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第七章 古の武器庫(9)

 マイルとリリィがネオンの宿屋に着いた時、コアは不在であった。室内にはクロムと椅子に縛られた青年だけがおり、マイルとリリィは同時に眉根を寄せる。

「……辰巳(たつみ)?」

 縛られている青年の顔を確認したマイルは驚きながら呟いた。すぐさまクロムを振り返り、マイルは問いを口にする。

「何故、猿轡なんだ?」

 クロムから辰巳が自害しようとしたので猿轡を噛ませられていると聞き、マイルは眉間の皺を深くした。クロムも詳しい事情を知っている訳ではないようであったが、マイルはさらなる説明を求める。一通りの話を聞き終えたマイルは嘆息しながら辰巳に目を移した。辰巳は頭を垂れたまま、決して顔を上げようとはしない。

 オラデルヘルの主人であるライトハウスはシネラリアの出身なので、その従者である辰巳は外部からシネラリアの情報を得たいと思っている者には都合の良い存在である。だがマイルには何故辰巳がシネラリアを大聖堂(ルシード)に売ったのか、その理由が解らなかった。

「何故、そんなことを……」

 オラデルヘルに滞在していた時に見た辰巳は、細やかな気遣いをする清々しい青年であった。そういった印象を抱いていただけに、マイルは落胆を隠せなかった。

 椅子の上の辰巳は一点を見据えたまま反応を示さない。猿轡をしていなくとも辰巳は何も話さないだろうと思い、マイルは空を仰いだ。

(この気持ちには、覚えがあるな)

 シネラリアという後ろ盾を失ったオラデルヘルは、いずれ大聖堂かフリングスの手に落ちる。自衛の手段がない以上、オラデルヘルにはただ滅びを待つことしか出来ないのである。その状況は、赤月帝国で白影の里が姿を消した時とよく似ていた。

 怒りとやるせなさを同居させながらマイルは俯く辰巳を見据えた。胸倉を掴み上げ、マイルは椅子ごと辰巳の体を持ち上げる。

「お前は、クレルを裏切った」

 マイルがクレルの名を口にした刹那、辰巳の顔が歪んだ。しかし裏切り者が悲痛な表情をして見せたところでそれは怒りを助長させるものでしかなく、マイルは拳を振り上げる。

「待ってマイル!!」

「マイルさん!! やめてください!!」

 リリィとクロムに両脇から制され、マイルは我に返った。苦く顔を歪めながらマイルは辰巳から手を引く。

「……すまない、二人とも」

 マイルが苦しい呟きを零すとリリィとクロムは同時に手を離した。複雑な表情で佇んでいるリリィとクロムを直視することが出来ず、マイルは俯く。

「俺が怒るべきことじゃないな」

 辰巳を断罪するのはクレルか、もしくはその父親のライトハウスである。己の領分を弁えず無鉄砲な憤りを露わにしたことをマイルは恥じ入ったが、第三者の声が深刻な空気を破った。

「何故怒っているのか知らないが、その通りだ」

 野太い男の声は室内の注目を集めた。戸口を振り返って見た男の容貌に驚き、マイルは言葉を失う。

 開け放たれた二枚扉の前に佇んでいる男は頭を丸めており、毛皮のコートを羽織るなど豪奢な服装をしているが一見するとごろつきの首領のようである。人相の悪さに拍車をかけているのは鍛え上げられた筋肉であり、男の胸板は厚く腕は丸太のように太かった。見知らぬ大男の登場に一行があ然と立ち尽くす中、男はマイルに視線を傾ける。

「誰だか知らないがクレルのために怒ってくれたことは感謝しよう」

 男の腕が伸びてきて、マイルは一方的に握手をさせられた。男の握力があまりに強かったのでマイルは顔を歪めて唇の端を引く。マイルの手を解放した後、男は開け放たれたままの扉に呼びかけた。

「クレル、お前もそんな所にいないで入って来たらどうだ」

 男の呼び声に応じ、複雑な表情をしたクレルが扉の影から姿を現した。表面上は他人のために怒っていた場面を当事者であるクレルに聞かれていたと知り、マイルは苦い気持ちを抱く。穴があったら入りたいと思ったが、マイルは無表情に努めて歩み寄って来たクレルを迎えた。

「クレル、こちらの方は……」

「ああ、親父だ。オラデルヘルの主人(マスター)、ライトハウスだよ」

 クレルから返答を得たマイルは横目でライトハウスの風貌を盗み見た。年齢不詳な感が漂うライトハウスは商売人と言うよりは成金であり、クレルとは似ても似つかない。

(これは……クレルが血縁関係を疑うのも無理はない)

