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第三章 流刑地の閑人(5)

 荒野を西進し続けると大地は日に日に緑を取り戻していった。やがて川も現れ、リリィは新鮮な気持ちで光る水面を眺めていた。

「この辺りは緑が多いのね」

「この川の源流は遥か北にあり、大陸を縦断していると言われています。川沿いに南下すると南方諸国連合に入り、やがて大海に注ぎます。この河が氾濫するせいで肥沃な土が運ばれ、大地が潤っているんですよ」

「へえ、すごいわね」

 クロムの説明を聞きながらリリィは水をすくってみた。そのままで飲むことは出来なさそうだったが一度沸かせば飲み水として使用出来そうな透明度である。しゃがみこんでいたリリィが立ち上がるのを待ってクロムが話を再開した。

「海を見たことはありますか?」

「ないわ。山奥育ちだから」

「水平線に太陽が沈む様は絶景ですよ」

「へえ。見てみたいわ」

「そのうち機会もあるでしょう。ここからさらに西へ行けば陸の孤島があるウォーレ湖に着きます。湖というものも、なかなかいいものですよ」

「クロムは色々な所を見てきたのね」

「博士に連れられてあちこち回りましたからね」

 博士という言葉を聞いたリリィはルーデル遺跡の町で別れたラーミラを思い浮かべた。さぞかし骨の折れる旅であっただろうと想像し、リリィはクロムに哀れみの視線を投げる。

「なんだ? 陸の孤島の話か?」

 頭上から声が降ってきたのでリリィは顔を上げた。太い幹に足をかけたコアが樹の上から見下ろしており、リリィは呆れながら話しかける。

「いないと思ったらそんな所にいたの」

「ほら」

 コアが何かを放ったのでリリィは慌てて手を出す。リリィの両手にずっしりと収まったのは血が滴りそうな肉であった。

「捌いておいてやった。あとは焼けば食える」

「じゃあ、食事にしましょうか」

 クロムが火を熾し始めたのでコアが樹から下りてきた。軽い身のこなしに見入っているとコアが振り返ったのでリリィは身構える。

「……何?」

「ウォーレ湖にはあんまり期待しない方がいいぜ」

 火から少し離れて腰を下ろし、コアは幹に背を預ける。リリィはクロムを手伝いながら首を傾げた。

「どうして? キレイな場所なんでしょう?」

「あそこは万年霧がかかってて湖の先なんて見えないからな」

「その霧の中に陸の孤島があるの?」

「確認はされてない。船を出した連中は失踪しちまったからな」

「それって、湖に落ちたら助からないってこと?」

「沈んで、浮かんでこなかったら助からないだろうな。あそこは水流が独特だから飲み込まれたら終わりだ」

「漁とかも出来ないの?」

「いや、漁は出来る。沖の方まで行って霧に飲み込まれると帰って来られなくなるけどな」

「簡単に船も出せないなんて大変ね」

「そうでもないぜ。あそこはその水流のおかげで食料が豊富なんだ。世の中、楽してオイシイ思いは出来ないってことだな」

「害ばかりって訳でもないのね」

「害は湖より、あそこで戦争が起こってるってことだろうな」

 小分けにした肉を火にかざそうとしていたリリィは手を止めた。コアは構わず話を続ける。

「まあ、俺達には関わりのないことだ。被害を受けない程度に見物して、陸の孤島の調査をしようぜ」

「私、薪になりそうなものを探してくるわ」

 肉をクロムに渡し、リリィは立ち上がる。そのままコアの顔を見ないように、リリィは川とは反対側の林に向かって歩き出した。







 顔を背けたまま木々の間に姿を消したリリィを見送った後、コアはクロムを振り返った。

「ラーミラの助手ってことは、お前さんも大聖堂(ルシード)の人間なんだよな?」

「そういうことになるでしょうね」

 歯切れの悪いクロムの返事に首を傾げつつ、コアは話を進めた。

「この先の戦は赤月帝国と大聖堂のもめ事だ、俺達関係者が手を出すのはまずい。だから、やるなら判らないようにやれよ」

「僕は言語学以外は何も取り得がありませんから」

 引きつったように笑うクロムの顔を、コアはじっと眺めた。









 赤月帝国から西へ進むと荒涼とした大地が広がっている。荒野をさらに西進すると次第に緑が蘇り、大陸を縦断している川を越えればウォーレという湖に行き着く。ウォーレ湖は別名「髑髏の左目」と言われる場所である。

