第十二章 決断の時(8)
処置を任せてくれとモルドに言い置いてから、コアはテルと話をしようと試みた。だがテルは貝のように閉口したままであり、コアが何を尋ねても決して語ろうとはしなかったのである。コアは最終的な勧告の意味合いを込めてテルに抜き身の剣を放った。するとテルは潔く剣を受け取り、彼が処刑を望んでいることを知ったコアは小さく息を吐く。
「……覚悟はいいな?」
テルが無言で頷いたのでコアは苦い思いを抱きながら暗器を手にする。テルは、アリストロメリアを慕っていた。そしてアリストロメリアもまた、テルには暖かな情を注いでいた。それがこのような末路を辿ることになるとは、コアは想像もしていなかったのである。
テルが剣の切っ先を、己に向けた。そのまま剣に覆いかぶさればすぐにでも絶命出来るよう、コアはテルの首筋へ白刃を近づける。だが刹那、室内に光が満ちた。
「何だ!?」
コアはとっさに小刀を持ち直して構えたが、すでに視界が遮られてしまっている。気配だけで敵がいるかを探ってみても何事も起こらず、光の治まった室内にはいつかのようにリリィが出現していた。リリィの隣にはアリストロメリアの姿もあり、コアは小刀を下ろして呆然と口を開く。
「アリア……」
呟きを零した後、コアは言葉を次ぐことが出来なかった。立ち尽くすコアの元へ、リリィがつかつかと歩み寄る。我に返ったコアは改めて驚愕を覚え、無言で距離を縮めてくるリリィに声をかけた。
「おい……」
しかし、コアの言葉は途中で切れた。予測もつかなかった衝撃に傾いた顔を正面に戻し、コアはリリィを睨み見る。
「……ってめえ!! いきなり何しやがる!」
「この馬鹿!!」
怒鳴り返したと思った刹那、リリィは再び拳を繰り出した。しかし二度も同じ攻撃を食らうほどコアは愚鈍ではなく、リリィの拳を平手で受け止める。だが攻撃が当たるか当たらないかは問題ではないようで、リリィはそのまま声を荒げた。
「簡単に殺そうとするんじゃないわよ!!」
リリィの怒りの内容に、コアは目を瞬かせた。しかしリリィはすぐに視線を外し、あらぬ方向へと顔を傾ける。リリィの視線を辿ったコアは腰砕けになっているテルに歩み寄るアリストロメリアの姿を見た。
「……テル」
テルの傍らに膝をついたアリストロメリアがそっと、腕を差しのべる。大きく体を震わせたテルは後ずさったが、アリストロメリアが逃れることを許さなかった。テルの腕を捕らえたアリストロメリアは小さく首を振ってから言葉を紡ぐ。
「テル、死なないで」
その一言にはアリストロメリアの意志がはっきりと表れていた。アリストロメリアの生身の言葉を初めて聞いたコアはあ然とする。テルもぽかんと口を開けていたが、やがてアリストロメリアの真意が沁みた様子で顔を歪ませた。
「ごめんなさい、アリストロメリア様、ごめんなさい……」
謝罪の言葉を繰り返しながらテルは床に額をこすりつける。アリストロメリアは泣き笑いのような微笑を浮かべ、そっとテルの背に手を回した。
「……何なんだ?」
唐突な出来事の連続で呆気にとられたままのコアは誰に聞かせるでもなく独白した。だがコアの傍らにはテルとアリストロメリアのやりとりを見つめているリリィがおり、コアの疑問に応じた。
「色々あるのよ、たぶん」
「……殴った挙句にたぶんかよ」
コアはどうしていいのか分からず、とりあえず痛む頬に手を当てながらリリィを振り向いた。
「説明しろよ。何でいきなり出てきたんだ?」
「たぶん説明してる時間はないと思う。戻って来たら、ちゃんと話すから」
リリィの言葉に反応したかのようにアリストロメリアが顔を上げた。心得ているとばかりに、リリィはアリストロメリアに頷いて見せる。それから、リリィはコアを睨み見た。
「とにかく、あの子を殺すなんてことしないでよね」
リリィに釘を刺されたコアが口を開きかけた矢先、室内は再び白い光に包まれた。発光はまたしても前触れのない出来事であり、コアは易々と視界を奪われる。そしてコアの目が慣れた頃には、またリリィとアリストロメリアの姿は消えていた。
