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第六章 時劫の迷い子(3)

 宿の一室には男ばかり三人の姿があり、室内は異様な沈黙に包まれていた。マイルは恐ろしいまでの無表情で黙り込み、クロムは成す術がないといった様子で沈痛な面持ちを浮かべている。一人、重苦しい空気に馴染めないでいたコアは眉間に皺を刻んだ。

「辛気くせーな」

 コアが居心地の悪さを言葉にするとマイルが鋭い視線を傾ける。マイルに睨まれたコアはため息をついて煙管を引き抜いた。

「未遂だろ? そんな気に病むことかね?」

「無神経の塊は黙っていろ」

 マイルの語気はいつになく強く、コアは辟易しながら煙を吸い込んだ。無言で幾度か煙をくゆらせているとラーミラが姿を現したのでコアは顔を傾ける。

「リリィはどうした」

「一人になりたいって。宿の裏にいるわ」

「こんな雪の降る夜にか?」

「部屋にいたくないんでしょう。仕方ないわよ」

 リリィの心境を慮ったラーミラは小さく肩を竦めてから椅子に腰を落ち着ける。コアは備え付けの小さなテーブルへ灰を落とし、ため息を吐きながら煙管を腰に戻した。

「今の状態でオキシドル遺跡に連れて行くの?」

 ラーミラの言葉は問いかけの形をとってはいたが「やめた方がいい」という微妙な意味合い(ニュアンス)を含んでいた。コアはマイルを振り返ってみたが、彼も同じように首を振る。視線を空に泳がせたコアは考えを巡らせながら口を開いた。

「そうだなぁ。じゃあ、捨山へでも行くか」

 一行が滞在しているベルモンドという町は大聖堂(ルシード)領の中では西域に位置するので、捨山はオキシドル遺跡への通り道にある。コアはそのことを踏まえたうえで発言したのでマイルも頷いた。

「リリィにとっても、今はラーミラさんが傍にいた方がいいだろう」

 マイルが付け加えたことについては、理解が及ばないのでコアは反応を示さなかった。また、マイルは捨山の特異性を認識していない様子であったがコアはそのことも受け流す。

「じゃあ、明朝出発な」

 一同に言い置いた後、コアは歩き出す。コアが何をしようとしているのか察したラーミラが声を上げた。

「リリィちゃんの所へ行くつもりなら、今はやめておいた方がいいと思うけど」

 ラーミラの発言はリリィへの配慮を存分に含んだものであり、コアは苦い表情を作りながら振り向いた。

「いつまでもそんなこと言ってられないだろ」

 甘やかすなと態度で示してきたのはリリィ本人なのである。そのことを念頭に、コアはその場を後にした。







 夜の訪れとともに雪が降り出したのでベルモンドの町は白く染まった。密閉された空間にいると息が詰まりそうだったのでリリィは暖かな室内を抜け出し、宿の裏手で灰色の空を眺めている。厚手の毛織物で体を覆っていても吐き出す息は白く頬にあたる寒風も容赦ないが、リリィには室内へ戻る勇気がなかった。

 軒下に座り込んだリリィは膝を抱いて小さく丸まる。同郷の友人であるビリーの豹変した様が、リリィの頭から離れなかった。

 リリィには、ビリーの行動の本当の意味は分かっていない。だが肌に伝わった他人の体温とのしかかってきた他人の重さというものが嫌で仕方がなかった。半ば本能的な嫌悪感がリリィを苛んでいるのである。

 不意に雪を踏む足音が聞こえてきたのでリリィは顔を上げた。足音は迷いなくこちらへ向かって来ているようであり、リリィは建物の角を見つめたまま足音の主が姿を現すのを待った。来訪者が誰であるのかを認めたリリィは再び顔を伏せる。

「お前、一晩中こんな所にいるつもりか?」

 棘を含んだ口調はコアのものである。リリィは答えられず、コアの顔を見ることも出来なかった。

 コアはしばらく無言でいたが、やがて息を吐いた。容易く隣に腰を落ち着かせるコアの態度にギョッとし、リリィは毛織物を引きずって遠ざかる。

「……なんだ、その態度」

 明るい雪の夜はコアの表情をよく映し出した。不可解さを滲ませるコアに答える言葉を持たず、リリィは反射的に顔を背ける。

「おい。話をする時は目を見るんじゃなかったのか?」

 コアが何気なく肩に手を触れた刹那、リリィの肌は粟立った。理性ではどうにもならない衝動に駆られ、リリィは乱暴にコアの手を払い除ける。リリィが激しい拒絶を示したことでコアは目を瞬かせていたが、やがて怒りを露わにした。

「甘やかすなって言ったのはお前だろ。これしきのこと引きずってんじゃねーよ」

「……ごめんなさい……」

 小声で謝罪した時にはリリィはすでに俯いていた。弱っている心に浴びせられるコアの叱責は容赦がなく、泣き出しそうになったリリィはきつく唇を噛む。毛織物の内部で縮こまって震えているリリィの姿を眺めていたコアはふと、真顔に戻った。

