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第七章 古の武器庫(1)

 世界地図を右に九十度回転させた時、そこには髑髏の姿が浮かび上がる。髑髏の顎と呼ばれる大陸最東端を後にした一行は大聖堂(ルシード)領内を西進し、モルドが管理する礼拝堂へと向かっていた。モルドのいる礼拝堂はリリィにとって、短い期間ではあるが住んでいた場所であり肉親のような少女――カレンが暮らす場所である。だがオキシドル遺跡での一件がリリィを気鬱にさせており、山道を上る足取りも重かった。

 山の中腹にある礼拝堂への道は整備されているが冬の時分なので小雪が舞っている。精神的な不安定さは肉体的な疲労にもつながっていて、リリィは鉛のような体を叱咤しながらそれと知れないよう喘いでいた。

「そろそろ日暮れだな」

 雪を被った枯れ木の彼方に空を仰ぎながら、マイルが言う。マイルの意を受けたコアは足を止め、周囲を窺ってから口を開いた。

「露宿だな」

「このままいけば夜半には着くが、露宿でいいのか?」

 マイルが問うとコアは担いでいた荷物を下ろしながら答えた。

「急ぐ理由もないしな。寝床の準備、頼んでいいか?」

 コアの意図を汲めなかったマイルは首を傾げながら頷く。コアはマイルから視線を外し、リリィを振り返った。

「体術、やるぞ」

 動き回るほどの体力が残っていないことを感じながら、リリィはコアの無慈悲な言葉に頷いて見せた。弱々しくなっている精神を無理に奮い立たせ、リリィは荷物を置いてコアと対峙する。コアは手首を回しながら口火を切った。

「武器を使って戦うことよりも、しばらくは肉体を鍛えることを優先する。いいな?」

 リリィは安堵しながら頷いた。リリィの表情がわずかに緩んだことを察したコアは不満そうな顔をする。

「安心したって顔してんじゃねーよ。遅かれ早かれ武器の扱い方もやるからな」

 胸中を見透かされ、さらには手厳しい言葉まで頂戴したリリィは鬱々とした気持ちになった。だが迷いを顔に出すことは愚かだと思い直し、リリィは無表情に徹してコアを仰ぐ。

「やるわ」

「よし。いい面構えだ」

 コアは満足そうに笑った後、表情を改めてから再度口を開いた。

「攻撃より、まずは打たれ強さだ。打たれ強さってのは慣れだな。よって、加減はするが当てていく。覚悟しとけ」

「……わかった」

「じゃあ、行くぞ」

 両手で拳をつくり、コアは頬の辺りに据える。上半身は半身を切り右足を引くというコアの構えに倣い、リリィは見様見真似で体裁を整えた。じりじりと、コアはリリィとの距離を詰める。足は換えず地を擦るように、リリィは少しずつ後退した。

 リリィの目は握られたコアの手元を注視していた。だが一つ瞬きをした後、リリィの視界に映ったのは接近したコアの顔であった。下方から内臓を持ち上げるような衝撃に見舞われ、リリィは腹部を押さえて走り出した。







 木々の間に厚布を巡らせることで簡易テントをつくる作業をしていたマイルは走り去って行った人物に目を留めた。雪を物ともせず遠くなっていくイエローブラウンのポニーテールに眉根を寄せながら、マイルは振り返る。

「水、用意しておいてやってくれ」

 露宿の位置から少し離れた場所でリリィの特訓をしていたコアがマイルの傍に腰を下ろしながら言う。リリィの異変を察したマイルは顔をしかめた。

「やりすぎじゃないのか?」

「あれくらいで吐いてたら話にならねーよ。あいつはまず腹筋を鍛えることだな」

 淡白な科白を平然と言い放ち、コアは煙管を取り出した。コアとリリィの間でどのような取り決めがなされたのか知る由もないマイルはただため息をつく。

「避けられないものなんですね」

 特訓を見物していたクロムがぽつりと零した。クロムの独白が耳についたようで、コアは煙を上げる煙管を置いて立ち上がる。

「お前、ちょっとそこに立ってろ」

「えっ……」

「動くなよ? 動くと当たるからな」

 困惑するクロムの返事を待たず、コアは少し距離を置いて構えた。直立不動のまま硬直しているクロムの懐へ入り込み、コアは衣服に触れたところで拳を止める。

「さっきリリィに向かって行った時はこのくらいの速さだ。お前なら避けられたか?」

 コアが真顔のまま言うとクロムはぶるぶると首を振り、青褪めながら後退する。護身術程度には武術を嗜んでいるマイルは見ているだけで十分速いと口の中で呟いた。

「勘は、悪くねーんだけどな」

 雪の上に再び腰を下ろし、コアは煙管を口元に近づけながら独白のように呟いた。







 ひとしきり走った後、リリィは膝を折った。咳き込んだ拍子に胃の中身が出てしまったが食事前ということもあり固形物はなく、胃液ばかりが白雪を溶かしていく。咳き込み、吐き出し、息を吸うという行為を涙ながらに繰り返し、リリィは腹部を抱えて雪の上に転がった。吐気は和らいだが酸欠に陥った頭が痛み、腹部の鈍痛がリリィを苛む。

(痛い、気持ち悪い)

 それ以上の言葉は浮かばず、リリィは体を縮めて歯を食いしばった。だが意思とは無関係に涙が流れ続け、顔に触れる雪を溶かしていく。

 リリィはしばらく動けずにいたが、後を追って来る者はいなかった。ありがたいと思う反面一抹の寂しさも感じながら上体を起こし、リリィは目元を拭う。腹部はまだ痛んだが抗いようのない寒さに負け、リリィは立ち上がった。

(……戻らなきゃ)

 荒い呼吸を整え、戻ることを拒否している体に鞭を打ち、リリィは一歩を踏み出した。恐怖に負けてしまいそうな感情を制御するため頭を空にするよう努めて、リリィは足元だけを見つめながら歩く。そうして機械的に足を動かしているうちに露宿の場所に到達し、視界に誰かの足が映ったのでリリィは顔を上げた。

「……ひどい顔色だ」

 マイルが顔をしかめながら言った。リリィはマイルに差し出された皮袋を受け取り、水を流し込む。

「戻って来たか」

 木々の間に巡らされた厚布の向こうからコアが姿を現した。そうしようなどとは微塵も思っていなかったがリリィは体を震わせる。歯を食いしばることで逃げようとしている体を据え置き、リリィは睨むようにコアを見た。コアは少し目を細め、しかし笑みは浮かべずに言葉を続ける。

「まだ、やるか?」

「やるわ」

 リリィは即答した。即答でなければ挫けてしまいそうだったからである。コアは唇の端を引き、皮肉ではない笑みを浮かべた。

「たいした根性だ。よし、やるぞ」

 コアは踵を返し、雪が避けられている道へと向かう。リリィはマイルに水袋を渡し、息を吐いて感情を鎮めてからコアの後を追った。

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