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第一章 旅立ちは性急に(5)

 月が白み始め、夜明けが近付いた。清々しい早朝の空気を目一杯吸い込んで、コアは欠伸を噛み殺す。

(さて、そろそろ行ってやるか)

 硬くなっている体をほぐしながら、コアはリリィが使っていた部屋の真下へ移動する。見上げると、二階の一室だけ窓がいびつだった。

 急ごしらえではあんなものだと流し、コアは左右を見渡す。現在地から南へ移動すれば赤月帝国の領土に入る。しかし本国へ連れ帰るとは思えず、まだ集落に留まっているとも思えなかった。

(北の山か、東に少し行けば林があったな……)

 人質をとったということは何かしらの接触を試みるはずであり、それならば北の山まで移動してしまっては距離が開きすぎる。まして北へ引き返すのならば下山中に事に及んでいるだろう。

(よし、東の林だな)

 宿の入り口へ置きっぱなしにしていた荷物を担ぎ、コアは背後を振り返った。今頃夢の中のマイルに勘定は任せ、壊した物も直した。やり残したことはないし、取りに戻る物もない。瞬時に確認を終え、コアは東を顧みた。

(霧が出そうだな)

 二人分の荷物を持ち直し、コアは表情を改めた。







 うっすらと光が差し込み、林は霞みに包まれ始めている。体の自由はだいぶ利くようにはなっていたが逃げ出せる雰囲気ではなく、仕方なくリリィは座り込んでいた。

「……来ないな」

「そうだな」

 妙な格好をしている二人組がぼそぼそと話をしている。一晩中警戒を怠らなかったのは夜の間にコアが来ると踏んでいたからだろう。

(……嫌がらせとしか思えないわね)

 知り合って数日であるが、コアならば平然とやりそうだとリリィは思った。成す術なく、リリィは膝を抱え縮こまる。

「血が滲んでいるぞ」

 ふと、一人がそんなことを言った。視線が向けられていたのでリリィは自分の体に目を落とす。左手に巻かれた布に、血が滲んでいた。

 忌まわしく顔をしかめるリリィに指摘した男が近付いて来た。慌てて腕をほどき、リリィは身構える。

「手当てをするだけだ」

 警戒を露にしたリリィにも男は動じず、布を解き始めた。逆らう訳にもいかなかったのでリリィは身を委ねる。男は布を解き終わると懐から取り出した緑色のものを傷口に塗り込んだ。

 幼い日の母親の姿を思い出しながら、リリィは複雑な気持ちで手当ての様子を眺めていた。男はまっさらな布を懐から取り出し、きつく巻いてから立ち上がる。

「皮膚が完全に接合するまでは強く手を握らないことだ。一度は閉じた傷口が開くと治りが遅いだけでなく痕が残る」

「……ありがとう」

 不本意ながら礼を言うリリィに、男は目元だけで笑む。意外な反応にリリィが呆けていると、不意に男の目の色が変わった。

 空気を振るわせるような緊張を漲らせ、白装束の男達が短刀を抜く。異様な圧迫感にリリィは戸惑った。

(ちょっと、待ってよ)

 慌てて立ち上がろうとして、リリィは霧が深くなっていることに気付いた。移動してしまったのか先程まで傍にいた男の姿すら、もう見えない。


『おい』


 何処かから声がして、リリィは反射的に後ずさる。だが周囲を見渡してみても、やはり何も見えなかった。

 声はコアのもののような気もしたが確認は出来ない。確実でないのならば動かない方がいいとリリィが体を硬くしたところへ、再び姿なき声が降ってきた。


『ゆっくり、歩き出せ。方向は指示するから声を出すなよ』


 何も判らなかったが頷き、リリィはゆっくり立ち上がった。先が見通せない恐怖に駆られながら一歩ずつ、声に導かれて進む。


『俺が合図したら走れ。逃げ遅れたら巻き込まれるからな』


(まっ、巻き込まれる?)

 不穏な気配に、リリィは誰にともなく必死に頷いた。

 指示通りに歩き続けていると前方から光が差しこんできた。拡散する光のなかに薄っすらと人影が見え、リリィはさらに目を凝らす。手招きを、しているようだった。

(これ、合図?)

 ハッとして、リリィは走り出した。刹那、背後で爆音が響き渡る。

(何? 何!?)

