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第七章 古の武器庫(5)

 目覚めから、リリィはひどい倦怠感に見舞われていた。体の調子が思わしくないことを自覚しながら、しかしリリィはコアとの約束の場所へ足を運んだ。

「遅い」

 早朝にもかかわらず、そう言ったコアの顔には眠気もだるさも浮かんではいなかった。そういえばコアが寝ぼけている姿は見たことがないと、リリィはぼんやりしている頭の片隅で思う。続いて北方独立国群での睡眠に関するやりとりを思い出したリリィは苦笑を浮かべたつもりであった。だが実際にはリリィの表情は薄笑いであり、コアが眉根を寄せる。

「なに笑ってんだよ。気味わりーな」

 コアの口調が悍ましいと言っていたのでリリィは口元を引き締めて、なかなか焦点の定まらない風景に目を凝らした。リリィから反応が返ってこなかったため、コアは早々に話題を転じる。

「まあ、いい。そこに立ってろ」

 リリィがその場で姿勢を正すとコアは正面からゆっくりと拳を突き出した。

「こうやって正面から攻撃が来た時、避ける方法は三つある。一つは、左へ避けること。一つは、右へ避けること。一つは、後方へ身を引くことだ」

 胸の前に突き出された腕を一瞥した後、リリィはコアの顔に視線を転じる。コアが少し後退しろと指示を出したので、リリィは数歩下がって直立した。コアは踏み込んだ右足を軸に左足を上げ、リリィの顔の横で停止させる。足を下ろしてから、コアは説明を始めた。

「背後に身を引くと、こういう風に連続攻撃が飛んで来る可能性がある。避けた後の対処が難しいからお前はまだ使うな」

 リリィは理解出来ないままに頷いて見せた。しかしリリィは真顔であったため、コアは咎めることなく説明を続ける。

「今は左右に避けることだけ考えろ。相手が右で突いてきたら左、左で突いてきたら右へ体をひねる。相手の腕の外側に出るんだ」

「うん……」

「当てていくからな」

 言葉を切り、コアは少し距離をとって構えた。リリィは重い腕を持ち上げてゆっくりと顔の横へ持っていく。だがリリィの視界はすでに回り始めていた。

「行くぞ」

 短いコアの言葉を最後に、リリィは意識を失った。







 コアが胸部に軽く拳を当てるとリリィは倒れたまま起き上がってこなかった。異変を察したコアはリリィを担ぎ、ため息をつきながら歩き出す。コアの肩や腕に触れるリリィの体は外気に反して熱く、明らかに患っていた。

(脆いったらありゃしねえ)

 悪態をついているうちに宿舎に着いたので、コアはカレンの部屋の前で声を上げた。

「おーい、いるか?」

 早朝ではあったがすぐに応答があり、チョコレート色の髪をした少女が顔を覗かせた。すでに身支度を整えているカレンはコアに担がれたリリィを見て瞠目する。

「邪魔するぜ」

 一応言い置いてからコアは室内に侵入した。簡素な室内にはベッドが二つ並んでおり、コアは窓際の方へリリィを放る。すぐにカレンが傍に寄り、リリィの額に手を当てた。狭い室内で腕を組み、コアは壁に背を預ける。

「たぶん風邪だろ。雪の中で露宿したりしたからな」

 手際よく看病の準備をするカレンをしばらく眺めた後、一段落したのを見てコアは口を開いた。

「オッサン、ちょっとやつれたな」

 コアが前触れもなく話題を転じたのでリリィに目を落としていたカレンは顔を上げ、首を傾げた。

「モルド様のことですか?」

 オッサンという単語が彼女のなかではモルドと結びつかなかったのだと察し、コアは少し気まずく頷いた。カレンは微かに眉根を寄せ、表情に憂いを滲ませる。

「やつれたように、思われますか?」

「……ああ。オッサン、けっこう自分の体に無頓着なところがあるからな。見ててやってくれ」

 伏目がちだったカレンは不思議そうな顔つきでコアを見つめた。

「何故、私に?」

「あんたなら臆したりしないだろ?」

 コアが断言するように言うとカレンは口元に手を当てて小さく吹き出した。年頃の少女らしく華やかに笑う様を見ていると苦手意識が少し和らぎ、コアも自然と笑みを零す。

「若い嫁さんでももらって、オッサンには長生きしてもらわないとな」

「そうですね」

 すっと笑いを収めたカレンの顔色を窺い、コアは首を傾げた。先刻まで愛らしく微笑んでいた少女の顔は、現在は無表情という仮面に覆われている。不可解なカレンの言動を考察した結果、コアはある結論に行き着いた。

