第八章 英雄と呼ばれた男(7)
ティレントの町を斬り合いながら抜け、コアはリリィの特訓をするために赴いた元の広場で足を止めた。褐色の肌をした二十歳そこそこの青年は辺りを見回し、コアの思惑を察してつまらなさそうに目を細める。町外れへと誘導している間、コアは相手の力量を測りつつ青年が手にしている珍しい形状の武器を観察していた。青年が使用している片刃の武器は柳の葉のように長く膨らみがあり、龍形刀と呼ばれるものである。
「お前、南方の出身だな」
刀は南方の武器であり、さらに褐色の肌も南に多い。コアが半ば断定的に告げると青年のまなざしが鋭さを増した。威圧しようとしている青年の気概を流し、コアは薄く笑う。
「何だよ? 出身を知られるのがそんなに嫌か?」
コアの軽口には応じず、青年は龍形刀を斜に構えた。コアは剣を持っていない左手で軽く頭を掻く。
(無傷は……無理か)
だが腹を立てているのはこちらも同じだと、コアは表情を消して地を蹴った。青年が刀尖を下向きにした構えをとっていたのでコアは下方から剣を突き上げる。だが青年は、刀尖をコアの刀身に突き刺すことで制した。金属のぶつかり合う硬質な音が響き渡り、剣を地に押し付けられたままコアは目を上げる。
突き出された剣を垂直に押さえ込むなど通常では考えられない芸当である。しかも青年は片手でそれをやってのけ、お前の動きは見切ったという宣戦布告だと受け取ったコアは口元を歪めた。
「クソ餓鬼が、やってくれるじゃねーか」
コアは笑い声を零したが青年は応じず、空いている右手で拳をつくって繰り出す。コアは早々に剣を諦めて後方に身を引いた。コアが距離をとったことを確認した青年は両手で刀柄を握り、置き去りにされたコアの剣を蹴って飛ばす。
「武器がなくなったな」
青年の冷淡な口調がただ事実を述べたのでコアは軽く肩を竦めた。龍形刀を再び斜に構え、青年は地を蹴る。龍形刀は刀身が長いのでコアは躱すことよりも攻撃に転じることを選択した。コアは両手の篭手で刃を受けながら反撃の機会を窺ったが青年は見事に龍形刀を使いこなしており一撃を与える隙さえ見当たらない。
(流れるような動き、ってやつだな)
悠長なことを考えた刹那、コアの右上腕には痛みが走った。青年は防具のない場所を的確に狙っており、コアは左手で傷口を押さえながら後方に飛び退く。だが青年はすぐさま反応し、刀を突き出した。コアは仰向けに地に倒れることで刃を躱したが、わずかに裂かれた胸元からも血が滴る。振り下ろされた龍形刀を転がることで躱し、コアは身軽に体を起こした。青年の反射神経は尋常ではないが抜きん出た能力は逆手にとりやすいと、コアは胸中でほくそ笑みながら立ち上がる。
「……こんなもんか?」
刃についた血糊を振り払い、青年はあからさまに残念そうな表情を浮かべた。半眼で微笑み、コアは腰に下げている小袋から取り出した玉を口に含む。青年が怪訝そうに眉根を寄せた瞬間を見計らい、コアは自ら突っ込んだ。
四肢を駆使したコアの攻撃を躱しながらも青年の意識は先程の玉に向けられているようであった。必然的に青年の動きは鈍り、コアは顔面に一撃をお見舞いしたのち後方へ身を引く。よろめいた青年は頭を振り、顔を上げた時には怒りを漲らせていた。
再び鋭さを増した青年の攻撃を巧みに躱しながらコアは距離を詰める。刀身の長い武器は懐に入られてしまえば役に立たないので青年は龍形刀を投げ捨てて素手で応じた。この機を待っていたコアは青年の攻撃を甘んじて食らい、右によろめく。青年が持ち前の反射神経で顔を傾けた刹那、コアは口に含んでいた玉を飛ばした。青年の目を狙ったコアの攻撃は寸前のところで躱される。だが玉を躱されるまでが予定していた動きであり、コアは隙のできた青年の顔に刃を突き立てた。絶叫を発し、青年は右目を押さえてよろめく。コアはすかさず青年の足を払い、仰向けに倒れた青年の手を開かせて抉るように得物を突き立てた。
コアが青年の目を潰すために使った得物は標と呼ばれる暗器であり、人差し指ほどの長さの武器である。青年の手に突き刺さっている小刀は影縫と呼ばれるもので、こちらは刃が枝分かれしており抉るように突き立てると抜けなくなるという仕掛けがある。そういった特殊な武器を、コアは人知れず常備していたのであった。
「俺、拷問も出来るんだけど。どうするよ?」
痛みに悶えている青年の腹に足を置き、右上腕の傷口を押さえ込むように腕組みをしながらコアは問いかけた。だが答えられるはずもなく、青年は痛みから解放されようと必死で身を捩っている。
「聞けや」
心臓の上まで移動させた足を、コアは無情にも青年の胸に落とした。一時息を止めた青年は激しく咳き込み、潰れていない左目でコアを見上げる。コアは表情を変えることなく言葉を次いだ。
「お前、殺すから。死ぬ前にどうして俺を狙ったのか吐け」
青年は答えず、わずかに開いた唇からは呻きが零れるだけであった。放っておけば死に至るのは時間の問題であり、コアは問答を諦めて足を下ろす。だが青年は、その瞬間を狙っていたのであった。
掌に影縫を突き立てたまま起き上がった青年は右目に突き刺さっていた標を抜き、完全に油断していたコアの左太腿に突き立てる。コアは一矢を報いてから逃亡する青年の姿をあ然と眺めていたが、青年の姿が見えなくなると己の太腿に視線を傾けた。
