第六章 時劫の迷い子(2)
ベルモンドの町で予想だにしなかった人物と再会をしたリリィとクロムは、コアとマイルがいる宿へと戻ることにした。リリィ達がラーミラを伴ってきたことを知った刹那、コアは顔をひきつらせる。しかしラーミラは臆することなく、コアへ向け突っ込んで行った。
「コア! 会いたかったわぁ!」
「うわっ! やめろって!!」
ラーミラが擦り寄り、コアが悲鳴を上げる。そんな代わり映えのしないコアとラーミラを横目に見ながらもリリィの意識は別のところに向いていた。ひとしきり騒いだ後、コアはラーミラを遠ざけてからリリィの横にいる人物へ顔を傾ける。
「で、そいつは何だ?」
「……同郷の、ビリー」
どう答えていいか分からなかったリリィは慎重に言葉を選びながら、それだけを口にした。コアは眉根を寄せ、しかし何も言わなかった。
「リリィ、二人だけで話したい」
隣に佇むビリーが強い調子で言ったのでリリィは複雑な気持ちを抱きながら頷いた。隣室で話をすることになり、出て行こうとしたリリィをコアの声が制する。
「リリィ、ちょっとこっち来い」
リリィは首を傾げながらコアの傍へ寄る。コアは寄って来たリリィの首に腕を回し、全員に背を向ける形で窓辺へ引きずった。
「ちょ、痛いって!」
コアの前腕には仕掛けがあり、硬いものが顎を直撃したリリィは涙目になりながら抗議した。コアは応じず、低い声で囁く。
「喋るんじゃねーぞ。これ以上は面倒看れねえからな」
他の誰にも聞こえないよう耳元で吐き出されたコアの言葉に、リリィは体を強張らせながら頷いた。間近でしっかりとリリィの表情を確認してからコアは腕を離す。一抹の不安を抱えコアを仰いでから、リリィはビリーを促して隣室へ移動した。
「あいつ、恋人?」
二人きりになった途端、ビリーは仏頂面で問いを口にした。ビリーの意図を理解出来なかったリリィは首を傾げる。
「あいつって誰のこと?」
「さっき窓の所で話してた奴」
「ああ……違うよ。あいつはただの……」
コアとの関係を簡単に説明しようとして、リリィは言葉に詰まった。
コアとリリィの間柄は友人でもなく、まして恋人などではない。だがただの知り合いというほど人となりを知らない訳でもなく、そういった場合に説明する言葉をリリィは持っていなかった。少しのあいだ考えこんだ末、リリィは小さく首を振る。
「うまく説明出来ないけど、恋人とかそんなんじゃないから」
「本当か?」
ビリーは納得がいかない表情で疑わしげな視線をリリィに向ける。その様があまりに昔のままであったのでリリィは小さく吹き出した。
「ビリー、全然変わってないね」
現在のビリーは少年と言うには大きな図体をしているが、リリィの知っている彼はやきもち焼きですぐに拗ねる子供であった。十数年ぶりの予期せぬ再会にリリィは戸惑っていたのだが、緊張が解れたので自然な笑みを浮かべる。
「元気だった?」
リリィが問うとビリーは顔を曇らせた。ビリーもまた養父母とうまくいかず、家を飛び出したのである。そうしたビリーの話を聞いたリリィは自分も似たようなものだと思い、苦笑した。
ビリーは口調を改め、話題を変えた。
「リリィは他の奴らと連絡とってたりしたか?」
「カレンとは、たまに。ちょっと色々あって、この間までは一緒に暮らしてたんだよ」
「カレン! 懐かしいなぁ」
追憶にふけるようにビリーは顔をほころばせる。リリィも一時懐かしい思いに囚われたがすぐ、真顔に戻った。
「ねえ、ビリーはどうしてラーミラさんと一緒にいたの?」
「ラーミラ? 誰だ?」
本当に知らないようでビリーは首を傾げている。ビリーの反応が予想外のものだったのでリリィは眉根を寄せながら説明をした。リリィの話を聞いたビリーは心得たように頷き、それから嫌そうな表情を作る。
「あいつ、ラーミラっていうのか」
「……名前も知らない人と何でもめてたの?」
リリィが呆れ気味に問うとビリーは険しい表情になって答えた。
「紅い空を飛ぶ艇、リリィも覚えてるだろ?」
ビリーが突然核心を口にしたのでリリィの心臓は激しく鼓動を打った。リリィは思わず胸に手を当て、自身を落ち着かせるために息を吐く。リリィの不自然な行動さえ目に入らない様子で、ビリーは忌々しそうに話を続けた。
「あの艇のこと、調べてたんだ。そしたら、あの女が同じものを調べてた。だから知ってることを教えてもらおうと思って声を掛けたんだ」
