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第五章 五黄の聖都(10)

 敵情視察から戻った翌日からコアとマイルは戦の準備にかかりきりとなった。怪我のせいもあって何もすることのないリリィは連日、同じく暇を持て余しているクロムと共に訓練の様子を眺めていた。

 当初はハンセン族の若者だけだったので三十人ほどの小規模な訓練であったが周辺部族が若者を寄越したことにより、コアの訓練を受けている者は賊を超える三百人余りという集団になっている。そのうちの半数以上は工作班に回されているので、ハンセン族の集落で訓練を受けているのは百二十名ほどである。百二十名のうちの四十名ほどをコアが率い、残りはハンセン族長であるハンが率いている。コアの部隊は馬を走らせ反転させるという行為を繰り返しており、ハンの部隊はさらに半数に分け紅白戦を行っていた。二つの部隊は役割が違うようであったがリリィには分からなかった。クロムも軍事に関しては知識がないようで黙って訓練の様子を眺めている。

「……ねえ」

 馬が立てる土煙と轟音に紛れ、リリィが発した呟きはクロムの耳には届かなかったようだ。無反応のクロムを振り返り、リリィはもう一度はっきりと呼びかける。

「ねえ、クロム」

「はい。何ですか?」

「人間はどうして、争うのかしら」

 クロムは思案に沈み、しばらくの沈黙の後ゆっくりと言葉を紡いだ。

「難しい、疑問ですね」

 クロムは博識だがその彼にも、答えはない様子であった。疑問を口にしたリリィ自身、はっきりとした意図があったわけではない。しかし生き生きと人間を殺すための訓練に心血を注いでいる男達の姿を見ていると、リリィには不思議に思えてならなかった。

 人間が争うように創ったのは、神である。以前マイルから聞いた話を思い出しながらリリィは馬群に視線を傾ける。

「本当の神さまがいれば、誰も死なずに済むのかな」

「本当の神様? どういう意味ですか?」

 リリィにとっては独白のつもりであったが聞きつけたクロムが食いついた。リリィは再び視線を転じ、興味深そうに答えを待っているクロムに向かう。

「今は、神さまっていないんでしょ?」

「自然の脅威から人格神まで、世界には様々な『神』と呼ばれる存在がいますよ」

 例えば火山の噴火や洪水などの自然災害を神の訓戒と捉えると、そこには『神』が存在する。古代の人々は己の理解が及ばない現象を『神』の所業だと考えていたが最近はこういった考え方は衰退してきている。これに対して、人間性をもつ超越的存在が人格神である。現在の世界に広まっているのはこうした人格を持つ神であり、様々な宗教が生まれるとき人格神も生まれている。

 クロムの語った内容は初めて聞くものばかりであり、リリィは情報を咀嚼した。考えを巡らせる中である疑問が浮上したのでリリィは独白のように零す。

「でも、神さまがいるのならどうして人間は争っているの?」

 一人でも超越的な存在が実在するのであれば、その者は人間を支配することも可能なはずである。にもかかわらず、人間が未だ争いを続けているということは……。

「神さまは人間が争わないことを望んでいない、そういうこと?」

 リリィは不快に顔を歪め、思いついたことを口にした。クロムは驚いたように瞠目する。

「リリィさんは面白い考え方をする人ですね。そういった解釈は初めて聞きました」

「そう?」

 クロムが驚く意味が理解出来なかったリリィは首を傾げる。クロムは表情を改めてから話を続けた。

「愚者が殺したらしいですから、きっと現在の世に『本当の神さま』はいないのでしょう。だから、争いが起こるのかもしれませんね」

「愚者が殺したのが本当の神さま、だったのかな……」

 愚者や神の話をしていると陸の孤島で出逢った女のことを思い出さずにはいられず、リリィはセレンの姿を思い浮かべた。愚者は『神』を殺した者達とされているが彼らが何故そのようなことをしたのか、真相は本人達にしか分からない。だが少なくとも新たな『神』になるつもりはないのではないかと、セレンを目の当たりにしたリリィは直感していた。

(セレンが言ってた決断って、何だろう)

 陸の孤島の閑人は再び相見えることがあるならば決断を迫られることになるとリリィに告げたのである。リリィが考えたところで答えを得られるはずもない内容に思いを馳せているとクロムが口火を切った。

「リリィさんは人間(ひと)に神が必要だと、思いますか?」

 嫌悪感を煽られたリリィは深く考えることもなく感情のみで即答した。

「いらない」

 助けてくれない『神』など意味がない。まして争いを望む『神』など死んでしまえばいい。怨恨に駆られた凶暴な気持ちで、リリィはそう思った。

「人間を動かすのは恨みの心、なのかもしれませんね」

 苦笑しているクロムには応えず、リリィは馬群に視線を転じる。訓練場では馬と人間が入り乱れ、黒鹿毛の馬に跨ったコアは相変わらず若者達に同じ動作を繰り返させていた。









 当初の予定であった二月を少し過ぎ、北の大地には雪の気配が感じられるようになった。戦の準備も整い出陣を明日に控えた夜、コアは族長の家でハンと向き合っていた。

「いよいよだな」

 軽い調子で声をかけるコアに対し、すでに緊張しているハンは硬い表情で頷く。図体のわりに気が小さいハンの姿は見慣れたものとなったが特に感慨もなく、コアは苦笑した。

「んな緊張すんな。賊の討伐くらいどーってことねーよ」

「そう、だな」

 ハンは笑って見せようと無理に顔を引きつらせた。だがハンの表情はがちがちであり、コアは眉根を寄せる。

 限られた時間ではあったが軍事訓練を行い、あとは賊を掃討すればコアの役目は終わりである。だがハンにはその後、周辺部族との連携を保ちつつ一帯の治安を維持するという重責が待ち受けている。要であるハンが今のままでは先が思いやられると感じたコアは表情を改めた。

