第四章 再見(13)
コアがオラデルヘルへ戻って来た日の夜更け、クレルの自室で話をすることになったのでマイルはクロムを連れて訪れた。扉を開けるとまるで主人のようにくつろぐコアの姿があり、マイルは呆れながら傍へ寄る。
「煙はよせ。他人の部屋だろ」
「……わかったよ」
渋々頷き、コアは窓辺へ寄る。室内のものは好きに使っていいとの許しを得ていたのでマイルは豪奢な棚からグラスと酒を取り出した。窓から灰を捨て、戻って来たコアが何気なく問いを口にする。
「リリィは?」
「声を掛けていない」
「……ふうん」
詳しいことは訊かずコアは曖昧に応えただけであった。マイルも言及せず、クロムも何も言わない。沈黙が訪れたところにクレルが姿を現した。
「……何だ?」
異様な空気を察したクレルが眉根を寄せる。コアが気にするなと言ったのでクレルは話を始めた。
「一応使者は立てたが時間がかかるぞ。なにしろ不便な場所だからな」
北方独立国群は中央から見れば辺境であり、加えてオラデルヘル自体が辺鄙な場所に建てられているので人の足で行くのには時間がかかるのである。クレルの言葉を聞いたコアはちょっとした親切を口にした。
「伝令には鳥が便利だぞ。生まれた場所へ戻る習性を持つ鳥を使えば人の足より早く報せが届く」
「それは人件費の節約にもなるな。今後は有効に活用しよう」
確実とは言えないので機密には適さないとコアが付け加えたがクレルは喜んでいた。だがすぐ、クレルは話を元に戻す。
「しかし、報せが届いたからといって親父がすぐに戻って来るとは思えないぞ」
ソファに体を沈めたコアは酒の注がれたグラスを片手に眉根を寄せた。
「お国の祭りとか言ってたか? それっていつなんだ?」
「お前も知ってるだろ。四年に一度の祭典のことだ」
「……あれか」
コアはシネラリアへ行ったことがあるようで苦笑いを零す。クレルが母国に複雑な感情を抱いていることを知っているのでマイルは言及せず、代わりに去って行こうとするクレルに雑談をもちかけた。
「今年は麦が豊作らしい」
「では南から取り寄せよう。明日は時間が取れそうだ、従者をやるから部屋まで来てくれ」
マイルが頷いて見せるとクレルは去って行った。怪訝そうな面持ちのコアがマイルを振り返る。
「何の話だ?」
「新しい酒の話だ」
「そりゃいい。いくらでも試飲してやるぜ」
「お前が飲みだすと試作品がなくなる。それより、どうするんだ?」
マイルが話を戻したのでコアはグラスを置いて腕を組んだ。空を仰ぎ、コアは眉根を寄せる。
「そうだなぁ……アレがあるんじゃライトハウスもしばらく戻って来ないだろうしな……」
独り言を呟き、コアは思案に沈んでいる。マイルは黙して待ったがクロムが口を挟んだ。
「祭典って何ですか?」
コアは嫌そうな表情をクロムへ向け、しかし説明のために口を開いた。
「一言で言うと裸祭りだ」
「……裸祭り、ですか」
「荒っぽい祭りでな、過去には死人が出たと聞いたぜ」
「恐ろしいですね……」
クロムは引きつった笑みを浮かべた。コアも話を打ち切り、再び考えに沈んだ様子で空を仰ぐ。
「ま、もう少し考えるわ。明日はリリィも交えて話そう」
結論は出なかったようでコアは弱った表情で振り向く。コアの視線を受け止めたマイルは無言で頷いた。
「じゃあ、リリィさんを見かけたら声をかけておきますね」
再びクロムへ顔を向け、コアは首を傾げた。
「どっか行くのか?」
「少し調べたいことがあるので、失礼します」
コアとの短い会話を終え、クロムは静かに去って行った。意外そうな面持ちのままコアはマイルを振り返る。
「何してんだ、クロムの奴」
「彼なりに余暇を楽しんでいる、ということだろう」
「ふうん……」
曖昧に話を終わらせながらコアは酒の瓶に手を伸ばした。なみなみ注いだグラスを差し出され、マイルは受け取ってソファに腰を下ろす。
「知りたいか? シネラリアのこと」
コアの科白は唐突でありマイルは吹き出しそうになりながら視線を傾けた。
「……何故?」
「お前さんらしくもなく顔に出てる」
コアが平然と言ってのけるのでマイルは無表情を努めた。だがコアは大袈裟な仕種で息を吐く。
