第四章 再見(8)
個人的な話があるというマイルだけがクレルの自室に残り、リリィ、コア、クロムは客間へと移動した。気を配る必要のない者だけになるとリリィは不機嫌な表情でコアを振り返る。
「ねえ、遺跡ってどういうこと?」
コアはひどくだるそうな顔をリリィへ向け、ソファに腰を下ろしながら煙管を引き抜いた。
「遺跡があんだよ」
コアの科白は説明ですらなく、単に事実を述べただけであった。リリィは呆れながら息を吐く。
「どうして、そういうことを先に言わないのよ」
「俺も存在を知ってるだけで実際には見たことも行ったこともない。親子で絶対駄目だって言われ続けてな。俺の話は聞いてくれそうもねえからマイルに任せたんだ」
「ああ、だから……」
「そ。今頃は話に華が咲いてると思うぜ。まあ、親父の方に許可をもらわないと駄目みたいだが」
「でも、その人はいないんでしょ?」
「参ったことに、そうらしいな」
「どうするの?」
「オヤッサンの実家か……」
空を仰いで独白した後、コアはリリィを注視した。コアに無言で視線を注がれたリリィは眉根を寄せる。
「何?」
「いや、お前さんをどうするかなと思って」
「どういうこと?」
「親父の実家ってのがアクの強い国なんだよ」
コアは具体的な説明を避け苦笑するばかりであり、リリィは首を傾げた。話が行き詰ったと感じたのか、それまで成り行きを見守っていたクロムが容喙する。
「その、ライトハウスさんの実家は何処なんですか?」
クロムに視線を傾け、コアは一息ついてから答えを口にした。
「シネラリアだ」
シネラリアとは北方独立国群の東に位置する国である。中央から見れば奇異としか言いようがない独自の文化を保持しており、深い山中にあるため外からの人間が訪れることは滅多にない。だがシネラリアは一部の間では名が通っており、クロムも実情を承知しているのか苦笑いを浮かべた。
「シネラリア、ですか」
「な? 困っただろ?」
クロムとコアが笑い交わす様子を眺めながら一人話に入れないリリィは唇を尖らせた。リリィが不服を露わにしたことに気がついたようであったがコアは説明をする気がないらしく煙をくゆらせている。躊躇うような素振りを見せながらも補足を加えたのはクロムであった。
「シネラリアという国は古くから女人禁制なんですよ」
「どういうこと?」
「つまりですね、女性は入ることが出来ないんです」
「……よく、分からないわ」
クロムに補足をもらってもリリィはひたすら首を捻るばかりであった。
「ようするに、お前の操が危ないってことだ。これ以上は説明しないからな」
見かねた様子のコアがため息混じりに口を挟み、強引に話を終わらせる。操という聞き覚えのない単語にリリィはクロムを振り返ったが説明は加えられなかった。
クレルの部屋で二人きりになった後、マイルは商売の話から始めた。双方に害のない話題は大いに盛り上がったがお互いに肚の探り合いをしている感は否めず、懐柔には時間がかかりそうだとマイルは思っていた。だが明け方、お互いにだいぶ酔いも回った頃合にクレルが突然個人的な話を始めたのである。
「シネラリアの出身?」
マイルはシネラリアが特殊な国であるということを知っていたのでクレルの告白には酔いも醒めるほど驚いた。だが胸中に反して声を抑えて眉をひそめるにとどまり、マイルはクレルを凝視する。クレルは口元に皮肉な笑みを浮かべて頷いた。
「厳密に言うと出身じゃないんだけどな。親父の実家があそこで、オレも十歳までは国にいた」
オラデルヘルの主人代理を務めてはいるがクレルはまだ十五歳の少年である。すでにクレルの年齢を聞いているマイルは九歳も年下の少年が自棄のように酒を食らっている様を無言で見つめた。
「行ったことあるか?」
けだるさを装いながらもクレルの瞳は剣呑な光を宿している。マイルは首を振って小声で応じた。
「……いや」
「あんな国、誰も好んで行きたがらないよな」
砕けた口調で言葉を紡ぎながらクレルは空になったグラスに酒を注ぐ。クレルに素顔を見せられたマイルは返す言葉も見当たらず無言でグラスを傾けた。
「軽蔑する? オレのこと」
軽快な笑い声とともに零れたクレルの言葉を、マイルは哀れだと感じた。クレルにかつての自分を重ねたマイルは痛々しい気持ちになり目を伏せる。
「いや」
「別にいいんだぜ? 本当のこと言っても」
「軽蔑はしていない。俺はそれほど傲慢な人間じゃないつもりだ」
「綺麗事、言うんだな」
ありきたりな反応が欲しくて語った訳ではない。だからといって同情を欲している訳でもない。頑ななクレルの口調が、そう言っていた。
何を言ったところでクレルが満足する答えを用意出来るはずもない。だが無言を貫くには心を揺さぶられすぎており、結局マイルは身の上話を始めた。
「少しは解るつもりだ。俺も昔、同じような思いをしたことがある」
嫌悪の種類は違うかもしれないが、そうマイルが付け足すとクレルは興味を示した。マイルは視線を泳がせ窓に据えてから口を開く。
「俺はビルの出身でね。話さなくとも、あそこがどういう村か知っているかもしれないが」
「……戦争で儲けてる村だな」
「そうだ。間者の派遣と火器の製造で成り立っている」
「ビルで生を受けた者は技術者か間者にならなければならないのだろう? 何故、情報屋なんて仕事を?」
クレルはよく知っている、そう思いながらマイルは自嘲に口元を歪めた。