「……何だってんだよ」
理不尽な出来事の連発に、コアは為す術なく頭を振った。
人間の世界から「楽園」に戻った後、アリストロメリアはアストランティアの元を訪れた。アストランティアはいつも、機械に囲まれた部屋にいる。それは神が生存していた頃から変わらぬ光景であった。
アリストロメリアとアストランティアはゼウスと名乗る男の手によって不老の体を与えられ、長久の歳月を生きてきたのである。だが長すぎる時間は、アリストロメリアからもアストランティアからも想いを言葉に託して伝えるということを奪った。そのためアリストロメリアは感情を凍りつかせながら生きてきたのである。だが、どれほど押し殺そうとしても想いは生まれてくる。テルに自らの思いを伝えた時、アリストロメリアはそう悟った。そして不老となってしまってから初めて、アストランティアに己の意思を伝えようと思ったのである。
「……アストランティア」
アリストロメリアが呼ぶとアストランティアは表情のない顔を傾けた。だが見慣れた無表情の裏に深い悲しみがあることを見て取ったアリストロメリアは思わず、顔を歪める。
「もう、やめましょう」
ゼウスがいなくなった時から、この言葉はアリストロメリアにしか言えないものとなってしまっていた。そしてアストランティアもこの言葉を待っていたのかもしれないと、微笑を目にしたアリストロメリアは思った。
「意見を聞かせてくれたのは久しぶりだな、アリア」
アストランティアは穏やかな顔つきになり、目を閉じる。その表情は人間であった頃と変わらないものであり、アリストロメリアはアストランティアが苦しんでいたことを痛感した。
「ごめんなさい、アストランティア」
もっと早く、アストランティアの苦悩を察していれば。もっと早く、想いを言葉にしていたならば。あるいは違う現在があったのではないかと、アリストロメリアは過去を悔やんだ。
様々な想いが一挙に押し寄せ、アリストロメリアの白い頬を涙が濡らす。それは自分が心を痛めて涙を流すのは陋劣であると、アリストロメリアが自らに禁じてきた感情であった。
「泣くことはない。何故そう思ったのか、聞かせてくれ」
顔を覆って泣き出したアリストロメリアを包み込むように、アストランティアは優しく腕を回す。アストランティアの温もりに頬を寄せながら、アリストロメリアは小さく頷いた。
「私達で終わらせないといけないことだと思うの。関係のない彼女に責任を押し付けるのは、やめましょう」
大聖堂という組織が自身のせいで作られてしまったとアリストロメリアが打ち明けても、リリィは責めなかった。彼女にとっての仇を生成してしまったにもかかわらず、リリィはアリストロメリアに慰めの言葉までかけたのである。さらに、リリィが一緒に行こうと言ってくれたおかげでテルの命を救うことが出来た。リリィのおかげで、アリストロメリアは自分のせいで不幸になる人間を増やさずに済んだのである。そのような人物をこれ以上苦しめたくないという一心で、アリストロメリアはアストランティアに思いを告げたのであった。
「……そうだな」
アリストロメリアの意見に賛同するかのように呟き、アストランティアは体を離す。アリストロメリアは涙を拭い、アストランティアを見上げた。アリストロメリアの瞳を見つめ返したアストランティアは静かな声で真意を告げる。
「もう一度だけ、尋ねてみよう。それで答えが出ないようならば私が決断を下す。それでいいか?」
アストランティアの言う「決断」が何を意味するのか、アリストロメリアには分からなかった。だが誠意を感じたアリストロメリアはアストランティアの胸にもたれ、目を閉じる。アリストロメリアの唇からは自然と、囁きが零れた。
「……そう呼んでくれたのも久しぶりだな、アリア」
アストランティアは口元を緩め、そっとアリストロメリアの髪を撫でた。




