第五章 五黄の聖都(12)
ハンセン族と敵対している賊の根城は北海に面した平坦な土地にあり、リリィたち工作班は峡谷を東へ大きく迂回して平地へと到った。工作班は賊の根城へ到達するなり残党狩りに参加する予定であったが、すでに戦闘は終了していた。念には念をとのマイルの発言を受けたハンが周辺を捜索させること五日、コアが率いていた囮部隊も合流したため残党狩りは打ち切りとなった。
コアは様々な事態を想定していたが、結局のところそのどれもが杞憂に終わった。敵の不甲斐なさに個人的な不満は残ったが、コアはハンに不敵な笑みを向ける。
「快勝、だな」
「ああ。これでもう、賊に苦しめられることはない」
辛酸を舐めさせられた日々を振り返るように、ハンは感慨深く息を吐く。集まってきた若者達にもハンと同様の思いがあるようで、その場には哀愁が漂った。しめやかな空気の中、コアは軽い身のこなしで馬を下りて黒鹿毛と向かい合う。
「じゃあな。元気でやれよ」
コアは親しみをこめて馬の首筋を叩いたが馬は明後日の方角へ首を傾けた。つっけんどんな馬の態度に苦笑し、コアはハンを顧みる。
「こいつ、雌だろ?」
「ああ。雌だ」
ハンが頷いたのを見たコアは今一度馬に顔を傾けた。
「ったくよぉ……素直じゃねーな。そんなんじゃ嫁の貰い手がないぜ?」
コアの語りかける言葉にも反応を示さず、黒鹿毛の馬は「余計なお世話」と言わんばかりに体の向きをも変えてしまった。コアは肩を竦め、手綱をハンに渡す。
「捕らえた賊には容赦するな。死体は首を落として持って帰れ。そんで出来るだけ多く、晒せ」
「……ああ。わかっている」
ハンと小声で会話を交わしてからコアは表情を改めた。
「じゃあな、俺たちはここでお別れだ」
コアが差し出した手を、ハンはがっちりと握り返す。力を込められすぎたためコアは顔を歪めたがハンは深々と頭を下げたので気がつかなかった。
「世話になった」
「堅苦しいのは抜きだ。じゃあな」
初対面と同じ科白で別れを告げ、コアは右手を軽く振りながら踵を返す。口を挟まず成り行きを見守っていたリリィ、マイル、クロムは無言でコアの後に続いた。花道のように立ち並ぶ若者の中にカギの姿を見つけたコアはさりげなく傍へ寄る。
「親父に取り入って周りから固めるって手もあるぜ? しっかりモノにしろよ」
色恋沙汰には弱い直情な性質らしく、カギは悲鳴に近い声を上げた。コアは笑って、軽く手を振りながら再び歩き出す。
「さて、調査にかかるとするか」
大きく伸びをしてから、コアは眼前に広がる光景を見据えた。北方の部族に別れを告げた場所はすでに遺跡の内部なのである。
賊が根城としていた遺跡は街の姿をそのままに残している。元は大規模な都市だったようだが長い歳月のうちに海に浸食され、少しずつ削り取られている様相を呈していた。
「何処から調べたもんかね」
見渡す限り廃墟であり、コアは頭を掻きながら零す。マイルも思案するように遺跡を眺めていたがやがて首を振った。
「何処からもない。どうせ全て調べなければならないんだ」
「そりゃそうだ。じゃ、歩き回ってみっか」
コアが先頭に立って歩き出し、一行は遺跡の調査を開始した。
四人が散って歩けば効率が良いがまだ賊の残党がいるかもしれないので、遺跡の探索は全員同行という形で行われた。非効率的なやり方は時間を必要とし、探索は三日目に突入したが何も手掛かりは得られなかった。
「骨折り損の草臥れ儲けとはまさにこのことか?」
小休止に煙をふかし、コアがうんざりした様子で愚痴を零す。収穫がないことは疲労を倍増させるもので、リリィは億劫に視線を傾けた。
「最後の建物に賭けるしかないな」
そう言ってマイルが顔を向けたのは遺跡の中でも一際目を引く建物であった。
都市型遺跡の内部にある民家と思しき建物は、そのほとんどが風雨に晒され原型を留めていない。だが広大な面積を持つ箱型の建物だけはそれほど崩れているようには見えず、何かが残っている可能性が高そうなため最後に回したのであった。
「頑丈なのは外側だけ、ってことにならなきゃいいが」
様々な遺跡を見てきているコアは期待薄に灰を捨て煙管を腰に差す。コアの動作は移動の合図であり、リリィはゆっくりと重い腰を上げた。
遠目にはあまり崩れていないと見えた箱型の建物も、近くで見ると歳月の経過を如実に物語っていた。木製の扉はコアが手を触れると内部へ向けて崩れ落ち、今まで存在していたことが不思議なほどの腐敗ぶりである。だがレンガの壁は強く、窓として切り取られている場所の他は原型を保っていた。
「……暗いな」
コアの声を受けるまでもなく、マイルが荷物から松明を取り出す。マイルが差し出した木の棒を受け取り、コアは先端に火をつけた。
「足元、気をつけろよ」
コアの言葉は特定の誰かに向けられたものではなかったが不快を感じ、リリィはおもむろに眉根を寄せながら一歩を踏み出した。
