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第四章 再見(14)

 早朝、コアはオラデルヘルの建物の裏手にある水場へと向かった。この水場は従業員ですらあまり足を運ばない穴場であり秘密を抱える身としては都合がいい場所である。コアは袖をまくろうと右腕に手を伸ばしたが人の気配を察したので動きを止めた。

 コアが振り返った先にはイエローブラウンの髪をした見知った少女の姿があった。リリィはすぐコアの姿を認めたようであったが挨拶もせずに歩みも止めない。コアから少し距離を置いて隣に並んだリリィは汗だくであった。

「戻って来てたの」

 リリィの声はあらゆる感情を押し殺そうと務めているものでありコアは苦笑を返した。

「昨日な。お前はまた走ってたのか?」

 問いに対する返答はなかった。話をするつもりもないらしく、リリィは桶に手をかける。リリィはそのまま頭から水をかぶり、コアは身を引きながら呆れた。

「お前ね……」

 言いかけて、コアは口を噤む。振り向いたリリィの表情は凍っており、軽口に応じる気配はなかった。

 コアは改めてリリィを観察した。リリィの腕と顔には擦り傷があり、転んだにしては少々度が過ぎている。

「自傷か?」

 コアの声音は自然と冷徹なものになった。リリィは小さく首を振る。

「……転んだのよ」

「どんな転び方だよ」

 応じる気配もなくリリィは沈黙した。これ以上は何を言っても無駄と判断しコアは小さく息を吐いてから表情を改める。

「今夜、今後のことを話す。お前もちゃんと来い」

 頷いて見せてからリリィは踵を返す。リリィの危うげな背中を見送りながらコアは眉をひそめた。







 夜の話し合いまで特にすることもなく、マイルはあてがわされた室内で暇を持て余していた。余暇を楽しむ気分でもなかったので湖を眺めていると見覚えのある青年が姿を現したのでマイルは警戒心を抱きながら迎えた。

「少し、よろしいですか?」

 そう言ったのはオラデルヘルに着いた時コアと親しげに話をしていた青年であった。オラデルヘルで働く者の仕事着である礼服を纏っている青年に頷いて見せ、マイルはバルコニーへと誘う。青年は恭しく一礼し、自己紹介をしてみせた。