 ウォーレ湖の東岸は戦地であり、焼け野原を前にしたマイルは重く息を吐き出した。道中ではすでにサイゲートが獄より脱出したという情報がもたらされている。サイゲートさえ戻ればワイトやクラリスを心配することはないが白影の里の状況は好転しようがなく、そのことがマイルの気持ちを沈めていた。

 白影の里にはもう、国王軍と戦うだけの戦力がない。王が国内に戻ったのであれば近いうち里にも国王軍の脅威は迫るであろう。反撃の機会を窺うためには亡命するしかないが、棟梁は拒絶した。

 もはや内乱を収めるためには国王の首をとるしかない。だが現状では無理であることを棟梁は承知している。それでも彼は大聖堂(ルシード)には屈しないと心を決してしまったのである。

 志を貫き、白影の里は勝敗の決している戦に臨む。死を覚悟してしまった者に部外者が何を言えるのか、そう思うマイルの心は晴れない。気持ちとともに重くなった足をひきずりながら、マイルは焼けた林へと踏み入った。

 燃えて炭となってしまっている木々の合間に白装束が見えたのでマイルは足を止め、その人物が歩み寄って来るのを待った。

「また会ったな、緑青(ろくしょう)

 覆面をしていない緑青はマイルの呼びかけに笑みを浮かべた。

「ああ。(るい)がいたからな、いつ来るかと待ち侘びていた」

 戦場にいるとは思えぬほど穏やかな表情を見せる緑青へ、マイルも自然な笑みを装って応えた。









 漆黒の闇の中、焚き火の小さな炎だけが赤く辺りを照らしていた。短く折った細い枝を火にくべながらリリィはコアを仰ぐ。

「あと、どのくらいなの?」

 大陸を縦断している川を渡った後、一行はひたすら西進していた。まもなく陸の孤島があるというウォーレ湖へ着く予定であり、リリィはそのことをコアに尋ねたのである。地図は頭に入っているようでコアはその場でリリィの問いに答えた。

「途中三ヶ所、キールの目撃情報がある集落を巡っても三日ってところだな」

 コアの視線の先を辿ってみても闇の呑まれた木々ばかりであったのでリリィは膝を抱え、焚き火に視線を戻した。少なくとも三日後には戦場にいる、その実感はまだリリィにはない。

(わかってる……はずよね)

 世界を放浪する以上、避けては通れない。そう言い聞かせてみてもリリィは震えを鎮めることが出来なかった。

「心配すんな、俺達はただの通りすがりだ」

 何も死地へ赴く訳ではない、そうコアは言う。だがリリィは同じことだと思い、膝を抱く腕に力をこめた。







 白影の里の野営地では負傷者が地を埋めていた。回復に時間がかかりそうな者、手の施しようがなく死んで行く者、そういった人間があふれている光景は凄惨でありマイルは慎重に息を吐く。

「風が、変らないんだ」

 野営地を一望しながら緑青(ろくしょう)がぽつりと零す。マイルは緑青を顧みることが出来ず、ただ絶望の風景を見つめていた。

 湖から吹きつける風は一定であり常に敵の背後からやって来る。そのため初戦以来火器は使っていないのだと、緑青は説明をした。

「負け戦は俺の責任だ」

 淡々と、緑青はただ事実を述べている。返す言葉が見付からなかったマイルは目を閉ざした。

 もともと白影の里は隠密行動を得意とする間者の集団である。個人や小隊で動くことを得意とし防衛戦には定評があるが、赤月帝国が自ら攻め出ることを好としなかったため軍隊と戦うことには慣れていない。