建物の内部は中央に広間を持ち、左右に幾つかの小部屋を有する作りになっていた。小部屋には全て扉はなく、おそらくは布で仕切られていたことを思わせる切れ端のようなものが見付かった。入口から見ると左の最奥にあたる室内へ侵入したところで、コアが動きを止める。
「何だ、これ」
部屋の中央に位置している平たい石に松明を寄せ、コアは眉根を寄せた。石の表面が彫られ、浮かび上がっている模様は地図のようである。
「クロム」
書きこまれている文字が読めなかったのでコアはクロムを振り返った。クロムは石に顔を寄せ、表面に刻まれている文様を凝視する。
「世界地図、と書かれているようです」
「世界地図? これが?」
コアはおもむろに驚き、再び石に視線を転じる。石の反対側から覗き込んでいたマイルも瞠目したがリリィには話が呑みこめなかった。
「何に驚いているの?」
「お前……そりゃ、驚くって」
コアは呆れたような声を上げ、リリィに石を指し示した。世界地図と記されている石には大陸が七つ刻まれている。それは即ち、まだ誰も見たことのない新大陸が存在している可能性があるのだとコアは語った。
「だが、そんな話は聞いたことがないぞ」
信じがたいといった口調でマイルが口を挟む。マイルの言葉に応えられる者はなく沈黙が流れた後、その場の視線はクロムに注がれた。
「昔は、こういった地形だったんでしょう。現在も同じかどうかは分かりません」
それ以上は答えようがないようでクロムは言葉を切った。後を引き受けたコアが憶測を加え、私見を述べる。
「つまり、この都市みたいに沈んじまったかもしれないってことだろ?」
「その可能性は高いと思います」
クロムは慎重に頷いて見せたがリリィにはまだよく分からなかった。
「どういうこと?」
屈めていた背を伸ばし、コアはリリィに向き直って説明を加える。
「この遺跡に人間が住んでた頃はもっと大きな都市だったんだよ。おそらく半分以上は海に沈んじまったんだろうな。中途半端に街道が切れてんの、お前も見ただろ?」
リリィは山奥の育ちなので海を見たことがなかった。そのため初めて見る海に気を取られていたが、道や建物が不自然に途切れていたことは記憶に残っていたのでリリィは目を丸くする。
「沈んだから、なんだ……」
リリィが遅ればせながら驚きを露わにするとコアはため息を吐いた。
「鈍いぜ。察しろよ」
コアに嫌味を言われたリリィは唇を尖らせて押し黙る。コアはリリィの不服など意に介さず、クロムを振り返った。
「他には何か書いてないのか?」
「そうですね……僕たちが暮らしている大陸は、どうやらここのようです」
クロムが指したのは五つある大陸の中でも一際大きなものであった。石から情報を読み取りながら、クロムは言葉を次ぐ。
「それと、この都市は五黄の聖都と呼ばれていたみたいですね」
「ゴオウノセイト? どういうことだ?」
「方角に色の名を当てているようです」
コアの問いに答えてから、クロムは詳しい説明を加えた。
一白を北、二黒を南西、三碧を東、四緑を東南、五黄を中央、六白を北西、七赤を西、八白を東北、九紫を南と、それぞれ方角が宛がわされている。五黄の聖都とは中央に位置する聖都という意味であり、現在地は古代地図で言えば大陸の中央に位置していたことになる。
「ここが中央ってことは……北海の向こう側に大地が続いてた、ってことだよな」
頭を整理するように暗い天井を仰ぎながら、コアは独白を零す。おそらく、と言い置いてからクロムは頷いた。
「はあ……なんとも壮大な話だな」
突然明らかになった過去の世界観には驚きを通り越して呆れたようでコアは嘆息する。
「愚者に関する情報は何もなし、か」
マイルが現実的な一言を放ったので誰からともなく疲れ果てたため息が零れる。しばらく松明が燃える微かな音だけが聞こえていたが、やがてコアが口調を改めた。
「ま、せっかくだから書き写しておけや。何かの役に立つかもしれないしな」
「そうですね」
クロムは気を取り直したように荷物へ向かい、紙とペンを取り出した。クロムが模写を始めたのでマイルはコアに声をかける。
「次は、どうする?」
「そうだな……」
クロムに見えやすいように松明を掲げたまま、コアは考えを巡らせているようであった。だが妙案も浮かばなかったようで首を振り、コアは投げやりな調子で提案を述べる。
「一度大聖堂に戻ってみるか。そろそろラーミラの報告が上がってるかもしれないしな」
「西か南へは行かないのか?」
マイルの言葉は異論のようであり確認のようでもある響きを伴っていた。リリィは不思議に思い首を傾げたがコアは真顔に戻って頷く。
「もう少し様子を見てからだな」
どちらにしても一度大聖堂領へ戻るとコアは言う。マイルがコアの判断に委ねた様子だったのでリリィも疑問を口にすることはしなかった。
 




