第六章 時劫の迷い子(8)
洞窟の内部は寒風に晒される外よりも暖かかった。足場もそれほど悪くはなく、コアは違和感を覚えながら松明を持って先行するラーミラへ声を投げる。
「先は長いのか?」
「すぐ着くわ」
ラーミラは奥行きがあまりないと言ったが、そのわりには松明がないと進めないほど周囲は闇色である。太陽の傾き加減によってまったく光が射し込まないのかと訝りながら、コアは背後を振り返った。洞窟の入口部分だけが切り取られた空間のように光を放っている。
「それにしても、歩きやすいですね」
クロムが何気なく独白したのでコアは顔を戻して頷いた。
「俺も思ってた。地面、平坦だよな」
「全体像が見たいわね」
ラーミラも同じことを考えていたようでそう零したが、太陽の光が射したとしても洞窟内全てを照らし出すことは不可能だろう。
「あっ!」
突然、クロムが声を上げた。何事かと、コアとラーミラは振り返る。ラーミラの持つ松明に映し出されたクロムは困ったような表情をしながら動きを止めていた。
「あの……何か押しました」
クロムがそう言ったので、コアとラーミラは岩肌に突いているクロムの手を辿る。ラーミラが松明を近づけると、確かにクロムの手は岩にめりこんでいた。不可解な現象を目の当たりにしたコアは眉根を寄せながら首を傾げる。
「何だこりゃ? どうしたらこんな形になるんだ?」
滑らかな岩肌は、クロムが手を当てている部分だけが四角く凹んでいた。刹那、空間内に異音が響き渡る。しかし風を排出するような異音はすぐに止み、次の瞬間には洞窟内部の様子が煌々とした光に映し出されていた。
「……なんだ、これ」
ぽかんと口を開け、コアは頭上を仰いだ。洞窟の上部では無数の丸い物体が光を放っている。
「クロム、もう一度押してみて」
奇怪な出来事にもラーミラは動じずに指示を飛ばす。ラーミラの意を受けたクロムは再び凹んだままの部分へ手を当てた。
「あ、戻ってきます」
凹んだ横岩はクロムの言葉とともに盛り上がり、再び滑らかになった。徐々に光が失せ、最終的にはラーミラの持つ松明だけが闇に揺らぐ。ラーミラは再びクロムに指示を送った。
「クロム、もう一回」
「はい」
クロムが再び横岩を凹ませると、洞窟内にはまた光が溢れた。もはや天然の洞窟でないことを確信したコアはラーミラを振り返る。ラーミラはコアに頷いて見せてから白墨を取り出した。
「目印、つけておきましょう」
白墨で横岩に目印をつけ、ラーミラは松明を消して奥へと急ぐ。ラーミラの言っていたように洞窟の奥行きは深くなく、しばらく進むと異様な物体が目についた。白銀の輝きを放つ箱型の物体へ寄り、コアは首を傾げる。
「何だこれ?」
「用途は分からないけど、ちょっと『列車』に似てない?」
ラーミラが同意を求めるような言葉を発したので、コアは彼女が調査を待っていた理由を察した。再び白銀の箱へ視線を移し、コアは考えこみながら独白する。
「……『機械』ってやつか」
「列車? 機械? 何ですか、それ?」
クロムが興味深そうに容喙したのでコアは思考を中断して顔を傾けた。クロムを一瞥した後、コアはラーミラを見る。
「こいつの登録はもう済ませてあるのか?」
「ええ。調査部所属よ」
「なら、大丈夫か」
愚者と同様に『列車』や『機械』のことは大聖堂の極秘事項ということになっている。大聖堂の関係者であっても軽々しく話してはいけないという決まりが存在するが、コアは大丈夫だと踏んだ。だがいざ説明となると言葉に窮し、しばらく考えた後にコアは口を開く。
「あのな、大聖堂の本部がある神山には特殊な移動手段があるんだよ。そいつを『列車』って呼んでんだ」
列車は大聖堂創設の折に発見された神山の内部を走る長方形の乗り物である。地下の空洞を進むため外部からは見えず、移動速度は人間の足とは比べ物にならないほど速い。そこまで説明して一息つき、コアは頭を掻きながら話を続けた。
「でもな、どうやって動いてるのかよく分からねえんだよ」
列車が発見されたのは六十年余り前の出来事である。当初は仕組みを理解するための研究がされていたが壊れたら直せないため、現在は打ち切りとなっている。
「重宝してるんだけどな、最近は使用制限が厳しくてよ」
大聖堂へ戻るたび小言を聞かされているコアは渋面で空を睨む。捨山の『機械』に向かっているラーミラが付け加えるように口を挟んだ。
「初めに使おうと思った人がすごいわよね。怖いもの知らずと言うか無鉄砲と言うか」
「そうそう。大体、大聖堂は考えが浅いんだよ」
ラーミラの発言に頷くコアの話は、いつの間にか大聖堂への愚痴にすり替わっていた。そのことを自覚したコアは軽く眉根を寄せる。
「あの、どうして列車と言うんですか?」
クロムがおずおずと口を出したのでコアは眉間の皺を解いて話を元に戻した。
「それはな、そう書いてあったからだ」
呼び名がないとは不便なもので、おそらく列車とは仮称のつもりで命名したものであろう。それが定着し、現在でも名称としてまかりとおっているだけの話である。
「そういう訳分からん物を総称して『機械』と呼んでる。これも書いてあったってだけで意味は分からない、というわけだ」
「はあ……大聖堂には色々と秘密があるんですね」
呆れた様子で独白し、クロムは話を打ち切った。コアもまた説明する言葉を持たなかったので箱型の『機械』を調べているラーミラを顧みる。
