第四章 再見(12)
大聖堂を後にしたコアがオラデルヘルに到着したのは明け方であった。だがマイルはすでに起きており、コアは煙管に火を入れながら傍へ寄る。
「何か収穫は?」
コアの問いに対しマイルは『箱艇』を見たと言った。驚きに煙管を取り落としそうになり、コアは慌てて握りなおす。手中に留まった煙管に安堵の息を吐きながら顔を上げるとマイルが真顔のままであったのでコアも表情を改めた。
「マジか?」
「ああ。情報通りの光景だった」
「……何で俺だけ見られないかな」
「よっぽど運が悪いんだな」
マイルにあっさり言い切られたコアはため息とともに煙を吐き出した。
「リリィも見たのか?」
「……ああ」
煮え切らない様子でマイルは目を伏せる。詳細を聞かずとも大方理解したつもりでコアは話題を転じた。
「親父は帰って来なかった、と」
「いつ戻って来るかはクレルにも分からないそうだ」
「まあ、あのオヤッサンのことだから母国で好きに遊んでんだろ。クレルに使いを出してもらおう。いつまでもここにいる訳にゃいかないからな」
「そうだな」
「で、クレルの方はどうなんだ?」
「忙しいのに無理をして、かなり時間を割いてもらったな。そのせいか最近やつれ気味だ」
「そういうことを訊いてるんじゃないんだが……」
「ああ、解ってる」
マイルに軽く躱されたコアは疲労を覚えながら煙管に唇を寄せた。コアが黙り込んだのを見たマイルは平素のように補足する。
「全ての権限は未だライトハウスにあるらしい。いくらクレルを懐柔しても親父の方を説得しなければ意味がない」
「そりゃ解ってるさ。それが難しいから、息子からの口添えを期待してるんだよ」
「その辺は、一応言ってある。多少は口利きしてくれるだろう」
「多少っつーのが不安だけどな」
「それも全てライトハウスが戻って来なければ意味がないだろう」
「……どうすっか。いっそシネラリアに行ってみるか?」
「遺跡はここだけじゃない。後回しにするという手もある」
そこまで語ってからマイルは話題をキールのことに戻した。箱艇が北の方角から現れたことを聞き、コアは空を仰ぐ。
「北、か」
「北方独立国群の調査はまだそれほど進んでいないだろう? 何か、あるのかもしれない」
大陸の北に存在する幾つかの独立国は保守の傾向が強い。閉鎖的な国々は中央の争いに参加することもなく沈黙を保っており、マイルの言うように大聖堂の調査隊は外交上の理由から足を踏み入れてはいないのである。
少し考えた末、コアはマイルの提案に頷いた。
「いいかもしれないな。フリングスへ行くよりは気が楽だ」
大聖堂領内で発見されている遺跡には一応調査隊が入っている。新たな発見を求めるのであれば大聖堂領から出た方が効率がいいことはコアも承知していた。だが大聖堂に所属する人間が他国へ侵入することは問題が多いのである。特に西の大国であるフリングスは大聖堂と敵対関係にあるため、コアはなるべく赴かない方がいいと考えていた。
マイルは無所属の情報屋であるためコアのような制約はなく、気楽に話を進めた。
「シネラリア以外の国で知り合いはいないのか?」
「お前ね……俺だって世界中に知り合いがいる訳じゃないっての」
「もしかしたらということもある。聞いてみただけだ」
呆れ顔のコアを一蹴した後、マイルは話題を転じた。
「そっちはどうだったんだ?」
マイルが大聖堂内の情報を聞きたがったのでコアは真顔に戻った。ゆっくりと吸い込んだ煙を吐き出すうちに心を決め、コアは口火を切る。
「赤月帝国王の奥方に会ったぜ」
その名称を口にした途端、マイルの表情が強張った。しかし一瞬のことであり、コアは構わず話を続ける。
「ヴァイスという名らしい。お前さんの想像通り、軍事部に所属する人間だった」
「……そうか」
「赤月帝国の一件も大方想像がついた」
