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第七章 古の武器庫(14)

 コアとライトハウスが出て行くのを見送った後、リリィはマイルを仰いだ。視線に気がついたマイルはリリィを一瞥した後、クレルの傍へ寄る。

「手伝えなくてすまない」

「いや、気にするな。それより、早く出ろ」

 クレルと別れを交わした後、マイルはリリィとクロムを促した。別室に置いてある荷物をとり、一行は足早に船着場を目指す。そこにはすでに辰巳(たつみ)の姿があった。

「間もなく避難をするお客様でごった返します。お急ぎください」

 表情を殺している辰巳の口調はオラデルヘルの従業員のものであった。厚かましいまでに平然とした辰巳の態度にマイルが再び激昂するのではと、リリィは不安に思いながら視線を傾ける。しかしマイルは冷静に、辰巳に声をかけた。

「クレルのこと、頼む」

「……はい」

 慙愧の表情で唇を噛む辰巳の背を軽く叩き、マイルは小舟に飛び乗った。船上のマイルに荷物を渡してからリリィとクロムも舟に乗り込む。

「……これから、どうなるのかしら」

 少しずつ遠ざかるオラデルヘルに視線を据えながらリリィは誰にともなく呟いた。オラデルヘルの煌びやかな装いが今はただ、哀しく映る。

「戦機常勝」

 マイルが独白したのでリリィはゆっくりと顧みた。マイルはオラデルヘルに目を向けたまま淡々と言葉を次ぐ。

「将であろうと軍師であろうと、コアが属する部隊は常勝軍と呼ばれる。今回はオラデルヘルが勝つだろう」

 マイルの口調はただ事実を述べただけといったものであった。不可解に思ったリリィは眉根を寄せながら問う。

「それって、負け知らずってこと?」

「おそらく、コアは負けたことがない。そのせいで『不死』なんて呼ばれたこともあったな」

「……アイツ、本当に人間?」

 非現実的な発言でありながらリリィの言葉には妙な真実味が伴った。回顧するようにリリィと問答していたマイルは現実を取り戻した様子で苦笑する。

「オラデルヘルがどうなるかはライトハウス次第だな。あの調子では、そう簡単にやられそうもないが」

 オラデルヘルは独立を護るために血を流そうとしている。だが独立というものにどれだけの価値があるのか、リリィには分からなかった。

「争わなきゃいけないようなこと、なのかしら」

 考えに沈みながらリリィは独白を零した。リリィの言葉を聞きつけたマイルは興味深そうに問いを投げかける。

「この戦の意味について、考えているのか?」

 リリィは思考を中断してマイルに頷いて見せる。マイルは言葉を整理するように間を置いた後、話を始めた。

「オラデルヘルがフリングスの支配下に置かれたと仮定する。その場合、オラデルヘルはフリングスの秩序に組み込まれる。税も納めなければならなくなるし、自由はなくなるな」

「でも、それってそんなに悪いことなの?」

「そうだな、本質は悪いことではないのかもしれない。納めた税を人々のために使うのであれば、それもいいだろう。だが税が戦の費用にあてられたとしたら、どう思う?」

 返すべき言葉が見付からず、リリィは沈黙した。マイルの話は続く。

「独立して存在してきた地には培ってきた文化がある。支配下に置かれるということは支配する側の文化を受け入れなければならないということだ」

 例えば、肉食が当たり前の文化があったとする。だが支配者側が肉食を禁じていた場合、支配される側は肉を食べることを許されなくなる場合がある。極端な例ではあるがそういったことも起り得るのだと、マイルは語った。

「どのような場合にも例外はあるし俺が話したことも一つの可能性に過ぎない。支配者がどのような考えを持っているかによって統治のされ方も異なるしな。だが元の暮らしが悪くないものであれば、新たな体制に組み込まれることを良いとは思わないだろう?」

 独立を守ることは暮らしを守ることであると感じたリリィは素直に頷く。独立の内部にも支配はあるが、それは個性を持った人間が集団で生活をするためには仕方がないことなのである。そう付け加え、マイルは話を終わらせた。

「……難しいね」

 現実を知れば知るほどどう思えばいいのか分からなくなり、リリィは小さく首を振った。

「決まった一つの答えがないものは、難しいものだ」

 マイルの助言を満杯になった頭の片隅に置き、リリィは遠くなったオラデルヘルを見つめる。湖を渡る風は頬に優しく、美しい風景はこれから起こる争いを予感させることもなくただ無為に存在していた。









