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第三章 流刑地の閑人(1)

宗教的な要素、残酷な表現を含みます。苦手な方はご注意を。

 大陸の東北に位置する大聖堂(ルシード)の属国、赤月帝国。現在内乱の憂き目にあるこの小国には今宵も、紅い月が浮かんでいる。物心ついてからずっと、夜になれば見上げてきた月の下で男は縁側に座していた。

 男の名は、海雲(かいうん)。五十を超えれば長寿と言われる世においてすでに六十を超えている彼はまだ現役であり、赤月帝国の軍隊である白影の里の棟梁を務めている。虚空に浮かぶ紅い月はこの国の歴史を偏りなく見定め、何も言わず、これからも眺め続けてゆくのかと、海雲は深く息を吐いた。

「行くのか」

 重厚な光に照らされながら海雲が呼びかけた相手は彼と共に月を仰いでいた人物である。海雲にとって長年の友である男は仄かに笑みを浮かべたようであった。

「このままでは先に逝かれた方達に顔向け出来ないからな」

 老いた身でも成せることは果たさなければと語った男の名は、サイゲート。彼は赤月帝国の一国民であるが王室とも関係が深く、決まった役職を持たない重鎮である。

 サイゲートのひたむきな姿は少年の頃から変わらない。サイゲートを仰ぎ見た海雲は深い皺を刻んだ友の顔に在りし日の姿を浮かべ、回顧の念に駆られた。

 思い返せば、絶望の淵に立たされたことは幾度もあった。深い愛情を注いでくれた先代の長の死、幼少の頃から心を赦し合った親友(とも)の死、誰よりも心中を理解してくれた先々代の国王の死、そして先代の国王夫妻の早すぎた死。そのどれもが昨日のことのように鮮明に思い出せ、心を引き裂くものばかりである。だが挫けそうになるたび使命を思い出させてくれたのはいつもサイゲートであったと、海雲はゆっくりと唇を開く。

「戻って来たら三人で杯を交わそう」

 交わす言葉は多くはいらない。それほどの歳月を、彼らは共に過ごしてきたのである。

 海雲の言葉を聞いたサイゲートは懐かしそうに口元を緩ませた。

「あの日のようにか」

「そうだ。だから死ぬな、サイゲート」

 戒めた海雲自身、己の科白は滑稽だと感じていた。だがサイゲートは静かに頷き、闇に姿をくらませる。

 人気の失せた縁側に座したまま、海雲は静かに双眸を閉ざし月の光に身を委ねた。









 天空に紅い月が浮かぶことから名付けられた、赤月帝国。大陸の東北に位置しているこの小国は王政であるが有する街は一つである。寝静まった赤月帝国の城下街の片隅、人目を忍ぶ路地裏でマイルは間者の少年と向き合っていた。

 栗色の髪をした小柄な少年の名は、(るい)。彼はマイルと同郷であり、ある出来事を境にマイルの影として行動している。

「里の方には戻っていないのか?」

 赤月帝国の内情を探っている耒に向け、マイルは口火を切った。耒は頷き、私見を述べる。

「白影の里は決死戦を望んでいるようです」

 決死という言葉に引っかかりを覚えたマイルは眉間に皺を寄せた。

 赤月帝国は現在、内乱中である。国王率いる勢力と赤月帝国の軍隊である白影の里は国外で戦っており、白影の里は初戦に敗れている。壊滅的な被害を受けながら態勢を立て直す素振りもないのであれば耒の推測は疑いようがないとマイルは小さく首を振った。

「棟梁も早まった真似を……」

「白影の里は幾度も暗殺者を王城に送り込みましたがことごとく失敗しています。この意味を、重く捉えたのでしょう」

「多少の犠牲を払ってでも国内でやるべきだと思うがな。いくら暴君でも国民は始末出来ないだろう」

「僕も同意見ですが……緑青(ろくしょう)殿はお嫌いになるでしょうね」

「……そうだな」

 赤月帝国は過去に敗戦を経験している。己の国を戦場にするということがどういうことなのか、この国の民は嫌というほど知っているのである。苦渋の選択として遠征するしかなかったのかもしれないと思い、マイルは苦さを感じながら話題を転じた。

「まだ、あの場所で戦っているのか?」

「国王軍は湖を背に拠点を構えています。幾度か場所を移そうと試みたようですが、全て失敗に終わっています」

「……軍師はまだ、判らないのか?」

「未確認ではありますが、国王の妃だという噂を耳にしました」

「側室か?」

「いえ、正室のようです」

「正室か……」

 腕を組み、マイルは考え込んだ。

 赤月帝国の前国王であるレクスは実弟ユリウスを大臣に据え配慮をしながら国を治めてきた。しかし互いの間に男児が生まれると、どちらを後継者とするかで諍いが起きた。この争いを発端とし、兄弟の仲は冷めきってしまったと言われている。王弟ユリウスは幽閉状態のまま他界し、遺児は王位継承を絶望視されていた。それが、現在の国王である。

 思考を中断し、マイルは直立不動で佇む耒に視線を移した。

「正室を娶ったのはいつの話だ?」

「判りません。こんなに早く政権が代わるとは思いませんでしたし、現国王が注目を浴びることもありませんでしたから」

 再びマイルは思案に沈んだ。

 父親が政争に敗れた時点で光の当たらなくなってしまった人物が才気を有していたとは考えにくい。よほど巧妙に隠していたのだとすれば大器としか言い様がないが、マイルは秘密裏に輿入れをしていた妃の方が気にかかった。