「村を出ることは禁じられていない。望めば、好きに生きることも許される」
ビルは大陸の西北に位置する小さな村である。村人は全員が火器を製造する技術者か間者という特殊な環境にあり、ビルで生を受けた子供は十四歳で成人を迎えるとともに選択を迫られる。村を出て好きに生きることも許されているがその場合、二度と村に戻ることは出来なくなるのである。
郷里の話をしていると緑青のことを思い出さずにはいられず、マイルは明け行くポードレール湖を見つめた。緑青は迷わずビルを出て行き、己の力で新たな居場所を手に入れ、そして早々と命を散らせたのである。
感傷に沈み込みそうな己に気がつき、マイルはクレルに顔を戻して話を続けた。
「人殺しはしたくない、子供だったからそう思った。だが甘かったな。ご覧の通り、仕事は間者とさして変わらない」
「……マイル」
深刻な口調でクレルはマイルを呼んだ。マイルは反応を返さずクレルの言葉を待つ。クレルは躊躇うような素振りを見せた後、続きを口にした。
「しばらく、ここにいないか? もう少し話がしたい」
窓の外では夜が明け、鳥が鳴いている。クレルは仕事に戻らなければならないのか漫ろであった。クレルの申し出に困惑を覚えながら、しかし顔には出さず、マイルは小さく首を振る。
「俺は今、コアに雇われている。先のことは訊いてみなければ判らない」
「そうか……無理は、言わないつもりだ」
クレルは弱々しい笑みに寂しさを滲ませながら立ち上がる。礼服姿のまま夜を明かした少年の背が老人のように丸くなりながら遠ざかるのを、マイルは無言で見送った。
深い霧に覆われるウォーレ湖とは違い、ポードレール湖の朝は景色がはっきりと見える。緑には鳥がいるらしく、鳴き声は早朝の爽やかさを助長していた。悪くない、そう思いながらコアはバルコニーで体を伸ばす。真上に上げた腕をそのままに体ごと左右にひねり、コアは深く息を吐いた。
件の旅行のこともあり、コアはキールの姿を拝めないかと一晩中窓辺に張り付いていた。しかし空の色が変わることのないまま朝を迎えてしまい、コアの深呼吸はため息をも含んでいる。
(見て、みたいんだけどな。せめて一度だけでも)
コアは軍事部の一兵卒として大聖堂に入り、その後愚者のことを知り調査部へと転向した。愚者という存在に抱く興味は月日を経ても色褪せなかったが話に聞くだけであり、コアは艇を目撃したことすらなかった。
(あの娘が強運なのか、それとも俺に運がないのか……)
リリィは空飛ぶ艇を目撃し、おそらく愚者の一人であろうセレンにまで遭遇した。この差を運という言葉で片付けなければやりきれないと、コアはがりがりと頭を掻いた。
やさぐれた気持ちを紛らわせるためコアは腰から引き抜いた煙管に火を入れる。早朝の空気とともに吸いこむ煙は美味く、効果覿面であった。寝ようと思い、コアは室内へと戻る。ちょうどマイルが戻って来たのでコアは片手を上げて迎えた。
「早いな。それとも、ずっと起きていたのか?」
わずかに疲れを滲ませながらマイルが言う。コアは唇の端を引き、笑みを作って応えた。
「お前さんこそ徹夜だろ? 意気投合したみたいだな」
「とりとめのない話ばかりだ」
マイルがソファに身を投げたのでコアは傍へ寄って尋ねた。
「で、肝心の話は?」
「あと数日は話しこんでみないと何とも言えないな」
「一晩中商売の話ばかりしてたのか?」
「明け方、少し個人的な話をした」
「そりゃ珍しい」
コアは大袈裟に驚いて見せたがマイルは表情を変えず、窓から見えるポードレール湖へ視線を泳がせた。マイルの異変を察したコアは何かあったのかとも思ったが尋ねず、別のことを口にする。
「昨夜な、この先どうしようか話したんだが」
「シネラリアに行くのか?」
顔を戻したマイルが何気なく口にした名称に驚き、コアは呆気にとられた。だがすぐに真顔に戻り、コアはマイルの様子を窺いながら話を再開させる。
「知ってるのか?」
「クレルに聞いた」
マイルは当然のことのように言ったがクレルは母国を煙たがっており、親交のあるコアでさえ本人の口からは一度も聞いたことがなかった。気味が悪いと感じたコアは眉をひそめ、しげしげとマイルを見つめる。
「お前ら酒の勢いに任せて何の話してきたんだよ」
コアの視線が異様であると察したマイルは苦笑しながら口火を切った。
「俺も少し郷里の話をした。しばらくここにいないかと言われたよ」
マイルの答えはますますもって異様であったが言及していると話が進まないのでコアは受け流しながら応じる。
「で、お前さんは何て答えたんだ?」
「今はコアに雇われている身なので判断は委ねると言った」
「じゃあ訊くが、シネラリアに行くべきだと思うか?」
マイルは少し考える素振りを見せてから口を開いた。
「行けないこともないとは思うが、リリィとクロムは連れて行くべきではないな」
「同感だ。あの二人にはちとキツすぎる。と、いう訳だ。親父が帰って来るのを待とうと思う」
「オラデルヘルでか?」
「俺は一度大聖堂に戻る。お守りは引き受けてもらえるんだろ?」
複雑な表情を見せながらもマイルは頷いた。その表情から憂慮がありそうだと察したコアはマイルの気が変わらないうちにと荷物に手を伸ばす。
「よろしく頼むぜ。俺が戻って来る前に親父が帰って来たら連絡をくれ」
「……わかった。なるべく早く戻って来いよ」
「りょーかい」
灰を捨てた煙管を腰に戻し、荷物を担いだコアは足早に客室を後にした。




