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第三章 流刑地の閑人(11)

 耳をつんざくような爆音が聞こえてリリィは目を覚ました。だが反射的に起き上がった体は言うことを聞かず、リリィは膝を折ってへたり込む。

「急に体を起こしては駄目ですよ」

 傍で知った声がしたのでリリィは顔を傾けた。そこにはクロムの姿だけがあり、リリィは周囲を見回す。すでに夜は明けており、霧も晴れていた。

「コアは? マイルは? 他の人達はどうしたの?」

 急いて問うリリィの言葉は半分以上が爆音に遮られた。轟音に耳を塞ぎながらも合間を縫ってクロムが声を張り上げる。

「夜のうちに何処かへ行ってしまいました!」

「何処へ!」

「判りません!」

 クロムからは曖昧な返答しか得られずリリィは苛立った。脱力している体に力を込め、リリィはすっくと立ち上がる。

「リリィさん?」

 クロムの声を無視し、リリィは歩き出した。

「待ってください! 何処へ行くつもりですか!?」

 クロムに腕を引かれたリリィは睨みながら振り返った。だがクロムも必死な形相でリリィを制する。

「戦場へ行くなんて無茶ですよ!」

 クロムの忠告を聞き流しながらリリィは崖の上を仰いだ。粉塵がもうもうと立ち込め戦雲は急を告げている。

 リリィが腹を立てているのは戦争に対する嫌悪感のみではなく、緑青(ろくしょう)の言動が許せないからである。緑青の愚かな行為を止める、その一念が使命感のようにリリィの頭を支配していた。

 思い止まらせようとしているクロムの腕を払い除け、リリィは睨み付けた。

「ごちゃごちゃうるさい!!」

 クロムを一喝した後、リリィは走り出した。







 道筋を歪められた川がウォーレ湖の東岸へ向け流れ込んでいく。湖を背に布陣していた国王軍が面白いように呑まれて行き、崖上から見学していたコアは面白半分に声を上げた。

「おー、壮絶だな」

 水にさらわれた大聖堂(ルシード)の兵たちは必死に陸を目指す。だが上陸地点には白影の里の者達が待ち構えており、次々と首が飛ばされていった。

「首、取れると思うか?」

 それまで無言でいたマイルが静かに口を開く。コアも真顔に戻って答えた。

「無理だろうな」

 直接刃を交える戦とは違い、水攻めは首を取るという行為には妨げとなる。そもそも水攻めは篭城などに対する手段であって本来ならば野戦には適さない。この作戦を受け入れた以上、指揮官の首を取れないことは緑青(ろくしょう)も承知しているはずである。

 勝利とは言えないかもしれないが窮地に立たされた白影の里が大聖堂軍を翻弄したという事実は残る。壮絶な死と同程度の価値を持って、白影の里は赤月帝国民の心に刻まれるであろう。コアがそう告げるとマイルは頷いて見せた。

「長期戦になるが希望は繋げる」

「そういうことだな。あとは、ここで深追いしすぎないことだ」

「逃れて、くれればいいが……」

 不安げに独白するマイルの声を聞きながらコアは戦況に目を注いだ。

 赤月帝国内では白影の里が皆殺しの目にあっている。その復讐などということを緑青が考えていなければ冷静な判断を下せるであろう。だが撤退の気配は窺えなかった。

「……撤退の合図、出さないな」

 水攻め前の奇襲が功を奏し大聖堂兵は皆鎧を身につけていたが予想よりもウォーレ湖寄りに水路ができてしまったため、大聖堂兵は次々と上陸を果たしている。奇策が成功したとはいえ白影の里の者は少数であり、このままでは逃げ場を失ってしまう。

 隣でマイルが息を吐いたのでコアは振り向いた。

「このままじゃまずいぞ。本当に行かなくていいのか?」

 マイルは答えなかった。それ以上の言葉は見付からずコアも口を閉ざす。

(こういう時はあいつの出番だよな)

