第四章 再見(3)
隣室から破壊音を聞いたマイルは眉をひそめながら立ち上がった。部屋を出るなり誰かが階下へと走り去って行ったのでマイルは階段を一瞥してから隣室へと足を運ぶ。開け放たれたままの扉から内部を窺うとコア一人が佇んでいた。
「話し合いは失敗に終わったみたいだな」
マイルは状況を確認するべくコアに話しかけたが返答は得られなかった。マイルは短く息を吐いてから言葉を次ぐ。
「怒るのもいいが、どうするんだ?」
「せっかく優しくしてやろうと思ったのにあの子供、つけあがりやがって」
忌々しげにコアは吐き捨てる。コアの言い分を聞いたマイルは眉間の皺を深くした。
コアの言う『優しさ』がどういったものなのか現場を見ていないマイルには分らないがリリィには伝わらなかったのであろう。誠意を見せようとした結果がどうしたらこの有り様になるのか、理解の及ばなかったマイルは息を吐いた。
「何か言いたそうだな」
物言いたげなマイルの様子を見咎めたコアは剣呑な瞳を向ける。マイルは真顔に戻って話を続けた。
「探しに行かないのか?」
「自分から出てったんだ。必要ないだろ」
「まあ、ネオンなら滅多なことはないと思うが……一応モルドからの大事な預かり物なんだろ?」
コアが黙したのでマイルは言葉を重ねた。
「一度承諾したからには責任を持つ。それは最低限のきまりだろ」
コアは不服そうな顔をするだけで口を開こうとはしなかった。もう一押しだと察知したマイルはさらに言葉を重ねる。
「この街はお前の方が詳しいんだ。俺が探しに行くより効率的だろう?」
「……わかったよ」
嫌な顔をしながらコアが頷いたのでマイルは扉を振り返る。リリィが壊して行ったのか、木製の厚い二枚扉は歪に傾いていた。
「こいつの修理は俺がやっておく」
「……任せた」
ため息混じりに言い置き、コアは仕方がなさそうに歩き出す。やる気のないコアの足取りに一抹の不安を残しながらもマイルは扉の修理にとりかかった。
ネオンの夜は街頭に娼婦が立ち、身なりのいい客が通りを歩きながら物色をしている光景が当たり前である。宿を飛び出したリリィはそのような光景に溶け込むことも出来ず、ただ夜の街を彷徨っていた。
(最低)
胸中で呟いてみたところで反応は何処からも返ってこない。虚無感は脱力になり怒る気持ちさえ萎え、リリィは途方に暮れていた。
(これからどうしよう……)
啖呵を切って飛び出して来たからには戻ることは出来ない。だが一人では何も出来ないことを、リリィは知っていた。
「ちょっと」
声をかけられると同時に肩を掴まれたリリィは悲鳴を呑みこんで振り返る。そこには大胆に肌を露出した女が三人、仁王立ちに近い姿で佇んでいた。
「あんた、見ない顔だね」
三人組の一人に訝しげな瞳で覗きこまれ、リリィは狼狽した。呼び止められている理由が分らないリリィをよそに三人組は互いに顔を見合わせ、頷きあう。
「この街で商売するには許可が必要だよ。来な」
女たちに腕を引かれ、リリィは連行された。
リリィが連れて行かれたのはネオンの中心に位置する一際大きな屋敷であった。応接室のような広い部屋へ通され、リリィは落ち着かない気持ちで辺りを窺う。宿の部屋よりもさらに豪奢な調度品が室内を埋め尽くしており、リリィは圧迫感を覚えた。
(……どうしよう)
リリィを連行した女たちは部屋へ着くなり姿を消した。逃げるなら今だと思ってはみたものの、こういった事態に慣れていないリリィは動くことが出来なかった。
リリィがぐずぐずしている間に装飾の施された二枚扉が開き、けだるそうな表情をした女が姿を現した。漆黒のスリップドレスから白い肢体を惜しげもなく覗かせ、女はブラウンの髪を掻き上げながらソファに腰を下ろす。足を組むと同時に大きく開いた胸元から葉巻を取り出す仕種は流れるようであり、リリィは呆然としながら女の動きを目で追っていた。
「あんた、名前は?」
