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第八章 英雄と呼ばれた男(5)

 屋外に出た後、コアが腕を離すとリリィはその場に座り込んだ。興奮したリリィは薄汚れた小屋を見据えたまま、未だに何事かを呟き続けている。コアは腰から引き抜いた煙管に火を入れてからリリィを見下ろした。

「感情的にならないって誓ったんじゃなかったのか?」

 コアの声に反応したリリィは顔を上げたが、その表情に罪悪感は含まれていなかった。リリィを支配しているものは唯、理不尽に対する怒りである。

「自分から死にに行くなんて冗談じゃないわ。止めなきゃ。絶対に止めなきゃ」

「まあ待てや」

 這いつくばって小屋に近付こうとするリリィの襟首を掴み、コアは後方へ放った。リリィは仰向けに倒れたが起き上がり、再び小屋へ向かおうとする。

「だから待てって」

 後頭部で結んでいるポニーテールを掴み、コアはリリィの動きを制した。痛いと悲鳴を上げ、リリィはコアを睨み見る。

「何するのよ!!」

「落ち着けって言ってんだよ。あっちに行かないって誓うなら放してやる」

 顎で小屋を指し、コアは多少の凄みを利かせた。リリィは一度小屋を睨み見た後、息を吐いて頷く。リリィの髪を捕らえていた手を放したコアは紫煙をくゆらせた。

「お前は他人事に必死になりすぎなんだよ。俺たちが首を突っ込む話じゃないことぐらい分かるだろ?」

「だって、あんなの絶対間違ってる」

「まあ、その意見には俺も賛成だけどな」

 それまで不服そうに唇を尖らせていたリリィはおもむろに瞠目した。リリィから小屋に視線を傾けた後、コアは細く煙を吐いてから言葉を次ぐ。

「たまにいるんだよな、死に意味をもたせたがる奴。どんなに立派なことやってのけたって死んじまったら意味なんかねえのに」

「そう思うなら止めてよ! あの人を止めて!!」

 必死の形相で縋りついてくるリリィを冷静に見下ろし、コアは無理であることを告げた。

「死ぬことを受け入れた奴ってのはな、他人の意見なんか聞く耳持たずなんだよ。頑固でしち面倒くせえ。そんな奴を説得しようってのは時間の無駄だ」

「そんな……」

 コアの胸倉を掴んでいた指を離し、リリィは力なくその場にへたりこむ。灰を捨てた煙管を腰に戻したコアはリリィの傍らに腰を落とした。

「ウォーレ湖でのこと、思い出したんだろ?」

 大陸の南西に位置するウォーレ湖へ赴いた時、リリィはマイルの友人だった緑青(ろくしょう)が死を厭わず戦いに身を投じていたことを目の当たりにしている。サイゲートが言っていることは緑青の考え方とよく似ており、リリィは自身のせいで死なせてしまった緑青とサイゲートを重ねているのだろう。その気持ちが解らないものではなかったのでコアは涙ぐんだリリィの背を軽く叩いた。

「死にたい奴は死なせてやれ。あんまり感情移入すんな」

「そんなの嫌よ」

「お前が嫌でも本人が死を望んでんだ。どうしようもねえ」

「だけど……」

「世の中にはああいう風にしか生きられない人種がいるんだ。まあ、だいぶ少なくなってきたけどな」

 サイゲートのような人種は生きた化石である。コアがそう揶揄した時、狙い済ましたかのようにサイゲートが姿を現した。コアは立ち上がり、ゆっくりとこちらへ歩み寄って来るサイゲートを迎える。

 サイゲートは荷物も持たない身一つであったが、コアは去って行こうとしていることを感じた。先時代の英雄になろうとしている老人に向け、コアは敬意を込めて一礼する。

「行くのか」

 コアは相手が誰であろうと態度を変えることをしない。一般的に見ればコアの態度は馴れ馴れしく失礼であるが、そういったことには慣れているのかサイゲートは朗らかな笑みを浮かべた。

「赤月帝国の現国王であるクローゼ様は俺が教育した。責任はとらないとな」

「……なるほど。そいつは尻拭いしないとマズイな」

 コアが真顔で頷くとサイゲートは老人らしからぬ豪快な笑い声を立てた。

「毛色の変わった英雄だな。さすが、人畜生(にんちくしょう)と呼ばれるだけのことはある」

「おいおい、もっとマシな異名で覚えててくれよ。さてはアンタの悪口言ってたの聞いてたな?」

「面白い男だ。最期にドーアの奸雄(かんゆう)と相見えたこと、光栄に思う」

 サイゲートが手を差し出したのでコアは呆れながら受け取る。

「また古い呼び名を持ち出しやがって。こっちこそ、赤月帝国の英雄さまと会えて光栄だよ」

「では、世代交代といこう。明るい未来をつくってくれ」

「知るか。そういうことは自分でやれ」

 老人の手を邪険に払いながら、コアは思っていたよりも気安い英雄が去らなければならない時代を惜しんだ。サイゲートは涙を拭いもせずに顔を上げているリリィを見て優しく微笑む。