「……嫌な置き土産しやがって」
自身の太腿と標の柄の間に刺さっている丸い物体に目を留め、コアは顔をしかめながら独白した。
ティレントでの拠点であるサイゲートの小屋の前で積まれた薪に腰を下ろし、マイルはぼんやりと夜空を眺めていた。久しぶりに流した涙のせいで頭が痛かったが思考が留まらない理由は泣いたからではない。まだ動揺を収めきれていないことに自嘲し、マイルは小さく頭を振る。
コアを追っていた青年に切り落とされた耒の右腕は壊死してしまい、元に戻ることはなかった。生命の危機は脱したが高熱を出している耒は未だ床についている。だがマイルは傍にいることすら出来ず、雀に耒を任せて逃げてきたのであった。
空に据えていた視線を、マイルは己の手に傾けた。目前に差し出した右手は闇夜でも分かってしまうほど震えており、マイルは震えを収めようと拳を握る。小屋の扉が開いた音がした後、誰かが近付いて来る気配を察したがマイルは顔を上げることが出来なかった。俯いたマイルの前で立ち止まり、小屋から出てきた人物は遠慮がちに口を開く。
「……マイル」
「リリィか……」
相対する者が誰であるのかを確認することで気持ちを切り替え、マイルはゆっくり顔を上げた。沈痛な面持ちで佇んでいたリリィはマイルの顔を見るなり目を伏せる。よほど酷い顔をしているのだろうと思いながらも努めて自然に、マイルは話を始めた。
「まだ、耒の意識は戻らないか?」
「うん……まだ、熱が高いみたい」
「……そうか」
それきり、会話はぷつりと途絶えた。リリィが所在無く腰を下ろすのを目で追ってからマイルは小さく息を吐く。
「醜態を晒したな」
傷ついた耒を前にした時、マイルはただ取り乱すことしか出来なかった。マイルはそんな自分を苦い気持ちで振り返ったがリリィは首を振り、すまなさそうにしながら語り出す。
「何も出来なかったのは私も同じだわ。ああいう時こそ冷静にならなくちゃいけないのに」
「耳が痛いな」
「あの、雀って女の子がいてくれて良かったね」
「……そうだな」
リリィの言葉に頷きながらもマイルは釈然としない思いを抱いて小屋に視線を傾ける。マイルと耒は雀を探してティレントの町を歩き回っていたが、彼女は探している時には姿を見せようとしなかった。耒を怨んでいるはずの雀がどうして救いの手を差し伸べたのかは不明だが、彼女がいなければ耒は死んでいたかもしれない。そう考えるとマイルは身の毛がよだつ思いに襲われた。
マイルにとって耒と緑青は同胞であり、しきたりによって故郷を捨てた時に失った身内よりも近しい存在であった。そのような友人を、マイルはすでに一人失っている。このうえ耒にまで先立たれていたら自分は正気ではいられなかったのではないかと、マイルは再び震え出した手を見つめながら改めて痛感していた。
故人の顔が脳裏をよぎったのでマイルは小刻みに震えている手を胸に据える。その場所には緑青の形見が収められており、マイルは無意識のうちに故人に縋っていた。しかし不意に、リリィの手が触れたのでマイルは反射的に身を引く。だがリリィは手を離さず、真っ直ぐにマイルを見据えながら言葉を紡いだ。
「あの子は死なないわ。大丈夫だから」
リリィの言葉には思わぬ力強さがあり、マイルは目を瞬かせる。夜風に冷やされた手にリリィの温もりが伝い、マイルはゆっくりと我を取り戻していった。
(……強いな)
同郷の少年に裏切られた時から、リリィは男というものを恐れている。その恐怖を思い出させないために手を握り返すことはせず、マイルは柔らかく笑んだ。
「ありがとう。もう、大丈夫だ」
自然に手を解き、マイルは小屋の方へ顔を傾ける。だが小屋を見ているわけではなく、マイルは別のことを考えていた。
(そろそろ、けじめをつけなければならないな)
マイルが緑青のことを引きずったままではリリィも自責から解放されない。そのことに思い至ったのは緑青の死から時間が経って少しずつ傷が癒えてきたからではないかと、マイルは思っていた。
「……コア、戻って来ないね」
しばらくの沈黙の後にリリィが呟いたのでマイルは失念していた事柄を思い出した。
「そういえば遅いな。だが殺されていることはないだろう」
マイルが半ば以上の確信をもって断言するとリリィは呆れたような表情をして顔を傾ける。
「マイルって、コアのことには淡白よね」
「昔から知っているからな。ああ、噂をすれば」
こちらへ歩み寄って来る人影を発見したのでマイルはリリィに指し示した。月の光に照らされた人物がコアであることはすぐに判明したがその様相がおかしく、マイルは眉根を寄せて立ち上がる。マイルとリリィの傍まで歩み寄って来たコアは軽い調子で声を上げた。
「よう。お前ら何してんだ?」
けろりとした態度とは裏腹にコアの姿はみすぼらしい。またコアの両手には武器があり、マイルは近寄ることを躊躇った。マイルの些細な変化を見逃さなかったコアは不服そうに唇を尖らせる。
「あからさまに嫌な顔すんな。こっちはこっちで大変だったんだからよ」
「コア、怪我してない?」
コアの全身像を捉えたリリィが顔を歪めながら問う。立ち話をしている場合ではないと察したマイルは二人を促して歩き出した。




