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第四章 再見(7)

 リリィと共に室内へ戻ったマイルは突然訪れた闇にも動じず、中央に置かれた壇を見上げていた。壇の上には礼服姿の少年がいて、彼はその場の視線を一手に浴びながら声を張っている。

「皆様、ようこそお越しくださいました。毎度ご贔屓にしていただき、ありがとうございます」

 演出を心得ている客は静まり返っているので少年の声は室内に響き渡った。そのうちに拍手が沸き起こり、壇上の少年は体の向きを変えながら四方へ向け礼をする。仰々しい演出だと思いながらマイルは少年を観察した。

(あれが息子の方か)

 ブラウンの髪を無造作に結んだ少年は十五、六歳であろうが礼服を見事に着こなしている。華やかな場に慣れている少年の口調は歯切れが良く、印象は明晰である。少年の振る舞いはどうすれば客が喜ぶか心得ているものだとマイルは思った。

「あの人、誰?」

 隣からリリィの声がしたのでマイルは思考を中断した。

「さっきコアが話していただろう?」

「じゃあ、あの人がクレル?」

「おそらくな」

「へえ……」

 自分から訊いておきながらリリィの反応は素っ気ないものであった。あまり興味がなさそうなリリィの様子にマイルは苦笑する。

「明るくなったらコアたちを探そう」

 パフォーマンスが終われば再び明かりが灯されるであろうと、マイルは周囲の様子を窺いながらリリィに言い置いた。







 壇上のクレルが周囲の客に頭を下げている時に目が合ったので、コアはその場を動かず待っていた。案の定、一仕事終えたクレルが小走りに寄ってきたのでコアは軽く片手を上げて迎える。

「久しぶり。遅かったな」

 すでにネオンから報告を受けているようでクレルは皮肉混じりに言う。コアは大袈裟に肩を竦め苦笑して見せた。

「色々あったんだよ」

「どうせネオンの所へでも行ってたんだろ。売上にならないからほどほどにしてくれ」

 相手がコアである時、ネオンは金を要求しない。高額なネオンの時間を無償で浪費するコアはオラデルヘルにとって損失であるが、クレルはそのことを黙認していた。楽しい話題でもなかったのでコアは素早く話を逸らす。

「こいつはクロム、ラーミラの助手だ」

 ちょうど隣にいたのでコアはクロムを利用した。クレルは紹介されたクロムを一瞥した後、コアに視線を戻す。

「知ってる。以前、ラーミラに紹介された」

 職業柄、クレルは客の顔を忘れない。それが得意客であるラーミラの連れであれば尚のことである。だが話を逸らすというコアの目的は達成されたようでクレルは鍵を投げた。

「話は後で聞く。俺の部屋で待っててくれ」

 コアが鍵を受け取り頷くと、都合良くマイルとリリィが姿を現した。

「お、いいとこに。連れのマイルとリリィだ」

 コアが紹介すると去って行こうとしていたクレルは動きを止めた。連れに女がいることを知ったクレルは真っ直ぐ、リリィへ歩み寄る。

「初めまして、美しいお嬢さん。オラデルヘル主人(マスター)代理、クレルと申します」

 女性客を前にした時、クレルは優男を気取る。決まり文句の後、手の甲に唇を寄せるまでが一連の動きになっていて、社交辞令を済ませるとクレルは去って行った。

 淑女(レディ)として扱われたのは初めてであるのだろう、リリィはぽかんと口を開いたまま固まった。成り行きを見守っていたマイルはクレルが去った方向に顔を傾け、口を開く。