女が煙を吐き出すと室内に甘い臭いが充満した。強すぎる芳香にむせそうになりながら、リリィは涙目を女に向ける。女は褐色の瞳をリリィに据え、同じ質問をくり返した。
「名前だよ、名前。自分の名前も言えないのかい?」
わざとらしく煙を吐く女から遠ざかり、リリィは小声で答えた。
「……リリィ」
「そう。アタシはネオン。許可ナシでいくら儲けた?」
「は?」
「だから、アタシに会いに来るまでにいくら稼いだかって聞いてんの」
物分りの悪い子だねと零しながら、ネオンは硝子テーブルに置いてあったグラスに琥珀色の液体を注ぐ。一口含んでグラスを置いた後、ネオンは葉巻をくわえながら再び口を開いた。
「この街で商売するにはアタシの許可が必要なの。許可ナシ営業からは罰則金をたんまり巻き上げてやることになってんのさ」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
話が妙な方向に流れていることを察したリリィは慌ててネオンの言葉を遮った。
「私はたまたまこの街に来てただけで……」
「初めは皆そう言うよ。ありきたりな口実は聞き飽きた」
「だから! 本当なんだってば!」
「ここで働きたいなら素直に手続き踏めばいいんだよ。違法者には厳しいけどちゃんとしてりゃ待遇はいいんだから。大人しく白状しな」
「だから……」
ネオンの態度は聞く耳持たずであり、リリィは疲れて一度唇を結ぶ。不意にコアとのやりとりが脳裏をよぎったリリィは苦い気持ちを味わいながら悠然と返答を待っているネオンを見据えた。
「連れがこの街に用があるって言うから、一緒に来ただけなの」
「連れ? そいつの名前と今いる場所は?」
答えられずリリィは口ごもった。口論の末飛び出してきた身でありながらこんな時にだけ縋るのはあまりにも都合がいい話である。だがコアに頼れないとなると身元を保証してくれる者はなく、リリィは困り果てた。
「嘘、でもないみたいね」
ネオンが予想外の反応を示したのでリリィは伏せてしまっていた顔を上げた。ネオンはゆっくりとグラスを干してからリリィに視線を傾ける。
「あんた、馬鹿正直の田舎者ね。顔に書いてある」
半分ほどに短くなった葉巻で指されたリリィは複雑な思いを抱き眉根を寄せる。ネオンは再び葉巻をくわえ、甘い煙を吐いてから続けた。
「連れって馬鹿な男でしょ? でもって理由はケンカ?」
リリィが返答に窮しているとネオンは好意的な笑みを浮かべた。
「少し付き合いなさいよ。たまには田舎者の話を聞くのも面白そうだし」
飾り棚かと思うような豪華な棚からもう一つグラスを取り出し、ネオンは硝子テーブルの上に置く。リリィは複雑な心持ちで目前に置かれたグラスを持ち上げた。
ネオンの夜は娼婦や客が入り乱れ雑多である。コアは人波を縫うように歩いていたが足を止め、街角で一息ついた。
(いねえな。何処行ったんだ、あのクソガキ)
ネオンの街を熟知している男性客であれば捜しようもあるが全く初心者の、それも女を捜すとなると一苦労であった。壁に背を預け、コアは息を吐きながら流れ行く人波に視線を傾ける。
大聖堂に所属する以前も所属してからも、コアは一人で勝手にやってきた。故に、誰かに気を遣うという行為は不得手なのである。そのことが問題となって表れた今回の人捜しにコアは辟易していた。
(厄介な預かり物を引き受けちまったな)
やはり、連れなどいない方がいい。そう悪態をつきつつもコアは仕方なく体重を足へ戻した。
「はぁい。おにいさん、お一人?」
幾度目かの誘惑の声にコアは顔色をつくって振り返った。
佇んでいたのは顔も肉付きも悪くない、ネオンの街では中の上と思われる女であった。淫らな目つきでは魅力的であったが若さを強調する露出度の高い格好をしている辺り修行が足りないと、コアは好意的な笑みをつくる。
「悪いけど、こーゆー訳なんだ」
コアが首を指すと女は納得して肩を落とした。
「なぁ〜んだ。ネオンさんのお気に入りなの」
「そういうこと。じゃあな」
軽く手を振って女と別れ、コアは再び歩き出した。