モルドに聞いた話と憶測を交え、コアは事のあらましを説明した。マイルは時々相槌を打つだけで終始聞き手に徹していたが、やがて口元に手を当てて目線を泳がせた。
「……なにか、嫌な感じだな」
思案の末に零れたマイルの独白にコアは頷いて見せる。長引かせるような話題でもないのでコアは口調を改めることで赤月帝国の話を終わらせた。
「リリィとクロムはまだ寝てるのか?」
「さあな」
「さあ、って……お守りは引き受けてもらえたんじゃなかったのか?」
マイルの返答が無責任なものであったのでコアは隣室に傾けた視線を戻した。しかしマイルの無表情は変わらない。
「休暇、ということにした。オラデルヘル内なら四六時中監視していなくても大丈夫だろう」
「そりゃそうだが……」
「好きにさせておいてやれ。俺はクレルに話をつけてくる」
「おいおい……」
コアはあまりに淡白な科白に呆れたがマイルは歩みを止めず去って行った。
娯楽都市オラデルヘルはポードレール湖に浮かぶ小島に建てられている。そのため勝手に島から出るわけにもいかず、リリィは同じ場所をぐるぐると走り続けていた。
いくら体をいたぶっても心は晴れず、それどころか沈んでさえいく。穏やかに呼吸をしていることすら許されないような重圧感に苛まれ、リリィは喘いでいた。
(責めを、負いたい)
荒い呼吸音しか聞こえないほど体を追いつめても思考の片隅がそう囁く。窄まったリリィの視界には焼きついて離れない緑青の死に様が映っていた。
大切な人を理不尽に奪われる苦しみをリリィは知っている。それこそ肉体の痛みのように疼き続けるのである。リリィは一生抱えていかなければならない傷をマイルに負わせた。だがマイルは、誰のせいでもないと言う。
責められたら、どんなに楽だろう。目に見える形で償えたら、どれだけ痛みが和らぐだろう。だがそれはマイルのための思いではないと、リリィは唇を噛んだ。
罪は償わなければならない。償うには二度と同じ過ちを繰り返さないことだと、リリィは密かに誓っていた。
(それなのに)
目の前に求めている物が現れただけで、リリィはまた我を忘れたのである。
(……許せない)
自分の命を失うだけならばまだいい。だが無謀な行動に巻き込まれ、また誰かが死ぬかもしれないのである。
(自分が、許せない)
肺に残っていた空気を吐き出してしまい、リリィは膝を折った。滑るように前のめりに倒れ、リリィはそのまま起き上がることが出来なかった。
「大丈夫ですか?」
不意に声をかけられ、リリィは倒れた姿のまま舌打ちをした。
「起き上がれますか?」
リリィには聞き覚えのない声の主はお節介にも助け起こしてきた。顔を合わせないように背け、リリィは差しのべられている手を払い除ける。
「どうぞ」
白い布が視界に映るよう差し出され、リリィは重い息を吐いて受け取った。横目で盗み見た顔は、オラデルヘルへ着いた時に出迎えてくれた青年のものであった。
「いつまで走り続けるのかと不安になりました。差し出がましい真似をしてすみません」
青年の口調は丁寧なものであり、その穏やかさがリリィの苛立ちを募らせた。だが関係のない人間に八つ当たりをしても仕方がないのでリリィは務めて平静に声を発した。
「……ありがとう」
礼を口にした割りにリリィの声音は刺々しいものであった。これ以上醜態を晒したくないとの思いからリリィは真新しい布に顔を埋める。だが青年の手が触れたのでリリィはとっさに顔を上げた。
「傷の手当てをさせていただいてもよろしいですか?」
リリィの非難のまなざしにも動じず、青年は接客態度を崩さない。リリィは再び顔を背け苦い思いで声を絞り出した。
「……自分で出来るから」
「では、せめて湯をご利用ください。そのままでは体を壊してしまいます」
青年の口調が頑なであったのでリリィはうるさく思いながらも大人しく従った。




