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第六章 時劫の迷い子(1)

 東の大国である大聖堂(ルシード)領内のとある山中には、小さな礼拝堂が存在する。大聖堂の調査部に所属するモルドが責任者を務めるこの場所では大聖堂が掲げる神、天乃王(てんだいおう)を祀っていた。

 まだ世界に大小数多の国が存在していた戦国時代、大聖堂は天乃王という天地・万物を支配する神を打ち出した。そして天乃王の声を聞き民衆を導くのが聖女であり、聖女の代行者として存在するのが長老衆と呼ばれる五人の老人である。大聖堂は信教にかかわらず信仰心を抱く者達を統括する組織であるが天乃王は便宜上の神であるため実像を持たず、聖女も形式的なものにすぎない。全ての実権は大聖堂を強国に仕立て上げた長老衆が握っており礼拝堂もまた、調査部の隠れ蓑にすぎなかった。

 信仰を穢す礼拝堂に偽りの神の象徴は何もない。だが無垢な信心を抱く者達は天乃王に祈りを捧げ、モルドの説法を聞くために礼拝堂へ足を運ぶのである。モルドはそうした者達へ謝罪の祈りを捧げることを日課としていた。

「モルド様、お休みになっていますか?」

 扉を叩く音の後に聞こえてきたのはモルドが身のまわりのことを任せているカレンの声であった。薄暗い自室で瞼を上げたモルドは、青の瞳を木製の扉に移す。

「どうした」

 常ならば、モルドが返答をすればカレンは姿を現す。しかしその夜、カレンは自ら扉を開こうとはしなかった。

「エドワード様がお見えになっています」

 扉を隔てた向こうから聞こえてきたカレンの言葉にモルドは驚愕した。モルドは急いで自室の扉を開け、チョコレート色の髪をした少女の背後に佇む知己を一瞥する。感情を面に表さないよう努めながら、モルドはカレンに視線を移した。

「ご苦労だった。後はわたしがやるので下がっていい」

 不意の来客に、カレンは不信感を抱いている様子であった。だがそれは幼少の頃より彼女を見てきているモルドにだけ分かる些細な変化であり、客人にはいたって平静に映ったであろう。来客にも一礼をし、カレンは静かに去って行く。カレンの背中を見送る余裕もなく、モルドは厳つい老人を室内へ招き入れた。

 老人とは思えない堂々たる体躯に強面の男の名は、エドワードという。彼は大聖堂を動かす長老衆の一人なのである。

「久しぶりだな、モルド」

 エドワードの口調は砕けていたが来訪の真意を掴みきれず、モルドは硬い表情のまま席を勧めた。年相応には見えずともエドワードは紛れもなく老齢であり、ゆっくりとした動作で椅子に腰を落ち着ける。

「俺も歳だな。領内の視察はこれで最後になるだろう」

 蝋の淡い明かりが、そう独白した老人の厳つい顔を歪ませる。エドワードが浮かべている表情が苦笑であることを知っているモルドは緊張を解かずに口元を緩めた。

 エドワードが一人称を「俺」に換える時、それは私的な会話の合図である。彼らは表向き最高権力者と一介の調査員という間柄であるが、実情は同志なのであった。

「アリストロメリア様に何か、ありましたか」

 現在の大聖堂は聖女の存在に否定的である。そのなかで唯一、アリストロメリアを擁護しているのがエドワードであった。

 モルドの問いにエドワードは様々な想いを含んだ重いため息をついてから口を開いた。

「今の大聖堂は戦のことしか頭にない。まだしばらくは、大丈夫だろう」

 エドワードの答えは予想していたようなものではなく、モルドは眉根を寄せる。モルドの変化を察したエドワードは常らしからぬ弱々しい笑みを浮かべ、窓のない室内で天を仰ぎ見た。

