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第八章 英雄と呼ばれた男(1)

 大陸の西北に位置する独立都市オラデルヘルが西の大国フリングス軍を退けてから一月ほどすると大陸は春の陽気に包まれ始めた。緑豊かな地には色とりどりの花が咲き乱れ世界が雪解け水で潤う季節、その報せは大陸中を駆け巡った。まだ大小数多の国々が存在していた時代に成立した間者の情報交換機関ウィレラの瓦解。それは、戦国時代が終焉を迎えたことを示していた。

「ついに瓦解、か」

 大聖堂(ルシード)領内の西域、大陸を縦断している河の畔の小さな町でコアは空を仰ぎながら独白した。真顔で腕を組んだまま壁に背を預けていたマイルも息を吐き、口を開く。

「これからは個別行動を避けるべきだな」

 マイルに頷いて見せた後、コアは腰のベルトから煙管を引き抜いた。

 コアもマイルもウィレラを活用して情報を収集していた。個別行動をとる際の橋渡しとしても利用していたウィレラが瓦解してしまった以上、マイルの言うように今までのような楽観的な行動は慎むべきである。

「面倒くせえ世の中になるな」

 窓辺に設置されているベッドの上で愚痴を零しながらコアは煙を吐き出す。マイルは体重を足に戻し、コアの傍へ寄った。

「世界平和に向かう流れに文句をつけるとは不謹慎だな」

「でも、お前だって不便だと思ってんだろ?」

「まあな」

 マイルが即答したのでコアは口元だけで笑んだ。

「俺らみたいな奴には世界平和なんて面倒なだけってことだな」

 世界が平和になればコアのような人間は必要とされない。そのことを自覚しているコアは軽く嘲笑したがマイルは乗ってこなかった。

「これからどうするんだ?」

 マイルが無表情のまま本題を口にしたのでコアは口を噤んで窓の外に視線を転じた。西に向いている窓からは大陸を縦断している河が陽光を浴びて煌いている様子が窺える。

 オラデルヘルを発った後、一行は一月ほどキールの目撃情報巡りをした。だが有力な情報は何もなく、再び岐路に立たされているというのが現状である。

「フリングスへ行くか?」

 確認のようなマイルの問いには答えず、コアは紫煙をくゆらせた。コアが口を開かないのでマイルは言葉を続ける。

「フリングスへ行くのであれば、俺が先導する」

「その心は?」

 煙管を片手に足を組み、コアはマイルを見据えた。マイルは言葉を選び、短く真意を告げる。

「王都へ行こう」

 マイルの言葉は予想の範囲を超えたものであり、コアは驚愕した。

「お前、自分が何言ってるか分かってるか?」

 コアはフリングスと敵対する大聖堂の人間である。フリングス王都は敵陣のど真ん中であり、大聖堂の人間が侵入すれば大騒ぎになるであろう。だがマイルはそのようなことは先刻承知であり、コアは驚きを収めて眉根を寄せた。

「意図を説明してくれよ」

 疑わしげなコアの視線を受け止めたマイルは苦笑しながら説明を始める。

「赤月帝国の内乱の後、サイゲートはフリングスに身を寄せた。(るい)もそこにいる」

 マイルが語り出したことは彼の個人的情報(プライベート)であり、コアはますます疑いを強めた。

「だからって、何故王都へ行く必要がある?」

「白影の里は大聖堂領内だけでなく、大陸中を調べていた。サイゲートは白影の里とも懇意だったし、俺たちの知らない情報を握っている可能性がある。それに、フリングスは愚者の存在を知らないんだ。見過ごされている遺跡や情報も多いだろう」

 西へ行くつもりがあるならば人脈を駆使して全面的に協力をする。そう付け加え、マイルは話を終わらせた。コアはしばらくマイルの話を咀嚼していたが疑念を拭えないまま顔を上げる。

「また無理な金額ふっかける気か?」

 情報屋であるマイルは無償では動かない。自ら協力を申し出た裏には高額な報酬の要求があるのではとコアは疑ったのだが、マイルは爽やかな笑みを浮かべた。

「誰も金を出せとは言ってないだろう?」

「気味わりい。金じゃなきゃ何だよ? まさか無償ってわけじゃないんだろ?」

「そうだな……条件ではなく希望ならあるが」

「……訊くのが怖いが一応聞いておく。希望ってのは何だ?」

「大聖堂に属している本当の理由を、教えてくれないか?」

 マイルが真顔に戻ったのでコアはそれまでの和やかな空気を断ち切った。室内には途端に険悪な沈黙が漂い、コアは灰を捨てた煙管を腰に差す。

 重要な情報は同等の機密と交換するのが筋である。そういった事務的(ビジネスライク)の取引をしてきたコアにとって、マイルの言う「希望」は理解の及ばない代物であった。踏み込まれすぎることを好しとしないコアは剣呑な光を宿らせた目を細めてマイルを見据える。