辰巳(たつみ)と申します。以後、お見知りおきを」

「ご丁寧にどうも。話はクレルのことか?」

 マイルは警戒を露わに話を切り出したが辰巳と名乗った青年ははぐらかすような笑みを浮かべた。

「あなた方がいらっしゃってからクレル様はお変わりになりました。あの方の本当の笑顔を見たのは久しぶりです」

 穏やかな語り口と内容に訝しさを覚えながらマイルは内心では首を捻った。しかし表情には表さず、マイルは淡々と相槌を打つ。

「長い付き合いなのか?」

「クレル様が幼少の頃よりライトハウス様にお仕えしております」

「ライトハウスの従者か」

「はい」

 辰巳が発する空気はどこまでも和やかなものであった。いつまでも世間話をしていても仕方がないのでマイルは本題を口にする。

「遺跡のことを嗅ぎ回るなと言いたいのか?」

「いえ。詳しくはライトハウス様しかご存じありませんのでクレル様に尋ねられても無駄かと」

「では、クレルに近付きすぎるなということか?」

「まさか。クレル様が良きご友人を得られることは喜ばしいと思っております」

 辰巳の意図が見えずマイルは首を傾げた。マイルの態度から疑問を汲み取った辰巳は真意を語りだす。

「お連れ様のことで、お伺いしました」

 連れは三人いるので誰のことか分からず、マイルは眉根を寄せる。辰巳は少し表情を曇らせて言を次いだ。

「女性の方です」

「……リリィが、何か?」

「無茶をなさっておいでです。己が傷を負うことに無頓着なのは、大変危ういかと思いまして」

「怪我をしたのか?」

「はい。手当てを施し注意もいたしましたが、聞いてはもらえなかったようです」

 マイルは口を閉ざした。辰巳は深々と一礼し、真摯な態度で謝意を述べる。

「すみません。差し出がましいとは思ったのですが、クレル様の大切なお客様にもしものことがあってはならないと思いまして」

「いや、ありがとう。俺の方こそ非礼を詫びよう」

 辰巳が訪れた理由を勝手に決め付けた自分をマイルは恥じた。気にした素振りもなく辰巳は静かに笑う。

「クレル様があなたに惹かれた理由が解るような気がいたします。コア様のことも好いていらっしゃいますが、なかなか友人という関係にはなれなかったようでして」

「それはコアの方が友を必要としていないからだろう」

「コア様には友人よりも大切な何かがあるのですね」

「ああ。そんな気がする」

 深入りされないうちにマイルはコアの話題を切り上げた。口元に運んでいた手を下ろし、マイルは辰巳に視線を向ける。

「とにかく、彼女には俺から話しておく。報せてくれてありがとう」

 辰巳は短く「いえ」とだけ言い置き、踵を返す。人の気配が失せたことを確認してからマイルは息を吐いた。しかしすぐ、コアが姿を現したのでマイルは真顔に戻る。

「今、辰巳と話してたか?」

 辰巳が去った後を目敏く眺め、コアは怪訝そうな表情をしていた。マイルは苦い思いを抱きながら頷いて見せる。

「ああ。 ……リリィのことを、ちょっとな」

「箱艇を見た時、何があった?」

 具体的なことを何も話していないにもかかわらずコアの指摘は的確なものであった。マイルは重い息を吐き、ソファに身を沈めてから口火を切る。

「箱艇が出現したのは突然の出来事だった。頭に血が上ったんだろうな、すごい勢いで欄干から身を乗り出していたよ」

「……懲りない奴だな」

 容易に想像がついたのかコアは呆れ顔で息を吐く。マイルは真顔に戻り話を続けた。

「リリィは、自分のせいで緑青(ろくしょう)が死んだと思っている。そのことで俺に負い目があるんだろう」

「それで落ち込んでんのか。単純だな」

「無理もない、と思う」

「お前はどう思ってるんだ?」

 コアの問いは答えにくいものでありマイルは沈黙した。だがコアは容赦なく続ける。

「緑青が死んだこと、リリィのせいだと思ってんのか?」

「……俺は……」

「というか、アイツのせいだよな。リリィが余計なことしなきゃ緑青は死なずに済んだかもしれない」

「……彼女のせいじゃない。誰のせいでも、ないんだ」

「本気でそう思ってんのか?」

 自信をもっては答えられず、マイルは顔を伏せた。辛いとき誰かを責めずにいることは、難しい。

「心の片隅にでも責める気持ちがあるんなら、そう言ってやれ。じゃなきゃお前のせいじゃないって慰めろ。放置すんな、困るから」

 事の一端は己にもあるにもかかわらず、コアの言い種は明快であった。吹き出しそうになり、マイルは口元を手で覆う。コアは怪訝そうに眉根を寄せた。

「何だ?」

「いや、見事に自分の責任を抹消した説教だと思ってな」

「そうか?」

 自分にはまったく責任がないと思っているのかコアは首を傾げる。マイルは表情を緩め、笑みをつくった。

「初めてだな、緑青のことで意見されるのは」

「……今までは口出ししないようにしてきたからな。だがそれとこれとは話が別だ。重苦しいのは嫌なんだよ。意味もなく自分を痛めつける真似もイライラする。だから何とかしてくれ」

 コアの言葉と辰巳に聞いた内容が重なったのでマイルは真顔に戻った。

「リリィに会ったのか?」

「さっきな。あっちもこっちも傷だらけだったぜ」

「……わかった」

 早いうちに話をした方がいい。そう感じ、マイルはため息を払って立ち上がった。







 太陽の光を反射して湖面がきらきらと輝いている。リリィは水際で膝を抱えながら気持ちとは正反対に穏やかな水面を見つめていた。

 転んですりむいた腕や顔が、風にさらされてヒリヒリと痛む。両腕は手で押さえつけ額を膝に寄せながらリリィは目を閉じた。瞼の裏にはオラデルヘルで空飛ぶ艇を見た時の光景が焼きついており、リリィは膝を抱く腕に力をこめる。胸の底からふつふつと湧き出る感情は憎しみでしかなく、強い衝動がすべてを塞いでしまえと囁き続けていた。

「……リリィ」

 リリィは人気のない場所で鬱いでいたので不意にかけられた声に驚いて顔を上げた。立ち上がって振り返り、声の主を確認したリリィは微かに顔をしかめる。

「……マイル」

 意味を持たない呟きが唇から零れ落ち、リリィは目を逸らした。無表情のマイルはゆっくりとリリィの隣に並ぶ。

「少し、話がしたい」

 マイルの申し出に応えることが出来ずリリィは顔を伏せた。謝ることさえ卑怯に思え、リリィはそのまま押し黙る。少し間を置いてからマイルは口火を切った。

「ビオリバーの町で俺が言ったことを、覚えているか?」

 ビオリバーはウォーレ湖南岸の町である。その町の名が出たということはマイルが切り出そうとしているのは緑青(ろくしょう)の話題であり、それと知ったリリィは唇を噛む。マイルはリリィの様子を窺いながら、しかし淡々と言葉を紡いだ。

「緑青が死んだのはリリィのせいじゃない、そう思っているのは本当だ。だが誰かを責めたいほど、辛い」

「……ごめんなさい」

 どのような感情をも殺そうとしたが抑えきれず、リリィの唇からは謝罪の言葉が零れ落ちた。気を抜けば叫んでしまいそうだったので口元に手を当て、リリィは顔を背ける。少し間を置き、マイルは淡白に徹して話を続けた。

「それでも、感謝しているのも本当なんだ。だが許せるかと問われたなら素直には頷けない」

 許せないと告げることでマイルは許そうとしている。そう感じたリリィは睨むようにマイルに視線を向けた。

 許されたら、崩れてしまう。甘えて、罪から逃げようとするだろう。それだけはしてはならないと、リリィは己を戒めた。

「私は、大丈夫。だから優しくしないで」

「……耐えられるのか?」

 マイルの顔が痛々しく歪む。直視することが償いの第一歩だと、リリィは目を背けず頷いた。

 傷つくことがあっても、挫けることがあっても、決して諦めない。それはキールを追うと決意した時、リリィに課せられた義務である。覚悟はできているはずだと己に言い聞かせ、リリィはマイルにも示した。

「もう、感情に任せて行動したりしないわ」

「……そうか」

 マイルは湖に視線を転じ、やるせない息を吐く。ため息のようなマイルの言葉を聞いたリリィは感傷を振り切って歩き出した。

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