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第七章 古の武器庫(8)

 ネオンの街で宿をとったコアは椅子に縛り付けた辰巳(たつみ)の監視をクロムに任せて夜の街を歩いていた。

(……変わりねーな)

 元締めであるオラデルヘルに危機が迫っているので、コアはネオンの営業も停止しているのではないかと思っていた。だがネオンの夜は華やぎ、本日も男性客を誘う娼婦の声が溢れている。逞しさと呆れを同時に覚えながら、コアは表通りを抜けて路地裏へと入り込んだ。

(この辺りか……)

 ネオンにもらった地図と照らし合わせながらコアは目的の建物を探した。薄汚れた路地裏には荒ら屋がひしめいており、とても過去にネオンの名を与えられていた女が住んでいるとは思われなかったがコアはある建物の前で足を止める。見上げた先では派手な色彩の洗濯物が夜風に揺れており、コアは眉をひそめた。

 二階の窓から垂れ下がっている女物の下着は、来訪者の侵入を許可する目印である。コアは悪趣味だと苦笑しながら目立たぬよう壁に取り付けられている梯子に手をかける。洗濯物の下がっている窓を手順に従って三回ノックすると、窓は内側から開かれて少女が顔を覗かせた。すでに話は通っているようで、少女はコアを招き入れるように室内へ後退する。コアは遠慮なく進入し、窓を閉めてから改めて少女に向き直った。

「あんたは稼ぎに行かないのか?」

 色素の薄いブラウンの髪をした少女は見目十四、五歳である。そのくらいの年齢になればネオンでは客引きに立つのが当たり前なので、コアは自然な疑問を口にしたつもりであった。しかし少女は不快そうに眉根を寄せる。その少女の表情が誰かに似ていると、コアは瞬間的に思った。

「私は娼婦ではありません」

 きっぱりと断言する少女は拗ねたように顔を背ける。コアは密かに少女を観察しながら詫びた。

「そいつは悪かった。で、先代のネオンとやらは何処にいるんだ?」

「……こちらです」

 少女に案内され、コアは室内の扉をくぐった。その先は寝室となっており、狭い室内に置かれたベッドでは中年の女が上体を起していた。

「お客様をお連れしました」

 少女が事務的な声音で告げると女はゆっくり頷いた。少女が退室してから、コアは見上げてくる女に目を移す。

 ベッドの上にいる女はすでに四十を過ぎているであろうと思われた。女の頬は痩け、生気の窺えない顔には暗い影が落ちこんでいる。上掛けの上に置かれた女の腕は異常なまでに細く、とても健常な人間だとは思われなかった。

「病か?」

 コアが感じたことをそのまま問うと先代のネオンは豪胆な笑みを浮かべた。

「あと何年、生きてられるかってところだね。明日にはくたばっているかもしれない」

「そんだけ口が回れば長生きするぜ」

 コアは呆れて言いながら女の傍へ寄った。見上げてくる女の瞳は青であり、先程の少女の瞳の色とは異なる。

「あんたの孫かと思ったが違うみたいだな。あの娘は何だ?」

 ネオンは娼婦の街である。働き手にならない幼い子供ならばともかく、娼婦でもない年頃の少女がネオンで生活をしていることにコアは違和感を拭えなかった。床上の女は素っ気なくコアの問いに応じる。

「ディーナのことが知りたきゃローラに聞くんだね」

 ディーナというのは先程の娘の名であろう。そこまでは察しがついたがコアにはローラという名に覚えがなかった。

「ローラって誰だ?」

「今のネオンだよ」

 先代のネオンはいとも簡単に答えてみせた。情報を咀嚼したコアは思わず手を打つ。

「ああ、それで見たことあるような顔だと思ったのか。表情がそのまんまだぜ」

「おかしなことを言うね。あの娘は十年以上母親とは会ってないっていうのに」

「……そうなのか?」

「あんたはローラのことを探りに来たのかい? 探られてることも分からないであたしの所へ寄越すなんて、馬鹿な女だね」

 先代のネオンと今のネオンがどういう関係にあるのかコアには与り知らないことであったが、ベッドの上の女は陰気な含み笑いをした。コアは苦笑いをした後、本題を口にするため表情を改める。

「ローズマリーの秘薬って聞いたことあるか?」

 それまで卑屈とも見える笑いを零していた女は、コアが発した言葉に過剰なまでの反応を示した。和やかな空気は失せ、室内には重苦しい気配が漂う。

「……また、ずいぶんと懐かしいことを思い出させてくれるね」

 口火を切った女は回顧の表情を浮かべていた。独白の後、女に剣呑な瞳を向けられたのでコアは苦笑する。

「いわくつき、って感じだな」

「あんた、どこでそんな物を知った?」

「そうだなぁ。お前さんは先代のネオンだ、ライトハウスのオヤッサンとも懇意なんだろ? だったらいずれ知ることになるだろうし、話してもいいが?」

「……アニタ。それがあたしの名だよ」

 病人とは思えない形相で舌打ちをし、アニタは吐き捨てるように名乗った。嫌々ではあってもアニタが誠意を見せたのでコアは勝ち誇って笑う。

「シネラリアが大聖堂(ルシード)に屈した。その時に使われたのがローズマリーの秘薬だって話だ。んで、気になったから調べてる」

「笑いながらする話か」

 軽い調子を崩さないコアに辟易した様子でアニタは顔を背ける。アニタの横顔に苦渋が浮かんでいることを見逃さず、コアはすっと目を細めた。

「自責するほど因縁は深い、と。さて、話してもらおうか?」

 アニタは瞠目しながら顔を戻したがコアは応じなかった。真顔で腕を組むコアの横柄な態度を見たアニタは乾いた唇を噛み、上掛けをきつく握る。だがやがて、アニタは弱々しく口を開いた。