だがラーミラは何も話さず、終いには「しつこい」と言ってビリーを張り倒したのである。そして激昂したビリーが声を荒げ、リリィとクロムが目撃した光景につながるのであった。容易に想像のできる展開にリリィは渇いた笑みを浮かべたが、ビリーは真剣な表情のままリリィに詰め寄る。
「なあ、リリィはどうしてあいつらと一緒にいるんだ? 何か知ってるのか?」
危惧していた事態に陥ったことを察したリリィは思わず、目を逸らした。訝ったビリーはさらに語気を強め、リリィの両肩に手をかけて揺さぶる。
「知ってるなら教えてくれよ! どうして黙るんだ!!」
得体の知れない空を飛ぶ艇が憎い。ビリーの形相から、リリィはそうした思いを感じ取っていた。
故郷を失ってから、リリィもまた不明瞭な真実に翻弄されながら生きてきた。真実を知りたいと思うのは当然のことであり、同じ思いを抱いて旅に出ただけにリリィにはビリーの気持ちが痛いほど理解できる。だが、リリィは口を割らなかった。
貝のように口を閉ざすリリィに憤慨し、やがてビリーは明後日の方角へ顔を背けた。握られたままの拳は震えており、ビリーの怒りの大きさを表している。リリィはそんなビリーを哀しい気持ちで見つめ、静かに口を開いた。
「ごめんね、ビリー」
リリィはコアに擁護され、旅への同伴を許してもらっている。己がそういう立場に置かれていることをリリィは理解していたので、コアの言葉は絶対だと承知していたのである。だがリリィには、そのまま突き放す気もなかった。
「今は言えない。でも、必ず本当のことを確かめてくるから。だから私に任せてくれないかな」
リリィが決意を告げるとビリーは驚いたように目を丸くした。真っ直ぐにビリーを見据えたまま、リリィは言葉を続ける。
「理由は言えないけど、あの艇を追うのはすごく危ないことなの。ただ待つだけが辛いことなのは分かってる。でも、何もしないでほしいの」
ビリーが不服そうに顔を歪めたのでリリィは間髪入れずに頭を下げる。
「お願い、私を信じて」
しばらくの間、ビリーは何も言わなかった。リリィは頭を垂れたまま反応を待っていたがやがて、ビリーは息を吐いた。
「……わかった。リリィがそこまで言うなら、信じる」
言葉のわりにビリーの口調には不満が残っていたが、ひとまず理解を得られたことにリリィはホッとして顔を上げる。
「ありがとう」
数少ない同郷の友人が殺されてしまうかもしれないという不安を抱いていたリリィは心底安堵した。リリィが微笑を浮かべるとビリーは狐につままれたような表情を浮かべる。晴れやかな気分だったリリィはビリーの変化に気がつかず、口調を明るくした。
「家、出てきちゃったんでしょう? もし行く所がないならカレンの所に行くといいよ」
「あ、ああ……」
「聞いてくる。ちょっと待ってて」
隣室にいるコアに相談をするため、リリィは部屋を出ようとした。だが腕を掴まれて動きを止められ、リリィは首を捻りながらビリーを振り返る。
「ビリー?」
「別の話があるからもう少しいてよ」
「何?」
不思議に思いながらもリリィはビリーに向き直る。ビリーは至極真面目な顔つきで、口火を切った。
「俺、子供の頃からリリィのことが好きだった」
「……え?」
何を言われているのか理解が及ばず、リリィはぽかんと口を開けた。ビリーは真顔のまま捕らえているリリィの腕を引き、そのまま押し倒す。
「俺の女になってくれよ」
床に引き倒されたリリィは間近に迫るビリーの真顔に危機感を抱き、悲鳴を上げた。
リリィが隣室へ移動してから、コアはラーミラを振り向いた。
大陸の東北に位置するルーデル遺跡の町で別れた後、ラーミラは南へ発った。その彼女が大聖堂の本拠地にほど近いベルモンドの町にいるということは、一度本部へ戻ろうとしていたからであろう。そう察したコアは余計なことは訊かず、本題を口にした。
「何か新しい発見はあったか?」
ラーミラは肩を竦めながら首を振る。芳しくないのはどこもかしこも同じなようだと、コアはため息を吐いた。
「そっちは? 何か新しい発見はあった?」
ラーミラに問われたのでコアは愚者の情報ではないことを前置きしてからマイルに視線を移した。
「あれ、見せてやれよ」
コアの意図を察したマイルは懐から紙片を取り出してラーミラの傍へ寄る。マイルから紙片を受け取り、目を通したラーミラは感嘆の息を零した。