「何故、急にそんなことを言い出す?」

 コアは威圧的な空気を醸し出したがマイルは応じず、笑みを浮かべた。

「急じゃない。お前が大聖堂に属した時から気になっていた」

「……へえ」

「堅苦しさを嫌うお前が嫌々ながら大聖堂に属し続けているのが不思議だった。大聖堂に何か、お前を繋ぎとめるものがあるんだろう?」

「だから、知ってどうするんだよ?」

「協力したいと思っている」

「はあ?」

 脅しも警戒も忘れ、コアはあ然として口を開けた。対するマイルは平然としたまま話を続ける。

「知っているかもしれないが、俺がモルドに雇われていたのは大聖堂の情報を白影の里へ流すことが目的だった」

「……お前、そんなことしてたのか」

「ああ。個人的にモルドのことは好ましいと思っているが、それとこれとは話が別だからな」

「ちょっと待て。何いきなり語り出してんだよ」

「動機は説明しないと分からないだろう? 少し黙って聞いていろ」

 有無を言わさぬマイルの口調に圧され、コアは黙して腕を組んだ。コアが大人しく従ったことを見てマイルは話を続ける。

緑青(ろくしょう)に助力することが、俺の唯一の目的だった。だが助けるべき相手はもういない。新たな目的が欲しいんだよ」

 マイルが言葉を切ったのでコアは眉根を寄せながら口を開いた。

「その新たな目的とやらが俺に協力するってことなのか?」

「ただ生きるだけは、辛い。そう思わないか?」

「……まあ、退屈だよな」

 ようやく一つ納得がいき、コアはがりがりと頭を掻いた。しかし解せないことはまだ山ほど残っており、コアは困りながらマイルを仰ぐ。

「で、何でそれが俺に協力することなんだ? 赤月帝国の再興に助力することだって目的としちゃ十分だろ?」

「赤月帝国の王妃は大聖堂の人間なんだろう?」

「……ああ」

「赤月帝国が元に戻るためには大聖堂を変えなければならない」

「そうだな」

「性に合わないながらも留まっている以上、お前は大聖堂をどうにかしようとしているのだと思う。変革の方向性は分からないが大聖堂が変わる可能性があるのなら、それを助けたい。そう思ったんだ」

「……お見事」

 徹底的に理詰めなマイルの推測に頷かないわけにはいかず、コアは白旗を揚げた。しばらく迷った末、コアはベルトに戻した煙管を引き抜く。

「大聖堂の聖女の話は聞いたことあるか?」

「神の声を聞くそうだな。聖女が指針となって長老衆が大聖堂を動かしているのだろう?」

「そりゃ表面上の話だ」

 煙とともにため息を吐き出し、コアは重い口を割った。

 大聖堂が掲げている神は天地・万物を支配する天乃王(てんだいおう)であり、神の声を聞いて民衆を導くのが聖女である。聖女の代行者として存在するのが長老衆と呼ばれる五人の老人であるが、ここまでは表面上の仕組みなのだ。

「長老衆ってのは実質、大聖堂をつくった連中だ。そいつらが全ての権限を掌握していて聖女には何の力もない。大聖堂の本拠地から出ることも出来ないで窮屈な暮らしを強いられてんだよ」

 コアの語った内容で得心したらしく、マイルは後に続く説明を引き受けた。

「聖女を頂点とする支配体制をつくりたい、ということだな?」

「そういうこった。ちなみにモルドのオッサンも一枚噛んでるぜ」

「一つ、確認しておきたいことがあるんだが」

「希望の次は確認っすか。ここまで話したらもう隠すこともねえよ」

「聖女とはどういう人物なんだ?」

 投げやりに煙をくゆらせていたコアはふと、表情を改めた。マイルが聞きたいのは大聖堂の新たな指針となる聖女の人となりであることを認識し、コアはアリストロメリアの姿を思い浮かべる。

「そうだな……なんつーか、独特の雰囲気を持つ女だな」

「抽象的すぎて判断のしようがないぞ」

「言葉で説明するのは難しすぎる。まあ、今の大聖堂とは正反対だから心配すんな」

 悪いようにはならないと明言し、コアは聖女の話題を打ち切った。マイルも調子を合わせ、話を元に戻す。

「フリングスへ行くか?」

「ああ。よろしく頼むわ」

「コア」

 窓から灰を捨てて立ち上がったコアはマイルの呼び声に振り返った。マイルは真面目な表情をしており、コアは眉根を寄せる。

「何だ?」

「話してくれてありがとう」

 率直すぎる謝意を表すマイルの言動に目と耳を疑い、コアはベルトに戻そうとしていた煙管を取り落とした。木製の床が鈍い音を立てて凹んだが構わず、コアは部屋を後にして宿の中を足早に駆け抜ける。宿泊客用の食堂で目当ての姿を見つけたので、コアは動悸を覚えながら走り寄った。

「お前、マイルにまた何か言っただろ?」

「は?」

 クロムと二人で窓辺の席に座っていたリリィは怪訝そうな面持ちで首を傾げただけであった。

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