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第二章 六白の聖女(3)

 大聖堂(ルシード)の人間でも一部の者しか立ち入ることを許されない書見室、その片隅でコアは愛用の煙管を片手に報告書の束を睨みつけていた。

 初めて目にする内容には隅々まで注意して見たが、これといった発見は成されていない。髑髏の左目についても一から調べ直してみたが、やはり期待するような内容は記されていなかった。

(どこもかしこもお手上げって訳か)

 口から煙をくゆらせながら、コアは同時にため息を吐く。

「コア様!」

 静まりかえった室内に咎めるような声が響き渡ったのでコアは小さく舌打ちをし、素早く火を消す。書が汚れるという理由でこの部屋は喫煙禁止なのだが走り寄って来たのは知った人物であり、コアは表情を緩めた。

「おう、久しぶりだな」

 褐色の髪色をした小柄な少年は、アリストロメリアの世話役で名をテルという。幼さの残る十代といった風貌であるが彼は孤児であったため実年齢は不明である。歳若いが戦場経験は豊富であり、コアの仲立ちにより聖女の傍仕えという任に就いている。

 一礼し、テルは緑色の瞳でコアを見上げた。

「アリストロメリア様からお聞きして、ずっと探していたんですが」

「悪かったな、出向かせて。これが終わったら行くつもりだったんだ」

 軽く再会の挨拶を交わし、コアは鋭く周囲に気を配った。聞き耳を立てている者がいる気配はなかったのでコアは声音を低くして口を開く。

「様子はどうだ?」

 テルもまた笑みを消して答えた。

「アリストロメリア様のご様子はお変わりありません」

「悪くないとは本人からも聞いた。とりあえず状態が悪化しなければ、いい」

「長老衆にも変化はありません。相変わらず、軟禁状態です」

「弾劾行動をする奴は?」

「いません。むしろこのままの状態を維持し、形だけの聖女として崇拝の対象としてのみ置く、という意見が強まっています」

 口調は淡々としているがテルの表情は不快を露にしている。コアは無言で唇に手を添えた。

 大聖堂は比較的歴史の浅い新興の国家である。だが国となる以前から神山に暮らしていた人々の歴史は古く、原住民は神の声を聞くという女を聖女と崇めていた。大聖堂成立の後は初代の聖女が息を引き取ると二代目が立てられ、二代目も没すると三代目としてアリストロメリアが選ばれたのだとコアは聞いている。

 初代の頃から大聖堂の実権は長老衆と呼ばれる老人たちが掌握してきた。国としての体制も整ってきた現在、長老衆にとって聖女は疎ましい存在でしかなくなっている。そして、弾劾行動が起きたのであった。

 弾劾行動が起きたまでは、よくある話だと納得することが出来る。しかし突然鳴りを潜めるということは疑ってくれと言っているも同じだと、コアは思った。

「権力を奪った形なので気後れするところがあるのでしょうか?」

 テルの言葉にコアは即座に頭を振った。

「そんな生易しい連中じゃないだろ。どこかから俺達の行動が漏れたのかもしれないな」

「それならば、コア様が戻られる前に相応の行動に出るのでは?」

 テルの言い分がもっともだったのでコアは腕組みをして考え込んだ。

 聖女の件は大聖堂内部の問題である。それよりも優先すべき事態が発生したと考えることが、この場合は妥当であろう。

「……戦か?」

「戦、ですか……」

 コアの独白を繰り返し、テルは空を仰ぐ。だが思い当たる事柄はないようであった。

「まあ、一応調べてみてくれ。それと、俺のいない所でアリアに危害が及ぶことがないようにな」

「退路は確保してあります。何かあればすぐ、伝令も出せます」

 色好いテルの返事にコアは報告書を閉じた。

「そろそろ行くか」

「アリストロメリア様がお待ちです。コア様がいない時は退屈そうにしてらっしゃいますよ」

 テルもまた、何事もなかったかのように笑みを浮かべた。







 星から情報を得る方法、野営の仕方、簡単な護身術など、二人きりになってからリリィはマイルに様々なことを教わった。覚えなければならないことは山のようにあり、リリィにとって移動の時間は全て勉強である。

「だいぶ、良くなったみたいだな」

 マイルが零した言葉にリリィは顔を傾けた。マイルの視線は腕の辺りに注がれており、リリィは自分の左腕を持ち上げて見る。

 そこに傷があったのかというくらい、左手の傷はきれいに治っている。手当てをしてくれた人を思い出しながら、リリィはマイルを見た。

「薬が良かったみたい」

「会ったら礼を言っておくといい」

 リリィが首を傾げてもマイルは説明を加えてはくれなかった。代わりに、マイルは目前に迫った森を顧みる。

「ここから先は赤月帝国だ。コアが少し話していたが、覚えているか?」

「……内乱中、ってこと?」

 リリィは顔を歪めて答え、マイルは冷静に頷く。

「戦争なんて何処にでもある。行こう」

 抑揚のない一言を残し、マイルは歩き出す。心なしか重くなった足取りでリリィも後を追った。

(戦争はどこにでもある、か)