「古代地図? 何処で見つけたの?」
「そいつは模写だ。本物は巨石に刻まれていて北海に近い場所に眠ってる」
コアが答えるとラーミラはマイルの手に紙片を戻した。コアを仰ぎ、ラーミラは話を続ける。
「北海ってことは北方独立国群ね。新しい遺跡? 他に発見はなかったの?」
「都市型の遺跡だ。だだっ広かったが収穫はなしだ」
「そう。今後はどうするの?」
「オキシドル遺跡へ行こうと思ってる」
「そう……リリィちゃん、試練の時ね」
「大袈裟な言い方するな。それより、一緒に来るか?」
コアが誘うとラーミラは眉根を寄せて空を仰いだ。即答すると思っていたコアはラーミラが考えこむ姿を意外に思い、眉をひそめる。
「何かあるのか?」
ラーミラは困ったように苦笑し、迷った理由を語り始めた。
「捨山に遺物があるらしくて、調べてこいって言われてるの」
この街にいたのは召喚された帰りなのだと、ラーミラは付け加える。厄介な名称が出たことにコアは空を仰いだ。
「捨山、っすか」
「あんまり行きたくないんだけどね。遺物があるっていうなら仕方ないわね」
気乗り薄なラーミラと思案に沈むコアの姿を傍目から見ていたマイルとクロムが首を傾げる。
「そんなに厄介な場所なのか?」
マイルが疑問を口にしたのでコアは煙管を引き抜きながらため息をついた。
「そうか、知らないのか。捨山っつーのはその名の通り、捨て場だ」
「捨て場?」
「捨てるんだよ、人間を」
煙管に火を入れ、コアは深く煙を吸い込む。吐き出してみても、マイルは文句を零さなかった。
貧しい農村で食い扶持を減らすために老人や病の者を捨てる山、それが捨山である。捨山は神の名の下に政を行っている大聖堂領に存在するが長いこと放置され続けている。そのためどれだけの人間が捨てられ、どれほどの数が山中で生存しているのか詳しいことは何も分かっていない。
締め切った室内にゆっくりと煙をくゆらせながらコアはラーミラに視線を傾けた。
「それじゃ仕方ねえな。気は進まないだろうが頑張ってくれ」
「残念。一緒に行きたかったわ」
目に見えるほどに肩を落としてため息を吐いた後、ラーミラは表情を改める。ラーミラが甘える女の顔に戻ったことを察したコアは煙管を持ったまま歩き出した。
「さーて、こう寒いんじゃ酒が必要だね。一杯やってくるわ」
コアがそそくさと立ち去ろうとしてラーミラが素早く後を追った刹那、隣室から悲鳴が上がった。扉に近い場所にいたコアはとっさに部屋を飛び出し、悲鳴の発生源である隣室の扉を蹴破る。
「何事だ!? って、なんだ。お楽しみ中かよ」
隣室に踏み込んだコアは目にした光景に呆れながら戦闘態勢を解除した。ばつが悪く、コアは頭を掻きながら踵を返す。
「邪魔して悪かったな。続けてくれや」
「違うだろ」
立ち去ろうとしたコアの脇をすり抜け、どすの利いた声を発したマイルが室内へ向かう。平素のマイルからは考えられない形相を目にしたコアは思わず、室内を振り返った。
マイルはリリィを組み敷いている男に無言で近付き、首根っこを引いて後方に投げ捨てる。コアが知る限りでは、マイルがそのような粗暴な振る舞いを見せたのは初めてであった。コアは足元に転がってきた男を見ることもなく、瞠目しながらマイルを凝視する。
「なに怒ってんだ?」
コアの声は届かなかったようで、マイルは振り向きもせず体を丸めているリリィへ手を差しのべる。独白となってしまった呟きをコアが持て余していると、隣から笑い声が聞こえてきた。
「そう、そういうこと」
コアが視線を流すと隣にはラーミラの姿があり、マイルとリリィを微笑ましそうに眺めている。ラーミラの独白の意味を汲み取れなかったコアは首を捻って尋ねた。
「何がそういうことなんだ?」
「分からないならいいんじゃない? それより、リリィちゃんが大変ね」
それまで微笑を浮かべていたラーミラは瞬時にして真顔に戻り、リリィの元へ歩み寄る。取り残されたコアはひたすら首を傾げるばかりであった。
リリィをラーミラに任せて立ち上がったマイルは、険しい表情のまま倒れている男へ向かう。気絶している男の襟首を掴んでそのまま引きずるマイルの姿にコアは呆れた。
「デリカシーがないにもほどがある」
すれ違いざま、マイルはコアを睨み付けて吐き捨てる。
「……なんだよ、それ」
嫌味を言われる筋合いがないと感じたコアは不服に唇を尖らせたがマイルの姿はすでに消えていた。