 今考えずとも良いことであったが、マイルは一人で頷いた。ライトハウスは怪訝そうに薄い眉をひそめ、辺りを見回す。

「コアはいないのか?」

 ライトハウスに自分たちも到着したばかりであることを告げ、マイルはクロムを振り返った。

「そういえば、コアは何処へ行ったんだ?」

「先代のネオンという方に会いに行きましたが……」

 ライトハウスに圧されて固まっていたクロムが恐る恐る口を開く。マイルはクロムの様子に苦笑しながら軽く宥めた。

「なんだ、まだ戻って来ていないのか」

 ライトハウスが「まだ」と言ったことにマイルは違和感を覚えた。だが説明は加えられず、ライトハウスは肩を怒らせて辰巳に向かう。

「さて、やってくれたな」

 ライトハウスに見下ろされた辰巳はそれまで上げていた顔を伏せた。だがライトハウスの太い指に捕らえられ、辰巳の顔は再び上方を向く。

「なに猿轡なんか噛ませられてんだよ? 自害でもしようとしたのか? ふざけんじゃねえぞ!」

 どすの利いた低い声で凄むライトハウスの様子は脅迫のようであった。これではどちらが被害者か判らないとマイルが内心で苦笑をした時、再び第三者の声が降ってきた。

「相変わらずガラが悪いな、オヤッサン」

「おお、やっと来たか」

 半笑いを浮かべて登場したコアを、ライトハウスが笑みで迎える。ライトハウスの微笑みは獣的であり見る者を圧倒するが、コアは慣れている様子で傍へ寄った。

「自害しようとしたんで拘束したが、このままじゃ話も出来ないよな」

 椅子に縛られたままの辰巳を見下ろし、コアはライトハウスの意向を伺う。ライトハウスは構わんと一言発し、自ら辰巳の猿轡を解いた。

「辰巳……いや、フランツ。死のうなんて素振り見せたらぶん殴るからな」

 ぼきぼきと太い指を鳴らすライトハウスに疑惑の視線が集中した。クレルでさえ初めて耳にする話のようで、彼は驚きながら父親を見つめている。

「フランツ?」

 首を傾げている者達を代表し、コアが問いかけた。ライトハウスはコアを一瞥した後、驚愕の表情で口を開けている辰巳を見据える。

「お前、俺が何も知らないとでも思ってたのか?」

「ライトハウス様、何故……」

「何故もクソもねえ! この洟垂れ小僧が、俺を甘く見てんじゃねえぞ!!」

 怒声とともにライトハウスの強烈な鉄槌が辰巳の頭に落ちる。コアと、少し遅れてクレルが、慌ててライトハウスを止めに入った。

「二人だけで訳わかんねえ話してんじゃねーよ」

「コアの言う通りだ。親父、俺たちにも解るようにちゃんと説明してくれ」

 コアとクレルにそれぞれまくしたてられ、ライトハウスは苦虫を噛み潰したような表情で辰巳を顧みた。猿轡は外されたものの椅子に体を固定されている辰巳は下を向き、歯を食いしばって涙を浮かべている。ライトハウスは悔しさを滲ませながら昔の話を始めた。

「こいつはな、十五の時オラデルヘルで働かせてくれと頼み込んできた。それから十四年、俺の従者として働いてきたんだ。俺は、オラデルヘルで働かせる奴の経歴は把握することにしている。だからすぐ、こいつが出身も名前も偽ってることを知った。それで調べることにしたんだ」

 辰巳の本名はフランツといい、出身は北方独立国群の小さな部族である。その部族からは多くの女がネオンに働きに来ていたのでますます疑いを強めたのだと、ライトハウスは語った。

「ローラと恋仲だった。そうだろう、フランツ?」

 ライトハウスの問いには答えず、辰巳は苦悶の表情を浮かべている。コア一人が納得したように頷き、クレルが疑問を口にした。

「ローラ?」

「今のネオンだ」

 クレルに問いに答えたのはコアであった。ライトハウスはコアとクレルを一瞥した後、再び辰巳を見る。

「貧しさを理由に愛しい女と引き離されたんだ、納得いかないのも解る。ましてやその女は体を売ることを仕事にしてる。ローラを抱くシネラリアの男どもが許せなかったんだろ?」