 マイルの言葉を胸中でくり返しながらリリィは鬱々とした気分に陥った。戦場など見たくはないが旅をしている以上は嫌でも目にする機会は増えるだろうと、リリィは伏せてしまった目を上げる。

 黙してしまったリリィの不安を感じ取ったのかマイルが口を開いた。

「確かにもめているが、そこらに死体が転がっているなんてことはない。安心していい」

「……えぐい例えね」

「そうでもないよ」

 簡単に言ってのけ、マイルは街道を逸れた。驚きながらリリィも道なき森へ足を踏み入れる。

「ねえ、どうして道を外れるの?」

 リリィの問いにマイルはそのうち解るとだけ答えた。リリィは不満に思ったがすぐに、マイルが振り返る。

「あそこに罠がある。気をつけろ」

 マイルが指差した先は変哲もない風景であった。同じような緑が延々と続くなかで何故その部分だけが違うのか、リリィには見分けがつかない。

 マイルは無言で小枝を折り、先程指差した方向へ投げつける。覆い茂る樹木の隙間から差し込む光に何かが反射したように、リリィは思った。

「今の、何?」

 訝しげなリリィの声を受けマイルは歩き出した。その足取りが慎重だったので、リリィも周囲に気を配りながら後を追う。

「見えるか?」

 マイルが指した地面には細いものが幾つか突き刺さっていた。

「……針?」

「触るなよ。毒がある」

 不穏な響きにリリィは伸ばしかけた腕を止め、強張った顔でマイルを振り返る。

「毒と言っても死にはしない。まあ、一日くらいは痺れて動けなくなるが」

 淡白なマイルの説明にリリィは連れ去られた時のことを思い返していた。縛られていた訳でもないのに全身が動かなくなったのは同じものなのかもしれないと思い、リリィはマイルを仰ぐ。

「……もしかして白影の里って所へ行くの?」

 自然に湧き上がってきた疑問をリリィが口にするとマイルは驚いた表情をした。

「何でそう思った?」

「なんとなく……」

 思考の過程をうまく説明出来ず、リリィはそれだけを告げた。マイルはひとまず納得したような素振りで頷く。

「少し、赤月帝国について説明しよう」

 言うとマイルはその場に腰を下ろした。リリィは首を傾げながら尋ねる。

「どうして座るの?」

「物事には順序というものがある。その理由は後だ」

 呑みこめないながらリリィも腰を下ろす。静寂のなか、マイルが口火を切った。

「この森の名を覚えているか?」

「えーっと……かげろうの森?」

「そうだ。赤月帝国はかげろうの森と呼ばれる広大な森林に囲まれている。森の入り口に街道があっただろう? あの道を辿れば城下街へ着く。城下街と言っても他に町がある訳じゃないんだが」

「……どういうこと?」

「赤月帝国は小さい国なんだよ」

 帝国という名称から大きな国を想像していたリリィは驚きに目を見開いた。素直なリリィの反応がおかしかったらしく、マイルは笑みを零す。

「王政ではあるが国というよりは独立都市と言った方がいいかもしれないな」

「そうなんだ……。それで、白影の里っていうのは?」

「この森にある。赤月帝国の領土で言えば最東端だな。白影の里の周囲だけを区切って彼岸の森と言うんだが、この辺りが入り口だ」

 それで罠があるのかと、リリィは納得した。

「それで、何故こんな所に座り込んだかってことだが……」

 そこでマイルは言葉を途切らせた。その口元に含み笑いが上ったのでリリィは首を傾げる。

「お出ましだ」

「……え?」

 リリィが問い返した刹那、深い森から人間が姿を現した。動く物があった音すら聞こえなかったことにリリィは不気味さを覚えながら来訪者を凝視する。

「余計なことを喋りすぎだ」

 来訪者は苦い表情をし、マイルを咎めるようなことを言った。年の頃はマイルと同じくらいの若い男の声に聞き覚えがあるような気がしてリリィは眉根を寄せる。

「仕方ないだろ? 俺は情報屋だ」

 知り合いのようで、マイルが軽い調子で肩を竦める。端正な顔立ちをした青年が視線を注いでくるのでリリィは居心地悪く顔をしかめた。

「傷の具合はどうだ?」

 青年が発したその一言により、リリィは彼の正体を悟った。その様子を見て、間に立っているマイルが口を開く。

「もう分かっていると思うが一応紹介しておこう。こいつは緑青(ろくしょう)、白影の里の者だ」

「人質をとるなんて真似したくせに傷の手当てをしてくれた人ね?」

 毒を含んだリリィの言葉に、緑青とマイルまでもが苦笑いを浮かべた。

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