「ありがとう。君は優しい子だ」

 子供に接するようにリリィの頭を撫でた後、サイゲートは去って行く。次第に小さくなっていくサイゲートの背中を食い入るように見つめているリリィは、もう何も言わなかった。

(……時代の節目、か)

 戦国時代の終焉と共に先時代の英雄が姿を消す。そのことを似つかわしいと思いながらもコアはやるせなく息を吐いた。







 サイゲートが去った後、一行はしばらくティレントの町に滞在することを決めた。マイルは町を歩き回って(すずめ)の姿を探したが、夜になっても見つけることは出来なかった。捜索をいったん切り上げたマイルはサイゲート達が暮らしていた郊外の小屋に戻り、そこで見知った少年の姿を見つけた。

(るい)

 久方ぶりの再会を喜んだマイルは急いで耒の傍へ寄る。戸外に佇んでいた耒は少し歪な笑みを浮かべてマイルを迎えた。耒の左頬が腫れているのに気がつき、マイルは眉をひそめる。

「頬、どうしたんだ?」

 マイルが問うと耒は苦笑しながら言葉を濁した。耒の反応から、マイルは答えを察して息を吐く。

「……雀か」

「彼女が老師に雇われていると知ってから、会わないようにしていたんですが」

 つい先程、再会を果たしてしまったのだと耒は言った。マイルは苦笑しながら話を続ける。

「悪かったな。まさか雀がサイゲートの元にいるとは思わなかったんだ」

「いえ、マイルのせいじゃありません。彼女が怒るのは当然のことですから。それより、雀を探していたんですか?」

「ああ。報酬のことで話をしようと……」

 マイルがクラリスに頼まれて雀を探していたことを明かすと耒は頷いて見せた。

「今、その話をしていたみたいなんです。そこへ僕が戻って来てしまったので雀は出て行ってしまいました。僕がいなければ戻って来ると思います」

「それで、出て行こうとしていたのか」

「はい」

 苦笑いをする以外に術がないといった耒を促し、マイルは小屋の近くに積んであった薪に腰を下ろした。春の夜風はまだ冷たいものであったが、もう雪は舞い降りてこない。マイルは透きとおった夜空を仰ぎながら口火を切った。

「老人が赤月帝国に戻った。もう、聞いたんだろう?」

「王都を離れてすぐ、老師から聞きました。赤月帝国に縛られることはない、とも言われました」

「……そうか」

「マイルは、これからどうするのですか?」

 耒は暗に、クラリスやワイトに助力して赤月帝国を復古するために動くのかと尋ねている。夜空から視線を戻したマイルは隣にいる耒を見据えた。

「俺はコアに協力しようと思っている。それがおそらく、赤月帝国を変えることにもなる」

 マイルがそう告げても耒は自ら言葉を発することなく待っている。短く息を吐き、マイルは率直な思いを耒にぶつけた。

「ウィレラも瓦解した今、耒が集めてくれる情報ほど信頼出来るものはない。だが、ビルのことも気になっている」

 マイルと耒の故郷であるビルという村は火器の製造と販売、間者の派遣を生業としてきた。だが派遣の仲介役であったウィレラが瓦解してしまった以上、今までのような独立を保つことは難しくなるであろう。そう遠くない未来、ビルは必ず選択を迫られることになるのだ。

 マイルは村の生業に嫌悪感を抱いて故郷を捨てたがビルには血の繋がった者達がいる。そして耒は村長の子であり、ビルの危機に立ち向かわねばならないのは彼の親なのである。

「捨てた場所とはいえビルは俺たちにとって故郷だ。気にせずにいられるはずがない」

「僕にビルへ戻れと、そう言っているのですか?」

 それまで困惑顔をしていた耒は平素より語気を強めながら言った。マイルは小さく首を振る。

「そこまで言うと卑怯だと思っている」

 耒にとってビルは居心地の良い場所ではない。また一度村を出た者は戻ることを許されていないので簡単には帰ることが出来ないであろう。そういったことを考慮した上でマイルが出した結論は、雀と話が出来ないかというものであった。

「ビルの現状だけでも把握しておきたいんだが……無理だと思うか?」

「難しいと、思いますが」

 雀に叩かれた左頬に手をあて、耒は苦笑いを浮かべる。思いを言葉にしてしまったことで吹っ切れたマイルは軽い動作で腰を上げた。

「とにかく、掛け合ってみよう」

 まだ不安を残している耒を促し、マイルは再び雀を探すべく歩き出した。

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