「そんな表情作るところがらしくないって言ってんだよ」
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「酒でも飲んで、俺の独り言だと思って聞き流せばいい」
「……聞かせてくれ」
興味が先立ったことに苦さを覚えながらマイルは頷く。コアは煙管に火を入れながら話を始めたがマイルは咎めることをせず耳を傾けた。
「シネラリアは女人禁制の国だ。その理由として女は男を惑わせるからだという伝統がある。いつからの習わしなのかは知らないが、過去に女で失敗した支配者がいたんだろうな」
女に惑わされ国を傾けた支配者がいた、それだけならばありふれた話である。しかしそのことを戒訓とし、女性が立ち入ることが許されない伝統が今も続いていることは凄まじいとマイルは思った。
マイルが無言でいることを確認したコアは話を続ける。
「女は禁じてない。今も、春には子作りに下山して来る。ネオンはそのための街と言っても過言ではないな。妻帯は許されているが一緒に暮らすことは禁じられている。まあ、滅多にそんなことはないけどな。生まれた子が男なら国に連れて帰る。クレルの母親もネオンの娼婦だろうな」
娼婦の子、それはクレルが母国を嫌う要因の一つかもしれない。マイルはそう思ったが口には出さなかった。
「だが見方を変えればこれほど周到な国は何処にもない」
不意にコアの眼差しが鋭くなった。こういう時のコアは大局を見据えているのでマイルは緊張を覚えながら知らぬ顔を続ける。
「国に男しかいないということは戦になれば全ての民が兵になるってことだ。戦では食料を食いつぶすしかない女もいない。これは人質をとられないという利点にもつながる」
シネラリアという国名と、特殊な国だということしか知らなかったマイルは全身に鳥肌が立つのを感じた。コアの言うように、そのような国は例がない。
「四年に一度の祭典は、実は軍事訓練でもあり支配者が入れ替わる時期でもある。祭りの概要は神木を王座に据えた者が勝ちという単純なもんだ。勝者は自動的に支配者の地位を与えられる。つまり、その時々に一番強い奴が王様って訳だ。だからシネラリアの連中は四年に一度の祭典に向けて常に体を鍛えている」
「そんな完璧な王国があるものか」
耳だけ傾けると決めていたマイルも思わず容喙した。国民全てが兵となることが可能で、世襲制ではないので王者の倦みもない。不公平さを感じさせることもなく、それでいて常に個々を競わせ、高める。そのような軍隊が存在しているとは、にわかには信じ難い話であった。
「王者を力で選出するのなら内政はどうする? シネラリアの人々は文武両道な者達ばかりなのか?」
マイルが急くように問いを重ねるとコアは肩を竦めながら答えた。
「まあ、武官政治ではあるな。だが国民のほぼ全てが武闘派ならそれもいいんじゃないか?」
「……ありえない、と俺は思う」
「しょせんは人間がやってることだ、いつか崩れるかもしれない。だが今のところ、うまく機能してるみたいだな」
実際に戦になったことがないので誰も知らないだけなのだと、コアは言った。おぞましさにも似た思いを抱きマイルは押し黙る。コアは軽い調子で話を続けた。
「シネラリアは辺境だからな、誰も欲しがらない。だからこそ、そんな妙な慣習が根付いているのかもしれないが」
「……大聖堂がオラデルヘルには手を出さないと断言したのもそのせいか」
「オラデルヘルに手を出すってことはシネラリアを敵に回すのと同じことだからな。だがまあ、今はだ。大聖堂は本気で世界を統一する気でいる。フリングスがやられちまったらシネラリアも存続出来ないだろうな」
「仮にフリングスが攻められたとして、シネラリアは兵を出すのか?」
「それはない、と俺は思ってる。シネラリアは平和な時間が長すぎた」
いつか、シネラリアは大聖堂に呑みこまれる。半ば断言のようなコアの言葉はマイルに衝撃を与えた。
「……酔いを醒ましてくる」
コアに短く言い置き、マイルは大して飲んでもいないグラスを置いてクレルの自室を後にした。
 