「俺はもう、いつ死んでもおかしくない。それだけの歳月を生きてきた」

 人生五十年と言われるなか、大聖堂を創った長老衆は五人全員が六十を超えている。それぞれの理由で正確な年齢は判らないが、誰もがいつ死を迎えてもおかしくないことだけは確かであった。エドワードは言葉を選ばず胸の内を伝えようとしているようであり、モルドはわずかな戸惑いを感じながらエドワードの強いまなざしを受け止める。

「生きているうちにお前に伝えておかねばならないことがある。モルド、俺の懺悔を聞いてくれ」

 懺悔とは、神の前に己の罪悪を告白して許しを請うことである。およそ神を信じているとは思われない者がその単語を発したことに、モルドは驚きを隠せなかった。









 東の大国大聖堂(ルシード)領に位置するベルモンドという町は平地に存在する。ベルモンドは東に大聖堂が本拠を構える神山を臨み、北方独立国群との国境からも遠くはないという立地である。雪で白く染まった街のなか、リリィはクロムと二人で道の脇に立ち止まっていた。

「これで終わり?」

 携帯用の食料や薬などが詰まった大きな紙袋を抱え、リリィはクロムを振り返った。同じく大きな紙袋を抱えているクロムは小さな紙片に目を落としながら頷く。

「大丈夫みたいです。帰りましょうか」

 クロムに促されたリリィは正面に見える雪を被った山を仰ぎながら歩き出した。吐き出す息が白く着込んでいても冷えるが、山育ちのリリィは寒さには強い。

 リリィとクロムは雑談をしながら宿へと向かっていたが、しばらく歩くと喧騒が耳についた。視線を転じると店先で男女がもめており、リリィは眉根を寄せる。

「痴話喧嘩ですかね」

 リリィと同じものを見て、さほど興味もなさそうにクロムが零す。そうした日常の些細な諍いは平和だからこそ生まれるものであり、リリィは皮肉な気持ちになった。

「行こう」

 足を止めていたリリィもすぐに興味を失い、クロムを促す。だが、クロムが驚いたような声を上げたのでリリィは再び振り返った。

「クロム?」

「あれ、博士のような気がするんですが気のせいでしょうか」

 クロムはもめている男女を指差して苦笑混じりの表情を浮かべている。リリィは店先に視線を戻し、まじまじと男女を見た。こちらに背を向けているため顔は見えないが女の髪型はカナリア色のショートボブであり、それはラーミラの特徴と一致する。

「……私もそんな気がする」

「やっぱり博士ですかね」

 傍へは寄らず、リリィとクロムはその場で諍いを眺めていた。やがて男の手を振り払った女が踵を返したことで、リリィとクロムは同時に声を上げる。

「ラーミラさん!」

「博士!」

 憤慨した様子で歩いて来たラーミラは足を止め、リリィとクロムの姿を認めたようであった。走り寄って来たラーミラは笑顔でリリィとクロムに声をかける。

「奇遇ねぇ。久しぶり」

 予期せぬラーミラとの再会にリリィとクロムは思わず顔を見合わせる。すると、ラーミラはからかうような笑みを浮かべた。

「二人っきりでデート? いいわねぇ」

 リリィとクロムは大荷物を抱えており、ラーミラの科白は軽口以外の何物でもなかった。リリィは呆れた顔をしたがラーミラは気にした様子もなくクロムへ向かう。

「クロム、ちょっとたくましくなったんじゃない? 顔つきがすこーしだけ男らしくなったわよ」

 ラーミラに頬を叩かれたクロムは困ったように苦笑する。助け舟は徒労に終わると察したリリィは黙って、師弟の再会を見守った。ひとしきりクロムをいじり倒した後、ラーミラはリリィに視線を転じる。

「それで、あなた達がいるってことはもちろんコアも一緒よね?」

「ああ……はい、今は……」

 答えかけていたリリィはラーミラの背後から迫り来る人影を目にして口を噤んだ。先程ラーミラともめていた男が乱暴に彼女の左腕を捕まえる。

「ちょっと待ってくれよ!」

 男は怒気を含んだ声音で叫んだがラーミラは冷静に対処した。振り向きもせず突き出したラーミラの右肘が腹にめりこみ、男はその場に崩れ落ちる。リリィとクロムは男に哀れみの視線を投げたがラーミラは見もせず、掴まれたままの左腕を振り払った。