「ローズマリーの秘薬がどういうものか、知っているのかい?」

「大昔、西の国で使われていた媚薬だってところまでは聞いた。それ以上は知らない」

「媚薬狩りの話は?」

「ああ、それも聞いた。閨房の術とともに葬られたらしいな」

「媚薬狩りは、ローズマリーの秘薬が元で始まったのさ」

 アニタが語った内容は興味深く、コアは先を続けるよう促した。深い息を吐いてからアニタは話を続ける。

「ローズマリーの秘薬は媚薬の最高傑作と言われた。生成したのはローズマリーって女でね、彼女はエーダという大国の王妃だった」

 ローズマリーは嫉妬深く、王妃でありながら王に妾がいることさえ拒むような女であった。王の心を捕らえておきたい一心でローズマリーは閨房の術を学び、媚薬の生成に心血を注ぎ込んだのである。その結果、ローズマリーの秘薬が誕生した。

 秘薬により、王はローズマリー以外の女を見なくなった。だが強すぎる媚薬は王の心身を蝕み、やがて王は廃人と成り果てた。

(媚薬というより、もはや毒だな)

 黙って昔語りを聞いていたコアは皮肉げに口元を歪めた。だがコアは口元を手で覆って表情を隠したのでアニタの話は続く。

「ローズマリーは落胆したが、やがて支配欲に目覚めた。廃人となった王を繰り、彼女は大国エーダを動かし始めたのさ」

 傍若無人に振る舞うローズマリーの言動は波紋を呼び、やがて内乱が起こった。この内乱によりエーダは亡国の途を辿ってしまう。大国エーダの凋落(ちょうらく)を目の当たりにした周辺各国は次々に媚薬を禁じ、閨房の術も忌避されるようになった。これが、媚薬狩りの真相である。

 話が一段落したことを見計らってコアは疑問を口にした。

「ローズマリーの秘薬ってのがどれだけ強力か、よく解った。で、大昔に廃棄されたもんがどうして今になって出てきたりするんだ?」

 すぐには答えず、アニタは嘆くようにため息をついた。やつれたアニタの面をじっと眺め、コアは次の言葉を待つ。小さく頭を振った後、アニタは再び語り出した。

「まだオラデルヘルが存在しなかった頃、ネオンとウランは互いにいがみ合い、憎しみあっていた。そのことは知っているかい?」

 ウランはネオンに隣接する街である。ネオンと同じく現在ではウランもオラデルヘルの傘下にあるが、過去に争いがあったことを知っていたのでコアは頷いて見せた。

「ああ。そんな争いは無意味だって、ライトハウスが役割を分けたんだろ?」

 そのためネオンは男性客を専門に扱い、ウランは女性客を専門に扱うという仕組みになったのである。コアがそう付け加えるとアニタは皮肉げに笑った。

「ああ。ライトハウスには感謝しているよ。あのまま争いを続けていれば共倒れだったろうからね」

「それで?」

「……まだ今の仕組みが出来ていなかった頃、あたしはネオンに多くの客を引く方法を考えていた。それで、過去に使われていたっていう閨房の術と媚薬に目をつけたのさ」

 話しながら顔を伏せたアニタは両腕を抱えてがたがたと震え出した。不可解なアニタの反応にコアは眉根を寄せたが、続きは促す。アニタは顔を上げないまま再び口を開いた。

「ライトハウスが今の仕組みをつくってから、調べたことなんて忘れてたよ。媚薬なんてものがなくてもネオンは儲かっていたからね」

 しかし十年ほど前、当時のネオンであったアニタの前に少女が現れた。その少女はローズマリーの秘薬を知っており、再現したいから協力してくれとアニタに申し出たのだという。

「口が巧くてね、あたしは話に乗った。調べていくうちに生成に携わった者の子孫だっていう奴を見つけてね、生成法を教えてくれって頼むために出向いたんだよ」

「よく、そんなもんが残ってたな」

「最高傑作だったって言っただろう? 廃棄しろって言われても、作った奴にしてみれば功績だ。そう簡単には捨てられなかったんだろう」

 物に執着のないコアには生成者の心情を理解するまでには至らなかったが、世の中にはいくらでもそういった事例は存在する。アニタに頷いて見せた後、コアは先を促した。

「交渉はうまくいかなかった。なにせ、ローズマリーの秘薬なんて物は知らないの一点張りだったからね。あたしはすぐに諦めようとしたけど、あの娘はそうじゃなかった」

 少女は生成方法を知る者を拷問にかけて無理矢理聞き出したのだと、アニタは鬱々とした口調で語った。

「そりゃまた過激なことで」

 得体の知れない少女の異常なまでの執着心はコアに呆れと疑惑を抱かせた。アニタには軽い言葉を返しつつ、コアは頭を働かせる。

(十年前当時、少女か。ってことは、今は二十歳そこそこだな)

 コアの脳裏にはすでに、ある女の姿が浮かんでいた。半ば確信を抱きながらもコアは苦悶の表情を浮かべるアニタに問う。

「拷問少女、どんな顔してたか覚えてるか?」

「忘れるはずがない。あの、禍々しい黒い瞳……不吉な黒い髪、あの女は人間じゃない!」

 アニタの叫びには少女への恐怖と憤慨が入り混じっていた。興奮したせいで咳き込んでベッドに倒れたアニタに礼を言い、コアは踵を返す。寝室を出るとディーナが佇んでいたのでコアは足を止めた。

「盗み聞きしてたのか?」

「そんなことしません! アニタ様のお体に障りますのでもう、お帰りください」

 つっけんどんな態度で言い捨て、ディーナは寝室へと姿を消す。不快を露わにするディーナの表情は母親にそっくりだと思いながら、コアは苦笑した。

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