 ライトハウスはそれまでの強硬さを和らげ、一転して諭すように優しく語りかけた。辰巳は諦めたように頷き、口元を歪めながら自ら口を開く。

「シネラリアもフリングスも、ローラに手を出す男はみんな死ねばいいと思い続けてきました。ライトハウス様には申し訳ないと思いましたがシネラリアを売ったこと、後悔していません」

「馬鹿野郎!!」

 空気を振動させるような怒号を発すると同時にライトハウスは辰巳の頬を張った。衝撃に耐えられなかった椅子が横倒しになり、縛り付けられている辰巳もろとも転がる。だがライトハウスは叱責の手を緩めなかった。

「ローラはな、お前と子供のために一生懸命働いてんだ! それを、踏みにじるような真似しやがって!!」

 こめかみに青筋を浮かせ、ライトハウスは倒れた辰巳の胸倉を掴み上げた。辰巳は呆然としていたが、次第にその目が見開かれる。

「子供……?」

「お前の子供だ。ローラはオラデルヘルに来た時、もう身籠っていたんだよ」

 呆気に取られながら成り行きを見守っていたマイルは思わずクレルを疑った。怪訝そうにライトハウスと辰巳を見つめていたクレルはマイルの視線に気がつき、顔を傾ける。クレルにはマイルの視線の意味が分からなかったようだが、意味を汲んだコアが容喙した。

「ああ、違うぜ。クレルは関係ない」

 コアが断言したのでマイルは複雑な心境で頷いた。クレルはキョトンとしていたが説明は加えず、コアはマイルに向けて話を続ける。

「クレルの髪色や体格はオヤッサンよりも辰巳に近いけどな。ネオンの子は女だ」

「クレルは俺の子だ」

 コアとマイルの話を聞きつけたライトハウスが口を挟んだので、クレルにも話が通じたようであった。自身が話題に上っていたことを知ったクレルは安堵と嫌悪が混じったような複雑な表情を浮かべる。マイルはクレルに言葉がかけられず、コアとライトハウスは雑談を始めた。

「そういえばコア、俺のワイフをいたぶってくれたそうだな?」

「ワイフ? 誰のことだ?」

「アニタの病が悪化したらどう責任をとる?」

「じゃあ、先代のネオンがクレルの母親って訳か?」

「それは違う」

 先程までの深刻な空気はすでになく、マイルは己のせいで話が中断してしまったことを悟った。場が行き詰っていることをひしひしと感じながら、マイルはコアの傍に寄る。

「コア、事情が絡みすぎて話が破綻している。個別に話した方がいいんじゃないか?」

 コアが即座に提案を受け入れたのでマイルは口を開けたまま立ち尽くしているリリィとクロムの元へ移動した。

「……何なの?」

「よく分かりませんが、何だかすごいことになっていますね」

 何も知らないリリィとクロムが困惑するのは当然であった。マイルは苦笑し、事態の収拾はコアに任せたことを二人に伝える。

「とりあえず別の部屋を借りよう」

 マイルの提案を受け入れたリリィとクロムはすぐに踵を返す。そこへ、コアがやって来た。

「部屋借りるんならアレ、使えよ」

 コアの言葉はリリィに向けられていたが当人は首を傾げる。

「アレって何?」

口紅(ルージュ)だよ。ネオンにもらっただろ?」

「ああ……あれね」

「アレがあれば宿代どころかネオン中無料(タダ)になる」

「そんなにすごい物なの?」

「権力の象徴だって言っただろ? 見せるだけでいいから、有効に使えよ」

 驚くリリィを尻目にコアはライトハウスの元へ戻って行った。退出すると言うクレルも交え、マイルはリリィとクロムを連れて部屋を後にした。

「それにしても、驚いた。マイルでも感情的になることがあるんだな」

 室外へ出た途端クレルが口火を切ったのでマイルは己の醜態を思い返して皮肉な笑みを浮かべた。

「感情を抑圧するのは良くないな。俺も身をもって知った。だからあまり、自分を抑えつけない方がいい」

 独白に似せ、マイルは考えを述べた。マイルの意図したことはしっかりと伝わったようでリリィが目を伏せる。マイルはリリィに向き直ってから改めて言葉を紡いだ。

「正直さは時に短所にもなるが利点となることも多い。ありのままでいいんだ」

「……なんか、コアにも似たようなこと言われたわ」

 ふっと、リリィは笑みを浮かべて目を上げる。少し皮肉を含めたリリィの微笑を見たのは久しぶりだと思い、マイルも自然な笑みを浮かべた。

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