 大聖堂(ルシード)領の南方に位置する赤月帝国は、大聖堂の属国でありながら長く大聖堂と反目を続けてきた。だが赤月帝国は政権交代に伴って大聖堂とも和解し、現在は安泰の道を歩み始めている。

 王城の執務室から平穏な街並みを眺めていた赤月帝国の若き王は王妃から投げかけられた言葉に驚愕を露にしていた。腰まであった黒髪をばっさりと切り落とした王妃らしからぬ女は真顔のまま、ただ王の返事を待っていた。

「ヴァイス、今、何と言った?」

 赤月帝国の新王であるクローゼは動揺を隠せない表情で口火を切った。クローゼの正室であるヴァイスは、直立不動のまま先程と同じ言葉をくり返す。

「側室を置かれてはいかがかと、申し上げました」

 ヴァイスがあまりに淀みなく告げるのでクローゼは顔を歪める。クローゼはそのまま目を伏せ、ヴァイスを見ないようにしながら言葉を紡いだ。

「私にはそなたという妃がいる。何故、そのようなことを……」

「陛下」

 ついには背を向けてしまったクローゼの言葉を遮り、ヴァイスは傍へ寄った。苦悶に満ちたクローゼの顔を両手で優しく包み込み、ヴァイスは口調を和らげてから口火を切る。

「陛下、よくお聞きください。私には子を産む能力がないのです」

「そう、なのか……」

「王家の血を引く者はすでに陛下しかおりません。赤月帝国の存続のために、どうしても御子が必要なのです。解っていただけますね?」

「私に、そなた以外の女に子を産ませろと言うのか」

「クローゼ」

 ヴァイスが口調を改めるとクローゼは叱られた子供のように体を震わせた。凝り固まっているクローゼの心を懐柔するべく、ヴァイスは声音に辛さを滲ませて話を続ける。

「私に子が産めたなら、あなたに嫌な思いをさせることもなかったでしょう。ごめんなさい、クローゼ」

「ヴァイス……」

 ヴァイスが自責に揺れたのでクローゼは優しく彼女を包み込んだ。愛おしさを込めてヴァイスを抱きながら、クローゼは囁くように慰めの言葉を口にする。

「子を産めないのはそなたのせいではない」

「でも……」

「側室を迎えよう。産まれた子はそなたの子とすればいい」

「……良いのですか?」

「ああ。私が愛しているのはヴァイス、そなただけだ」

 愛の囁きと熱いキスを受け取った後、ヴァイスはさりげなくクローゼの腕を抜け出した。ヴァイスが多忙の身であることは承知しているのでクローゼは名残惜しそうにしながらも身を引く。

「大聖堂へ戻るのか?」

「はい。シネラリアを攻略したばかりですのでやらなければならないことが残っています」

「そうか……寂しくなるな」

 諦めを見せながらも未練を残すクローゼに優しい笑みを向け、ヴァイスは軽く唇を重ねた。

「クローゼ、愛しているわ」

 愛を確かめさせる言葉と親愛を示すキスをクローゼの両頬に捧げてからヴァイスは王の執務室を後にする。その後、ヴァイスは王城内の一画に足を向けた。

 ヴァイスが向かった先は王城の一階にある隅の部屋であり、その周囲はすでに人払いがされている。ヴァイスが扉を開くと室内には三人の男女の姿があった。女中のローブを身にまとった赤髪の少女は立ち上がって一礼し、褐色の肌をした青年はソファに身を投げたままヴァイスに目だけを傾ける。彼らは一瞥するに留め、ヴァイスは質素なドレスを身にまとった少女の元へ向かった。

「相手は田舎のお坊ちゃんよ。あなたの魅力で虜にしてあげなさい」

 ヴァイスが肩口に手を置くと少女は妖艶な笑みで応えた。仄かな色香を漂わせるこの少女は、赤月帝国王の側室となる者である。仕上がりは上々であると、初めて少女を目の当たりにしたヴァイスは笑みを浮かべた。