「何か分かったか?」
「……さっぱりよ」
「ま、いったん戻ろうぜ」
険しい表情で『機械』を睨むラーミラとまだ呆けているクロムを促し、コアは出口へ向けて歩き始めた。
顔にあたる風が冷たく、リリィは自然に目を覚ました。視界には灰色の空が広がっており、リリィは瞬きをくり返す。
「起きたか」
傍で声がしたので顔を傾け、リリィはマイルの姿を確認した。ゆっくり上体を起こすとマイルが毛織物を差し出したので、リリィは包まりながら周囲を見回す。
「ここ、何処?」
枯れ木と雪の景色は山中のものである。リリィが記憶を繋げようとしているとマイルが静かに口を開いた。
「捨山だ。気を失う前のことを、覚えているか?」
寝起きではあるが空気が冷たいせいか頭は冴えており、リリィはすぐに思い出した。刹那、強烈な死の臭いがしたような気がしてリリィは喘ぐように呼吸をくり返す。しかしリリィには、もう吐き出すものが何もなかった。
マイルから水が入った皮袋を渡されたのでリリィは一気に干す。胸に手を置いて呼吸を整えてから、リリィはマイルを見上げた。
「ありがとう」
「……いや。大変だったそうだな」
マイルが沈痛な面持ちを浮かべたのでリリィは顔を背けて枯れ木の立ち並ぶ風景に意識を転じた。寂しい冬の山はひっそりと静まりかえっており、鳥の声すらも聞こえない。
(どうして、あんな……)
月明かりに映し出された老婆の姿が強烈な記憶として蘇り、リリィは打ち消そうと躍起になった。だが消そうと思えば思うほど、老婆の表情が鮮明に蘇る。
老婆は切迫した状況に身を置いていたにもかかわらず幸せそうに笑っていた。彼女の表情と行動はひどく不似合いであり、理解の及ばない心の内がリリィに恐怖と混乱を植えつけていた。
(殺せなかった)
殺されると思った時、それでもリリィには殺意が湧いてこなかった。それは人間を殺したくないという深層からの願いであったがコアが教える「強さ」とは相反するものである。
「殺さなきゃいけないのに……殺したくなんてない……」
支離滅裂な思考が口を突いて出ていることを、リリィは意識していなかった。リリィが突然独白を始めたことにマイルは焦り、リリィの体を揺さぶる。
「しっかりしろ!」
「どうして、殺さなくちゃいけないの?」
「リリィ!」
「なんで、あんな悲しい人たちがいるの?」
「リリィ!!」
「なんで……」
堰を切った感情は涙となってあふれ出し、リリィは虚ろに泣いた。手を放したマイルはしばらく黙っていたがやがて、口火を切った。
「以前、言っていたな。何故人間は争うのかと」
涙として感情を排出したことで少し落ち着きを取り戻したリリィはマイルを見つめた。マイルは真顔のままリリィを見据え、話を続ける。
「何故、人間は争うのか。その疑問は漠然としていて明確な答えはない。だがこの山に捨てられた者達と争わなければならない理由なら、答えはある」
何故、争わなければならないのか。その答えを知ることが現実を受け止める唯一の手段のように思え、リリィは泣き濡れたままマイルに縋った。
「教えて! どうしてなの!?」
必死の形相で縋りつくリリィを宥めてから、マイルは答えを口にした。
「端的に言えば大聖堂が悪い」
「大聖堂……?」
「そうだ。捨山のような場所が存在しているのは為政者が問題を放置しているからだ」
「……ごめんなさい、分からない」
「この山に棲む者達は飢えを凌ぐために人間を襲う。だが襲われる側のリリィは己の命を守らなければならない。だから、争いが生まれる。ここまでは分かるか?」
リリィが無言で頷くとマイルは話を続けた。
「その争いはこの山に人間が捨てられなければ始まらない。では何故、この山には人間が捨てられるのか。それは貧しい者達が己の命を守るためだ」
己の親を捨てなければならない理由は、貧しいからである。貧しさは様々な理由から生まれるが為政者が対策を講じれば防ぐことができる類のものもある。そして為政者には、己の国を潤すと共に自国の民を救済する責任があるのだ。
「ここは、大聖堂領だ。だから貧しい人々を救うのは大聖堂の役目だ。だが大聖堂は捨山の存在を知りながら放置している」
そのように突き詰めて考えれば捨山において争いが起こるのは大聖堂のせいなのである。そう、マイルは言った。
「大聖堂……」
マイルが語ったことの意味を考えながらリリィはその名称を繰り返した。しかしマイルに遮られ、リリィは顔を上げる。
「俺は、そう考えている。だから大聖堂を嫌っているんだが、それは俺の考えだ。コアやラーミラさんに訊けば違う答えが返ってくるだろう。 ……それに、大聖堂を嫌う理由には私情も混じっている」
あまり鵜呑みにするなと付け加え、マイルは苦笑する。緑青のことを言っているのだと気がついたリリィは微かに顔を歪めた。
「自分で考えろ、そういうことね?」
「そうだ。情報は判断材料にすぎない。大切なのは考え、自分の答えを出すことだ」
マイルが断言したのでリリィは錯乱していた思考が収拾したことを感じた。
全ての事象には根幹があり、それを知ることで価値観は形成されていく。また、根幹を知らなければ現実を嘆くことも大聖堂を悪と決め付けることもしてはならないのである。自身の価値観が未熟であることを痛感したリリィは拳を握りながらマイルに頷いて見せた。




