第四章 再見(6)
娯楽都市オラデルヘルは裕福な者が遊びに興じる場である。王侯も出入りするため華やかな装いをしている者しかおらず、貧相な格好をしていれば不審者と間違われつまみ出されることもある。そのため、一行は盛装することにしたのであった。
礼服を貸してもらい着替えを済ませ、コアはソファでくつろいでいた。マイルもすでに盛装し、窓辺に佇んでいる。リリィは別室で着替え中であり、手間取っていたクロムは困惑気味な表情で戻って来た。
「……似合わないな」
盛装したクロムを見たマイルが眉根を寄せながら言うのでコアも同意した。
「堂々としてろ。おどおどしてっから似合わないように見えるんだ」
コアに注意されたクロムは苦笑を浮かべる。その態度が礼服を台無しにしているとコアが重ねようとしたところで扉が開いた。
よろけながら侵入して来た人物は桃色のロングドレスをまとった少女であった。長い裾には控えめにスパンコールがあしらわれており、少女が歩を進める度に煌く。コアはどこかの貴族の娘が部屋を間違えたのかと思ったが、よくよく観察して瞠目した。
「……あんまり見ないでよ」
その場の視線を一身に浴び、リリィは居心地が悪そうに顔をしかめた。リリィが侵入して来てから誰も言葉を発していないことに気がつき、コアは立ち上がる。リリィの傍へ歩み寄り、コアは不躾に視線を上下させた。
平素、リリィは長い髪を無造作に束ねているが、現在は両耳の裏から胸元へ流れている部分を残しアップスタイルにしている。残した髪は緩いカールがかかっており、ドレスと見事に調和していた。さらに白銀の輝きを放つティアラがリリィのイエローブラウンの髪を際立たせている。
化粧は薄く、ほんのりと入れられたチークが上品である。上から下までリリィを観察したコアは貴族の娘でも通用しそうだと思い、顎に手をあてて唸った。
「へ、変なの?」
凝視されながら反応が返ってこないことに不安を覚えたようでリリィはコアに問う。コアは思ったままを口にした。
「いや、似合ってるぜ。まるで別人だな」
リリィは絶句したが気にも留めず、コアはわずかばかりの硬貨を握らせる。
「好きに使え」
左手に置かれた硬貨を見下ろすリリィを一瞥し、コアはマイルを振り向いた。
「そろそろ営業開始時間だ。顔だけでも見ておけ」
マイルは何かに驚いており、上の空であった。だがコアが尋ねても返答はなく、マイルはただ頷いた。
カジノ場へと足を運んだ一行はその場で散会となった。物珍しさも伴ってリリィはしばらく会場内を歩き回っていたが華やかな空気に酔い、壁の花となることを良しとした。
オラデルヘルでは誰もが満ち足りた、上品な笑い方をしている。ネオンとは別の意味で居心地が悪いと感じながら、リリィは一線を引いて盛装した人々を眺めていた。
「お一人ですか?」
間近で声がしたのでリリィは顔を傾けた。そこには二十代と思しき正装姿の青年が佇んでおり、彼は真っ直ぐにリリィを見据えている。青年は上品な笑みを浮かべ、手にしていたグラスの一つをリリィへ差し出した。
「どうですか、お一つ」
「……いらないです」
気の利いた断り方も出来ないリリィはそっけなく言い置き、その場を離れる。壁際にいることも出来なくなってしまったのでリリィはあてもなく人波を渡り歩いた。
ひときわ賑わっている場所があったので、リリィは覗いて見ることにした。輪の中心にはクロムの姿があり、カードを使った遊びに熱中している。すぐ傍に佇んでもクロムに気付いてもらえなかったのでリリィは何とはなしにゲームの行方を見守った。だがルールを知らないリリィにとって見物は退屈であった。
「あれ? いつからいたんですか?」
一勝負終えて顔を上げたクロムの言葉は素っ気なく、リリィはため息をついてその場も立ち去った。
常に深い霧がかかっているウォーレ湖とは違い、オラデルヘルからはポードレール湖を一望することが出来る。陽の落ちた湖の先にはネオンとウランの灯が宝石のように輝いており、所在無く眺めていたマイルはため息をついた。
華やかな場が嫌いなわけではなかったが先のウォーレ湖での一件が尾を引いているため、マイルは遊びに興じる気にはなれなかった。バルコニーの手すりに腕を置き、マイルは空を見上げる。遮るものがない夜空には星が瞬いていた。
(この空が、紅く染まるのか……)