 背中を蒸すような熱風と焼ける匂いに、リリィは混乱した。緊張で限界にきていた体はうまく動かず、固まった足がもつれる。

「馬鹿! 何やってんだ!!」

 コアのものであろう叫びを聞きながら、リリィの体は地に伏した。起き上がろうにも恐怖からか動けない。

 また爆音が上がり、頭の上を熱さが通り過ぎて行く。声にならない悲鳴を上げ、リリィは堅く目をつむった。







 もう駄目かと思った刹那、燃え盛る林から転がり出てきた二つの影にコアは安堵の息を吐いた。

「派手にやりすぎだ」

 煤だらけの顔で睨みを利かせてくるのは、栗毛の青年。マイルの腕には気を失ったリリィが引きずられている。

「まさかあんな所でスッ転ぶとはな……恩に着るぜ」

 コアは頭を掻きながら苦く礼を言ったがマイルの怒りは治まらない様子だった。

「お前はやり方が荒すぎるんだ。何度反省したら気が済む?」

「まあ、そう言うなって。ところで、やっぱアレっすか?」

「しめて二万ルーツ。もちろん宿代込みだからな」

「……もしかして、相当根に持ってる?」

「当たり前だ。他人に勘定押し付けて逃亡しようなんて性根が腐ってる」

 荒く吐き出されたマイルの言葉に反応したようにリリィが目を開けた。焦点が合わない様子で泳ぐ目線に、コアは眼前に顔を据える。

「大丈夫か?」

 頬を軽く叩くとリリィは焦った様子で後退した。気にせず、コアはマイルを振り返る。

「目覚めは良好のようだし、とりあえずここを離れるか」

「そうだな。共犯にされたらたまらない」

 まだ皮肉を浴びせてくるマイルにコアは苦笑を返した。リリィが頭を抱えながら立ち上がり、燃える林に視線を移す。

「……あっ……」

 零れた呟きを耳にした瞬間、コアはしまったと思った。だが時既に遅く、リリィは両腕を抱える形で震えている。

「……移動しよう」

 マイルの勧告に、コアはリリィを引きずってその場を離れた。街道へ出ると火災を見物している馬車がいたので、行き先も聞かずに乗り込む。リリィが気絶するように眠りに落ち、コアは苦くその顔を眺めてからマイルに視線を移した。

「こいつ、オキシドル遺跡の集落出身なんだ」

 リリィの故郷はオキシドルという遺跡の近くに位置していた。名もなき集落が炎に包まれて消滅したことはマイルも知っていて、軽く頷いてみせる。

「なるほど。ならば、もう少し気を遣ってやれ」

「忘れてたんだよ。それに、誰かに気を遣うってのは苦手なんだ」

「苦手でも、引き受けたのはお前だろう?」

「身の安全はな。心の介護(ケア)まで引き受けた覚えはない」

「屁理屈を言うな。モルドの考えそうなことくらい、解ってるはずだろ?」

「今になって気付いたんだよ!」

 マイルが言っていることは正論で、言い返す術のないコアはそっぽを向いた。

(ったく、何のための覚悟だよ)

 手厚い保護を受けている大聖堂(ルシード)関連の施設ならともかく、今はまだ戦乱の世なのである。これしきのことで気絶されたのでは話にならないと、コアは唇を噛んだ。

「……これから、どうするんだ?」

 少し口調を改めたマイルに、コアは顔をしかめたままで答えた。

「とりあえず大聖堂だ。これを換金しないとどうもこうもねえ」

 懐から紙片を取り出し、コアはマイルへ向ける。受け取って目を通しながらマイルは口を開いた。

「これだけか?」

「ああ、それだけだ。絶望的だろ?」

「せめて、これがキールの情報だったら良かったのにな」

「世の中そううまくは行かないってことだろ。そういえば、お前は解読出来るんだったな」

「この程度の内容ならな」

 返された紙片を受け取って、コアは再び懐にしまった。それから改めて、マイルを見る。

「一緒にやらないか? 荷物が増えると一人じゃ手に余る」

「そうだな……」

 濁し、マイルは堅く目をつむっているリリィに視線を転じる。しばらく思案する沈黙があった後、マイルはコアへ真顔を向けた。

「一つ、訊いておく。この娘はあの集落の住人がどうなったか知っているのか?」

「いや、知らないと思うぜ。オッサンがそんなことまで話すとは思えないしな」

「なら、この娘をモルドの所へ無事に送り届けるまでという条件付で、五百万ルーツで手を打とう」

「はあ!? お前だってオッサンに色々世話になってるだろ!」

「それはそれ、これはこれだ。モルドからも貰う物は貰っている」

「ぼったくりもいいとこだ!!」

「静かにしろよ。目を覚ますぞ」

 冷静にリリィを指すマイルにコアは口の中で呻いた。しれっとした態度のまま、マイルは続ける。

「文句があるなら別にいいんだぞ? 俺よりいつもの学者さんの方が金もかからないだろう」

「……お前、俺を脅迫してるだろ?」

「他人に支払い押し付けて逃亡するような奴に言われたくないな」

 つんと、マイルはそっぽを向いた。

(こいつ……相当根に持ってやがる)

 これは、どう説得をしても時間の無駄に終わるだろう。そうコアが思った刹那、マイルが止めの一言を放った。

「それにほら、アレだろ? お前、あの色っぽい女学者さんに好かれてるじゃないか。俺が出ていったらお邪魔だろ?」

「……わかった、その金額で手を打とう」

 完膚なきまでに叩きのめされ、コアは降参した。それを受け、マイルはニッと笑う。

「商談成立だな」

「お前……ますます性格の悪さに磨きがかかったな」

 なけなしの皮肉も空しく、コアは宙を仰いだ。

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