 おそらくまだ夢の中であろうリリィの顔を思い浮かべ、コアは空を仰ぐ。血相を変えたクロムが姿を現したのは、直後の出来事であった。

「クロム? お前、あの場所にいろって言っただろ」

 どうやって捜し当てたのか不審に思いつつ、コアは眉根を寄せた。走り通しで来たのか息を切らせつつ、クロムが言葉を搾り出す。

「リ、リリィさんが……目を覚まして、何処かへ行ってしまったんです」

 一度マイルと顔を見合わせ、コアは痛むこめかみを指で押さえた。

「……あの馬鹿が」

 ため息を吐いた後、コアは表情を改めてマイルを顧みた。

「これで口実出来ただろ! マイル、行くぞ!!」

 コアの叱咤に体を震わせたマイルは我に返ったような顔つきで走り出す。マイルを追う前にコアはクロムを振り返った。

「お前はそこにいろ! 後で迎えに来る!」

 クロムに言い置き、コアも急いで戦場へと向かった。







 リリィが寝かされていた川岸を経由して崖を下り、マイルとコアは戦場へと突入した。頭の片隅では己の行動を非難しながら、それでもマイルは一心で友の姿を探した。

緑青(ろくしょう)!!」

 マイルが叫び声を上げると緑青は驚愕の表情を浮かべて振り返った。緑青の手には短刀が握られており、返り血を浴びた体は黒ずんでいる。

「マイル! コア!? 何故来た!!」

 鬼のような緑青の形相は憎しみにも似た感情を湛えていた。耐え難い戦場の圧迫感と緑青の険しさにマイルは閉口したが追いついてきたコアが冷静に口を挟んだ。

「悪いな、うちのお嬢さんが迷子になったんだ」

 コアの短い言葉で事態を察したらしい緑青が険を緩める。周囲に気を配りながらもコアが話を続けた。

「火を焚いてた場所を経由して来たんだが見当たらなかった。済まないが探してやってくれ。それと、そろそろ撤退しろ」

 冷静さを取り戻した緑青は無言で頷く。しかし撤退を告げに緑青が動こうとした刹那、怒声が響き渡った。

「いたぞ! 緑青だ!!」

 コアと緑青が同時に身構えたが叫ぶ声は遠すぎる。コアはすぐに緊張を解いたが緑青は走り出した。

「……あいつ、緑青の白装束着てたよな」

 コアの独白を聞きつけたマイルは息を呑んだ。

 白影の里の者達は平素であれば白装束をまとって戦う。だが今回の作戦では確実な成功を掴むため、彼らは白装束を捨てていた。この混乱のなかで唯一白装束を身につけた者がいるとすれば、緑青と間違われるのも当然である。

「行くぞ」

 緊迫した声を発しコアが動いたのでマイルも後を追って走り出した。







 戦場は汚物の山であった。むせ返るような死臭が訳のわからない高揚感を沸き立たせ、リリィは歯を食いしばって走っていた。

 しきりに殺せと叫びながら追って来るものは、人間ではない。言葉の通じない獣と対峙するだけの度胸も覚悟もなかったことを思い知らされながら、リリィは逃げることしか出来なかった。

(嫌だ、死にたくない!)

 泣き喚いて命乞いをしろと、頭のどこかが囁いている。だが追いつかれたら殺されてしまうことを、リリィは本能で察していた。

 不意に狭まっていた視界が回復したのでリリィは慌てて足を止めた。眼下には湖面が迫っており、いつの間にか逃げ場がない場所へ追い込まれている。リリィが反射的に振り返ると剣を血色に染めた男たちがすぐ傍にいた。

「緑青じゃないぞ!」

「構うもんか! 生き残りは殺せ!!」

 自分も、そして兵達も極限状態である。今考えずともよいことを冷静に分析した自分を、リリィは嗤ってしまった。

 血染めの刃が、振り下ろされる。ゆっくりと流れるように、男たちの仕種はリリィの目にはっきりと映っていた。

 張り詰めていた糸が切れ、同時にリリィの意識は途絶えた。







 追いつくなり目に飛び込んできた光景にコアは声を荒げた。

緑青(ろくしょう)!!」

 叫んだ時には遅く、リリィと彼女を庇った緑青は湖へと姿を消した。血に濡れた白刃を手に、大聖堂の鎧を纏った兵達が振り返る。コアは地を蹴り、剣を抜くと同時に首を一つ飛ばした。

 仲間の首がいとも簡単に飛ばされたことに瞠目した男の首を、コアは返す剣で刎ねる。首を失った二つの体が地に伏したことを尻目にコアは剣を一振りして血糊を飛ばした。

「……コア」

 背後からマイルの控えめな声がしたのでコアは己を取り戻した。苦い思いで口元を歪め、コアは湖に視線を転じる。

「流されちまったみたいだな」

 血が滲む湖面には、すでに人間の姿はなかった。

「……行こう。緑青の代わりにやらなければならないことがある」

 マイルが平静を装って促したのでコアは剣を鞘に収め従った。

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