マイルはコアから依頼を受けキールの情報を得るために世界を渡り歩いてきたが未だ実物を目にしたことはなかった。
「マイル」
背後から声をかけられたマイルは表情を改め、見知った者を迎えるために振り向いた。危うげな足取りで隣に並び、リリィは湖を見て感嘆の息を吐く。
「キレイね」
リリィの視線が街の灯りに向けられていたのでマイルも湖の対岸を見つめる。しばらく会話もなく見入っていたが、やがてマイルから口火を切った。
「小遣いはもう使ってしまったのか?」
「使ってない。興味、ないから」
「やっぱり、ここも嫌いか?」
「あんまり好きじゃないかな。息苦しい」
即答したリリィの口ぶりが正直であったのでマイルは口元だけで笑う。マイルが零した笑みには気がつかなかったようでリリィは話を続けた。
「さっきね、クロムに会ったんだけどゲームに夢中だった」
クロムはどちらかと言えば真面目な部類であり賭け事を好むようには見えない。リリィの言葉を聞いたマイルはラーミラの顔を思い浮かべ眉根を寄せた。
「ラーミラさんの悪い癖が伝染ったな」
「悪い癖?」
「賭け事、好きなんだよ」
「……なんか、わかるような気がする」
リリィは苦笑しながら肩を竦めた。薄手のショール越しに見えるリリィの体は思いの外華奢であり、マイルは目を背けながら話題を変える。
「コアは?」
「見てない」
「そうか」
室内から喚声が上がったのでマイルは安堵しながら顔を傾けた。カジノ場は宴もたけなわであり、そろそろ戻った方がいいと思ったマイルはリリィを振り返る。
「行こう。ここは冷える」
夜風に肌を晒しているリリィはショール越しに両腕を抱え頷く。リリィの足元が不安定であったのでマイルは儀礼的に手を差しのべた。
コアはひとしきり賭け事を楽しんだ後、カジノ場をうろついていた。そのうちにひときわ盛り上がっているテーブルを見付けたのでコアは何とはなしに覗いて見る。そこにはクロムの姿があり、ポーカーというカードを使った遊びに興じていた。声をかけずにクロムの手札を窺い、コアは思考を巡らせる。
(スリーカードか……たいしたことねーな)
五枚のカードのうち三枚が同じ数字であるスリーカードは、役としてはそれほど良い手ではない。まずは手堅く、クロムはチップを十枚押し出した。
(さて、ここからだな)
腕を組み、コアは勝負の行方を見守った。
卓に着いているのは五人、皆さほど良い手ではないらしく二人目が十枚上乗せした後は前の人と同じが続いた。だが五人目が、一気に百枚上乗せしたチップを押し出した。
オラデルヘルの相場ではチップ一枚につき百万ルーツほどである。つまり一千二百万という、一勝負にしては決して安くはない金額が賭されたことになる。だがクロムは平然と、さらに百枚上乗せしたチップを押し出した。
(おい、マジかよ!)
思わず叫びそうになり、コアは慌てて口元を押さえた。いくら返還してもらえると教えてあるとはいえ、気風の良すぎる賭けである。
「……降りる」
クロムの右隣にいた男が告げ、その後も続々と勝負を捨てた。だが百枚上乗せをした男はさらに百枚のチップを追加する。これで負けた方は三千二百万という大金を支払わなければならなくなった。
「コール」
観衆があ然としているなか、冷静なクロムの声が響く。そして、手の内を明かす時がやってきた。
結果としては、クロムの勝利に終わった。クロムと対峙した男はツーペアであり、金額を吊り上げれば相手が降りると目論んだ勝負師であった。
悲壮感を漂わせながら頭を抱える敗者は捨て置かれ、クロムは一躍人気者の地位を獲得した。呆れながら、コアはクロムに声をかける。
「よお、快勝だったな」
「あ、コアさん」
振り向いたクロムは勝利の笑みを浮かべるでもなく真顔であった。こういった勝負は欲のない者が勝つのだと改めて思い知らされたコアは半笑いを浮かべる。
「お前さんも強運だね。何処で習ったんだ?」
「これだけは博士に教えてもらったんですよ。でもまさか、勝つとは思いませんでしたけど」
「……すっかり悪い癖拾ってきてるのな、お前」
人は見かけによらないとコアが独白した刹那、カジノ場から灯りが消えた。
「なっ、何ですか?」
慌てるクロムの声を聞いたコアは口元に笑みを浮かべて答える。
「パフォーマンスの始まりだ」
喚声を上げていた客が心得て静まりかえると軽快な音楽が鳴り始め、室内の中央に置かれた壇に礼服姿の少年が姿を現した。




