第五章 五黄の聖都(5)
大聖堂の属国である赤月帝国の王城は街のほぼ中央に位置している。そのため窓辺からは街の様子が窺え、掌握しているのだと実感することが出来るのか王位を勝ち取ってからクローゼはよく窓辺に佇んでいた。
「薺が……縊死した?」
王の居室にある大きくとられた窓を背に、赤月帝国の新王クローゼは意味を持たない呟きを零した。報告の内容をくり返すだけのクローゼの反応は衝撃を受けていることが明らかであり、ヴァイスは無表情のまま頷いて見せる。
「由緒正しき赤月帝国の姫として生まれながら投獄されるという屈辱に耐えられなかったのでしょう。お気持ちはお察しいたします」
薺はクローゼの実妹である。クローゼは妹の死を拒絶するように無言でいたがやがて、表情に憎悪を宿らせた。
「誰が薺を牢になど入れた?」
対する者がヴァイスであることも忘れているかのようにクローゼは渾身の恨みを孕んだ低い声音で問う。クローゼが何を考えているか察したうえでヴァイスは冷静に応じた。
「大臣の誰かでしょう」
「私に何の断りもなくか?」
「陛下。大臣を処罰なさろうとお考えなら、お止めください」
「何故だ! 最愛の妹を殺されたのだぞ!!」
怒りに任せて声を荒げるクローゼの科白にヴァイスは興醒めした。だから生かしておけなかったのだという思いは胸中で留め、ヴァイスは表情を和らげる。
「クローゼ、薺姫はサイゲートを逃がした。あの状況で彼を逃がすことが罪ではないの?」
「薺は、サイゲートと約束を交わしたと言っていた。彼は罪を裁かれに戻って来る、そういう男だ」
「甘いわ。そんなことではせっかく手に入れた国を失うわよ」
「……甘いか」
「サイゲートという人物がどれほど危険か、解ってるはずでしょ」
赤月帝国の重鎮であるサイゲートは民からの信頼が篤く、内乱を引き起こしたクローゼのやり方を否定した。彼は放っておけば必ず火種となる人物であり国外へ逃れたからといって安心出来るものではないのである。だが薺がサイゲートを逃してくれたことはヴァイスにとって好都合であった。
ヴァイスに言い含められたクローゼは沈痛な面持ちを伏せる。うなだれたクローゼの傍に寄り、ヴァイスはそっと手を差しのべた。
「姫には責任を取っていただかなくてはならなかった。投獄は苦渋の選択だったことでしょう。それなのにあなたが大臣を罰すれば民心は失われていくわ」
もたれかかってくるクローゼの体を受け止め、ヴァイスは優しく髪を撫でた。必死に感情を押し殺そうとしているクローゼは涙を呑んでいたがヴァイスは容赦なく叱責する。
「今、あなたが考えるべきことは善政よ。国民に受け入れられて初めて、王になれるのだから」
「……わかっている」
「解っているのなら、顔を上げて」
ゆっくりと体を離し、クローゼは顔を上げた。その頬に伝う涙の跡を拭いながらヴァイスは慈愛に満ちた微笑みを浮かべて見せる。
「私は大聖堂へ戻らなければならないわ。一人で大丈夫よね?」
「……ああ」
「大切な時期よ。私情に流されないで」
立ち去ろうとしている気配を察したクローゼはヴァイスを引き寄せ唇を重ねる。短く口付けに応えてから、ヴァイスは踵を返した。
ハンセン族の集落を後にしたマイルとクロムはハンセン族と親交のある部族を巡って箱艇に関する聞き込みを行ったが情報は何も得られなかった。徒労に終わることは珍しくないがさすがに疲れ、マイルは小休止のために提供された小屋の中で小さく息を吐いた。
「ある場所に突然出現する、としか考えられないな」
今までに得た情報をまとめると、箱艇は突然出現しては消失しているということになる。さらに空を飛んでいるのでは航路があるのかも探りようもなく、マイルは改めて愚者を追う難しさを感じていた。クロムもマイルの独白に同意し、私見を述べる。
「出現場所を特定することは出来そうにないですね」
「ああ、無理だ。それに、向こうが降りて来てくれないことには会うことも出来ない」
マイルはキールの情報を求めて世界を彷徨ってきたが箱艇が地上に降りたという話は聞いた例がなかった。それでも航路を発見出来れば糸口が見付かるのではないかと思ってきたが、当てが外れたマイルは疲れを覚えて空を仰ぐ。
「マイルさん、訊いてもいいですか?」