「怖いか?」

 胸の内が他人の言葉によって晒されることは恐ろしく、リリィは体を震わせた。だがコアは斟酌することなく、リリィの腕を掴む。リリィは悲鳴を上げそうになったがその前に、背中に鈍痛を感じて息が詰まった。

 真っ白になったリリィの頭は、目前にあるコアの顔に焦点が合った時に感情を取り戻した。押し倒されている姿勢は思い出したくない出来事を彷彿とさせ、リリィは怯えを露わにして目を瞑る。

「目を開けて俺を見ろ」

 コアの険しい声が降ってきても、リリィは堅く目を閉ざしたまま顔を背けることしか出来ないでいた。しかしコアに容赦というものはない。

「いいから見ろ!!」

 高圧的な態度に命令口調、そして少しも気遣う素振りのないコアの態度にリリィは憎悪を抱いた。恐怖を通り越して怒りがこみ上げ、リリィは目を開けてコアを睨み見る。

「そうだ、敵から目を逸らすな。怯えは敵意にすり替えろ」

 コアの言葉に敵意を煽られたリリィには自身がどのような感情を抱いているのか知る余裕はなかった。ただ真っ直ぐ(コア)を見据え、リリィは歯を食いしばる。コアは言葉を続けながら少しずつリリィに顔を寄せた。

「頭突きで鼻っ柱を狙え。そこが急所だ」

 敵意に引き込まれていたリリィはコアの顔が射程距離に入ったと感じた刹那、勢いよく頭を上げた。ごつ、という鈍い音が静かな夜に響き渡る。リリィが痛む額を押さえながら体を起こした頃にはコアが顔面を押さえて地面に転がっていた。

「いってぇぇぇぇ!! 本当にやる馬鹿があるか!!」

 のたうちまわった挙句、コアはリリィに怒声を浴びせた。痛みとコアの間の抜けた叫びに冷静さを取り戻したリリィは呆れながら口を開く。

「避けられなかったの?」

「あんな至近距離で避けられるか!! 普通に考えりゃ分かるだろ!」

「アンタがやれって言ったんじゃない」

「……確かに、俺がやれって言ったな」

 鼻の辺りをさすりながらもコアは急に冷静さを取り戻して頷く。突然肯定されたことを気味が悪く感じ、リリィは眉根を寄せた。

「今、冷静か?」

 コアの問いかけはまたしても急なものであり、リリィは曖昧に頷いて見せた。否定肯定よりもリリィの反応自体で判断したようでコアは座るよう促す。リリィが少し距離を置いて座りなおすとコアは口火を切った。

「さっきの体勢で俺が殺すつもりなら、お前は間違いなく死んでたな」

 再び毛織物にくるまったリリィはコアの言葉を重く受け止めた。コアは淡々と話を続ける。

「戦場でなくとも自分の身を守る強さは必要だ。でもお前は弱い。そして弱者に拒否権はない」

 精神的にも肉体的にも強くあれ。コアがそう言っていることをリリィは理解していた。だがリリィには、強くなるための術が分からない。

「……どうすれば、いいの?」

 己の無力さに歯噛みしながら、リリィはコアに縋った。コアはあっさりと解を口にする。

「俺に弟子入りする気はあるか?」

 発言の意味を捉え損ねたリリィはコアへと視線を移す。だがしばらく待ってみても説明が加えられる気配がなかったので、リリィは仕方なく疑問を口にした。

「弟子入りって、具体的にはどういうことなの?」

「他人に何かを教えるってことは手の内をばらすってことだ。手の内をばらすってことは弱みが漏れる可能性が高くなる。弱みが漏れるってことは、そのまま死につながるってことだ」

「……ごめん、分からない」

「つまりな、俺に弟子入りするってことは俺を知るってことだ。黙ってりゃ誰にも分からないことがお前に話したことによって誰かにばれるかもしれない。俺がそういう危険(リスク)を負う分、お前にも制約が課される。まあ、信頼関係だな」

 コアの口調は諭すように穏やかであったが真っ直ぐに見据えてくるまなざしは威圧的であった。旅立つ前、覚悟を見せろと言われた時のことを思い出したリリィはコアから視線を外して空を仰ぐ。

 旅を始めてから、リリィは自分なりの努力をしてきたつもりであった。だがいくら努力をしようとも成果が伴わなければ意味がないのである。吐き出した息が白く天へ上って消えたのを見送った後、リリィはコアを振り返った。

「コアは、私を信じてくれるの?」

「見込みがなかったら初めからこんなこと言わねーよ。お前はどうなんだ?」

「信じる。強く、なりたい」

 リリィが即答するとコアは不敵な笑みを浮かべて見せた。

「明朝出発だからな、荷物まとめて早く寝ろ」

 この場ではそれ以上のことは言わず、立ち上がったコアはそのまま去って行く。コアの後ろ姿を見送った後、リリィは両の拳をきつく握った。

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