「後で部屋を用意させるわ。今は、傷心のお坊ちゃんを慰めてあげて」

「はい。ヴァイス様」

「エルザ、扉を開けてあげなさい」

 一礼した後も佇んでいたエルザはヴァイスの言葉を受けて内側から扉を開いた。少女はドレスの裾を持ち上げながら歩き出し、意気揚々とクローゼの元へ向かう。少女の姿が見えなくなるまで確認し、周囲に盗み聞く人影がないことにまで気を配ってからエルザは扉を閉ざした。エルザの様子を注視していたヴァイスは扉が閉まったことを契機に口火を切る。

「エルザ、あなたはこれから彼女の監視に就きなさい」

「はい、ヴァイス様」

「子が生まれた後、不穏な行動を見せたなら迷わず殺していい」

「は……」

 少女がどれだけ子作りに励んだとしても、子が生まれるのは十月十日も後の話である。そこまでの見通しがないエルザにはヴァイスの言葉が不可解であったようで、彼女は怪訝そうに眉根を寄せた。

「お言葉ですが、ヴァイス様。彼女はカーディナルの思想教育を受けています。裏切るとは、あまり考えられませんが……」

「子を授かると女は変わる。万が一の場合の許可を先に与えたに過ぎない」

 現時点では深く気にする必要はないが心には留めておくよう促し、ヴァイスはエルザを追い立てた。エルザが姿を消した後、ヴァイスはだらしなく足を投げ出しているアドリアーノに視線を傾ける。

「何故、あなたがここにいるの?」

 ヴァイスがアドリアーノに与えた任は軍の監督であった。放蕩なアドリアーノはヴァイスへの事前連絡も入れずに任を放り出し、赤月帝国へ出向いて来たのである。

 アドリアーノは答えず、足を上げることで反動をつけて体を起こした。立ち上がったアドリアーノは威圧でもするかのようにヴァイスの目前に佇む。ヴァイスが無表情のまま次の言葉を待っているとアドリアーノは嘲笑のような微笑を浮かべながら口火を切った。

「サンザニア王家の末裔を使って何をしようとしてるんだ? 子を産めないってのも出任せだろ?」

 赤月帝国王の側室となる少女は、確かにサンザニア王家の末裔である。だがその真実は本人すらも知らないことであり、アドリアーノが何処から情報を入手したのかヴァイスには見当がつかなかった。しかし動揺は見せず、ヴァイスは淡々と言葉を紡ぐ。

「私の目的を知ることがあなたの利点になるの?」

「ならないな。ただ、こっちの要求を話す前に脅しをかけるのは当然のことだろ?」

 機密を暴かれてもヴァイスが眉一つ動かさなかったのでアドリアーノはつまらなさそうに言う。自身のことには言及せず、ヴァイスはアドリアーノに要求を告げるよう促した。

「ドーアの奸雄(かんゆう)にエルザがやられたんだって?」

 アドリアーノの顔にはすでに好奇心が覗いており、ヴァイスは彼が訪ねて来た理由を得心した。

 過日、オラデルヘルとフリングスの貴族であるサーズ卿との間で諍いがあった。その戦の席にはドーアの奸雄と呼ばれる男の姿もあり、彼が加担したことにより非武装勢力と思われていたオラデルヘルがフリングス軍を退けたのである。そうした情報をアドリアーノも掴んでいるのだろうと、ヴァイスは思った。

「そいつは敵じゃないのか?」

 率直なアドリアーノの言葉には一考の価値があり、ヴァイスはしばし考えこんだ。

 ドーアの奸雄ことコアは、現在は大聖堂に所属している。だが彼はヴァイスにとって、いつか必ず目障りな存在となるであろう。実害がないので放置していたが障害の芽は早めに摘み取った方が得策だと思い直したヴァイスはアドリアーノを見据えた。

「条件が二つある。大人しく呑むのであれば、許す」

 一つ、確実に殺すこと。一つ、今後二度と詮索をしないこと。ヴァイスが出したこの条件をアドリアーノはあっさり受け入れた。

 平素、やる気の片鱗も見えないアドリアーノは水を得た魚のように歩き出す。その長身が姿を消す前に、ヴァイスは彼を呼び止めた。

「アドリアーノ」

「まだ何かあるのか?」

「二度目はない。心しておきなさい」

「……はいはい。長殿は怖いね」

 言葉とは裏腹に少しもヴァイスを恐れてなどいないアドリアーノは平然と去って行く。恐怖で縛ることの出来ない駒には標的を与えておけばいいと、ヴァイスはアドリアーノが去った扉を見つめながら思った。

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