ふと、クロムが真剣な口調で話しかけてきたのでマイルは真顔に戻った。
「何だ?」
「どうして、愚者を探しているんですか?」
「消したいからだろうな。大聖堂にとって彼らの存在は脅威だ」
「いえ、そうではなく……」
「ああ、個人的な動機か」
得心したマイルは少し考えた末、クロムを見据えて話を始めた。
「俺に限って言えば私欲のためだ。俺は情報屋でね、金のために情報を売っている。買い主は一言で言えば大聖堂だな。厳密に言うと少し違うが」
「違うと言いますと?」
「クロムは大聖堂の人間だったな。モルドという男に会ったことはあるか?」
「いえ、僕は……」
困ったような表情を浮かべたクロムはラーミラとの出会いを説明した。単純に、クロムは大聖堂の人間だと思っていたマイルは眉根を寄せる。
「リリィに近いな。大丈夫なのか?」
「博士に遭えるまで、わかりません」
「……まあ、今は置いておこう。モルドというのは調査部に所属している人間で愚者の調査を担当している。だが大聖堂気質の人間ではない」
「マイルさんは大聖堂が嫌いなんですか?」
声や言い回しに本音を垣間見たのか、クロムは唐突にそう言った。マイルは苦笑し、しかしはっきりと頷く。
「嫌いだ。大聖堂に統治される世はまっぴらだと思っている。だがまあ、コアとモルドは別だ」
「リリィさんも名前を出していましたよね。モルドさんとリリィさんはどういう関係なんですか?」
「オキシドル遺跡での一件は、知っているんだろう?」
マイルが問うとクロムはわずかに顔を歪めて頷いた。語らずともクロムが詳細を知っているようだったのでマイルは話を続ける。
「その時、生き残ったリリィたちを保護したのがモルドだ。オキシドルで惨劇が起こった時、箱艇が出現したらしい。リリィは愚者と言うよりはキールを探している。故郷が壊滅した真相を知るためにな」
「……そうだったんですか」
クロムは言葉に詰まった様子で沈痛な表情を浮かべた。リリィが同情を欲しているとは思えなかったので長引かせず、マイルは話題を変える。
「コアとモルドは大聖堂に便乗しているだけだ。そう、俺は思っている」
「便乗、ですか?」
「愚者と話がしてみたい、これがモルドの考えだ。コアは……詳しいことは本人に聞いてくれ」
「分かりました。探さなくてはいけないもの、なんですね」
「……そういうことになるな」
同行しているハンセン族の若者が戻って来たのでマイルは愚者の話を打ち切った。青年は少し困ったように笑みを浮かべている。
「出立することを伝えたら三十人ほど同行させて欲しいと言われました」
「……またか」
苦笑の理由を察したマイルは青年と同じく苦笑いを浮かべた。
ハンセン族が組織的な訓練を行っていることを知ると何処の部族でも共に鍛えてくれと申し出てきた。賊の被害はハンセン族のみに留まらず深刻な事態にあるようで、現在までに何人もの若者をハンセン族の集落へと送ったのであった。
「周辺の主だった部族はすべて巡ったと思いますが、今後はどうしますか?」
同行者のことはひとまず据え置き、青年が話を戻したのでマイルは少し考えてから応えた。
「この辺りに遺跡のようなものはないか?」
「イセキとは何ですか?」
「人類の生活や活動の跡のことだ。何か、古くからあるものに心当たりはないか?」
「それなら、賊の根城ですかね。人が生活していたような跡がそのまま巣窟になっています」
「ハンセン族と敵対している賊か?」
「はい」
「それなら、一度ハンセン族の集落へ戻ろう」
「わかりました。では、族長に伝えてきます」
明朝の出立を言い残し、青年は再び姿を消した。余人がいなくなったことを見計らいクロムが眉根を寄せる。
「遺跡、ですかね」
マイルはクロムを振り返って頷いた。
「その可能性は高いな。なにしろ北方はほとんど調査が進んでいない」
「賊が厄介ですね」
「コアがなんとかするだろう。それより、ようやく出番だな」
マイルは冷やかし混じりに言ってみたがクロムは首を傾げた。
「出番?」
「遺物がある可能性も高い。古代文字の解読、よろしく頼むぞ」
「ああ、そういうことですか」
説明を加えられてようやく、クロムは頷く。からかい甲斐のないクロムの反応にマイルは小さく息を吐いた。
 




