第五章 五黄の聖都(6)
日中の訓練を終えるとハンから夕食の招待を受けたので、コアはリリィを伴って族長の家を訪れた。食前に話し合いをするためにいったんリリィとは別れ、コアはハンの居室で座りこみ胡坐をかく。ハンは自覚のない酒乱なので酒は遠慮し、水を酌み交わしながらコアは口火を切った。
「ずいぶん数が増えたよな」
訓練を始めて一月が経とうとしている現在、コアが鍛えている者達はハンセン族の若者に留まらなくなっていた。マイルとクロムが周辺部族への聞き込みに発ったことが結果的に口コミとなってしまい、ハンセン族と親交のある部族から次々に若者が送られてくるのである。三十人ほどから始まった軍事訓練も現在では三百人を越えており、集落に入りきらない者達は野営をしている有り様であった。
ハンは苦笑し、それだけ賊に頭を悩ませる部族が多いのだと語る。コアは訓練生が百を越えた辺りから考えていたことを提案してみることにした。
「賊は百五十だろ? これだけいれば壊滅させることも出来そうだが、どうする?」
現在の指導内容は自衛のための戦い方であるがこちらから攻め込むのであれば教える内容も変わってくる。コアがそう告げるとハンは目の色を変えて身を乗り出した。
「壊滅させられるか?」
ハンの顔には「殺したい」とはっきり書かれていた。コアは苦笑し、しかし覇気がないよりはましかと思い直す。
「感情的になるなよ。勝てる戦も勝てなくなるぞ」
「……そうだな。すまない」
コアに宥められたハンは息を吐き、胡坐をかき直した。根深い恨みはそれだけの辛酸を舐めさせられたということなのだろうと察し、コアはハンを落ち着かせるためにゆっくりと進める。
「以前、賊に襲われたのはいつだ?」
ハンはしばし思い出すような素振りをしてから答えた。
「ちょうど、コアたちが訪れた頃だ」
それで警戒が厳しかったのかと納得しながらコアは思案を巡らせる。前回の襲撃でどの程度の被害が出たのかは判らないが雪が来る前にもう一度、賊の襲撃はあるだろう。
「よし、一月後に打って出よう」
「本当か?」
らんらんと目を輝かせながらハンが再び身を乗り出す。ハンの表情が喜色一色だったのでコアは口調を険しくした。
「ただし、他の部族も同じ考えであるか確認してからだ。独断専行すると後で痛い目に遭うのはお前だぞ、ハン」
突如として夢から現実へ引き戻されたかのようにハンは表情を強張らせた。
「……そうだな。さっそく通達してみよう」
ハンが大人しく居住まいを正したのでコアは真顔のまま頷く。
「明日からは白兵戦の訓練に入る。今までより厳しくするって若い奴らに言っとけ」
「ありがたい。よろしく頼む」
杯を干して立ち上がり、ハンは周辺部族への通達の準備に姿を消した。コアも水が注がれた杯を空けてからゆっくりと立ち上がった。
コアに連れられて族長の家を訪れたリリィは目前の光景に絶句していた。食卓には何人前なのか分からない山盛りの料理が並び、リリィの対面にはセンと彼女によく似た母親が満面の笑みで座している。
「たくさん食べてね」
センの母親に促されたのでリリィは渇いた笑みを浮かべながら肉の塊に手を伸ばす。食物は美味であったが見入られているとすこぶる居心地が悪く、リリィは一心にコアが戻って来ることを願った。
「コアさん、まだかしらね?」
リリィの心境を知ってか知らずか、センは料理が冷めちゃうと零す。当のコアは族長と会談中であり、まだ戻って来る気配はない。
「ステキよね。お母さん、乗り換えちゃおうかしら」
母と娘が楽しそうに話をする中で飛び出したとんでもない一言にリリィは吹き出しそうになった。リリィは慌てて水に手を伸ばしたがセンと母親はコアの話題で盛り上がっている。和やかな食事風景に違和感を覚えずにはいられず、リリィは手を止めて母と娘を観察した。
リリィが両親と暮らすことが出来たのは六、七歳までの短い時間である。故郷を失ってから十年余りになるが、それでもリリィは両親の顔をはっきりと覚えていた。センと母親が作りだす穏やかな幸福は二度と戻っては来ない在りし日を彷彿とさせ、リリィは思わず目を伏せる。羨みたくはなかったがこれ以上幸せな家族を目の当たりにすることは辛かった。
(……そんなの、しょうがないじゃない)
他人は他人、自分は自分。足が痛くて辛い時に手を差しのべてくれたセンを悪く思いたくなかったのでリリィは自分に言い聞かせた。
リリィが華やかな会話に入れず萎縮しているとハンとの話を終えたコアが姿を現した。コアの姿を認めるなりすかさず立ち上がったセンが座るよう促す。
「たくさん食べてくださいね」
「お、おう」
センと母親ににこやかな笑顔で迎えられたコアは食卓に並ぶ料理の数々を目にして呆れたような顔をした。コアはセンと母親に凝視されながら居心地が悪そうに料理に手を伸ばす。馴染めないのは自分だけではなかったのだと、リリィは少し安堵した。
「そういや、馬には乗れるようになったか?」
コアが苦し紛れに話しかけてきたのでリリィは曖昧に応えた。跨ることは出来るようになったがコアが馬を繰る技術とは比べようもなく、リリィには素直に答えることが出来なかったのである。だがリリィが濁しておきたかった胸の内はセンによって暴かれた。
「リリィ、まだ少し怖いんでしょう?」
リリィに乗馬を教えているのはセンである。教師が傍にいるのであれば隠し通せるものでもなく、リリィは苦い思いを抱きながら頷いた。リリィを励ますように明るく、センは言葉を続ける。
「馬もね、人間が感じていることは分かるのよ。信頼してあげなくちゃ」
「まあ、まずは話しかけてみろ」
コアが口を挟み、センも同感だというように頷く。二人の言っていることがよく解らないまま、リリィは曖昧に首を傾げた。
 




