリリィはムッとした。

「はい、化膿止めの薬草」

 クラリスに差し出された薬草を受け取り、リリィはコアの傷口めがけて力任せに叩きつける。コアは悲鳴を上げて腕を振り払った。

「静かにしてよ。(るい)が休んでるんだから」

 痛がるコアに向けてしれっと言い放つクラリスにリリィは好感を抱いた。コアは顔を歪めながら傷口に息を吹きかけていたがふと、真顔に戻ってマイルを振り向く。

「そういえば、耒はどうした」

 マイルは力なく、ただ首を振った。マイルの様子を見たクラリスが説明を引き受けてコアに向かう。

「命に別状はないわ。腕は、戻らなかったけど」

「……そうか」

 重い息を吐いた後、コアは耒がいる別室の方へ視線を傾ける。コアの動作を目で追っていたクラリスが何かに気がついたようにマイルを振り返った。

「そういえば、あの子は耒とどういう関係なの?」

 その疑問の答えはリリィもコアも聞いていなかったので視線は自然とマイルに集中した。マイルは用心深く別室を窺ってから重い口を割る。

(すずめ)は耒の婚約者だったんだ」

「婚約者!?」

 同時に驚きの声を上げたクラリスとコアをマイルが慌てて制する。リリィは耒との付き合いが浅いので彼らほどの驚きはなかった。別室に動きがないことを確認し、マイルはあからさまに胸を撫で下ろす。コアとクラリスはそれぞれに感想を口にした。

「耒も隅に置けねーな」

「それであの子、耒の傍を離れないのね」

 コアとクラリスはまだ驚きの余韻を残していた。マイルは苦笑し、小さく首を振る。

「婚約者と言っても生まれて間もなく決められた相手だからな。耒がどう思っていたのか、俺には分からない」

「ああ、そういや耒は村長の子だったな」

 コアが口を挟んだので頷き、マイルは別室を気にしながら小声で話を続けた。

「それに、耒は村を捨てたんだ。そのことを雀が許していたとも思えない」

「……なんだか複雑なのね」

 クラリスが呟いたところでワイトが戻って来たのでマイルは耒の話題を終わらせた。運ばれて来た水を前にクラリスが薬草の使い方を説明し始めたのでリリィは耳を傾ける。

「まず、傷口をキレイにしてから葉を固定するの」

 クラリスの指示を受けながら、リリィは水に浸した布でコアの腕を拭いた。元は切り傷だったであろう傷口は焼け跡が生々しく、リリィは吐気を催してしまったので唇を引き結ぶ。

「焼いたとか言ってたけど、無茶するわね。縫えばもう少しキレイに治るのに」

 手を出さず観察していたクラリスが呆れながら言ったのでコアが顔を傾けた。

「傷にキレイも汚いもねーよ。自分の体のことは俺が一番知ってるわ」

「つまり、焼かなきゃいけないほどの出血だったわけね?」

 コアに向かってため息をついた後、クラリスはリリィの手から布を取り上げた。布の代わりに葉を渡されたリリィは黒く変色した肉が盛り上がっている傷口へ、恐る恐る乗せてみる。

「……痛くないの?」

 傷口を刺激してもコアが眉一つ動かさないのでリリィは不審に思いながら尋ねた。素っ気なく痛いと零した後、コアはマイルに視線を向ける。

「わりいな」

 マイルはコアが衣服を脱ぎ捨てた際に散乱した凶器を黙々と拾い集めていた。凶器には大小様々なものがあり、その形状も雑多である。腕の手当てを終えたリリィは呆れながらマイルの行動を見ていた。

「あんなに持ってたの」

「歩く凶器ね」

 リリィの言葉に同調したクラリスが呆れ気味に言うとコアは軽快な笑い声を立てた。

「俺の機嫌を損ねないように注意しろよ?」

 コアの口調が軽かったのでクラリスは笑ったが、あながち冗談とも思えなかったリリィは無言で顔を引きつらせる。床に散乱していた武器を一箇所に集め終わったマイルが怪訝そうに眉根を寄せながら口を開いた。