「俺がいなくなっても、今まで通りやればいいんだ」

 ハンはこの二月ですっかりコアを頼るようになってしまっていた。コアが突き放すような物言いをしたことでハンは不安げに顔をしかめる。

「出来るだろうか?」

「いい歳した男が情けねー声出すな。族長だろ、しっかりしろよ」

 コアは立ち上がってハンに歩み寄り、肩口を軽く叩く。まだ緊張を残しているもののハンが自然に近い表情で笑ったのでコアも笑みで応えた。

「明日で片をつけるぞ」

 コアが念を押すとハンは鋭く目を上げた。族長らしい覚悟が表れた顔つきに手を振り、コアはハンの居室を後にする。室外では族長の娘であるセンが待ち構えていた。

「明日でお別れなんですね」

 センは寂しそうに呟き、わずかに潤んだ目を上げた。戦力外であるセンは敵地へ同行しないので明日の朝、見送りと同時に別れとなる。コアは苦笑を浮かべ、己の顔の高さにあるセンの頭に手を置いた。

「世話になったな」

「お気をつけて。お元気で過ごしてくださいね」

「おう。ありがとな」

 コアが軽く頭を叩くとセンは笑顔で踵を返した。淡白な別れを心地よく感じながらコアは歩き出す。しかし族長の家を出たところで、今度はカギが待ち構えていた。

「待ち伏せか?」

 腰から引き抜いた煙管に火を入れながらコアは呆れて言った。月の光に照らされたカギは至極真面目な表情をしている。

「コア殿、手合わせ願いたい」

 今までにも幾度か聞かされた決闘の申し出にコアはうんざりしながら煙をくゆらせる。

(女の方がよっぽど引き際を知ってるぜ)

 男のしつこさは見るに耐えないと胸中でぼやきながらコアは返事をしなかった。焦れたカギは腰に差した剣を抜き放ち、切っ先をコアへ向ける。

「おいおい、丸腰の奴相手に物騒だな」

 コアは現在、剣を佩いていない。だがコアの軽口は無視し、カギは腰に差しているもう一本の剣を鞘ごと放った。わずかに土煙を上げながら足元に滑り込んできた剣に目を落とし、コアは仕方なく煙管の灰を捨て腰に差す。

「族長の家の前で遣り合ったら問題だろ? 来いよ」

 鞘ごと剣を拾い上げ歩き出すコアにカギは無言で従った。集落では夜になると出歩く者はほとんどいないが念のため、人目につかないよう離れた場所まで移動してからコアは足を止める。牧草地とするために森を切り開いている途中の場所では下草を冷たい風が揺らし冴え冴えとした月が空に浮かんでいた。

「カギ、お前の強さは部族の誰もが認めてる。それでも、俺と遣り合いたいのか?」

 背を向けたまま、コアは最後通告のつもりで口を開いた。カギは血気盛んな様子で大きく頷く。

「オレは、あなたに勝たなければならない」

「……いいぜ。じゃあ、来いよ」

 振り返ったコアは鞘を捨て、抜き身の剣を構えた。白刃を下げていたカギも応じ、一歩を踏み出した足に力をこめる。

 カギの巨体が地を蹴った。大柄な男にしては速度のある突き出しであったがコアは上半身を捩るだけで躱す。カギが頭上から剣を振り下ろしたのでコアも剣を持ち上げた。しかし体重を乗せたカギの攻撃を受け止めきれず、コアの剣は地に吸い寄せられる。

 コアの手を離れた剣は地に落ちた。丸腰のコアへ向け、カギは容赦なく剣を振り下ろす。コアが大人しく動きを止めれば試合終了であったが、しかしコアは右前腕を剣に向けて突き出した。

「なっ……」

 コアの動作に驚いたカギは思わず声を発し、怯む。しかし一瞬のことであり、カギの剣はコアの右前腕に当たった。金属がぶつかり合う硬質な音が闇夜に響き渡る。

 カギは、渾身の力をこめるため両手で柄を握っていた。よって、がら空きとなった懐へ向けコアは左の拳を繰り出す。コアの拳を無防備に食らったカギの巨体は背中から倒れた。コアは解放された右腕を振りながらゆっくりと歩み寄る。

「馬鹿力、痛ぇよ」

 剣を受け止めた右腕はじんじんと疼き、コアは顔を歪めながらカギを見下ろす。大の字に倒れたままのカギは瞬きもせず呆然としており、起き上がってこなかった。引き上げるほど親切な性格でもないコアはカギの傍らにしゃがみこむ。

「悪いな、わざとでも負けるのは嫌いなんだ」

 天空に浮かぶ月を見つめたまま、カギはゆっくりと言葉を紡いだ。

「剣を弾かせたのは、故意か」

「お、よく気付いたな。その通りだ」

 深いため息をついた後、カギは上体を起こす。コアは口元だけで笑い、腰から煙管を引き抜いた。

「お前、勝負挑む相手を間違ってるぜ。俺にちょっかい出す前に、センが好きなら本人に言えばいいだろ」

「センは……コア殿に気がある」

「そりゃアレだ、恋に似た憧れってやつだな。あの年頃の娘なんて移り気だぜ? 押し倒してモノにしちまえよ」

 惚れた女を侮辱されたと感じたのかカギは鬼のような形相をコアへ向けた。コアは苦笑し、煙を吐き出してしまってから立ち上がる。

「ま、俺はどうせいなくなるんだ。後はお前の頑張り次第なんじゃねーの?」

 他人の色恋沙汰など興味薄であるコアは適当な発言を残して歩き出した。

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