「リリィちゃん、クロム、行くわよ」

 すでにコアのことしか頭にない様子で急かすラーミラの気迫に、リリィは引きつった笑みを浮かべて頷く。言葉もないクロムと共に歩き出そうとすると、うずくまっていた男が不意に顔を上げた。

「……リリィ?」

 名を復唱され、リリィは思わず足を止めた。腹を押さえたままの男は眉根を寄せ、リリィを真っ直ぐ凝視する。

「リリィ……なのか?」

 リリィの顔を確認した男は驚きながら立ち上がった。掴みかかられそうな男の勢いに押され、リリィは身を引きながら困惑した声を発する。

「誰?」

「俺だよ、ビリー。いつも一緒に遊んでたじゃないか!」

「……ビリー?」

 その名に心当たりのあったリリィはあ然として、次の言葉を失った。







 北方独立国群の領土にいた一行は雪に追われるように南下し、戻った大聖堂領では平地でも積雪するような季節になっていた。宿屋の窓から見える神山の頂はすっかり白く染まっており、時間の流れを感じながらコアは灰を捨てて室内を振り返る。

「素行が悪いぞ」

 マイルが顔をしかめながら文句を投げてきたがコアは気にせず、窓を閉めてから暖炉の傍へ寄った。

「熱心に見てるが面白いか?」

 マイルが手にしている紙を覗き込み、コアはさりげなく素行の話をなかったことにした。マイルが見ているのは北方独立国群の遺跡で発見した古代の地図を模写したものである。マイルは答えずに紙をたたみ、目を上げた。

「それより、これからどうするんだ」

 北方独立国群での調査の後、コアは一度大聖堂領へ戻ることを提案した。それはコアが大聖堂へ戻って新たな発見がないか調べてくるためであったが、大聖堂へはコア一人が赴けばいいことであり全員で移動をする必要はない。にもかかわらず全員で南下したことをマイルは非効率的だと咎めているのであった。

 マイルに向けられた非難の視線を受け流し、コアは再び冷気の漂う窓辺へ寄る。背を向けたまま、コアは真意を口にした。

「もう、一年くらいだろ」

 主語のないコアの言葉はリリィのことを言っていた。しばらくの静寂の後にマイルが返答を寄越したのでコアは同意を求めるために振り返る。

「そろそろ連れて行ってもいいんじゃないかと思うんだが」

「オキシドル遺跡へ行く、ということか」

 マイルが眉根を寄せながら確認を求めたのでコアは頷いて見せた。

 リリィの故郷であった名もなき集落の近くにはオキシドルという遺跡があることが確認されている。場所は地図上では最東、髑髏の顎と呼ばれる大陸の突起部に連なる深山の内部である。

 リリィの故郷が壊滅した後、大聖堂はオキシドル遺跡へ調査隊を送った。その時の結果は徒労に終わっているがコアはずっと、引っかかっていたのである。

「地図にも載らない名もなき集落の壊滅、それと同時に目撃された神を凌駕する者が乗っているとされる艇。しかも集落が遺跡の近くに存在してるとくれば関連がない方がおかしい。大体、大聖堂の調査は甘いんだ」

 最後は愚痴でしめくくり、コアは閉口した。マイルは静かに思案した後、頷いて見せる。

「リリィの疑問を紐解けば愚者につながる、か。 ……そうだな、そろそろ教えておいた方がいいだろう」

 壊滅した集落の生き残った者達以外が、どうなったのか。マイルはそこまで言及しなかったがコアも考えていることは同じであった。

「少しは成長しててくれるといいんだがな」

 この場にはいない少女の顔を思い浮かべ、コアは真顔のまま窓の外へ視線を転じた。

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