「コア、影縫(かげぬい)はどうした?」

 それまで不敵に笑っていたコアはマイルの問いに笑いを収め、顔をしかめながら答える。

「持って行かれちまった。あれが一番高いのによ」

「殺さなかったのか?」

 意外そうな面持ちをコアに向けるマイルの態度こそが、リリィには意外であった。だがマイルの表情には特別な感情も浮かんでいなかったのでリリィは容喙せずに成り行きを見守る。コアは軽く肩を竦めながらマイルに頷いていた。

「油断大敵ってやつだな。素性も何も吐かせられなかったから手の打ちようがない」

「……そうか」

「ま、生きてたとしてもしばらくは動けないだろ。けっこう派手に暴れちまったからな、早めにこの町を離れたいんだが」

 コアは耒がいる別室を気にしながらマイルの様子を窺っているようであった。マイルも別室への扉を一瞥し、しかしすぐに頷く。問いを発したのはクラリスであった。

「耒はどうするの?」

「隻腕ではもう、間者としては生きられないだろう。ビルへ、帰らせようと思っている」

 クラリスに答えた後、マイルはコアに頭を下げた。

「耒をビルまで送ってやりたい。頼む」

「っつーか、俺のせいだろ? 頼むも何もねえよ」

 胸元と太腿の傷を自分で手当てしながらコアは素っ気なく言う。マイルは頭を上げ、安堵したように頬を緩めた。

「それでいいよな?」

 事後承諾をコアに求められたリリィはマイルを見据えながら頷く。手当てを終えたコアは衣服に手を伸ばし、ふと思い立ったように周囲を見回した。

「そういやクロムの奴はどうした?」

「ここにいますけど」

 クロムが部屋の片隅から声を発したのでコアは挙動不審気味に視線を傾けた。コアの態度があからさまに驚いたと言っていたのでリリィは密かに笑みを零す。リリィが笑ったことには気がつかなかったようで、コアは眉根を寄せながらクロムに話しかけた。

「お前、存在感ねえよ。ちったぁ自分から発言しろ」

「そう言われましても」

 クロムが返答に困った様子で苦笑すると和やかな空気が戻った。それまでのしんみりした雰囲気が薄れたことにリリィは一息ついていたが、マイルが真顔でいることに気がついたので表情を改める。マイルはコアとクロムのやりとりを見て微笑んでいるクラリスに声をかけた。

「これから、どうするんだ?」

 マイルに問われたクラリスは真顔に戻り、それから小さく肩を竦めた。

「今までと同じよ。赤月帝国を元に戻すために動くわ。ね、ワイト?」

 それまで一言も発さずにいたワイトは突然話を振られたので狼狽えたようであった。その場の視線を独占したワイトは顔を伏せ、無言で頷く。マイルは項垂れているワイトの傍に寄り、手を差し出した。

「可能な限り助力したいと思っている。 ……頑張ってくれ」

 ワイトは顔を上げ、自然にマイルの手を受け取る。サイゲートという存在を失った傷が癒えていないながらも立ち上がろうとしているワイトの姿に、リリィは淡い羨望を抱いた。

 生きている限り人間は傷を負う。中にはどれほどの年月を経てみても癒えない傷もあるだろう。だがいつまでも囚われていてはならないのだと、ワイトとマイルを見ていてリリィは思った。

「決意を新たに、って顔だな」

 クラリスと笑顔で握手を交わすマイルを見ていたリリィはコアの声に顔を傾けた。

「ま、お前も頑張れや」

 衣服を身につけたコアは軽々と立ち上がり、肩を回しながら武器が置いてある場所へと向かう。傷が見えないと怪我人であることすら失念しそうなコアの態度に呆れながらもリリィは力強く頷き返した。

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