「……王位を継いでから大聖堂(ルシード)と関わりを持ったとは思えないな。その辺りのことと、あと前国王達がどうしているのかも調べてくれ」

「わかりました。マイルは、どうするのですか?」

「しばらく国内の様子を窺おうと思う」

「……緑青殿の元へは行かれないのですか」

 控えめな耒の言葉にマイルは小さく首を振った。

「あいつのことは心配しなくていい。ただ、常に戦況は把握していろ。 ……緑青に会うのはもう少し情報を掴んでからだ」

「国内も規制が厳しくなっています。気をつけてください」

「大丈夫だ。うまくやる」

 頷き、耒の姿が闇に溶けるように消えて行く。一度目を伏せてから、マイルは紅い月を仰いだ。









 まだ太陽も昇りきらぬ早朝。早起きの鳥は歌い宿からは柔らかな煙が立ち昇っている爽やかな風景のなか、リリィは膝に両手をつき肩で荒い息をしていた。

(……苦しい……)

 運動という行為を意図的にするのはリリィにとって初めての経験であった。鈍っている体は少し走りこんだだけで悲鳴を上げ、汗が滝のように流れ落ちる。息が切れることさえ悔し思い、リリィは拳を握った。

「おはようございます。早いですね」

 突然かけられた声にリリィは慌てて顔を上げた。そこには先日同行者に加わったばかりのクロムが佇んでおり、リリィは息を整えて言葉を搾り出す。

「……おはよう」

 リリィの掠れた声を聞いたクロムは小さく会釈をし、水場へと向かう。何か言われるかとリリィは身構えたがクロムは目的を済ませると去って行った。

 無様な姿を見られたことが心苦しく、リリィは唇を噛みしめる。すでに昇りきった太陽が立ち尽くすリリィを眩しく照らしていた。







 小さな宿の一室でコアは報告書を片手に渋い表情をつくった。

(……厳しいな)

 つい先程届けられたばかりの内容は赤月帝国の内乱に関するものである。白影の里が初戦に破れ壊滅的な状況にあることや国内に戻るという選択をしていない旨が簡潔に記されており、コアは決死戦を予感した。

(マイルが取り乱すわけだ)

 空を仰ぎつつコアは紙片を懐へ隠匿する。コアは先程から足音が近付いて来ていることを察しており、予想に違わずクロムが姿を現した。

「何処へ行くか決めましたか?」

 戻って来るなりクロムが問うのでコアはとっさに広げた地図に見入った。世界地図にはキールの目撃情報と遺跡の所在地がぎっしりと書き込まれている。

「お前は何処がいいと思う? 青の×は目撃情報だけ、赤は実際に不幸があった所だ」

 コアが問い返すとクロムは口を閉ざした。考え込んでいるようなクロムの横顔を、コアも黙って眺める。

「この近辺の目撃情報から回ってはどうでしょう? 遺跡は遠いですし」

 クロムの答えはありきたりなものであった。警戒に値する人物でもなさそうだと判断し、コアは頷く。

「やっぱりそう思うよな。よし、じゃあそうしよう」

「オラデルヘルの辺りは目撃情報が多いですね」

 何気なく零れたクロムの言葉を受け、コアは地図の西北を注視した。オラデルヘルとは西北の湖に浮かぶ娯楽施設の名称である。

「そうだな。右目に何かあるのかもしれない」

 地図を右に九十度回転させると大陸はまるで髑髏のように見える。このことから「目」の部分にあたる西北と西南の湖をそれぞれ「髑髏の右目」「髑髏の左目」と呼ぶことがある。

大聖堂(ルシード)の方で情報はないんですか?」

 コアはしばし地図に見入っていたがクロムの声に目を上げた。

「あそこはアテにしない方がいい。リリィを起こしてきてくれ、飯にしよう」

「彼女でしたらもう起きてますよ」

「へえ。珍しいこともあるもんだ」

 地図を荷物にしまい、コアはクロムを促しながら階下の食堂へと移動した。そこにはすでにリリィの姿があり、待ちきれなかったのか先に食事を始めている。

「…………」

「…………」

 テーブルに積まれた皿の数もさることながら今尚すさまじい勢いで食物をたいらげているリリィの姿は鬼気迫るものであった。コアとクロムは言葉を失いながら空席に腰を下ろす。

「おかわりください」

 見られているのも気にせずリリィが声を上げると無愛想な店主がすぐに代わりの皿を持ってきた。気取られないよう微かに眉をひそめている店主に注文を済ませ、コアは呆れながらリリィを振り返る。

「朝っぱらからよくそんなに食えるな」

 昨夜何かしたのかとのコアの問いを無視し、リリィはひたすら食物を口に運ぶ。コアは小さく肩を竦め、苦笑しながら本題を口にした。

「まあ、食いながらでいいから聞けや。さっきクロムと話し合ったんだが、とりあえずこの周辺の目撃情報から辿ることにした」

 コアの短い説明が終わろうかというところで、ようやくリリィは食事を済ませた。

「食休みはいるのか?」

 コアは気遣ったつもりだったが癇に障ったらしく、リリィが鬼のような形相で立ち上がる。

「いらないわ!」

 語気鋭く吐き捨て、リリィは去って行った。

「……あいつは子供(ガキ)だからな、発言には気をつけろよ」

 煙管に火を入れながらのコアの忠告にクロムは黙って頷いた。

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