「湖を使い背後に回る手は?」

 マイルは思いついたことを口にしてみたが緑青は小さく首を振った。

「今は船を作る人手すらない。こうして、向き合っているのが精一杯だ」

 緑青の口調は試みて失敗したことを物語っていた。己の提案の稚拙さに皮肉な気持ちになり、マイルは唇を歪める。

「お前がビルの出身だということも知っていたようだな」

「相手は昔の身内だ。里の戦力のことは誰よりも知っている、ということだな」

「……確かに、」

 とっさに出かかった言葉をマイルは呑み込んだ。

 確かに、これは内乱である。だが緑青の出身まで知っているのは白影の里でも一部の者だけだと、マイルは棟梁から聞かされていた。

(内通者が、いるんだな)

 半ば確信を抱いたマイルはやるせなく頭を振った。

 緑青はビルを出た後、白影の里の棟梁に仕えた。これは外部からの侵入者を厳しく選定している白影の里において異例なことであり、快く思わなかった者も多かったのであろう。そして緑青は、白影の里の棟梁が認めた次期棟梁候補なのである。

(これが時代の流れ、ですか……)

 東の空へ向け、届かないと解っていながらマイルは呼びかけた。

 白影の里は厳しい戒律で独自の秩序を保ってきた。だが他国に例を見るように世代交代がうまくいかなかったということなのだろう。白影の里も変わった、そのことが棟梁である海雲(かいうん)の心をも変えてしまったのかもしれないと、マイルは思った。

「老師やワイト達は無事か?」

 緑青が話題を変えたのでマイルも表情を改めて振り返る。

(るい)を置いてきた、あっちはうまくやるだろう」

「それなら安心だ」

「ところで、夜襲には備えなくていいのか?」

 すでに夜も更けているというのに野営地には見張りらしき姿はない。緑青は皮肉な口ぶりでマイルの問いに答えた。

「向こうからは何も仕掛けてこない。待ってるんだよ」

 緑青が湖の方を見たのでマイルも視線を傾けた。濃い霧に覆われて全貌を掴むことは出来ないが、そこに国王軍がいるのである。

 マイルは躊躇しながらも気にかかっていたことを尋ねてみた。

「指揮官が国王の正室だという話は、本当なのか?」

「そのようだな。娶ったことは公式には発表されていないが」

大聖堂(ルシード)の人間、なのか?」

「そうらしいな。つまり、俺達は何年も前から奴らの手の内で踊らされていたという訳だ」

 緑青の口調にはわずかに悔しさが滲んでいた。静かな怒りが伝染したマイルは唇を噛んで顔を背けたが異音を耳にしたので顔を戻した。

「歌?」

 水音に混じって微かに届いたのは歌声であった。どこの国の言葉なのかは判らなかったが歌っているのは女のようである。

「夜になると時折聞こえてくる。誰が、歌っているんだろうな」

 湖に目を向けたまま呟く緑青の声を聞き、マイルは眉根を寄せながらため息を呑みこんだ。







 風の中に人の声を聞いたような気がしたリリィは顔を上げた。まるで霧で湿った空気に溶け込んでいくように、その歌声は儚く消えていく。

「ねえ、歌が聞こえなかった?」

 リリィが尋ねるとコアとクロムはキョトンとした表情で振り返った。

「聞こえませんでしたけど?」

「葉ずれの音か何かを聞き間違ったんじゃねーの?」

 気のない反応を返されたリリィは眉根を寄せる。聞き間違いにしては鮮明であったとリリィが思った刹那、その歌声は再び流れてきた。

「ほら、また」

 リリィはもう一度同意を求めたがコアとクロムは周囲を見回すだけで首を傾げた。

「ああ、もしかしたら」

 ふと、思い出したようにコアが手を打つ。耳を澄ましていたリリィは急くようにコアを振り返った。

「何? 心当たりでもあるの?」

「陸の孤島の近くだろ。愚者が歌ってるんじゃないか?」

「レゾール遺跡で発掘された文書のことですね」

 コアの言葉に頷いたクロムが文書の内容をくり返す。


『罪に身を貶めた流刑人の行き着く孤島。二度と戻れない死の海に響き渡るはローレライの歌声』


 クロムの声に重奏するように再度、歌声は流れてきた。だがすぐに止んでしまい、リリィは小さく息を吐く。

「忘れんなよ。俺達は陸の孤島の調査に行くんだからな」

 まるで自分に言い聞かせるようなコアの言葉に耳を傾けながらリリィは曖昧に頷いた。

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