「なるほど、嫌な奴だ」

「なに怒ってんだ、お前?」

 マイルの独白を聞きつけたコアは首を傾げる。しかしマイルからの説明はなく、コアは怪訝に思いながらもリリィを振り返った。

「おい、いつまで呆けてんだ?」

 声をかけられたことで正気に戻ったリリィはコアへ視線を傾ける。リリィの顔が微かに歪んでいたのでコアは首を捻った。

「どうした?」

「……足、痛い」

「足ぃ?」

 コアはリリィの足元へ視線を下げたがロングドレスに隠されているため様子を窺うことは出来なかった。

「慣れない靴で擦れたんだろう」

 マイルが容喙し奥へ戻ろうと言ったのでコアは頷き、リリィとクロムを促した。

 一度応接室に戻り荷物を拾ってから一行はクレルの私室へと移動した。応接室とは違いクレルの私室は広いが質素である。室内へ侵入するなり、リリィはソファに身を投げた。

 ヒールの靴を脱ぎ捨てたリリィの足は小指や踵の皮がむけ、擦り傷だらけであった。自分の荷物から液状の薬を取り出し、コアはリリィの足元へしゃがむ。

「しみるぜ。我慢しろよ」

 一応宣言をしてから、コアは薬を浸した布でリリィの傷を拭った。リリィは呻き声を洩らし顔を歪めたがコアは手を止めず布を巻く。手当てをしながらコアはため息を吐いた。

「怪我の絶えない奴だね」

「慣れてないんだもん、しょうがないでしょ」

「まあ、子供(ガキ)のする格好じゃないよな。お前は自然の中で走り回ってる方が似合ってる」

「……それ、けなしてない?」

「田舎者と言ったつもりはないが?」

「言ってるじゃない!」

 頭上からリリィの拳が降ってきたがコアはあっさり受け止めた。

「ほい、終わったぜ」

 仕上げに患部をはたきリリィの悲鳴を聞いてから、コアは窓辺に佇むマイルの傍へ寄った。

「どうだ? クレルは」

 クレルとの対面を果たしてからマイルは沈黙を通している。コアの問いにも不機嫌を滲ませた無表情で振り返った。

「いい度胸をしている」

「肝っ玉は親父譲りだからな」

「立ち振る舞いも立派なものだ。だが癖のある相手だな」

「そりゃ、一筋縄で行くような相手だったら俺も苦労しない……って、お前変だぜ?」

 平常に言葉を交わすことに耐えられなくなり、コアは率直に告げた。心外だという表情でマイルは問い返す。

「変とはどういう意味だ?」

「そうやってムキになるところがらしくないって言ってんだよ」

「安心しろ。熱くなって手を出すほど俺は青くない」

「だから……」

 そういった科白が出てくる時点でおかしいと言いかけたがコアは口を噤む。マイルが静かに立腹している様子は奇異であり、コアは下手に刺激をしない方がいいと判断した。

「ねえ、着替えたいんだけど」

 リリィの声が聞こえてきたのでコアは此れ幸いとばかりに振り返る。

「せっかくだからクレルが来るまでそのままでいろよ。化粧落として別人だと思われたら面倒だろ?」

 コアにからかわれたリリィは怒りを露わにしたが動けないので詰め寄ってくることはなかった。







 クレルが自室へ戻って来たのは夜もすっかり更けた頃合であった。コアが軽く手を上げてこの部屋の主を迎え、クレルは蝶ネクタイと上着をソファに放りながら酒やグラスが置いてある棚へ向かう。

「酒でいいか?」

 見るからに高価そうなグラスを人数分取り出し、クレルはテーブルに並べる。手伝うために立ち上がったコアが頷きながらリリィとクロムを指した。

「こいつらには酒以外でよろしく」

 リリィとクロムに視線を流した後、クレルは再びコアに向き直った。

「苦手なのか?」

「お子様なんだよ」

 コアが笑いながら酒とグラスを引き受けるとクレルはリリィの傍へ寄った。窓辺に佇んだまま成り行きを見守っていたマイルは目線だけを傾けてクレルの動きを追う。

「怪我をなさっていますね。大丈夫ですか?」

 クレルは意図的に、相手によって言葉遣いを変えている。そういった人種に遭遇するのは初めての経験らしく、リリィは戸惑い顔をクレルへ向けた。

「平気……です」

「それは良かった。貴女のような美しい方が体に傷でも残されたら大変ですからね」

 営業用と思われる微笑みでリリィをさらに困らせた後、クレルはソファに身を沈めた。テーブルを挟んで向き合っているコアとクレルの傍には寄らず、マイルは少し離れた窓辺から話に耳を傾ける。

「それで、何か用があって来たんだろ?」

 クレルの問いにコアは答えなかった。だがクレルはすでに用件を察しているようで、けだるそうにグラスを傾けてから口を開く。

「大方、例の旅行(ツアー)のことだろう。文句は親父に言ってくれ」

「別に文句を言うために来た訳じゃない。俺がそんなつまらん用事でわざわざ足を運ぶと思うか?」

「なら遺跡の件か? それも親父に言ってくれ」

 ソファに背を預けていたコアは苦笑して姿勢を正した。

「まあ、他にも訊きたいことはあるんだがな。とりあえず遺跡の件は親父の方に話すことにする」

「そうしてくれ。俺はあくまで代理、全ての権限は未だ親父にある」

「あの歳で頑張るよな、オヤッサン」

「むしろ年寄りの方が知識も経験も豊富だ」

「商売の話は後でしてくれや。そこにいるマイルは情報屋でな、きっとお前さんと話が合うと思って連れて来た」

「へえ」

 コアが話題に上らせたのでクレルは窓辺へ顔を傾ける。興味深そうなクレルのまなざしを真っ向から受け止め、しかしマイルは会釈も口を開くこともしなかった。一歩間違えれば険悪になりそうな空気を察したコアが早々に話題を転じる。

「それで、だ。文句は言わないが例の旅行(ツアー)に関して訊きたいことがある」

「答えられる範囲でなら答えよう」

 快くとはいかないもののクレルは頷いて見せる。それを受けたコアは質問を開始した。

「空飛ぶ艇の目撃ってのは、実際そんなに多いのか?」

「常連客は七割方見てる。遠巻きにだけどな」

「お前も見たのか?」

「何度か見た」

「どんな感じなんだ? 話は聞くが俺は見たことがない」

 コアが身を乗り出したのでクレルはグラスを置いて空を仰ぎ、思い出すようにしながら説明を始めた。

「昼夜を問わず、天候にも関係なく、空が紅に染まる。艇が姿を現しているのはそう長い時間ではないな。どういう仕組みかは知らないが、艇が去った後は何事もなかったかのように元の空色を取り戻す」

「その現象について何か心当たりはないか?」

「さあな。自然現象ではないとしか言い様がない」

「艇が去って行く方角は?」

「西、だな」

「……フリングス領か」

 息を吐き、コアはソファに背を預けながら空を仰いだ。西の大国フリングスは大聖堂(ルシード)の人間が赴くには厄介な土地であり、コアはそのことを検討しているのであろう。話も一段落ついたようだったのでマイルは窓辺を離れ、コアの傍へ寄った。

「コア、いいか?」

 マイルの言外の意図を汲み、コアは頷く。コアからの返事を受け取ったマイルは改めてクレルに向き直った。

「少し、個人的に話したい」

「部屋を用意させよう」

 マイルの申し出をすぐさま受け入れ、クレルは立ち上がった。

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