(立場を弁え見返りは求めない、ってか。オッサンも隅に置けないね)

 コアは人知れずため息をつき、カレンに苦笑を向ける。

「あんた、いい女だな」

「あら。ありがとうございます」

 自身を褒められることは素直に受け入れるカレンの様子に肩を竦め、コアは足に体重を戻した。

「じゃ、その娘っ子よろしくな」

 振り返らずに手を振り、コアは宿舎を後にした。その足で客間へ向かい、コアは大袈裟にため息をつきながら侵入する。

「何かあったのか?」

 出発の準備をしていたマイルが眉根を寄せながら尋ねたのでコアは簡単に事情を説明した。

「……疲れが出たんだろう」

 マイルが無理もないと言うのでコアはもう一度ため息をついた。出発は延期せざるを得ないが何か妙案はないかと、コアは考えを巡らせる。クロムに目を留め、コアはぽんと手を打った。

「クロム、大聖堂(ルシード)に行ってみるか?」

 突然矛先を向けられたクロムはぽかんと口を開け、マイルは眉根を寄せた。

「どうせ行き先は決まってんだ。現地合流にしないか?」

 クロムの同意を得ないまま、コアはマイルの懐柔に取りかかる。マイルはため息こそつきはしたが嫌そうな素振りは見せなかった。

「確かに、いつ回復するか分からないリリィを全員で待つのは効率が悪い」

「それは、お守りを引き受けてくれるってことだよな?」

「……有益な情報ももらったしな。文句はない」

「よし、オラデルヘルで落ち合おう」

 マイルに笑みを向けた後、コアは喜々とした顔つきのままクロムを顧みた。

「行くぞ」

「えっ、すぐですか?」

「モタモタすんな」

 困惑顔のクロムを急き立ててコアは客間を後にした。そのまま足早に礼拝堂の敷地を出て、コアは腰に手を伸ばす。

「やっと吸えるぜ」

 煙管に火を入れて美味そうに煙をくゆらせるコアを、追いついたクロムが不思議そうに見つめた。

「そういえば、喫煙してる姿は見ませんでしたね」

「この寒さで水ぶっかけられちゃたまらないからな」

 礼拝堂での滞在はわずか一日であったが、コアは解放感を存分に味わいながら歩を緩めた。







 モルドに事情を説明した後、マイルは宿舎を訪れた。通路を忙しなく往来していたローブ姿の女性にリリィの居場所を尋ね、マイルは一室の前で足を止める。マイルが軽く扉を叩くとチョコレート色の髪を一つに束ねた少女が姿を現した。

「リリィがこちらにいると聞いたんだが」

「どうぞ」

 少女に招き入れられ、マイルは室内に足を踏み入れた。リリィは窓辺のベッドに横たわっていたが覚醒していて、マイルが傍に寄ると目を上げた。

「ごめんね、迷惑かけて」

 赤い顔をしているリリィの声音はいつになく弱々しいものであった。病人に余計な気を遣わせないため、マイルはリリィに笑みを向ける。

「コアはクロムと先に発った。残っているのは俺だけだから気にせず養生したらいい」

「……そうなんだ」

「いい機会だからゆっくり休め」

 病床に長居は無用と心得ているマイルは必要事項だけを告げると踵を返した。ローブ姿の少女が水を汲みに行くと言うので、共に部屋を後にする。

「リリィのこと気遣っていただいて、ありがとうございます」

 少女が恭しく、頭を下げる。彼女は件の、コアをして恐ろしいと言わしめた人物であるがマイルの目には礼儀正しい穏やかさしか映らなかった。

「旅中は男ばかりだからな、なかなか気が休まらないだろう。たまには、ゆっくり休めばいいんだ」

「お優しいのですね」

 少女の言葉は返答に困るものであったのでマイルは曖昧に苦笑した。少女が笑ったところで、遅ればせながら名乗りあう。

(……いい娘じゃないか)

 空の水桶を片手に去って行くカレンを見送りながら、マイルは素直にそう思っていた。

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