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第二章 六白の聖女(2)

 裾野には深い森が広がり人間が生身で登るには険しい東北の神山に大聖堂(ルシード)の本拠地はあった。古くから信仰の対象として祭られてきた聖なる山の頂は、溶けることのない雪に覆われている。

 大聖堂が本拠地としているのは神殿の遺跡であり、出入りを厳しく制限している奥の院でコアは膝をついて頭を垂れた。彼が畏まった挨拶をしている人物は汚れを知らぬ乙女の色彩(いろ)がよく似合う女性、である。

「ご苦労様です」

 透きとおった声の主は大聖堂の掲げる聖女。名をアリストロメリアといい、腰まであるくせのない金の髪に碧眼、雪兎のように白い肌といった容貌をしている。現在は天蓋に遮られ美しい姿は窺えないが見目は若く、二十代前半と思われるが実年齢を含め謎が多い人物であり詳細は不明である。

 天蓋の向こう側の人影に向かい、コアは立ち上がりながら苦笑いを返した。

「堅苦しいあいさつはさっきしてきた」

「では、長老達に会われたのですね」

「ああ。さんざん文句言われたぜ」

 アリストロメリアは小さく笑ったようだった。コアは天蓋を離れて窓辺に寄り、煙管に火を入れる。

「また、訊かないんだな」

 コアの言葉は届いたようではあったが、アリストロメリアから返答はない。コアは呼気とともに煙をたなびかせ空を仰いだ。

「何事も、知れば良いということではないのでしょう」

 しばらくの沈黙の後にアリストロメリアが発したのは諦めているような、どこか冷めた科白であった。自身を傷つけてまで知りたいと言った誰かさんとは対照的だとコアは思い、口元だけで笑んで話題を変える。

「体の方は?」

「悪くはないです」

「そうか。今回は少し滞在しようと思ってるんだ」

「珍しいですね」

「そうだな」

「ではまた明日、いらして下さい。その時にはそちらへ参ります」

「悪かったな、夜分に訪ねて」

 じゃあなと言い残し、コアはアリストロメリアの私室を後にした。扉を後ろ手に閉め、煙管から唇をはずし、振り返って顔を緩める。

「おやすみ、アリア」

 穢れを知らぬ聖女に向かい、コアは囁くように呼びかけた。







 緑の枯れた大地では地平線がはっきりと境界をつくり、日が沈むのがよく見えた。南に森らしきものは見えていたが、そこへ到るまでの大地には何もない。砂ではないことがせめてもの救いなのかもしれないと、蒼く染まっていく空を仰ぎながらリリィは思った。

「ねえ、どうしてこの場所には緑がないの?」

 リリィの問いに夜を越す準備をしていたマイルは少し表情を曇らせた。

「ここは昔、戦場だったんだ」

 この荒野は昔、広大な森林であった。だが戦によって木々はなぎ倒され、焼かれ、植物が育ちにくい環境になってしまった。口調に嘆きを孕ませながら、マイルはそう語った。

「赤月帝国の話を覚えているか?」

 湯を注いだカップを差し出しながら、マイルが問う。リリィが思い出しながら頷くとマイルは南方へ顔を傾けた。

「南に見えるあの森は赤月帝国への入り口だ。かげろうの森と言って、昔はこの辺りの荒地も領土だったらしい」

「じゃあ、戦って……」

「赤月帝国と大聖堂(ルシード)の、争いだ」

 コアから少し聞いた歴史を思い返しながらリリィは口を閉ざした。

 戦争とは人間と人間が命を奪い合うだけでなく、様々な恩恵まで奪い去っていく愚かな行為である。故郷を出てその言葉を知ってから忌み嫌ってきたリリィはおもむろに顔をしかめた。

「何故、人間は争うのかしら」

 答えを求める問いではなかったがリリィは思わず口にした。少しの哀悼と興味の混ざったような表情で、マイルは考えこんでから口火を切る。

「人間とはどうして生まれたか、教わったか?」

「モルド様の所に居た時に、少し」

「大聖堂の教えか。それなら神の子ども、というやつだな」

 頷いたが、リリィはそれが正しいとは思っていなかった。マイルもまた信じていない様子で、淡々と話を続ける。

「説は色々あるが、どれが正しいのかは誰にも判らない。だが愚者のような存在がある以上、神が創り出したと考えるべきなんだろうな」

「……神なんているのかしら」

 根深い不信がこもったリリィの一言に、マイルは微かに笑ったようであった。

「昔はいたのかもしれない。だが愚者が殺したらしいから、今はいないのかもしれないな」

「神が人間を支配していたら人間は争わずにすんだのかしら?」

「どうだろうな。人間は争うようにと、神が創ったという話もある」

 マイルの話を聞きながら、リリィは愚者の言葉を思い出していた。永久に変わることのない運命(さだめ)とは創造した神が死しても尚、争うことを義務づけられているということなのかもしれない。だがそんな風には考えたくないと、リリィは小さく首を振った。

「どんなに仮説があろうとはっきりしていることは一つだ。この大陸でひしめき合うように生きている人間は、殺し合いをしている」

 ただ一つ、確かなものが戦争の事実。マイルは皮肉に口元を歪めていたがリリィには嘲笑(わら)えなかった。

「なんとかして、なくならないかしら?」

「愚者の言っている運命(さだめ)とやらが人間(ひと)が争いを断ち切るということなら、彼等を探し求めれば可能かもしれない。まあ何が目的であるにせよ、まずは探し当てないことにはどうにもならないが」

「そうね」

「そろそろ休もう。夜明けには発つ」

 マイルが話を切り上げたのでリリィも従い、厚手の毛織物にくるまった。

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